時間という大切な記録が、人生という大切な軌跡をつくる

 

(今日のコトバ)

 

若者にとって未来は、

ただでもらえる試供品。

年寄りにとって未来は、

数少ない貴重品。

 

 

 

年を取れば取るほど、

人生の持ち時間が短くなる。

一日一日がとても大切になる。

反対に、若者にとっては、

人生の持ち時間は無限に感じられる。

明日は永遠に来る気がする。

だが、ほんとうは年寄りでも、

若くても、時間は貴重。

若ければ若いほど、

何でも挑戦できる分、

全力を尽くして

やらなければならないことが

たくさんある。

年寄りにしても

何を残すかを考えたら

ムダにしていい時間などない。

そう考えると、

いつの時間もムダにできない。

時間という大切な記録が、

人生という大切な軌跡をつくる。

そのことを忘れてはいけない。

「ありがとう」は、魔法の言葉

 

(今日のコトバ)

 

バカヤロウに、ありがとう。

サヨナラに、ありがとう。

ダイキライに、ありがとう。

ありがとうという言葉には、

どんな言葉もケンカできない。

 

 

 

嫌な気持ちになることがある。

不愉快な言葉を投げかけられて、

腹が立つこともある。

ただ、ケンカはしたくない。

関係を途切れさせたり、

コミュニケーションのとれない

状況もつくりたくない。

そんな時、

魔法の言葉がある。

「ありがとう」

という言葉を、

面と向かってはっきりいう。

例えば、バカヤロウと怒られても、

「こちらの間違いを教えてくれて、

ありがとう」と返せば、

相手の怒りは治まる。

サヨナラと別れをいわれても、

「いろいろ貴重な経験ができた、

ありがとう」といえば、

別れた相手も悲しい気持ちだけで

去ってはいかない。

ダイキライといわれたって、

「そういわれることで

気づくことがあった、ありがとう」

といえば、ダイキライという感情から

違った一面も感じてくれる。

「ありがとう」

たった一言だけど、

相手の感情を一気に落ち着けられる言葉。

もっというと、一気に平和にできる言葉。

そんな言葉を

常に自分のボキャブラリーリストに

入れておく。

それだけで、人生はうまく動き出す。

素敵な生き方ができるはずだ。

 

 

未来に不安になることは、もったいない

 

(今日のコトバ)

 

起こる前の心配は、

未来のムダ遣い。

 

 

 

未来に起こることに対して

不安になる。

考えれば考えるほど、

不安が大きくなって、

不安と闘う時間が長くなる。

ただ、この不安は何も解決しない。

不安な時間が、

ネガティブな考えの時間をつくったり、

手を止める時間を増やしたり、

足を止める時間を増やしたり、

人生の時間をプラスにできなくする。

そう考えると、

未来に不安になることは、

もったいない。

もっと前向きな時間に費やすことが

人生にとって有意義だ。

もちろん、途轍もなく大きな課題が

近い未来に待っていて、

不安になることもある。

だが、それでもなるべく不安から

意識を逸らすべき。

途轍もない未来でも、

想像するよりひどいことは、

そうそう起こらない。

人生を振り返ってみればわかる。

不安の先に、

どうしようない未来が起きたことなど

なかったではないか。

だからこそ、

せっかくの人生の有意義な時間は

前進するために使う。

その気持ちが大切だ。

起きている時の夢、眠っている時の夢

 

(今日のコトバ)

 

夢のある人は、

起きて夢を追いかけ、

眠って夢を見れる。

一日中、夢ばかりの人生になる。

 

 

 

人は、夢を見る。

現実の世界での夢。

眠りの世界の夢。

簡単にいうと、

起きている時の夢と

眠っている時の夢。

大きくはこの二つに分けられる。

この二つの夢の世界で、

起きている時に夢を持つと、

自動的に眠っている時の夢と

二つの夢の世界を制覇することになる。

だとすれば、

起きている時に夢を持った方が

人生は得。

いつも夢を見ていることになる。

もちろん、夢の中には

いい夢ばかりではない。

見たくもない夢もある。

だが、それでも起きている時に

夢があると人生は躍動してくる。

もし、自分の人生を少しでも

躍動させたかったら、

起きている時の夢をつくる。

そこから人生はもっといい方向、

面白い方向へ動いていく。

夢は、

それだけ人生に大きな存在なのだ。

「あきらめない」は、成果につながる

 

(今日のコトバ)

 

成功した人は笑いながらいう。

「みんな、

あきらめるのが早かったね」と。

 

 

 

世の中に出ればわかることがある。

あきらめない人、

しつこい人、

粘りのある人が、

大きな成果を上げるということ。

「あきらめない」

つまり、トコトンつきつめて、

最後の最後まで仕事を全うする人は、

着実な成果を上げる。

あたりまえのように思うが、

この簡単なあきらめないということを

仕事でやり続けることは難しい。

時間の制約、コストの制約、

コミュニケーションの制約等、

さまざまな制約があるなか、

切り捨てるべきものは

切り捨て、

合理的に作業をしなくてはならない。

ただ、その中でも

あきらめないで熱心に仕事をする人は、

必ずといっていいほど成果を出す。

もっというと、

そのあきらめない姿勢が信頼を呼び、

大事な仕事も任される。

つまり、成果を出すことによって、

成功を収める確率が上がる。

いま、自分の仕事がうまくいかないで

嘆いている人は、目の前の仕事に

あきらめず邁進してみるといい。

言葉でいうほど簡単なことではない。

だが、やってみる価値はある。

いままでと違った成果が表れる。

自分自身のモチベーションにも

つながる。

あきらめないことは、

成果へのいちばん大きな条件なのだ。

自由に挑戦できるという可能性がある

 

(今日のコトバ)

 

1位だけしか憶えていない。

2位以下なんて誰も憶えていない。

だからこそ、2位以下には

無限の可能性があるのだ。

 

 

 

例えば、

10年前の甲子園の優勝校は覚えていても、

準優勝校は覚えていなかったりする。

去年ですら、

準優勝校になると忘れてしまったりする。

マニアックに調べている人でない限り、

2位以下になると、

突然、記憶は定かではなくなる。

人間の記憶なんて、そんなものだ。

一つの歴史をつくったものは、

記憶に刻まれる。

だが、その途中の段階で

敗れ去った者は忘れられる。

ワルいといっているのではない。

2位以下はまだ無名であるのだ。

つまり、あくまでも挑戦者で、

無限の可能性があるといえる。

一度、歴史をつくってしまうと、

挑戦者ではなくなってしまう。

動くことが不自由になることもある。

そう思うと、

まだ結果を出していないという状況は

まだまだ自由に挑戦できる。

そのことに気づくと、

1位という結果を出していなくても、

あわてる必要はない。

これから自由に挑戦できるという

可能性がある。

人は、自由を制限されると

生きることが苦しくなってくる。

その反対に、まだ1位になっていない

状況には、自由という可能性がある。

忘れてはいけない。

 

夢をあきらめることができない人生

 

(今日のコトバ)

 

夢をあきらめる方法を

誰も教えてくれなかったから、

僕らは夢中になって進化してきたんだ。

 

 

 

 

すべての人は夢を持って生きている。

大きかろうが小さかろうが、

夢は心の片隅で輝いている。

どうして人は夢を持ち続けるのだろう。

考えてみると、

それは、誰も夢をあきらめさせないから

ではないかと思うのだ。

もちろん、

「そんな夢やめてしまえ」

「無謀な夢などあきらめろ」等、

言葉で警鐘を鳴らす人はいても、

あきらめるために

責任をとってくれる人はほぼいないし、

あきらめさせようという理由も、

経済的だったり、無謀すぎたりと、

漠然としたものばかり。

反対に、夢をあきらめない理由は

たくさんある。

自分の生活を進化させるために、

個々人に様々な理由が発生する。

そして、その理由の下、

夢に向かうことが、

人間にとって素晴らしい未来をつくる。

だから、人は、夢見ることを

あきらめられないのだ。

いま、夢がないと投げやりな

生き方をしている人もいると思う。

ただ、よく考えてみて欲しい。

自分の人生のどこかに、

何かを達成したいという

夢や目標があるはずだ。

その一つでいい。

達成に向けて行動してみる。

それだけで人生が躍動してくる。

もっと、夢に向かって

生きていきたいと思う。

夢をあきらめることの

できない人生になる。

その状況の中を

思いっきり生きればいいのだ。

希望より自力のいる欲望

 

(今日のコトバ)

 

欲望は、

希望に握力をつけたもの。

 

 

 

希望というと、

素直で、ピュアで、まっすぐで、

どこにも濁ったものがない気がする。

希望を持って生きるというと、

なんだか応援したくなったりする。

だが、希望より自己顕示欲が強くなった

欲望はどうだろう。

強欲で、汚れていて、ギトギトしていて、

濁りばかりが目立つ気がする。

ただ、希望も、欲望も、

願望という意味では同じ根っ子にある。

その成長の仕方で、

キレイに見えるか、

汚れて見えるかの違いになる。

だとしたら、

こう考えてみてはどうだろうか。

「欲望は、希望に握力をつけたもの」

希望だけが正義ではないし、

欲望だってワルいことばかりではない。

ただ、希望より自力がいるのが欲望。

上手に理解すれば、

欲望もいい目標になる。

そこを使い分けて願望を叶える。

一つの生き方だと思う。

本気になると、「いつか」は口にしなくなる

 

(今日のコトバ)

 

「いつか」とは、

本気になっていない未来のことだ。

 

 

 

「いつか、やる」

「いつか、がんばる」

「いつか、叶ったらいいな」

人は、「いつか」という言葉を使う。

何気ない言葉かもしれない。

深い意味はないかもしれない。

だが、「いつか」とは、

約束した未来ではない。

ただの願望を言葉にしただけのこと。

「いつか」がワルいということではなく、

そこに本気の気持ちはない。

「いつか」を連発している時は、

まだ、夢や目標が定まっていない状態。

まっすぐ前進していない状態と思っていい。

だからこそ、「いつか」を進化させるために、

「いつか」ではなくスケジュールをつくる。

達成までの工程表をつくる。

そこから、

夢や目標に向かって本気モードになる。

本気モードになった時、

「いつか」は口にしなくなる。

「いつか」とは、

そんな言葉かもしれない。

戦いは不平等の中で行われる

 

(今日のコトバ)

 

不平等こそ、

すべての人間に与えられた

平等な条件である。

 

 

 

つくづく思うことがある。

平等とは言葉の世界だけの

アイコンで、ほんとうの平等は

ないのかもしれないと。

否、平等はある。

もっというと、社会のシステムは

より平等になるように進化している。

歴史も積まれれば積まれるほど、

平等という言葉は、

真価を発揮していくのかもしれない。

だが、自分のまわりをみると、

やっぱり平等でないことは多い。

世の中に競争がある以上、

平等はないのかもしれない。

それは仕方ないとも思う。

だが、平等だと思って挑んでいるのに、

平等ではないとがっかりすることがある。

ビジネス社会で多いのが、

競合といわれ、

提案したもので判断されるといいながら、

結局は根まわしだったり、

接待だったり、別の基準で決定してしまう。

それも含めてビジネスだといわれれば

そうかしれない。

ただ、とても承服できない結果が出るたび、

平等って、なんだろうと思う。

そう思うと、

はじめから平等なんてないと設定すると、

いちいち腹が立たなくてすむ。

つねに、戦いは不平等の中で行われる。

もしかすると、

歴史が積まれ、文明や技術が進化し、

いつの日か不平等がなくなる日が来る

かもしれないが、

それにはまだ時間がかかる。

平等。

簡単なようで難しい問題だ。