空は心をリセットする最大の清浄器

(今日のコトバ)

 

晴れた空は、夢をいっぱい描けるように

青くなっている。

 

 

 

空をゆっくり見上げてみよう。

あせっているこがバカらしくなる。

くよくよしていることがつまらなくなる。

人間って小さいよなって感じる。

と同時に、なんでもできるんだと、

妙にすがすがしくなったりする。

空は、心をリセットする最大の空気清浄器だ。

空をゆっくり見上げてみよう。

生きる元気がゆっくりわいてくるはずだ。

ニセモノが変わる時

(今日のコトバ)

 

ニセモノは、何度見破られても、ニセモノになる。

 

 

 

きちっと物事を遂行しない人は、

何度やってもいい加減が直らない。

結果、信頼や本物としての認知をされず、

偽物と思われてしまう。

人生、その繰り返しで終わってしまう人も多い。

ただ、人生でとてつもない苦境に立たされて、

まるで人格が変わったように、

真摯に物事を追求する人がいる。

本来、苦境になることがいいとはいわないが、

何かの大きな壁に立ちふさがれて、

その壁を超えた時、人は何かをつかみ

自分のテーマを追いこんでいける力をもつ。

もし、自分の中で本物になれない壁があるなら、

苦難に飛び込んでみよう。

きっと、自分の未知なる力を発見し、

新しい自分を誕生させることができる。

そして、人生の道かぎ大きく開けていくはずだ。

武器の価値を知る

(今日のコトバ)

 

自分にあって他人にないものを

探し出したら、人生は加速する。

 

 

 

他人にないものなら何でもいい。

犯罪にならなければ。

まわりを見渡して他人がもっていなかったら、

それは大きな武器だ。

人は武器をもつことによって、

人生の舞台に登場できる。

舞台にあがるということは、

観衆に注目されるということだ。

つまり、あなたの武器の価値が査定され、

どこかがその武器が欲しいとプラカードをあげる。

だからこそ、自分の武器を発見しよう。

人生は、高速で走りはじめるはずだ。

心と体がいい動き

(今日のコトバ)

 

やりたいことをやっていないと、

その人の顔はブサイクになる。

 

 

 

人の顔って、夢があるかないかで、

輝いてみえたり、存在感をなくしてみえたり、

まったく変わってしまう。

不思議といえば不思議だけれど、

夢や目的に驀進しているだけで人の顔は、

美しくみえたり、かっこよく見えたりして、

本人自身の素顔より120%アップして見えたりする。

さらに、やりたいことをやり続けられると、

肌つやまで変わって見える気がする。

美顔効果や健康に効果テキメンといっても過言ではない。

もし、鏡にうつる自分の姿に納得できなかったら、

まず、やりたいことをやる環境をつくる。

そして、思う存分やりたいことをやる。

心と体の両方がいい動きをはじめて、

自分の中の最高の自分が出現させるはずだ。

世界から検索されるために

(今日のコトバ)

 

出てこい、そこから出てこい。

出てこなければ何者かわからないじゃないか。

 

 

 

外に出ることに怯えて、内にこもってしまう。

枠の中におさまってしまって、個性を表現できないでいる。

無駄な敵をつくらず、静かに生きるには悪くない選択かもしれない。

だが、どうせ一度きりの人生なら、

自分の力で世の中を変えてみるのも素晴らしいことではないか。

そのためには、いま持っている実力を武器に、

世にうって出なくては、世界から検索されない。

自分のもっている武器をどこからでもいいから、

発表してみよう。昔みたいにメディアが使える人が限られてはいない。

サイトでも、ブログでも立ち上げて、

全世界に自分の真価を問うてみよう。

思わぬところから評価されて、人生が劇的に動き出すかもしれない。

世界は見ていないようで見ている。

いますぐ、そこから飛び出して自分という最良の武器を表現しろ。

わがままで自分の世界観を守る

(今日のコトバ)

 

わがままを上手に使える人を、

才能のある人とよぶ。

 

 

 

鼻につくくらい生意気な人がいる。

仲間として一緒にいるのは勘弁してほしい。

ただ、才能を競う場では少し事情が違う。

むしろ特別に優れた才能をもつ人間は、

生意気であり、わがままだ。

それは、人より優れているから生意気ということもあるだろう。

だが、本来は自分の考えをまっとうしたい、

まわりがまだ自分の力に追いついていない、

という状況に妥協という表現ではなく、

わがままという表現で伝えているだけだ。

人との関係を妥協でつくるのはたやすい。

わがままと浮いてしまって生きることの方が、よっぽど面倒くさい。

わかっていても自分のスタンスをくずさないためには、

わがままな態度で自分の世界観を守る。

それも、才能のある人間にとっては必要なことだ。

あなたには、わがままになるぐらい特別な才能はありますか。

誤解を氷解

(今日のコトバ)

 

冷たい手と冷たい手でも、

握っていれば、やがて温かくなる。

 

 

 

無視する。相手にしない。絶交する。

まったくお互いの気持ちが交差するところが

無くなってしまうと人と人の関係は修復できない。

ほんとうにどこにもつながる部分がなく、

課題を解決する糸口もみえず、

心も拒絶しかありえないなら、

しかたない。ただ、人と人との関係で

完全にシャットアウトしてしまう関係は、

悪の道にひきずりこまれる意外は

あまりないと思う。少なくても一度は、

いい関係があったからこそ付き合いがあるはずだ。

だとしたら、冷たくなった心と心でも、

もっと近づいて話し合うべきではないだろうか。

誤解、曲解は意思の疎通が足りないことからはじまる。

まず、もう一度、出会った頃のようにまではいかなくても、

フラットな気持ちで会話をしてみよう。

もし、誤解が氷解できたら、絆はもっと強くなる。

また、冷たくなった心が再び温かくなる。

人は、冷たい関係の中で生きてはいけない。

 

インドも被害国であるが、大地震の起こったパキスタンに

救済活動や被災者支援を行う用意を明らかにした。

パキスタン大統領はこの声明に対し謝意をあらわした。

大地震という不幸な出来事ではあるが、対立する二つの国が

手と手を結んで助け合う。救援、支援と同時に、ここに

温かい関係ができれば、新しい絆が生まれるはずだ。

生きるスピードを上げすぎている

(今日のコトバ)

 

スローに生きて気づくものがある。

スピードをあげて忘れるものがある。

 

 

 

日々の忙しさに身をまかせていると、

何かが頭の中からどんどん落ちていくように

ものごとを忘れていく。

数分しかたっていないのに、

「あれ、何だっけ」と何度も繰り返す。

人生が駆け足で進んでいく。

反対にのんびり生きると、

道端の花の咲き方にも気づいたりする。

何も自然の変わり方を知ることが

大切なことではないが、

人間は、生きるスピードを上げすぎている。

ちょっとより道でいい。

自分の生きる時間をゆっくりに変えてみよう。

少しスローに生きるだけで、

人間の本来吸い込まなくてはいけない空気がしっかり吸える。

人間は機械ではない。機械のマネをして

回転スピードをあげすぎると生きてはいけないのだ。

加速度的に走り出す人生

(今日のコトバ)

 

恨んでいるのは、

キミにNEXTがはじまっていないからだ。

 

 

 

いつまでも恨むことってあると思う。

時間がたってもたっても恨んでいる。

でも、その時、恨んでる時の自分の状態は

どうだろう。恨んでばかりいて、

恨むことに勢力を傾けて、

少しも次のステップを踏もうとしていないのではないか。

恨む行為は、自分に次のビジョンが見つかり、

それに向かって走り出せば、

自然と消える。いや、恨むより、夢という気持ちが上回り、

恨みは追い出されて行く。

もし、いま何かを恨んでいる状態にあるなら、

次のビジョンを見つければいい。

そして、そのビジョンを追求すればいい。

また、人生が加速度的に走り出すはずだ。

忘れることの天才

(今日のコトバ)

 

忘れてしまったことは、神様が記憶の頁を破り捨てたのだ。

もう捜さなくていいんだよ。

 

 

ときどき忘れてしまうことが多いな、と感じる。

どうしても思い出したいのだけれど、

いくら考えても出てこない。

ちょっと気持ち悪い時もある。

だけど、忘れてしまったことは、

それほど追わなくていいと思う。

どうしても思い出さなくてはいけないものは別として、

自然に忘れているものを、

一生懸命に記憶から引きずり出すことはない。

人の記憶容量は無限大などというけれど、

神様は時間を使って、忘れた方がいいものを

どんどん記憶から消してくれている。

記憶が多いということは、

思い出を背負うということにもなる。

無理に背負ってがんばる生き方より、

ほどよく忘れて、重荷にならずに自然に生きようといっている。

だから、忘れたことに焦ることなく、

それもまたよしとして生きよう。

人は、忘れることの天才なのだから。