キャンペーンをはる

(今日のコトバ)

 

自分が何者かキャンペーンをはれ。

人はキミに懸賞をつける。

 

 

 

どんなに高い技術をもっていても、誰にも知られなければ、

宝のもちぐされになってしまう。例えば、日記のようなもので

おもしろい文章を書いていても、自分以外の人に知られなければ、

文章力は伝えられない(ゆえにブログは画期的な媒体であるのだが)。

他の分野でも「やればできる」といいながら発表しなければ、

真価も問えない。いま、あなたが世で試したい能力や技術があるのならば、

明確に「私は、○○ができます」と宣言しよう。

その看板をみた人があなたに価値をつけ仕事を依頼してくるはずだ。

文句は悲鳴

(今日のコトバ)

 

文句は悲鳴だ。

その中に真実がある。

 

 

 

他人が文句やグチをいう時、気持ちの弱さや軽薄な印象を受けてしまうが、

本当にそれだけだろうか。自分を守るため、あるいはみんなの権利代表として

文句をいってる言葉には、正論や反対意見の名を借りた悲鳴が隠れていると思う。

怒り出して文句をいってる人に「こいつこんなこと考えていたんだ」と

感じたことは多かれ少なかれあるはずだ。でも、よくよく考えてみると

その人の弱い部分からくるストレートな叫びだったりする。飲み屋でくだをまいて、

グチっている言葉も実は、酒の力を借りて発する悲鳴なのかもしれない。

そして、その言葉には社会のルールを遵守していては語れない真実があるのだ。

だから、文句は受け止めてあげよう。ちょっとのグチも許してあげよう。

悲鳴だと思えば、振り向いて手をさしのべてあげることもできるはずだ。

髪を追う僕

連休明けの月曜日は眠い。休み中の不規則な生活がたたって、

朝からトップスピードにはいれない。いつもなら電車で本を読むのだが、

開いてる席があるとそのまま座り、会社のある駅まで睡眠。

普段、車中の居眠りでは見ない夢をうつらうつら見た。

 

満員電車に飛び乗ろうとする僕を後ろらきたサラリーマンふぜいに、

髪をひっぱられホームに戻される。サラリーマンはひきちぎった髪を

ホームの外へ投げてしまう。その髪を求めて追いかける僕。

改札を抜け髪を追う僕。横断歩道を越えて髪を追う僕。

パチンコ屋の横をすり抜け髪を追う僕。開店前の居酒屋の先へ飛ぶ髪を追う僕。

コンビニの前を飛ぶ髪を追う僕。小学校の校庭を飛ぶ髪を追う僕。

土手から川に向かって飛ぶ髪を追う僕。

「ああ、髪が川に落ちた」

下流に向かって流れていく髪を追う僕。

「ああ、急流にまぎれて髪は消えていく。なんてこった、薄くなりかけた髪を。

命と同じぐらい大事な髪を」

 ってところで、目が覚めた。会社のある駅だ。

髪があってよかった。夢でよかった。ほんとうによかった。

今日からまた、新しい一週間がはじまる。

覚悟

(今日のコトバ)

 

日々覚悟することで、

人はもっともっと強くなれる。

 

 

 

オリンピックに出場する人も、ワールドカップで戦う人も、

受験で大学を受ける人も、企業に就職を目指す人も、

高い壁を超えようとする人々は、明日をかえりみず

心に「覚悟」を決めて決戦に挑むはずだ。

たぶん個人差こそあれ、その日のその人は、

人生史上最高の強さをもって立ち向かっているはずだ。

しかし、「覚悟」とは、そう簡単に決められるものではない。

まして、人生のビッグイベントでなければ、

そうそうお目にかかる言葉でもない。

でも、考えてみよう。毎日を過ごす中で、朝起きたときに

「今日一日、どんなことがあってものりきる」

と腹をくくれば、無防備の一日より、少しだけ強くなれる気が

するのではなだろうか。

いままで手の届かなかった何かに近づけるのではないだろうか。

不動心をもつ人が最後に勝つというが、その不動心の正体こそ

訓練された「覚悟」だとすれば、日々、「覚悟」を意識するだけで

少しづつ強くなれるのかもしれない。

コツコツ、ノロノロ、コトバザウルス

コトバザウルスをはじめて、一年以上になる。

天性の無精であり、継続にはこれっぽっちも自信がない人間が

一年以上、約500本のコトバを発表した。

なおかつ、ブログもスタートしてしまったのだから、

これからの一日一日が大変だ。

ただ、一回は人生をふりかえってみて、自分の経験したこと、

感じたことを文章にしてまとめてみたいという願望があった。

いい機会なので、幼少期、学生時代、社会人になってからの

さまざまなエピソードを書いてみたいと思う。

その中には当然、日々、アップされるコトバの解説もなるべく書いていきたい。

さらには、コトバザウルスを運営している仲間やリンク先の人々とも

サイトやイベントを通じて新しいコラボレーションをしてみたい。

いまも企画を数本かかえており、順次発表していこうと思う。

ちょっとはためになる日記になるか、バカ話に終始する日記になるかは

わからないが、ひとりの人間の個人史として楽しんでいただければ幸いだ。

壮大なロマン?として10年は続けたいと考えている。

なまけ者なので、近い将来、すぐ挫折するかもしれないが

その時のためにこの場を借りて先にお詫びします。

「申し訳ありません」

ああ、これで少し気が楽になった。

コツコツ、ノロノロ、コトバザウルスが歩きはじめます。

どうぞ、よろしく。

プラスの力

(今日のコトバ)

 

笑ってない人は消えていく。

残る人は笑っている。

 

 

 

行動、行為の中で笑ってない人、つまり楽しんでない人は、

途中でリタイヤして完遂できないことが多いと思う。

ひとつのことで成果を出そうとすると、どうしても苦しいこと、

辛いこと、悲しいことが、当然の顔をしてやってくる。

笑ってばかりではいられない状況の中でも、

楽しみを見つけ、ハッピーな気分で物事に立ち向かっている人は、

さまざまな課題をどんどんクリアしていける。

さあ、あなたも立ちふさがる厳しい状況を、

プラスの力に変えて生きていこう。

人生は、もっと素晴らしいものになるはずだ。

行ってあげる

(今日のコトバ)

 

来てくれた方が嬉しいだろう。

行ってあげよう。

 

 

 

待ちの姿勢で結果を得ることはあまりない。

自らアクションを起こして、自ら現場に行く。

さまざまな問題はそこから解決していく。

恋愛だって、たいていヘタな鉄砲でも数を撃つ人間が有利。

マメな奴が思わぬほど成果をあげてしまうのも

行動力からくる結果に他ならない。

「してあげよう」という姿勢は、大きな力になるのだ。

身のまわりを考えてみよう。扉の向こうで、きっと、

あなたを待っている人がいる、かもしれない。

全力

(今日のコトバ)

 

全力を出すから、余力が生まれてくるのだ。

 

 

 

一心に集中し物事に対峙すると、その瞬間にもの凄いエネルギーを発散する。

その後にくる集中から解放された時、人生で最上級の爽快感をおぼえる。

そして、全力を出しきったことで、足らない部分、足りすぎた部分を確認でき、

新しい発想と新しい行動プランを考えだせる。未知数はもっともっと広がるのだ。

全力を出そう。毎日、すべてでなくてもいい。ただ、戦うべきテーマには、

自分の力を最大限発揮し、次のための余力を生むことが大切なのだ。

黙っている?

(今日のコトバ)

 

黙っていると、悪い奴がキミの口先になる。

 

 

 

自分の意見をしっかり伝えない。いろいろな状況をかんがみて黙ってしまう。

その機を利用して、自分より権力のある人間、自分のことを嫌いな人間が、

あなたのためを思わない中傷・誹謗を言葉にする。または、おとなしくしている

のをいいことに、かってにあなたの発言のふりをして、あることないこと言いふらす。

生きていれば誰にでも経験があるはずだ。考え方のひとつとして、

「沈黙は金」という場合もあるが、逆に主張すべきことをしないと

悪用されることもある。そんな時のためにしっかりと意見をもち、

しっかりと発言することは大切なことだ。

人と出会う

(今日のコトバ)

 

人は、人に出会うことによって生きるための水をもらう。

 

 

 

時々、心が渇くことってないだろうか。言葉にすると、孤独だったり、

寂しさだったり、悲しさだったり。そんな時の解決法ってなんだろう。

ひとつの答えが、人に出会うこと。仲のよい人たちに悩みを相談するのもいいだろう。

また、渇いているから、落ちこんでいるから、あの人に会いたいと会いにいくのもいいだろう。

会うことによってが少しつづ潤い、いいアドバイス、いい言葉を聞くことによって、

元気な自分に戻っていく。人は、いちばん人から生きるチカラをもらっている生き物なのだ。