欲は潤滑油

(今日のコトバ)

 

欲は、顔より先に行動にでる。

 

 

 

意識した時、本能で動きはじめている「欲」。

理性という名の自己のコンプライアンスで、

「欲」のおもむくままでは行動しない人間。

特にに日本人は「欲が顔からででいる」と

さげすんだ言葉で表現するので、余計に

「欲」は隠しておこうとする。

ただ、ほんとうに「欲」を隠したままでいいのだろうか。

言動、容姿、スタイルすべてが「欲」まみれで、

見るからに近づきたくない場合は別として、

勝負ごとの勝ちたいという気持ち、

社会で昇進していくたるめの上昇志向なども

「欲」の種類とすれば、人間にとって

「欲」はとても大事な気持ちなのだと思う。

「欲」まるだしで相手に不快感をあたえるのではなく、

理性をもちながら「欲」の求めるべき方向に行動する。

「欲」を満たすことで自分や家族や仲間の幸せにする。

「欲」を上手にストレスの解消に使う。

そして、人間らしく生きる。

「欲」は、人間が進歩する上での大量の潤滑油になるのだ。

逃げることを学びながら

(今日のコトバ)

 

若さとは、苦さからちょっとよけたもの。

 

 

 

辛いこと、痛いこと、厳しいこと。

若い時は、そのすべてから逃げ出したい。

大人だって、逃げ出したいけど、

仕方なくその状況を受け入れている。

そうだ、若さは「逃げる」という特権ががあるのだ。

ならば、この特権を有意義に使おう。

逃げた先にある夢や快楽をしっかり身につけ、

来るべき未来につなげるのだ。

遊びだって、怠けることだって、

人生の中では身につけなければならない技術。

若さで培った技術を人生の糧にしながら、

生きていこう。

人は、逃げることを学びながら大人になるのだ。

その場所に立ってつながろう

(今日のコトバ)

 

孤独がうらやましがるのは、絆です。

 

 

 

人脈とか、ネットワークをもっている人って、

最後はそのつながりに助けられている。

何も助けてもらおうとして築いたつながりでなくても、

やっばり人は自分が困りはてると、

誰かの腕にしがみつきたくなる。

人は人なしには生きられないのだ。

人脈とか、ネットワークとかいうとビジネスの匂いがして

きれいな感じがしなくもない。

ただ、この人脈というのも一日では築けない。

あるていどの努力をしてつくらなければならなものだ。

その築いていく上で、金やビジネスだけの関係になるから

寂しいものになる。ほんとうのつながりは、同じ気持ちで生きられること、

困った時に助けられること、利用するためだけに近づかないこと、

そして、自分がしっかりその場所に立っていられることだ。

自分が立っていられなければ、人の腕にしがみつくつこだけしか考えなくなる。

ほんとうの仲間のあしでまといだけになってしまう。

人と人の絆の条件、それは、自分がその場所に立っていることなのだ。

枠からはみ出そう

(今日のコトバ)

 

エリートばかりの世の中だから、

ターザンになってもいいじゃない。

 

 

 

この国は、マニュアルにそって事務処理を

上手にできる人だけを生産しようとしている。

どこへ行っても成績で順位づけをし、トップのみが

高いポジションについていく。学歴社会ではなくなったとはいえ、

会社に入ると、OJTだ、研修だ、講義だとフォーマットづけにして、

人間の本来もっている特性を矯正してしまう。

社会の荒波に勝ち残るのはエリートという名のロボット集団だ。

間違い無く、このまま人間の個性を没収するシステムが浸透すれば、

無個性で同じ思考の人間しか存在しなくなってしまう。

これから生きていく僕らは、それではつまらない。

枠をはめようとする社会に、自分からはみ出して、

自分を表現しなければいけない。犯罪に手を染めることは反則だけど、

個性がなくなった地球で生きている価値はない。

没個性を求める社会には、積極的に自分の個性を発表しよう。

さまざまな個性が自由に行き交えば、

時代はもっともっとおもしろくなる。

21世紀はもっともっと楽しくなる。

裸の自分を見つけて、自分が発信するものを確かめ

世の中をまず自分から楽しもう。

そんな人が多ければ多いほど、

世の中は快適になり生きている価値を見つけやすくなるのだから。

本物は時代のスポットライトがあたる

(今日のコトバ)

 

輝いている人を、世界はほっておかない。

 

 

 

世界は才能のある人間を待っている。

世界は華のある人間を待っている。

才能があるのに世の中が認めてくれないとか、

美しいのに注目されないとか、ふてくされている人は

ふてくされている分、輝きを隠してしまう。

自分のもっているものを最大限に発揮したければ、

くじけず、めげず、正々堂々と全力で

あなたの原石を磨き発表することだ。

少しぐらい時間がかかっても、

本物は時代がスポットライトをあててくれる。

そう信じて生きてみよう。

あなたの時代の幕は、ある日、突然、必ず上がる。

大事な弱さを大切に

(今日のコトバ)

 

弱い間は、努力する。

 

 

 

自分が弱いと自覚した時、人は努力をする。

強いものへのチャレンジ精神と勝ち上がるための向上心。

そこに、かけがえのない能力が生まれ、

人生の荒波を乗り切るための力が育成される。

弱いことは、悪いことではない。

弱いことで、人生を捨てることが悪いことなのだ。

弱き者よ、いざ立ち上がれ。

本当に強い者は、みな弱さをもっている。

そして、その弱さを克服しながら、進化していく。

自分の大事な弱さを大切にしよう。

再生するエネルギー

(今日のコトバ)

 

失ったことはいいことでもある。

失った分を補うために新しい力を発揮する。

 

 

 

人間には、再生しようする力がある。

失ったらどうしたら元に戻るか、知恵を出して考える。

失ったこと事態は悲劇かもしれないが、

人生が続くのであれば何かで必ず失った分を補うものだ。

その時、生み出される力は、自分の中の埋蔵量からはかり知れない力を出している。

そして、その力は自分を成長させるための大きなエネルギーになっていく。

失ったことをネガティブにだけ考えず、前向きに考えよう。

あまりに悲しすぎて、すぐに元気になれなかったら

少し時間をおいてからいでもいい。前向きに考えよう。

そうすれば、人生はまだまだ素晴らしいことに気づくはずだ。

 

巨人軍がやはり星野仙一にオファーを出しているようだ。

これも巨人という盟主を再生しようとする知恵かもしれない。

ただ、自力でないところが気にかかるが。

技が必殺技に

(今日のコトバ)

 

人間だってカラータイマーがある。

その時、戦いを切り上げる必殺技をもて。

 

 

 

持久力には限界がある。限界が近づくと集中力がなくなる。

集中力がなくなった状態では、とても勝機はみこめなくなる。

その時、自分の得意技は大きな武器になる。

一瞬で事態を解決させてしまうこともできる。

生きていくことって、この技を磨くことだもいえる。

技が必殺技になれば、それは芸となり他人がマネできないものになる。

技がモノマネで終われば、それほど有効打にはなりえない。

もし、あなたが自分の才能をはかりかねているなら

技を磨くべきだ。まわりの人より秀でてくれば

それはあなたの必殺技になる。

そして、誰もマネできない技をもてば、それは大看板になる。

違う個性で違う価値観

(今日のコトバ)

 

友が先を走っている時に、

悔しがらないで生きるには

幸せという伴奏者をもつことだ。

 

 

 

ライバルが自分より先を走り、成功や勝利を手に入れると

焦らずにはいられないのが人間の心理だ。

なぜ自分よりあいつがいいのか。

なぜ自分よりあいつが優れているのか。

理由がわからなかったりすると、

なおさら悔しかったりする。

でも、ほんとうに悔しがる必要があるのだろうか。

もし、ほんとうに悔しがっているとしたら、

あなたはライバルと同じ尺度で生きているということになる。

競い合って同じ種目でレースをしていることがあるかもしれない。

ただ、やっぱり違う個性で違う人格の人間なのだ。

まったくライバルと違う価値観で生きてもいいはずだ。

自分のもっている世界をよく見渡して、

本物の価値を見つけよう。

そうすれば、きっとあなたはもっと自由に生きられるはずだ。

本能でクオリティを知る

(今日のコトバ)

 

人間は、クオリティの高いものに浮気する生き物なのだ。

 

 

 

製品・商品は、クオリティが高ければ、当然、価格は高い。

その価格のおかげで人はサイフと相談し、欲望をコントロールする。

安いものを安く買ったり、高いものを相場より安く買ったりして、

自分の中で満足しようとする。

でも、目の前に素晴らしいデザインの商品や、豪華な料理が

価格に関係なく買えたり食べられたりしたら、

よりクオリティの高いものに手を出すに違いない。

人間は、本能でクオリティをキャッチしてしまう生き物なのだ。

だからこそ、企業はクオリティを上げ、人間の本能に応えようとする。

職人は、さらなる技を磨く。

もしかすると、この人間に備わったクオリティを知る目が、

進歩という生き物で唯一の向上心をもたせたのかもしれない。

 

100インチの大画面テレビが売り出されたそうだ。

これも人間のクオリティ・ニーズに応えた結果だと思う。

しかし、100インチのテレビを見れる家がどれだけあるだろうか。