人生の道は、すべて花道

 

(今日のコトバ)

 

わき道、うら道、まがり道、

歩いてきたけれど、

振り返ってみると、

すべての道が

ここへ来るまでの花道だった。

 

 

 

人生という一本道を歩いてきた。

一本道といっても、

その道がわき道になったり、

うら道になったり、

まがり道になったりすることもあった。

まっすぐ歩くだけは解決しない。

無理を承知で前進しなければならない。

逃げてまわることもある。

人生は一筋縄ではいかないのだ。

だが、その人生を誰もが歩いてきた。

そして、いま、ここに生きている。

そう考えると、

みんな人生の難局を乗り越えてきたのだ。

そして、乗り越えてきた道は

すべて人生の花道。

自分の人生を飾る最高の舞台といっていい。

生きていると、

いろいろな道に出会う。

その道を花道と思って生きる。

堂々と生きるための考え方の一つだ。

愛は、信じることの最上級

 

(今日のコトバ)

 

愛とは、

信じることをドレスアップすること。

 

 

 

愛。

一言でいわれても、

いろいろな愛がある。

恋愛。親子愛。兄弟愛。

人間愛。動物愛。

仕事への愛。スポーツへの愛。

無償の愛、、、、。

何にでも愛をつけてしまえば、

愛は成立するようでもある。

では、愛とは何か。

それは、信じることの最上級では

ないだろうか。

もちろん、

まず最初に好きであることは

大切だが、

その根幹は、信じること。

さらにつけくわえれば、

信じることに、

意味づけがされていること。

人間が生きる上で、

大切にしたくて信じていけるもの。

それが、愛の正体のような気がする。

だとすると、愛は生きるために

絶対に必要なもの。

いつも自分が生きる隣りにいて欲しいもの。

愛が隣りにある人生。

そんな人生であれば、

生きることも素晴らしいものになる。

愛がある人生はいいものだ。

臆病は、人生にプラス

 

(今日のコトバ)

 

臆病に生まれたから、

努力というシャドーボクシングを

やめられない。

 

 

 

臆病者といわれる。

決して、

いい表現ではないのかもしれないが、

年をとるたびに、

この臆病という能力は、

大切な人間の能力のような気がしてきた。

まず、臆病だから危機意識が強い。

危ないと思ったら、注意を払う。

手を出さない場合もあるし、

おそるおそる着手することもある。

また、臆病だから準備を怠らない。

人にもよるが、臆病な人の方が

はじまる前の段取り・用意等を

きっちり行う。

さらに、臆病だから努力する。

特に戦いの場面になると、

相手に勝つために地道な修練を

コツコツ行う。

すべてが臆病という性格からくる

人の能力だ。

だからこそ、

臆病と呼ばれている人は

喜んでいい。

その能力を上手に使えば、

人生に大きくプラスになる。

臆病であることで

前向きに生きることは、

大切なことだ。

 

寄り添ってくれる人がいる人生にしよう

 

(今日のコトバ)

 

いつでも一緒に笑ってくれる人と、

泣きやむまで

一緒にいてくれる人がいれば、

人生はだいじょうぶだ。

 

 

 

人にとって、

いちばんの幸せとは、

何だろうか。

人それぞれ定義は違うと思う。

欲張りで大きな幸せを求める人があれば、

小さな幸せでも満足する人がいる。

幸せは目に見えない概念だけに、

人それぞれなのはわかる。

ただ、

一つの考えとしてこんな定義はどうだろう。

いつでも一緒に笑ってくれる人と、

泣きやむまで一緒にいてくれる人が、

自分のまわりにいてくれれば、

それは幸せといえるのではないか。

人の幸せは、

いちばん身近にいる人が

つくってくれている。

その人が、

自分の心に寄り添ってくれていれば、

こんなに幸せなことはない。

基本的なことのようであるが、

これができている人と

できていない人がいる。

そして、できている人は、

とても幸せな人生になっているはずだ。

いま、幸せが足りないと感じている人は、

いつでも一緒に笑ってくれる人と、

泣きやむまで一緒いてくれる人がいるか。

そこを考えてみて、

もしいなければ、

そういう気持ちいてくれる人をつくろう。

寄り添っくれる人をつくろう。

それが幸せへの近道。

素晴らしい人生を

生きるために必要なことだ。

嘘は真実の顔をする

 

(今日のコトバ)

 

嘘は、

嘘をついた者に

真実を連れて帰ってくる。

 

 

 

 

一つの嘘。

確信犯の嘘、

無意識の嘘にかかわらず

嘘は大きくなる。

人から人に伝わりながら、

話を盛っていく。

大きくなると、

それが真実のような顔をする。

そこからが問題だ。

真実のような顔をした嘘は、

真実かどうか調べられる。

その時、

真実ではないと思われると、

その発信者は誰かが問題になる。

どんどん元をたどられ、

誰が発信者かを突き止められる。

その発信者は真実ではなく、

嘘を発信しているとわかると、

発信者から人は去っていく。

だから、嘘は怖い。

ジョークで終わるような嘘はかわいいが、

人の人生をダマすような嘘は、

人として嫌われる。

そのことを肝に銘じて生きる。

人生にとって大切なことだ。

下積みは、上積み

 

(今日のコトバ)

 

下積みとは、

日のあたらない上積みのことだ。

 

 

 

下積みという言葉が

昔から気にかかっていた。

下に積む?

何をもって下に積むのか。

歴史の中でつくられた言葉だから、

いちいち文句をいっても仕方ないが、

それでも下積みはピンとこない。

では、どういう言葉がふさわしいか。

それはもう上積みでいいのではないか。

「あの人、あの時期、上積みしたから

今の成功がある」

「あの厳しい上積み時代があったからこそ、

この成果があらわれたのだ」と。

決して、下という言葉を

ワルい意味で使っているのではないことは

わかっている。

縁の下の力持ちという言葉もある。

ただ、人生においての修行時代を、

下積みというより上積みといっても

いいのではないか。

いつも、そんな気がするのだ。

「思い」を大切にして生きたい

 

(今日のコトバ)

 

思いつきで夢見て、

思いこみで愛して、

思いやりで生きる。

 

 

 

人は、「思い」で生きている。

その思いには、

いろいろな思いがある。

思いつき。

思いこみ。

思いやり、、、。

思いつきは、

発想の領域に「思い」があること。

夢だったり、アイデアだったりに

「思い」があって、その力を発揮する。

思いこみは、

信じる領域に「思い」があること。

愛することや信頼することに

「思い」があって、その力を発揮する。

思いやりは、

誰かの領域に「思い」を提供すること。

困ってる人や弱っている人に

思いがあって、その力を発揮する。

「思い」

言葉にすると簡単だが、

その「思い」の力がどう発揮されるかで、

人の力が大きく分かれる。

だからこそ、

「思い」を大切にしたい。

自分の「思い」がまっすぐに届くと、

生きることが嬉しくなる。

日々の暮らしにも張り合いが出てくる。

「思い」を大切にして生きたいと思う。

 

 

幸せと不幸のバランスを考える

 

(今日のコトバ)

 

不幸は、

幸せのしっぽをつかんでる。

幸せは、

不幸の足を踏んでいる。

 

 

 

 

自分が幸せであれば、

誰かが不幸になっている。

必ずしもそうといえない場合もあるが、

大概において、幸せの反対側には

不幸がある。

ということは、

自分の幸せを成立させるために、

誰かが不幸を

受け持ってくれているといえる。

誰かが辛い目、痛い目に合っている上に、

自分が幸せを満喫しているのだ。

そう思うと

幸せを一人占めしてもいけないし、

幸せの上に胡坐をかいてもいけない。

もっというと、

幸せに感謝しなければいけないと思う。

反対に、

自分が不幸な時に、

誰かが幸せな状況を生きている。

そう思うと、

不幸であることが

すべてワルいことではない気もしてくる。

もちろん、自分で抱えきれない不幸もある。

できるだけ不幸になりたくないとも思う。

ただ、それでも、

自分が不幸をなっていることで、

誰かの幸せに役立っている。

そう思うと、幸せと不幸には、

バランスがあって、

行ったり来たりしながら、

人生はつくられているともいえる。

そのバランスを理解して、

上手に生きられると、

人生に抑揚が生まれて、

大きな気持ちになれる気がする。

幸せと不幸のバランスを一度、

ゆっくり考えてみてもいいと思う。

 

 

 

傷は自分オリジナル、誰も持っていないデザイン

 

(今日のコトバ)

 

 

生きてきた傷はかくさなくていい。

あなたが世界に誇る

最高のデザインになる。

 

 

 

カラダに、ココロに、

人は傷を負いながら生きている。

小さい傷、大きい傷、

いろいろあるだろう。

時に、その傷をかくして生きたいと思う。

かくすことはワルいことではない。

見せたくない傷もあるだろう。

ただ、傷は自分が生きていくために

つくった、いわば勲章。

決して、批判されるものではない。

傷があることは、

懸命に生きた証でもある。

もっといえば、

ひとつひとつの傷は自分オリジナル。

他の誰も持っていないデザイン。

唯一無二なのだ。

そう思うからこそ傷は自分の誇りになる。

いま、傷をかくして生きている人は、

一度、立ち止まって考えてみるといい。

その傷がほんとうにかくすべきものか。

否か。

傷を誇りにして

生きていけると思えれば、

人生は素晴らしいものに

なっているはずだ。

前向きな気持ちつくって生きる

 

(今日のコトバ)

 

深刻な顔は、

苦しみの押し売りになる。

 

 

 

ある車メーカーの社長が

幹部社員に伝令を出した。

「深刻になるな、真剣になれ」と。

新型コロナで委縮する社員に

メッセージをおくったのだが、

まさしくそう思う。

気持ちが深刻になると顔に出る。

ネガティブな気持ちが表情になり、

それが伝播する。

まわりのみんなが深刻になり、

まわりのみんながネガティブになる。

それではいけない。

こんな時こそ、表情は明るく前向きに。

強引にでもいいから笑う。

気持ちが前向きになれば、

いい発想も浮かぶ。

深刻な状態からも

脱出できる可能性が広がる。

もちろん、

そう簡単ではないことはたくさんある。

それでも、

気持ちを前向きにする努力は大切。

早くこの状況から立ち直るために、

前向きな気持ちをつくる。

生きるために必要なことだ。