希望という課題

(今日のコトバ)

 

模範解答のない人生だから、

希望がうぶ声をあげ幸せが育っていく。

 

 

 

どんな偉人でも、どんな天才でも、

どんな大金持ちでも、どんなスーパースターでも。

平坦な日々ばかりで楽ばかりできた人生はない。

頭が良かったり、お金を自由にできる人だったら、

自分の人生設計通り答えを出して生きていけてもよいはずだが、

それでも、人生は生き物で思い通りにはいかない。

だからこそ、人間は幸せに生きるために、

希望という課題を自分の中にかし一生懸命に育てていく。

つまり、模範解答がな人生だからこそ、

人間が大きく進歩してきたといってもいい。

そう、人間はオリジナルでいい。

そのオリジナルストーリーの中に希望をまいて、幸せを育てていく。

育成仮定に人間も進化していければ、

世の中はもっともっと素晴らしくなると思う。

 

オランダ・ヘラクレスに入団した平山相太が鮮烈デビューを果たした。

きっと、そのゴールが新たなる希望を生み、

人生の幸せをさらに育成していくのかもしれない。

幸せの見つけ方

(今日のコトバ)

 

人は新機軸をつくり出しては、

新しい幸福を製造している。

 

 

 

新しいことを始めるのは、幸福に出会うための旅をはじめること。

つまりは、自らのぞんで始めたあらゆる事業は、

その過程やその結果に必ずついてる幸福を求めているのだと思う。

第一志望の大学に合格すること。自分のやりたい分野の仕事ができること。

クラブで試合に勝つこと。会社の売り上げを達成すること。

恋人をつくること。なにかの目的に向かうと目的の背中に幸福がのっている。

とすれば、目的を決めた時に幸福は見えているのだ。

叶うことと、叶わないことがあっても、

少なくても幸福の正体が見えていることは、

混沌としてどこへ行っていいかわからない人生よりましだ。

だから、いま現状に満足していない人は、

目的をつくろう。きっと、その先の幸福が見定められはずだ。

 

中田英寿がボルトンに移籍した。

きっと、彼はセリエAでの選手生活に満足できなくなり、

プレミアリーグという新機軸のテーマをもとうとしたのだろう。

記者会見で「enjoy」を連発していたのは、

聞きようによっては英語には該当する言葉がない「幸福」という

気持ちを伝えたかったのではないだろうか。

覚悟が精神的支柱

(今日のコトバ)

 

ピリオドをきちんと打て。

されば次の章が気持ちよくはじまる。

 

 

 

前の課題の区切りをしっかりつけておく。

そうすれば次へのステップも新しい気持ちでスタートできる。

前の様々な問題点がクリアされていなければ、

次のステップに集中できない。

言葉にすれば簡単なことだけど

いざ実行するとなるとなかなか難しい。

でも、要は自分なかでやるべき領域を決め、

それを達成するという覚悟をもってのぞむことが大切なのだ。

その覚悟が課題のクリアのための精神的支柱になる。

「メリハリ」とか、「エイッ、ヤァ」とかでいい。

自分で気持ちのなかに覚悟を注入し生きてみよう。

日々、ビリオドを打つことが簡単できるようになるはずだ。

 

ホリエモンが出馬を表明した。球団買収、フジテレビ買収と

挑戦した男は、すべてひとつひとつの行動にピリオドを打ってきたのであろう。

気持ちよさそうに記者会見する彼の表情は、

新しい章がはじまったことをメッセージしている。

想定をした準備

(今日のコトバ)

 

準備ができていないものに手を出すな。

試合が組まれた瞬間、敗北する。

 

 

 

はじまることを想定せず、

しっかりとした準備をしていない。

なのに試合が組まれてしまう。

人生ではそういう場面に時々、出会ってしまう。

その時の結果はどうだろう。

ほぼ失敗であったり、完敗であったりすることが多いはずだ。

もうまぐれに頼るしかない状態といえる。

それがもし人生を揺るがす大一番だったとしたら大変なことになる。

その時のために、想定をした準備が必要だ。

何も人生のすべてで試合が組まれるわけではない。

戦うべき時、勝負をかける時のために

準備と訓練ができていればいいのだ。

「そのことに関しては明日試合があっても大丈夫だ」

という状態をつくっておこう。

それだけで、人生に自信と安心をもって生きていける。

試合を組まれた瞬間、勝利を確信して戦いにのぞむことができるかもしれない。

 

郵政解散が決まり衆議院議員選挙がはじまる。

郵政民営化反対派は、国民新党をつくって戦うという。

彼らはこの事態を想定して準備していたのだろうか。

目的地を見失わないように

(今日のコトバ)

 

人生では、ダラダラ歩いていると目的地が、

別のどこかに移動することがある。

 

 

 

ひとつの夢を追いかける。ひとつの道を歩き続ける。

その終着点は、目標を叶えることだ。

ただ、目標によっては旬があり、到着時間に間にあわないと

目標がどこかへ旅立ってしまうことがある。

タイミングを見失うと永遠会えないことさえある。

その目標を捕まえるために、

全力疾走しなければならないときは、

誰かを振り切ってでも走らなくてはならない。

何かを振り切って思いっきり遠くへ飛ばなければならない。

人生では、そんな瞬間が絶対やってくる。

そのために、準備をしておこう。

いざという時に目標にとどくまでの瞬発力と持久力を。

そうすれば、目標を取り逃がすに生きていける。

明るさの選ぶ道

(今日のコトバ)

 

明るい人は、行く道を照らせるから

道を間違えないのだ。

 

 

 

明るい人は楽天家だから辛いことも辛いと思わない。

明るい人はポジティブだから不幸を感じない。

そういうことはいえる。

ただ、こんなことはいえないだろうか。

明るい人のもっている明るさが、

自分の行くべき方向を照らし出している、と。

笑わせたり、励ましたりしてまわりが明るくなれば、

自分のみならずまわりの人間が道を照らしてくれる。

ハッピーな仲間といれば、ハッピーな話題があり、

快適に走っていける道を教えてくれるはずだ。

また、明るくボジティブに思考するということは、

自分でベストな道を自然に選んでいることでもあり、

ネガティブに考えるよりはいい結果を生む確率が高くなる。

だからこそ、本能の中にある明るさを大切にしたい。

自分が行く道の先に夢があるなら、

自分の中の明るさを最大限に活用していい道を選んで欲しいものだ。

肉声は記憶に住む

(今日のコトバ)

 

口にした言葉は、人の記憶に記録される。

それは紙に残した言葉より力をもつ。

 

 

 

愛を告白されたり、ケンカして怒鳴られたり、嘘をつかれたり。

衝撃的な記憶と同時にインプットされた言葉は、

風化せず頭の片隅にいつまでも残っている。

記憶だからより美しく、よりソフトな映像になっても、

言葉だけはドキュメンタリーで再現される。

忘れようとしても、忘れられないのが言葉の肉声だ。

しかし、紙に残った言葉はどうだろう。

机に貼ったり、座右の名などのように時々読み返す言葉などは

別にして、一度しか読まなかった言葉を思い出せるだろうか。

特別に記憶力が良くて覚えている人もいるだろう。

だが大抵の人はその言葉を、その一行を、正確には思い出せないと思う。

紙に書かれた言葉は、肉声にはならない。

何かのシーンを思い描かなければ、正しく言葉は再現されない。

そう、言葉は肉声になって、はじめて人の記憶に住むことができる。

いま、世界中が情報化社会になろうとし、メールが世界中から

届く時代になっても、面と向かっていわれた言葉にはかなわない。

何かを本気で伝えたい時、記憶にとどめてもらいたい時は、

あなたの肉声を伝えよう。人はその肉声を無視して生きてはいけない。

本物になれる時間

(今日のコトバ)

 

本物って何だろう。

集中して物事に取り組んでいる

時間ではないか。

 

 

 

なぜ「あの人は本物だ」といわれるのだろう。

なぜ「本物は違う」といわれるのだろう。

それは、物事に類いまれな集中力を発揮している人を

さしているのではないかと思う。

スポーツ選手、クリエーターなど、日々、挑戦を余儀なく

されている人は集中力を人一倍発揮する。

ましてや、超人、達人、名人、スーパースターとよばれる人々は、

もの凄い集中力を自分で保持している。

第三者はその集中している姿を見て、あるいは集中力を結集した

作品を見て、本物を知る。

私たちも長さや凄さの違いこそあれ、

集中力を発揮している時間がある。

その集中している時間をしっかり自分で保持できれば、

私たちも「本物」になれるかもしれない。

「本物になれる時間」をつくることさえできれば、

私たちも壁を越えて新しい何かを発見できるかもしれない。

ほんのささいなねばりでいい。集中力を養っていけば、

夢はもう少し速く手に入れられるかもしれない。

人間には、いい嘘がある。

(今日のコトバ)

 

みんな自分のどっかに嘘がある。

そこで自分を救っている。

 

 

 

真実も大切だ。でも、人間は真実だけでは生きられない。

どうしても他人知られたくないことを、

隠すことで自由に暮らせるのなら、

それは隠しておいた方がいい嘘だ。

そのことを知らせることで仲間が不幸になるなら、

それも隠しておいた方がいい嘘だ。

韓流ドラマなどは、この隠しておいた方がいい嘘が、

ドラマの主題となり劇的なストーリーを生む。

しかし、現実の生活では、知らなければ知らないということが

真実となり、それはそれで幸せに生きていけると思う。

そう、人間には、いい嘘がある。

騙したり、痛い目にあわせるのではなく、

幸せのために嘘をつく。

きっと、人類が繁栄したのも、

人間が嘘をつく技術を身につけてからかもしれない。

悪の副作用

(今日のコトバ)

 

悪意は全身にまわって、

最後に自分の首をしめる。

 

 

 

悪意をもつこととか、憎しみを抱き続けることは、

自らの心と体を汚染してしまう。

顔などは明らかに怨念をもち、

時間がたてばたつほど醜くなる。

たとえば、犯罪者のような悪い人や憎まれるべき人に対して、

悪意をもつにしても、自分の中に悪意を内包すると

その悪意が全身をまわりあなた自身を悪の副作用でおかしてしまう。

悪意や憎しみが自分を自滅させるために作用してしまうのだ。

だから、悪意や憎しみは発生した時点でなるべく早く

捨てる気持ちをもつべきだ。

憎しみなど最初のうちは戦うために、

一時的に優れた効力を発揮する場合もあるが

憎しみすぎは心と体を崩壊させる。

悪意は百害あって一理なし。

ちょっとの自制心と自分の気持ちをリフレッシュすることで

悪を消し去るための対処予防をしよう。