遠まわりもできる筋力

 

(今日のコトバ)

 

近道では自分の足が納得しない。

なんでもっと歩いてこなかったのかと、

後から自分を悔いる。

 

 

最短の距離で自分の願いを叶える。

できれば近道がいい。

誰もがそう願う。

楽して、短時間で、自分の夢が叶ったら、

そんな嬉しいことはない。

だが、人生は甘くない。

必ず困難という人生の課題を用意する。

その課題を解決するためには、

近道だけで鍛えた筋力では

到達できないことばかりだ。

やっぱり遠まわりしても、

自力をつけ、脚力をつけ、

上り坂でも駆け上がれる力が必要。

そう思うと、

近道ばかり選んでいた自分を悔いる。

だからこそ、

近道ばかりを選ぶのではなく、

目標の高さにあった道を選ぶ。

高い目標には、

茨の道もある。

その茨の道を乗り越えるために、

遠まわりもできる筋力をつけるのだ。

 

あの日があったから、いまの自分がいる

 

(今日のコトバ)

 

敗北だって足跡になる。

そして、いつか勝者になった時、

その足跡が「あの日があったから」と輝き出す。

 

 

敗北、失敗、間違いなど、

人生で何度も繰り返す。

勝率という言葉があるが、

人生で換算したら、

誰もがかなり低い数値になる。

ただ、その低い数値の勝率を

なんとか上げて、

人生を有意義にしたいと思うのも人間だ。

そう考えるなら、

敗北なども人生の足跡として刻む。

負の歴史ではなく、

挑戦した足跡として刻む。

ただ、敗北の足跡は、

その後の人生で勝利の足跡に

変えることができる。

「あの日は負けたけど、

その後の成長で勝つことができた」と

思うことは誰にもあるだろう。

あの日があったら、いま自分がいる。

そんな気持ちになるために、

敗北の歴史もしっかり刻む。

いずれ輝かしい傷跡に

変えるために生きるのだ。

自分磨きに愛すること

 

(今日のコトバ)

 

自信は、

人を愛した数から生まれる。

 

 

愛されると自信を持つ?

そう考える人もいるだろう。

だが、よくよく考えてみると、

愛されるより愛することが多い人こそ、

自信が生まれるのではないかと思う。

愛されることは受動的だが、

愛することは能動的。

本気で愛されたいと思えば、

頭をフル回転させ、

知恵を絞り、相手のニーズに応えて、

いろいろな技を磨くことになる。

目標は愛されること。

そう設定すると、

自己研鑽に自然に励む。

四の五のいわずに、

行動も起こす。

自分磨きに愛することは

最高のアイテムなのだ。

だからこそ、

自分に自信をつけたいと思ったら、

人を愛してみる。

成果は約束できないが、

成長は約束できる。

愛することは素晴らしいことだ。

印象と変わらないように

 

(今日のコトバ)

 

第一印象に洗脳されてはならない。

 

 

どうしても人を印象で語ってしまう。

特に、第一印象は相手のイメージを

くっきりと描いてしまう。

「人は第一印象で考えてはいけない」と

よくいわれているのはわかっているが、

それでも最初のイメージは大きい。

そのイメージを覆すのは至難の業だ。

とにかく意識して第一印象だけで

考えないようにする。

ちゃんと

コミュニケーションをとってから、

その人を判断する。

反対に、自分においては第一印象と

変わらないように生きてみる。

なるべく第一印象の通り、

印象の修正をしないで済む人になる。

それだけで、

まわりの人とのコミュニケーションが

円滑になる。

人を第一印象で決めつけない。

そして、自分は印象と変わらないように

生きていく。

人生において大切なことだ。

沈黙は正解を見つけている

 

(今日のコトバ)

 

沈黙は怖い。

もっとも表現豊かな真実にもなれば、

もっとも面の皮が厚い嘘にもなる。

 

 

「沈黙」

沈黙は金ともいわれ、

沈黙は雄弁ともいわれる。

ただ黙るだけだが、

黙るからこそ相対する人に

いろいろな意味を考えさせる。

時にその沈黙は、

真実は何かを気づかせる。

時にその沈黙は、

嘘に騙されていないと伝える。

時にその真実は、

何かを雄弁に語る、、。

沈黙は正解を見つけている。

否、見つけてなくても

正解がわかったように感じられる。

そう考えると、

沈黙も生きるための武器。

状況に応じて沈黙を使う。

生きていく上で、

ひとつの大きな戦術になるはずだ。

質の高い努力

 

(今日のコトバ)

 

人生、

自分のポジションがわかった人から

レギュラーになれる。

 

 

何が得意か。

その得意なものを武器にできるか。

それが人生を大きく左右する。

武器にできれば、

人生はとても有意義なものになる。

特に、仕事という分野で応用できれば、

高いレベルで世の中と対峙できる。

反対に、

得意なものを見つけられなくて、

生きることに右往左往していると、

人生はしんどいものになる。

だからこそ、

人生は自分の得意なもので

生きられるよう努力する。

努力といっても

歯を食いしばって

頑張るということではなく、

自分の武器をどう磨くか。

磨くために質の高い努力をする。

むやみやたらではなく、

得意な能力に集中して

努力する。

有意義で楽しい人生を

おくるために、

質の高い努力で

自分の武器を磨いていこう。

 

味方と付き合うために

 

(今日のコトバ)

 

人によって態度を変える人と、

困った時に逃げ出す人は似ている。

 

 

あくまでも自分まわりのことだが、

態度をコロコロ変える人と、

困難になった時に力にならない人は

似ている。

というか、同じ人が

兼任しているといってもいい。

よく言えば、機を見て敏。

ワルいいえば、優柔不断。

上記の要素は、

人間誰もがあるものだが、

特に、顕著に出る人たちがいる。

そういった人は、

自分においてのここぞという場面で

味方にはなってくれない。

敵にまわることさえある。

人柄、性格によるものだから、

他人の自分がとやかく言うものではないが、

付き合う時に参考にしたい。

長い人生、

味方と思える人と一人でも多く出会い、

絆を深めたいものだ。

 

感情の複雑さが面白い

 

(今日のコトバ)

 

喜怒哀楽は、

人類が滅ぶまで数字にできない。

 

 

人間の感情は複雑だ。

生きものでもっとも

複雑といってもいい。

もちろん、他の生きものに

なったことがないから、

簡単に断言はできない。

ただ、知りうる限り、

人間ほど感情が入り乱れる

生きものはいない。

例えば、感情は喜怒哀楽で現わされる。

喜こぶの喜というが、

喜び方にも多岐にわたる。

全身で爆発するように喜ぶ感情もあれば、

誰にもわからないように

心の中で喜ぶこともある。

怒るの怒だって、

怒鳴るように怒ることもあれば、

目だけで怒りを現し、

感情を表に出さないこともある。

哀しみの哀だって、

号泣・慟哭しながら現す人と、

下をうつむいて現す人もいる。

楽しいの楽だって、

声を上げながら楽しさを現す人もいれば、

ニコニコ笑顔で楽しさを現す人もいる。

それもほんの一例だ。

細かく見ると、

ほんとうに多岐にわたる。

人の数だけあるといっていい。

そして、こうも思うのだ。

人間の感情だけは、

どれだけ技術が進歩しても

数値化できない。

傾向は理解できても、

それを数値化できない。

喜びの先の哀しみ、

怒りの先の優しさ等。

そして、人間という生きものは、

その感情の複雑さが面白い。

他の生きものより秀でている

といって過言ではない。

だからこそ、

自分の感情を

大切にして生きていきたい。

 

いてくれるから、幸せになれる

 

(今日のコトバ)

 

どうでもいい話をして、

どうでもいい日をつくってくれる、

どうでもいいと思っていた人が、

実は一番大切な人でした。

 

 

どうでもいい日、

何でもない日、と思う日がある。

人生の中では結構幅を効かせている。

その記憶に残らないような日々を

一緒にしたまわりの人。

家族かもしれないし、

仕事仲間かもしれない。

ただ、どうでもいい日を共有した人は、

絶対に嫌いな人ではない。

空気のような存在で、

圧力がある人でもない。

特別な能力を持ってはいないが、

そこにいてくれる人。

人生において、

そんな人はとても貴重だ。

否、貴重だと思うまで時間がかかる。

いまでも、

貴重とは思っていないのかもしれない。

だが、その人がいなくなってしまうと、

途端にその人の価値がわかる。

「いてくれたから、

幸せに生きられたのだ」と。

だから、いま身の回りにいてくれる人で、

特別ではないけど、

寄り添ってくれる人は大切にしよう。

人生において、絶対に必要なのだ。

支えてもらい支える関係

 

(今日のコトバ)

 

人と人とは、

どこかでつながっているから

ありがたい。

そして、怖いのだ。

 

 

人は人によって支えられている。

誰かとつながりながら、

人生を生きている。

これほどありがたいものはない。

一人ではどうにもならない時、

誰かの手が差し伸べられる。

特に、

自分が得意ではない領域は、

誰かの能力に助けてもらわなければ、

どうにもならないこともある。

人の支え。

生きる上で、

途轍もなく大きいものだ。

だが、反対に考えると、

人の支えがるからこそ、

支えられたことに対する

自分の態度・行動は重要になってくる。

あまりにも不愉快な態度だったり、

不快な行動をすれば、

次に支える時に

躊躇されることもある。

また、支えてもらった人が

困っている時、

何も助けないと、

自分の信頼を失うことにもなる。

ある意味、自分の対応は見られいる。

人生はギブ・アンド・テイク。

支えてもらい

支える関係であることを

忘れてはいけない。