小さな夢を叶えていく

(今日のコトバ)

 

夢は少しだけ遠くにあるのがいい。

あまり遠すぎると見失ってしまう。

 

 

 

壮大なロマンもいい。

途轍もない計画も大切だ。

夢に範囲などない。

大きく絵を描くことも、

夢の醍醐味といっていい。

ただ、あまりに大きすぎる夢では、

長い時間が必要とされて、

手にできるかわからなくなってしまうこともある。

そうなってしまうと、

夢は少しずつその正体を消していく。

「どうやら叶わない」と思ってしまうと、

夢のチャレンジをあきらめてしまうこともある。

だとしたら、なんとか手にできそうな夢を描く。

そして、着実に夢を手にしていく。

その積み上げで、大きな夢を叶えてもいい。

大きな夢までたどり着かなくても、

小さな夢を叶えたという自信につながる。

人は、夢を叶えることによって成長する。

どこまでを夢とするかもあるが、

叶えられる夢を叶えていくのも、

素敵な人生の生き方。

夢が常にある人生もまたいいもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

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忙しい=幸せ

(今日のコトバ)

 

忙しくするのは、

生きるための宝探しをしているんだ。

 

 

 

8月に入って、通勤電車がすいてきた。

来週からお盆になるので、

さらに、ガラガラになるだろう。

その中でも、休みにまったく関係なく、

忙しく働く人がいる。

他の人が休んでいても、バリバリ働いている。

労基とよばれる国の指導があっても、

働き続ける。

もちろん、仕事の業態にもよる。

会社と自営では違うし、

創作活動に近い人と時間で決められて働く人も違う。

経営層、管理職、一般社員でも違う。

ただ、どんな状況でも、忙しくしている人はいる。

その人は良く見ていると、

忙しいことを喜んでいる気もする。

そして、働くことが好きだ。

働くことが、生きがいになっている。

忙しさの中に、目的をちゃんと持っている。

忙しくない人は、

働きの中に目的を持てない人が多い気がする。

その差だと思う。

本当に働くことが嫌いな人もいるだろう。

ただ、自分のやりたいことが出来るのに

働きたくないという人は、あまりいない。

忙しい人は、

そこに目的という宝物を見据えている。

働きたいと思う動機がしっかりしている。

実は、それが出来る人は、

一番幸せな人なのだ。

忙しい=幸せ。

行き過ぎると命を縮めるが、

世の中で忙しく生きていける。

それは、とても幸せなことなのだ。

 

 

 

 

 

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そこにいるだけで価値がある

(今日のコトバ)

 

そこに、あなたがいることにが、

どれほどまわりの人を安心しているだろう。

わかっていないのは、あなたです。

 

 

 

 

いつもの場所に、いつものようにその人がいる。

それだけで安心する。

それが安心になる。

例えば、いつもいる人が長期で入院して、席にいない。

まわりの人は、心の一部分に穴があいたような気になる。

転勤、天候、退社のように、

もう二度とその席にこなくなると、

まわりの人の喪失感は計り知れなくなる。

もちろん、いなくてセイセイする人もいる。

そんな人さえも時間が経つと、

「いればいたで面倒くさいけど、

いないといないで寂しいね」といわれたりもする。

何をいいたいか。

人は、そこにいるだけで価値がある。

安心という価値を生むのだ。

考えてみると、不安とは、

いるべき人がいないところから始まっている。

もし、いま、自分の価値に疑問を持っている人がいたら、

自分に座るべき席があるだけでも、

大きな価値があることを理解しておこう。

まわりの人は、あなたがそこにいてくれるだけで、

安心して生きていける。

普通という名の大きな幸せを提供しているのだ。

 

 

 

 

 

 

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使う言葉で年齢が変わる

(今日のコトバ)

 

言葉が老いることが、年齢が老いること。

 

 

 

人は言葉を使う。

世代によって違う。

年齢によって変わるものもある。

世代だと、「正直、、。正直、、。正直、、。」

必ず、言葉の初めに正直がつく人が多い時代があった。

「まじっすか!!」と上下の関係にかかわらず、

発してしまう世代もあった。

さらに言えば「ヤバイっすね」も、

昔なら、「危ないですね」だが、

ある世代以降「凄いですね」の意味になる。

また、年齢によっても変わる。

「・・・・っすね」のような言葉は、

年齢を重ねると減ってくる。

人にもよるが下品な言葉も減ってくる。

社会的立場があって、仕方ないこともあるが、

年齢が言葉を変えてしまうことはある。

反対に考えれば、

言葉が変わってきたら、

年をとったという判断ができるかもしれない。

何も悪い事ではなく、

体力的、精神的とは別の尺度があるということ。

年齢も365日たてば1歳、年をとるというのは、

戸籍上の基準でしかない。

戸籍上50歳でも、体力的に30歳の人もいるし、

精神的に40歳の人もいる。

それと同じように、

言葉使い的に○○歳の人もいる。

いま、自分はどれだけ使う言葉が変わっただろうか。

 

 

 

 

 

 

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時代を生き抜くバランス

(今日のコトバ)

 

外に眼を向けろ。ただし、内の力を信じよ。

 

 

 

広く外に眼を向けていなければ、

時代に取り残される。

特に、ビジネスの場面では、

日進月歩で変わっていく環境の変化を知るために、

外の世界を理解しなければならない。

情報の価値も大きくなっているから、

ITのすべてを使って、

広く外の状況を把握することは大切。

ただ、それと同じくらい、否、

それ以上に自分のブレーンを

大切にすることも必要。だ。

自分のブレーンは、どれだけ実力があるかわかっている。

どれだけできるかもわかっている。

時に、外を見ると他のブレーンの力が良く見えて、

自分のブレーンの力を軽視してしまう。

最悪なのは、外の世界を良く思って、

自分のブレーンをバカにしてしまうこと。

本当は、そうではない。

自分のブレーンにも能力はある。

ただ、いつもそこにあるとあたりまえになってしまう。

結果、軽視につながってしまう。

だから、外の世界の情報をとると同時に、

自分のブレーン、つまり内の力も最大限にリスペクトする。

そのバランスが必要。

そのバランスを失うと、

時代を生き抜くバランスを失う。

時代を上手に生き抜くためにも、

外と内を大切にするのだ。

 

 

 

 

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ほんとうに将来を明るいものに

(今日のコトバ)

 

将来性というインセンティブをあの人におくれ。

 

 

 

「あの人には将来性がある」という。

才能の片りんを見せたり、

何も教えなくてもできたり、処理能力が高かったり、

まわりの人の期待感を煽る人は、

将来、きっと素晴らしい人材になるだろう、

きっと凄い働きをするだろうと思わせる。

それが、絶対の結果を約束するものではないが、

まわりの人はワクワクしたり、

期待の目で見たりする。

この将来性を見せることは、

人生を少しだけ上昇させることでもある。

ハードルを上げてしまうことでもあるが、

将来性を認められると、

やらせてみようとち様々なチャンスが与えられる。

そのチャンスをクリアできれば、

それはそれでいいが、

仮にクリアできなくても、

チャンスという経験を与えられたことになる。

何も失うものはない。

もし、できるのであれば、得意な分野に足を踏み出し、

将来性を見せよう。

人より多くの経験と財産をつめる。

ほんとうに将来を明るいものにできる可能性が広がるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まるごと幸せになる

(今日のコトバ)

 

長く青春を生きる人は、

いつの間にか青春を幸せにしている。

 

 

 

青春。期限はない。

長さも個人が決めれるもの。

いくつになっても、

自己申告で青春は継続される。

言葉にするか、しないかは別にして、

まわりで見ていると、

長い間、青春をしている人がいる。

イメージしやすいのは、

サーフィン、スキューバーダイビングなど、

マリンスポーツに熱中している人は、

年齢に関係なく青春の真っただ中にいるように思える。

もちろん、野球、サッカーのようなスポーツも、

継続して楽しんでいる人は、

青春の断片を見せてくれる。

「明日、朝から波乗るんだ」

「週末は草野球でね」等といいながら、

目を輝かせていると青春を感じさせる。

そして、年齢を重ねた人を見ると、

青春という言葉と幸せという言葉が、

重なり合っている。

若い時の青春は、破壊だったり、

自堕落だったり、退屈だったり、

単に幸せというには、

少し意味が違うような気もしたが、

年齢を重ねた人の青春は、

それらのものが消えて、

幸せだけが残る気がする。

そう思うと、長く続けていける楽しみは、

まるごと幸せになる。

人生は一度きり。

長く青春を継続して、

楽しい人生にしようじゃないか。

 

 

 

 

 

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人生の成長期を逃すな

(今日のコトバ)

 

誰にも止められないものを、

お前の最先端で走らせろ。

 

 

 

これをやりたいという、

どうしようもない衝動にかられることがある。

夢を持った時の人間の行動がそうだ。

それが、仕事、スポーツだったりすると、

いい結果につながることが多い。

反対に、どうしようもない衝動があるのに、

怠慢で、何もしないと、

自分の成長期を逃すことにもなりかねない。

ものには、旬がある。

ましてや、どうしようもなくやりたいという時期は、

人生に何度かしかやってこない。

このタイミングを逃すと、

次の保証はない。

だとしたら、気持ちの昂ぶりと共に、

自分の衝動に賭けてみる。

できることを、やれるだけやってみる。

行けるところまで、行ってみる。

その成長・進化は、

はかりしれないものがある。

人生の成長期といっていい。

それを逃すな。

 

 

 

 

 

 

 

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経験が平な道に

(今日のコトバ)

 

坂道ばかり歩いてきたのに、

振り返ってみると、平な道になっているんだ。

 

 

 

振り返ってみると、

平坦な道ばかりではなかった。

というより、

平坦な道はなく、

上り坂か、下り坂、

少し上り坂か、なだらかな下り坂が

ほとんどだった。

人生、山あり、谷ありという言葉があるが、

どんな時代も、どんな人も、

そうだったのだろうか。

ただ、その上り坂も、その下り坂も、

一度、同じようなことを経験してしまうと、

次からは平気で、その道を歩ける。

上り坂だと思った道が、

下り坂だと思った道が、

平な道を歩くような気持ちになれる。

経験といおうか。慣れといおうか。

平らな道を歩くような気持ちになれば、

人生は怖くなくなる。

辛くなくなる。

年齢を重ねれば、

怖いことが減っていくのも、

経験値が増えたからだ。

だから、いま、人生の上り坂で

辛いと思うことがあっても、

一度、すべて乗り越えてしまうと、

次はたいしたことがないことになるかもしれない。

少なくとも、初体験よりは普通にこなせるはずだ。

そう思えば、とにかく頑張って、

乗り越えてしまえる。

人生の上り坂、下り坂は、

経験が平な道にしてくれる。

そう思って、歩みを進めるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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自分が納得する選択

(今日のコトバ)

 

安く売るな。高く生きろ。

 

 

 

自分に値付けをする。

日々、やることではないが、

時々、考えることがある。

それが、アルバイト料だったり、

給料だったり。

転職での年俸だったり。

「こんなものか」と思ったり、

「こんなに凄いのか」と思ったりする。

また、自分をどう売るかということも考える。

値付けではなく、

自分のプライドにおいて、

何をやるかを決める。

もっというと、何をやらないかを決める。

その夢を叶えたいから、少々なことをガマンしても、

やりたいことをやる。

また、金になっても自分が許さなければ、

絶対にやらない。

とても窮屈な生き方かもしれない。

ただ、自分の人生において納得できるかといえば、

納得できるだろう。

何も自分を殺して生きることを否定しているのではないが、

できることなら、自分が納得する人生を送りたい。

そのために、自分が何を選択して生きるかが大事になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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