明日のために、今日ワクワクする

(今日のコトバ)

 

予想不可能な明日だから、

期待でいっぱいにして、不安のつけ入る隙をなくそう。

 

 

 

明日、いいことがあると思うと今日が楽しい。

仮に、今日大変なことがあっても、

乗り切る気力がわいてくる。

遠い先のこと、半年先、一年先、十年先だと、

目標にはなるが、今日のためのエンジンになるかというと、

少々の燃料にしかならない気がする。

明日に希望が持てれば、

今日が素晴らしいものになる。

今日をがんばれる。

だとしたら、明日に楽しいイベントをつくってしまおう。

言葉通り、遊びの楽しいイベントをつくることもあるが、

自分の成果を出せるもの、

勝負のかかったものでもいい、プレゼンもいいかもしれない。

明日がワクワクするものをつくる。

「明日、何かを起こす」と思えば、

きっと、気力が充実する今日になる。

人生はいいことばかりではない。

辛い事、苦しい事がいっぱいある。

その中でどう生きていくか。

遠くに夢を、大きな目標を持つのも大切。

ただ、つねにいちばん近い未来である明日に、

気力がみなぎる状況をつくる。

そこに人生が楽しくなる秘訣がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

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小さくなりたい時は、進化の時

(今日のコトバ)

 

いつまで小さくなっているんだ。

もう、これだけ出来るんだから、

小さくなる必要はない。

自分を大きく広げていいんだ。

 

 

 

 

小さくなる。

特に、新しい環境に変わる時、

物事が出来ない時、大先生に教えを乞う時等、、、、。

恐縮して、緊張して、

小さくなる。

仕方のないことだ。

ただ、人には人それぞれ生きてきたキャリアがある。

そのキャリアには、人生のエッセンスがたくさん詰まっている。

人生の経験から、なんとかできる能力は養われている。

生き抜くヒントもいっぱい持っている。

だから、小さくなることはない。

かといって、必要以上に大きくなることもないが、

人生の生きてきた時間に自信を持っていい。

もっといえば、小さくなりたくなる環境は、

自分が進化する状況でもある。

大きくジャンプするために、

腰を深く落として小さくなる。

それぐらいの気持ちでいい。

小さくなりたい環境は、進化の時。

自分を大きくするチャンス。

そう思っていいのだ。

 

 

 

 

 

 

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臆病は危機管理システム

(今日のコトバ)

 

 

臆病は、危ない橋を渡るときの守護神になる。

 

 

 

 

危機察知能力って、何だろう。

考えてみると、自分の生まれつき持っている

臆病という病ではないかと思う。

臆病者とののしられるシーンがドラマなどではあるが、

臆病だからこそ、危ない状況は避けて通ることができる。

真正面から危機的状況に飛び込まない。

隣で起こっている危機に対して、自分がどうするか判断する。

人によっては、臆病でないという人もいると思うが、

臆病だと自分で思っている人が大半なはずだ。

つまり、人間が生きていく上で、

臆病という慢性の病が人生の危機を救ってくれる。

そう思うと、臆病であることはわるくない。

もちろん、ここ一番で臆病でいられない時もある。

だが、一般的におとずれるであろう危機には、

臆病という病が大きく貢献する。

もし、自分が臆病すぎると思っていても

心配することはない。

その病は、人生の危機を陰になり日向になり

救ってくれている。

臆病は自分にとっての危機管理システムなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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逃げない人

(今日のコトバ)

 

 

逃げない者だけ、捕まえろ。

 

 

 

 

 

人生には、苦あれば、楽あり。

山あれば、谷あり。

いいことばかりではないのが人生だ。

そして、困難を乗りきるために、

誰かの手を借りなければならないことがある。

その時、どういう人の手を借りるべきか。

否、どういう人の手が必要か。

ずばり、それは逃げない人。

少々、能力が高くても、少々、人柄がよくても、

困難には立ち向かえない。

ましてや裏切り人、逃げる人は論外。

どんな事態が起こっても、

一緒に対処してくれる。

手を差し伸べてくれる人が大切だ。

もちろん、付き合いも、義理もない人間に、

手を差し伸べてもらおうというのは虫がよすぎる。

日常の付き合い、日頃の行いが、

強い絆を生む。逃げていかない結びつきを生む。

いま、そして、これから、困難に立ち向かおうとする人は、

とにかく逃げない人を大切にしよう。

その人が、人生の困難をクリアしなければいけない時に、

必ず大きな支えになる。

解決に向かっての力になる。

心を落ち着かせてくれる役割も果たす。

逃げない人が大切なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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芽が出る、芽がある

(今日のコトバ)

 

 

芽は、地中から突き出た牙だ。

 

 

 

芽が出るという。

芽があるという。

蒔いた種が地中の土を飛び出して、

正体を現す。

まだ、花にはならないが、

この種は新しい命を生んだことを証明する。

つまり、地上へ、この世界へ、

新しい挑戦者としてデビューすること。

芽が出る、芽があるとは、そういうこと。

植物の芽だけではなく、

人間の生きる世界でも、

芽が出るということは、

新しい発想が生まれて、

大きな成果を生み出す機をつかんだということ。

その芽こそ、

人生を変えていく、

人生を上昇していく好機なのだ。

いま、自分の身の回りで、

芽があるというものがあるなら、

その芽を大切に育てろ。

それこそが、人生の花を咲かせる素になる。

この世界に挑戦していく、

新しい武器になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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遠慮は、遠慮しなさい

(今日のコトバ)

 

遠慮していたら、この席は敵の指定席になってしまう。

 

 

 

 

日常生活で、ちょっと遠慮してしまう。

「どうぞ、お先に」

「私は、いいから」

知らず知らずに人より後ろに下がってしまう。

日々、起こるささいなことでの遠慮はいい。

ただ、人生の勝負がかかった時でも遠慮してしまう人がいる。

「どうぞ、お先に」

「私は、いいから」

それは、人生で大損する行為になりかねない。

誰がやるのかという時に、

「どうぞ、お先に」では、

能力のあるないにかかわらず、

誰かにおいしいところを持っていかれる。

「私は、いいから」などといってしまっては、

放棄ととらえられてしまう。

自分は何がしたいのか。

自分はどこへ行きたいのか。

自問自答して出した答えがあるなら、

その勝負どころで遠慮してはいけない。

自分のまわりでもいる。

「人がいい。いつも遠慮がち。

ただ、力は持ってる。惜しいなと思う」

そういう人は、勝負どころでも遠慮してしまう。

もったいないし、人生全体で考えたら大損することになる。

そのことを肝に銘じよう。

勝負がかかったところでは、遠慮しない。

ここは、勝負なのだ。

前へ出る。やる気をみせる。

そして、最大限の力を発揮する。

それこそが人生を大きく浮上させるポイントなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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勝利や成功は、永久保証ではない

(今日のコトバ)

 

実績に寝そべっていると、

実戦で立ち上がることができない。

 

 

 

勝利とか、成功とか、結果を出して、

美酒に酔いしれることがある。

いい結果を出した以上、

喜ぶこともあたりまえだ。

思いっきり喜んでいい。

その喜びこそが人生の醍醐味だったりする。

だが、その結果が出た後、

いつまでも酔いしれてばかりではいけない。

勝利や成功は、永久保証ではない。

努力をやめた瞬間、後退する、退化する、力を失う。

長い時間、足を止めていれば、

それだけ力は低下していく。

当然、勝利や成功をした時の力を失い、

結果を出せない自分になっている。

ただ、それを気づかずに、

過去の栄光だけで生きようとする人がいる。

それでは、現在の戦いや、これからの戦いでは、

結果を出すことができない。

だからこそ、肝に銘じるべきことがある。

勝利や成功は、一瞬の結果であることを。

永久ではない。すべて過去になる。

切磋琢磨することを忘れたら、

進化することはできない。

このあたりまえのことを

しっかりと胸に刻むのだ。

 

 

 

 

 

 

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生意気は本心

(今日のコトバ)

 

生意気な態度をとるのは、

生の「私」を見逃すなということだ。

 

 

 

自己主張がしたい場合、

ケンカをしかけたい場合、

怒った場合等、人によって、

様々な場合に生意気な態度をとる。

その生意気とはどういうことかと考えると、

自分のいまのメッセージを熱さをこめて伝えようとすること、

本心を最短に伝えようとすることなのだと思う。

となると、まわりの人は、生意気な態度を

しっかりとキャッチしなければ本心を受け止められない。

生意気だから、態度がいいとは限らない。

ただ、そこに本心があることだけはわかっておくべきだ。

人は、どこかで本心・本音を出さなければ生きていけない。

ぐっとこらえて、背中で泣いてなどという人は、

ほとんどいない。

だからこそ、生意気は本心であることを理解しておくべきだ。

態度だけで判断すると、

すべて嫌なヤツ、わるいヤツで終わってしまう。

生意気の本心を知ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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すべてのものに意味がある

(今日のコトバ)

 

ここまで来るのに、ぜんぶ必要だった。

そして、無駄なものも大事な役割を果たしてくれたんだ。

 

 

 

いらないと思ったものがあった。

無駄だと思ったものがあった。

捨ててしまったものがあった。

そのすべてが大切だとは思わなかった。

だが、人生を振り返ってみるとわかる。

ほとんどのものが必要なものだったということを。

「それがどうしても欲しかった」

「それがどうしても必要だった」

「それがなければ生きていけなかった」等々。

いまは価値がなくなったとしても、

その時はなくてはならないものだった。

そして、それがあったからこそ、

いまの自分がある。

そのことを忘れてはいけない。

自分が手にしてきたものは、

すべて意味がある。

すべて大切なものだったのだ。

だから、いま持っているものには必ず役目がある。

そのことをしっかり考える。

それだけで、自分がいま生きている意味が、価値が、

少しだけわかるようになる。

いま持っているもの、役目を果たして捨てたもの、

すべてが無駄なものでなかったことを肝に銘じよう。

 

 

 

 

 

 

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プレッシャーから距離をおく

(今日のコトバ)

 

どこかで会ったような今日ばかりだ。

心配はいらない、今日はそれほど人見知りじゃない。

 

 

 

 

人生を懸ける出来事や

自分が仕切るイベントなど、

眠れなくなるぐらい緊張・興奮することがある。

ほんとうは眠らなくてはいけないのだが、

眠れない。興奮がおさまらない。

人生の中では、時々、起こる。

プレッシャーが大きくて、

気持ちがコントロールできなくなるのは、わかる。

ただ、プレッシャーが大きくて緊張・興奮するのは、

必要以上に考えてしまうから起こること。

忘れることはできないにしても、

頭から離す、違うことに気持ちを切り替えるなど、

意識して、そのことだけを考えないようにする。

考えすぎて、つぶれてしまっては何にもならない。

できるだけプレッシャーと距離をえおく。

どうせ考えても、

その日、その時間にならなければわからないことだらけ。

もっといえば、人生の中で、

まったく同じことはなくても、

同じようなこともあったはず。

その時のことを考えれば乗り越えることができる。

その日その時は、過去に似たようなことがあったのだ。

だから、プレッシャーがかかるのは、ある程度、仕方ない。

ただ、必要以上に考えすぎないこと。

どこかで気持ちをリラックスさせることに意識を変える。

それだけで、

その日に振り回されることが少なくなるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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