自由に挑戦できるという可能性がある

 

(今日のコトバ)

 

1位だけしか憶えていない。

2位以下なんて誰も憶えていない。

だからこそ、2位以下には

無限の可能性があるのだ。

 

 

 

例えば、

10年前の甲子園の優勝校は覚えていても、

準優勝校は覚えていなかったりする。

去年ですら、

準優勝校になると忘れてしまったりする。

マニアックに調べている人でない限り、

2位以下になると、

突然、記憶は定かではなくなる。

人間の記憶なんて、そんなものだ。

一つの歴史をつくったものは、

記憶に刻まれる。

だが、その途中の段階で

敗れ去った者は忘れられる。

ワルいといっているのではない。

2位以下はまだ無名であるのだ。

つまり、あくまでも挑戦者で、

無限の可能性があるといえる。

一度、歴史をつくってしまうと、

挑戦者ではなくなってしまう。

動くことが不自由になることもある。

そう思うと、

まだ結果を出していないという状況は

まだまだ自由に挑戦できる。

そのことに気づくと、

1位という結果を出していなくても、

あわてる必要はない。

これから自由に挑戦できるという

可能性がある。

人は、自由を制限されると

生きることが苦しくなってくる。

その反対に、まだ1位になっていない

状況には、自由という可能性がある。

忘れてはいけない。