知識を意識しよう

(今日のコトバ)

 

知に飢えた狼になれ。

 

 

 

知らないことは、ほとんどの場合で損をする。

知ってさえいれば、得をした。

知ってさえいれば、受かった。

知ってさえいれば、失敗しなかった。

知ってさえいれば、、、、、、、、。

人生のここぞという場面で、

知識は大きな戦力になる。

この知識は、一夜漬けでは役に立たたない。

毎日の生活の中で貪欲に吸収しなければ、

自由に自分の引き出しから知識の武器は発射できない。

だから、毎日を知識を吸収する日にしよう。

知識を豊富にするという意識だけで、

一日の生き方が思いっきり前向きになる。

それは、人生を前向きに生きることにもつながるのだ。

諸君、知に飢えた狼になろう。

淀んだ日々に、さようなら

(今日のコトバ)

 

感動すると、気持ちを一回洗い流せる。

 

 

 

血が逆流し、光が頭を突き抜けていくような気持ち。

感動という名の体内改革は、

淀んでいた心と体の腐敗物を一瞬で吐き出してくれる。

人間以外にはほとんで起こらないであろうこの改革は、

山あり谷ありの人生にも、心地よい時間をくれる。

もし、いま人生が淀んでいると思ったら、

感動のある場所へ、行ってみよう。

部屋にこもっていても、何もはじまらない。

愚痴をこぼしているだけでは、機も逃げていく。

感動すれば、新しいテーマが見つかるかもしれない。

感動すれば、人生の扉がまた開くかもしれない。

新しい明日へいくために、感動を求めていこう。

バカに助けられながら生きる

(今日のコトバ)

 

自分の中にバカをもっていると、

人が集まってくる。

 

 

 

賢さばかりが目立っては、

スキがなくて付き合いづらい。

鋭い反応で切り返してばかりの人とも、

長時間いっしょにいるのは辛い。

抜けていて、ホッとできる。

ゆるいレスポンスで、深く考えないで話せる。

そんな自分の中にバカをもっていてくれる人とは、

気楽にいられる。

激動の人生で、高速度で走る人生で、

攻守入れ代わる人生で、生き馬の目を抜く人生で、

力を入れずに付き合える人は貴重だ。

できれば、バカをもっている人を仲間にしたい。

反対に、あなたがバカをもてるようになると、

人は心を許しにあなたに集まってくる。

人間は、どこかバカに助けられながら生きているのだ。

成果のために前へ

(今日のコトバ)

 

後ろに逃げるのではない。

前へ逃れるのだ。

 

 

 

前へ進めなくなったら、勝ち目はない。

成し遂げる何かがある時、

どうにかして前進したいものだ。

その時、すべてを強引に勝ち進むだけでなく、

ゆっくり着実にステップアップしていくのでもいいし、

どうにかこうにか危機を切り抜けるということでもいい。

つまりは、後ろには戻らない。

前だけ見つめてがんばる意志をもつ。

前へ進んでいれば、必ず幸運がめぐってくる。

後ろに戻れば、嫌なことがまた降りかかる。

人は、成果をあげて進化する習性をもっているのだから。

成果をあげたければ、前へ進め。

扉は才能で開かれる

(今日のコトバ)

 

キミが期待の星になれる場所にいこう。

 

 

 

はなから望まれていなかったり、

拒否反応を起こされている場所にいくのは、

気持ちのいいものではない。

できれば、期待されて、笑顔で迎えられたい。

そのためには、才能という武器をもって、

「期待されない場所」を「期待される場所」に

変えてしまうことが手っ取り早い。

扉は、つねに閉じられている。

扉の向こうの人間が扉を開くのは、

ノックした人間に魅力のある時だ。

商品を持参して売り込むのもいい。

おしゃべりで楽しませるのもいい。

一芸を実演してみるのもいい。

とにかく、扉の向こうの人間に期待をもたせる。

そのことから、世の中のむ様々な扉が開き、

新しい人生がはじまるのだ。

自信をもって、しかし柔軟に

(今日のコトバ)

 

成功に、温存なし。

 

 

成功しようと思ったら、

何かを隠し隠し策略を練るより、

出来たことからどんどん発表して、

真価を問うことが大切だ。

ちょっと出来たものを、

盗まれるといいながら、

大事に心の金庫に閉まっていると、

誰にも発見されずに終わってしまう。

こそっと小説を書いていて、

誰にも見せずに自己満足している。

その書いたことだけをまわりの連中に話ながら、

誰にも読ませない。

実は、「つまらない」と他人から烙印を押されるのを恐れている。

もっというと、自分でも「つまらない」と薄々勘づいている。

それがいちばん危ないと思う。

最初は誰でも最高なものなんて出来やしない。

人の目にふれることで、修正する部分、発想の転換など、

次々に自分の才能の活かし方を発見できる。

本当は天才かもしれない才能を、

心の金庫に閉じこめて、ただの落書きで終わってしまう。

成功したければ、人の前に発表しなければならない。

そして、人の目は冷たく厳しいものだけでなく、

あたたく賞賛の目ももっているのだ。

だから、自信をもって、しかし柔軟に実力を試してみよう。

嘘を気遣いをもってつく

(今日のコトバ)

 

かわいいウソで、平和に生きる。

 

 

 

正しく伝えないことで、丸く治まることがある。

本当のことをいうと、意気消沈しやる気をなくしてしまうけど、

嘘をつくことで、高いモチベーションで生きていける。

昔なら病気で致命的な状態の時に、

「大丈夫だ」と応援しながら嘘をついたりした。

いまは現状を説明して、回復を促すが、もし、

これが不治の病なら、この嘘も悪い選択ではない。

また、たいしたことのない情報なのだが、正確に伝えることによって

深刻に受け止めてしまう人に、簡単に軽く伝えしまう。

初対面の人をやたらどんな人が知りたがる人には、

何を教えてもネガティブに考えてしまうので、

「たいしたことないよ」と伝えておく方がベターだったりする。

実は、その嘘だけで、随分と人が世の中が平和になる。

ちょっとした嘘を、気遣いをもってつく。

人間は、真実だけをいっぱい背負って生きてはいけない。

人間は、嘘をつくという優れた能力を利用して、

幸せに生きていく動物なのだ。

チャレンジの数に比例する

(今日のコトバ)

 

未知数は、夢の数だけある。

 

 

 

まだどこまでやれるかわからない可能性は、

あればあるだけいい。

もう限界を感じてしまって、

進歩しないしなくなると、寂しいし、悲しい。

では、どうすれば可能性が広がるか。

それは、新しいテーマに挑戦すること。

何かをはじめれば、習得したり、試行錯誤したりして、

様々な可能性を手探りでさがしていく。

その過程で未知数を知り、

限界を越えて夢や希望をつかみにいく。

人は、何かをつかみにいく時、

大きく成長していくものなのだ。

よく多趣味の人が、いろいろなものにテーマがあるぶん、

人間としての可能性を感じさせることがある。

それと同じように、人生にテーマをみつけて、

チャレンジする。その繰り返しを続けるうちに、

人間はどんどん進化していく。

そう、可能性は、チャレンジの数に比例するのだから。

人生は円

(今日のコトバ)

 

人間は、完成した瞬間欠けていくものだ。

 

 

 

完璧とか、常勝とか、到達領域をあらわす言葉は

あるけれど、ほんとうに言葉通りになれるのだろうか。

完璧という言葉を日常でも、頻繁に使っているけれど、

それは人間の尺度でしかない。

どこまでか完璧で、どこまでが完璧でないのか。

時代や技術の進歩によって絶えず変化している。

常勝という言葉だって、生まれてから死ぬまで

負け知らずという人間はいないだろう。

完成に限りなく近くまでいけるが、

達成したか、達成しないかの状況でまた、

0や1からやり直す。

勝ち続けていて、メンバーも武器も揃っているのに、

心の隙のようなものから敗北の芽が生まれ、

勝利の女神から見放された人間になってしまう。

人間は、月と同じように満ち欠けをもっている。

まるで円のように、上昇する時もあれば、下降する時もある。

だから、下降していても、負けていても、焦る必要はない。

上昇していても、勝っていても、おごる必要はない。

人生は、円はのようにまわるのだから。

勇気は自信をつくる

(今日のコトバ)

 

幸福の女神は、勇気の瞳にウィンクする。

 

 

 

ここ一番で勇気を出せるか、出せないかで、

人生設計は大きく変わってきてしまう。

勇気を出せば、仮に結果が良くなくても、

やったという達成感を得ることができる。

経験という財産も得ることができる。

気持ちの中に幸福が広がる可能性も高いと思う。

反対に、勇気を出せなかったとすると、

後悔、不快感が体の中に広がっていく。

当然、幸福とは無縁になり、

精気も表情からなくなってしまう。

胸をはって生きることが少し恥ずかしくなる。

どうせ一生一度なら、

勝負時は勇気を出して人生を賭けてみよう。

きっと、負けても勝っても生きる自信がわいてくる。

そうすれば、人間として一段上のステージに上がれるのだ。