言葉には裁量がある

 

 

 

(今日のコトバ)

 

言葉は、言葉ほど立派でなくていい。

 

 

 

言葉に縛られる。

一つの言葉によって、

人生や人格までもが縛られる。

良い意味では、夢、希望、目標など、

自分の人生を成長させる言葉。

悪い意味では、罪、絶望、怠慢など、

自分の人生を退化させる言葉。

それらの言葉は、

人生を縛る力を持つことがある。

ただ、言葉は、言葉だ。

考え方によっては記号でしかない。

そこにシリアスになって、

生き方までまとめる必要がないともいえる。

だが、人生のアイコンとして、

生きるためのランドマークとして、

いつも輝いていてほしいと思うこともある。

言葉の捉え方は、自分。

言葉の選択権も、自分。

自分の裁量で使えばいい。

言葉に助けられて、

言葉に裏切られて、

言葉に背中を押され、

言葉に止められる。

言葉には柔軟性がある。

そして、柔軟に使うのは自分なのだ。

 

努力は無限にできる

 

 

 

(今日のコトバ)

 

努力は限界がない分、

才能より伸びしろがあるんだ。

 

 

 

俗に、天才型か、努力型か、といわれる。

人間の能力を大きく二つに分ける。

「何も教えなくてもできてしまう」

「何かをやらせると卓越した能力を見せる」

才能があふれて見えるような人を天才型という。

反対に、「はじめは何をやらせても

成果は出せないのだが、着実に頑張って

できるようになる」

「人の数倍も修練して、人より秀でた力をつける」

あきらめない根気を身に着けた人を努力型という。

ほんとうは、この二つだけで

分けることはできない。

天性のものがあるのだが活かしきれない人がいれば、

努力型なのだが努力が足らない人もいる。

古くなるが、長嶋が天才型、

王が努力型などともいわれたが、

二人とも才能は図抜けていたし、

努力も想像を絶するぐらいしていたはず。

二人とも努力する天才だったのだ。

だから、簡単に才能と努力では割り切れない。

ただ、一つだけいえることは、

才能は生まれ持ってどうしようもないことも多いが、

努力は無限にできるということ。

あきらめない気持ちがあれば、

いくらでもできる。

人生では、努力する力が、

未知の扉を開けていくこともある。

生まれ持っての才能では、

とうてい出来ないことも、

出来るようになることがある。

つまり、才能より努力の方が、

伸びしろがある。

努力の力を思いっきり信じていいのだ。

置かれた場所を檜舞台に

 

 

(今日のコトバ)

 

手の平で踊らされているなら、

手の平を檜舞台にしろ。

 

 

 

自分の置かれている環境がある。

自分の仕事場だったり、

自分の戦いの場だったり、

自分の営業する場だったり、

自分が発表する場だったり、、、、。

自分が活躍しなければならない場。

そこで、自分のパフォーマンスを

どれだけあげられるか。

どれだけ実力を発揮できるか。

そこが人生最大の分岐点になる。

日々、普通に生きていると気づかなくなるが、

与えられた環境、与えられたテーマで、

最高のパフォーマンスをすることが

自分の評価をあげることになる。

そこで実力がなくて結果が出せない人、

本気になれなくて結果を出そうとしない人は、

人生の大きな舞台にあがることはできない。

小さくまとまったままの人生になってしまう。

だとしたら、

いま、自分置かれて場所で全力を発揮して、

結果を出すべきだ。

うまくいかないこともある。

だが、そんな時も誰かが見ている。

どこかで自分のいい部分を

見つけてくれる人がいる。

結果を出すということは、

何も、勝ったり、成功することだけではない。

いいものがあると将来性を感じさせたり、

惜しいけど光っていたといわせたり、

よく頑張っていたと思わせれば、

それも大きな結果になる。

だからこそ、いま、自分の置かれている場所を

檜舞台だと思って、

最高のパフォーマンスを発揮する。

その意識、その行動が大切。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

動くことからはじめる

 

 

(今日のコトバ)

 

歩き出せ。

悲しみも、寂しさも、

道端に落ちていく。

 

 

 

 

何か悲しい出来事があって、

落ちこんでしまう。

打ちひしがれて、

立ち上がることができない。

心も、体も、消沈している。

人生には、そんな時もある。

元気になれないので、

どうしていいかもわからない。

時間が必要な場合もある。

ただ、時間を充分にかけられない時もある。

否、時間が充分だと思えるまで、

どれぐらいの時間が必要かもわからない。

だとしたら、なんとか気力を取り戻し、

自分を取り戻す。元気な自分になるために、

きっかけがいる。

では、そのきっかけとは何だろう。

それは、動き出すことではないだうろか。

とにかく、しんどくても、つらくても、

少しずつでいいから動き出す。

動き出すことができたら、

距離を増やしていく。

退院後のリハビリのようだが、

それでいい。

人は、動くことによって、

いろいろな細胞が動き出す。

活性化された細胞は、

自然にポジティブな思考をはじめる。

ポジティブな思考は、

自分をイキイキさせ、元気を呼び戻す。

もちろん、なかなかエンジンがかからない人もいる。

それでも、動き出すことは、

自分が復活するためのに必要なこと。

落ちこんでいる自分のために、

落ちこんでいる人生のために動き出す。

それが最初のスタートだ。

 

教訓となる記憶

 

(今日のコトバ)

 

つまずくことで、大ケガを防いでいる。

 

 

 

小さなミス、かすり傷等、

日々、あると思う。

大ケガではなかったが、

ある程度の痛みを感じた。

教訓となる記憶を刷り込んだ。

そんなことが誰の人生にもあるはずだ。

ただ、大ケガにならないが、

教訓になったことは、

人生の危機管理にとって、

とても大切なことなのだ。

この教訓が人生が危なくなることを

リスクヘッジしている。

経験という記憶が、

「それをやってはダメだよ」と

自分に指令を出している。

そう考えると、小さなミス、かすり傷等は、

たくさん経験していい。

その数が多いほど、記憶がリスクを感知する。

だから、いま、経験した小さなミス、かすり傷は、

前向きに受け入れよう。

この小さなミスがあったからこそ、

大きなミスをしない。

このかすり傷があったからこそ、

大ケガをしない。

人生が危なくなることを回避する。

大切な経験という記憶なのだ。

 

 

笑える場に身をおく

 

(今日のコトバ)

 

笑うことで凸凹な気持ちを舗装してるんだ。

 

 

 

気持ちは、動いている。

一定を保つことができない。

いい気持ちになることはあっても、

いつまでも持続することはできない。

わるい気持ちになったからといって、

この先、わるい気持ちばかりでもない。

ただ、なるべくなら、

いい気持ちが続く人生がいい。

そのいい気持ちを続けたい時に、

大きな働きをするのが、笑い。

笑わせられると、気持ちは良くなる。

笑わってもらうと、気持ちが良くなる。

つまり笑っていれば、気持ちが良くなる。

もちろん、笑われて、不愉快になることもある。

ただ、笑っている場で、気持ちがわるくなることはない。

そう思うと、笑いの身近にいることが、

いい気持ちの人生をおくるための前提になる。

いま、気持ちの良くないことが多い人は、

笑える状況に自分をおこう。

自ら笑いをつくってもいいし、

笑わせてくれる場に身をおくのもいい。

とにかく、笑える場にいることが大切なのだ。

 

かけがえのないアイコン

 

 

(今日のコトバ)

 

そこにいるだけで、

あなたは誰かのかけがえのない存在に

なっているんだ。

 

 

 

そこで生きている。

いつもの定位置で生きている。

あたりまえのように、自分の環境があり、

自分の仲間がいる。

その真ん中に自分がいる。

誰かに特別何かをしたわけではないが、

そこにいることがとても重要。

ただいるだけで、

自分の定位置につくだけで、

まわりの人が安心する。

長くそこにいると、いるだけで

まわりの人の心に存在ができる。

自分のやることをまっとうすることで、

まわりの人は一つの安心のアイコンをつくる。

アイコンはやがて、まわりの人の人生にとけこみ、

かけがえのないものになる。

突然、人がいなくなると、

「ぽっかり心に穴があく」という。

まさに、かけがえのないアイコンを

失ってしまったから穴があくのだ。

だからこそ、自分の定位置は大切にしよう。

自分が思うより、まわりの人が

大切なものを無くしてしまう。

そのことを忘れてはいけない。

 

自分という現状を超える

 

(今日のコトバ)

 

弱さは、見る目を持ち、聞く耳を持つ。

 

 

 

勝者になってしまうと、

その地点で止まってしまう。

強者になってしまうと、

過信して努力を怠ってしまう。

そこが人生のターニングポイント。

敗者が、弱者が、

切磋琢磨を続け、弱点克服をすると、

勝者、強者を逆転する。

常勝がありえないのは、

人生の逆転劇があるから、

どこかで負けるのだ。

では、なぜ、敗者、弱者が、

逆転するのだろうか。

それは、負けたことによって、

弱いことによって、

見る目を持ち、

聞く耳を持つからに他ならない。

どうして負けたのだろう。

どうして弱いのだろう。

その答えを探し、答えを教えてくれる人の話を

ちゃんと聞くようになる。

実は、その素直な気持ちが、

人生のあらゆる壁を超える礎になる。

言い訳や逃げの気持ちを捨て、

まっすぐに自分を走らせる気持ちが芽生えた時、

人は、自分という現状を超えることができる。

そのことを忘れてはいけない。

 

希望の差

 

 

 

(今日のコトバ)

 

道は、希望を見つけるための光である。

 

 

何か目標ができた時、

そこに希望があると、

果然、やる気がわく。

全力疾走するエネルギーになる。

反対に、目標があるのに希望がない状況だと、

目標は漠然として、

やる気は全開にならない。

「あそこで辿り着きたい。ただ、

どう追いかけていいかわからない」

そんな気持ちになり、途方に暮れてしまう。

「あそこに辿り着きたい。ここに、

追いかけるための希望がある。

その光を見つめながら走り続ければ、

やがて目標の場所まで辿り着ける気がする」

そう思うと、やる気は全開になる。

希望があるか、希望がないか。

それだけの差なのだ。

先日、「希望の党」という政治集団が

小池百合子代表の下、発足した。

政治は清濁あわせ飲まなくてはならないから、

党名だけで信用してはいけないが、

「この党には希望がある」ということを

伝えたかったのは間違いないだろう。

それぐらい希望という言葉には力がある。

そして、言葉だけでなく、

ほんとうに希望があれば、

人の気持ちの中に

途轍もないエネルギーが生まれて

思いっきり前進していける。

希望は、人に無限の力を与えてくれる。

人生に目標を設定した時、

この希望を持たない手はないのだ。

 

 

即興は人生のデータベースから

 

(今日のコトバ)

 

人生は、ころがりながら、つまずきながら、

生きるためのアドリブを覚える。

 

 

毎日、生きる上で、即興を要求される。

社会でコミュニケーションをとる立場なら、

その場所、その場所で、

即興で判断しなければならないことがある。

その即興が、人生を変化させていく。

そして、長い人生、体験したことが、

即興の大きな財産になっていく。

特に、失敗したり、負けたり、

ころんだり、つまずいたことは、

自分のデータベースに組み込まれ、

その先の人生に大いに役立つ。

人生のデータベースにデータがあれば、

失敗しない対応、

負けない戦い方ができるかもしれない。

もちろん、不測の事態があるから、

どれだけデータがあっても、

防げないものもある。

ただ、データはある程度、人生の予防線にはなる。

人生の日常には、喜劇、悲劇、ハプニング、アクシデント、

成功、失敗、勝利、敗北、奇跡、

幸福、不幸、可能、不可能等、、、。

いろいろな事を体験する。

その時、即興で対応できるのは

体験がデータベースになっているからに他ならない。

この体験というデータは人生最大の財産だ。

持っているかいないかで、

その後の生き方がまったく変わってしまう。

そのことを忘れてはいけない。