楽をせずに

(今日のコトバ)

 

 

遠まわりした脚力は、人生を裏切らない。

 

 

なんで、こんなことをやらなければいけないのか、と

疑問に持つことがある。

なぜ、こんな苦しいことをしなければいけないのか、と

疑問を持つことがある。

もっと簡単に、もっと楽にできるのではないだろうか、と。

人間は、楽をしようとして進化した生き物。

考えの先が楽する方向へ向かうのは無理もない。

ただ、苦しい思いをして、遠まわりして頑張ったものはムダにはならない。

その楽できなかった部分で学んだ経験、チカラは人生の武器になる。

だから、あせることはない。あきらめずコツコツやることが、

人生の近道、否、人生の道と信じて歩こう。

それが、幸せになる方法なのだから。

 

 

 

 

 

 

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そのために

(今日のコトバ)

 

 

揺れているからニンゲン。

モノになったら壊れるしかない。

 

人は、いつも悩んでいる、揺れている、迷っている。

判断決断をするにも、複雑な問題を解決するために、

頭をめぐらせている。

この頭をめぐらせている状態が人には大切なのだが、

時にメンタルを異状に揺さぶることもある。

あまりに深刻になると、

様々な問題を引き起こす。

できれば、揺れを正常なリズムで動かし、

安定したメンタル状態で生きることを考えたい。

それには、リラックスできる人・場所・時間をつくり、

自分のリズムに戻すことを心がけること。

頭をオンとオフで切り替えて揺れている時間を忘れる。

そのために人と過ごす。そのための場所へいく。

そのために時間を使うのだ。

 

 

 

 

 

 

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現場主義

(今日のコトバ)

 

 

 

どんな世界だって、

現場こそ最高のワンダーランドだ。

 

 

 

「いま、そこに、いる」ことが肝心。

あれやこれや言っても、現場がわからなければ何もできない。

誰もがわかっているけれど、現場に足を運ぶことが億劫になる。

特に、コンプライアンスだとか、マネージメントとかが大きな顔を

するようになると、現場に行かないで仕事を完了しようとする人が増える。

自社でやることが増えているのだから、

外に足が向かないのも理解できる。

ただ、どんな仕事も動かすのは現場だ。

現場を熟知し答えを持っている人間が、

仕事を任せられる。

そのことを肝に銘じて、仕事をすれば正しい答えを導き出せる。

いま、世の中に足りないのは現場主義だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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裏工作の後

(今日のコトバ)

 

 

誰だって裏がある。

裏が肥大すると表の人生を食いちぎって

飛び出してしまうのだ。

 

 

 

 

裏で動くことが、すべて悪いわけではない。

裏から手を回して、問題が解決する場合もある。

ただ、裏工作は、いつか表に出る。

その時、本当に相手のためにならない行為をした場合、

必ずしっぺ返しがくる。

冗談ですむ程度なら、おおきな問題にはならないが、

心を傷つける行為をした場合、

取り返しがつかなくなる恐れがある。

一生の問題にもなりかねない。

だから、基本的に裏工作で人を貶めることはやめよう。

仮に、裏で動くことがベストだと判断したら、

行為の後で上手に相手に伝えるよう。

相手の気持ちを思った裏工作であることを知らないで、

突然、はめられたと思ったら敵意剥き出しになる。

真意を伝えてちゃんとコミュニケーションをとる。

それが裏工作の事後対策だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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愛を人へ

(今日のコトバ)

 

 

 

人は、愛が枯れている場所では育たない。

 

 

 

最初も愛だけれど、最後はやっぱり愛だ。

人を育てようとしたら、簡単な気持ちではのぞめない。

器用な人、不器用な人がいる。

強い人、弱い人がいる。

ポジティブな人、ネガティブな人がいる。

それらの条件をのみ人を育てる。

並大抵なことではない。

だから、愛が必要なのだ。

時にいたわり、時に怒り、時に水を与える。

枯らさないで、育てる。

その気持ち、その行動を、維持する。

そこから、人材が大きく羽ばたく。

人には、愛が不可欠なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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懸命の道

(今日のコトバ)

 

 

一人前は半人前の延長線にない。

一人前にたどり着く道の延長線にあるのだ。

 

 

 

 

願いを叶えようと思っても、

半端な気持ちでのぞんでは叶わない。

懸命に叶うまでの道を走り続けなければならない。

「こんなもんだろう」「仕方ない」「まあ、いいじゃん」では、

ほぼ願いは願いのままで終わってしまう。

本気なら、本気で、強い意志を持って驀進しなければならない。

一人前になるには、一生懸命の道を行かなければならない。

半人前で安心していては、一人前になれないのだ。

目標達成の道は、一生懸命の道。

半端な道とは別の道であることを肝に銘じろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分史の誇り

(今日のコトバ)

 

 

 

自分史に前人未到の記録を樹立せよ。

 

 

 

目標の下、新しい事を始めるのは素晴らしい事だ。

情熱とモチベーションが人生を大きく動かしていく。

最初は誰でもかなりのテンションで頑張るが、

結果が伴わないと次第にあきらめてしまう事もある。

その中で、長い年月続くものもあるだろう。

それこそが、自分史に燦然と輝く記録なのだ。

いい方を変えれば、自信とか、誇りとかになる歴史。

人生は一度きり。自分のチカラが思う存分発揮できるもので

勝負をする事が、幸福への近道。

自分史に、他人には負けない何かの歴史をつくろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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振り向かず新しい事

(今日のコトバ)

 

振り向いた数だけ、ゴールまでのタイムが遅れる。

 

 

 

先に走っていても、後走者が気になることがある。

特に、自分のチカラが落ちてきたと思うと、

何度も何度も振り返って、後走者を確認する。

快調に走行している時は、後走者がどうあれ振り向いたりはしない。

心の動揺がはっきりわかってしまう瞬間だ。

人生でも振り返ってばかりいるようになると、

自分の調子が落ちている時といっていい。

順調にいっていれば振り返ることはない。

振り返る時は、自分のコンディションが悪い時。

わかりやすい危険信号といえる。

もし、いま、振り返ることばかりしている人は、いい状態ではない。

新しい目的を持って、新しい夢をもって、

新たな一歩を踏み出すことを考えよう。

振り向かないためには、新しいことを始めることが一番だ。

それだけで、いけていない自分をふり切れる。

前に獲物があれば、獲物に向かってまっしぐらに進むのが人間なのだ

 

 

 

 

 

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傷がサイン

(今日のコトバ)

 

 

傷は、もう不幸になるなというサインです。

 

 

 

誰にでも傷のひとつやふたつある。

体にある、心にある、さまざまな場所に傷はある。

体の傷は、なぜ目に見えるように痕が残るのだろう。

それは、もう同じ間違えをおかすなというサインとして残るのだ。

心の傷は、なぜ気持ちがあるところへ動くと疼くのだろう。

それは、もう同じ痛みをうけないようにというサインとして残るのだ。

つまり、傷は人生という道の標識の役割をしている。

もし、いま、人生の分岐点にあって、

傷を思い出すことがあったら、

そこでよく考えろ。

傷をつくった状況を思い出せ。

そのことによって、同じ間違えをおかさなくなる。

同じ痛みをうけなくなる。

人間は学びながら生きる生き物。

傷というサインを見失わなければ、

正しい選択ができるはずだ。

 

 

 

 

 

 

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免疫

(今日のコトバ)

 

 

 

差別されるのは、

差別をハネ返すチカラをつけるための特訓です。

 

 

 

世の中には、大なり小なり差別やいじめがある。

加害者となる人には行為をあらためてもらいたいと思うが、

被害者はただ痛い目にあうだけでない経験になる事も忘れないで欲しい。

どんなに世の中が差別やいじめを無くそうとしても、

どうしてもなくならない時がある。

その時に免疫があれば、

差別やいじめにも平気で生きることができる。

または、対処法を身につけることができるはずだ。

子供の頃は誰かに守られて逃れられるかもしれないが、

働くようになって誰かに守られることは極端に少なくなる。

たとえば、営業マンになったとして、

営業先で理不尽なことを要求されただけで、

「いじめられました」では仕事にならない。

資本主義社会のビジネスは弱肉強食だ。

差別、いじめ、ストレス、プレッシャーなど日常茶飯事になる。

そんな時に、若き日から痛い目にあう免疫ができていたら、

それらをハネ返すことができるはずだ。

差別は、いい事ではない。わかっている。

だが、自分に差別される状況がきても恐れてはいけない。

その先にくる人生を強く生きるための訓練と考えればいい。

人生で出会う試練を、そこで養ったチカラで越えればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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