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(今日のコトバ)
沈黙という名の毒舌。
「沈黙は金」
ということわざがある。
黙ることが金である。
あるいは、
黙ることが大切である
ということだと思う。
だが、
沈黙にそれだけではない
役目もある。
沈黙だからこそ
雄弁であることもあれば、
もっというと沈黙だからこそ
毒づいていることもある。
反旗を翻す時、
沈黙によって意思表示を
されることは、
とても怖いこと。
無視することに
近いことにもなる。
だとすると、
沈黙は武器になる。
もちろん、言葉にして
明確に伝えられる時は
伝えた方がいい。
だが、
どうしても言葉にできない時は、
沈黙という武器を使う。
持っておきたい一つの武器だ。
(今日のコトバ)
わたしは誰に憧れても、
結局、「私」になっていく。
変わろうとする。
自分の好きを伸ばして。
自分の嫌いを修正して。
様々なことにチャレンジする。
結果、成長という名の
変化は訪れる。
ただ、
自分の芯の部分は
変わらない。
環境や状況が自分を
変えてくれているのだ。
そして、より深化した自分になれる。
芯の部分が変わらないことが
いいとかワルいというのではない。
変わらないから
大事にすべきだと思うのだ。
誰にも似ていない
自分という個性を
持って生まれたことを
大切にする。
そのことを
意識して生きることで、
自分はもっと自分になれる。
そして、
自分の最高峰を目指すのだ。
(今日のコトバ)
恥知らず。
恩知らず。
世間知らず。
知らず知らずのうちに、
身の程知らずになっている。
恥ずかしいことを
無意識でやっていたり。
恩を返すことを
忘れてしまっていたり。
世の中とズレていることを
わからないまま生きていたり。
コミュニケーションを無視して、
わがままだけで世間を渡る。
まわりを見渡しすと、
思い当たる人がいるはずだ。
はみ出して笑えるぐらいなら
いいが、
まわりの人を不快に
してしまう人もいる。
そんな人と同じ空間にいると、
時間を共有するのも
嫌になってしまう。
だからこそ、
まず、自分から身の程知らずに
ならないように意識する。
恥知らずにならないよう
恥を知る。
恩知らずにならないよう
恩を返す。
世間知らずにならなよう
環境に気を使う。
すべてといわないまでも、
少しづつ「知らず」を解消して
生きていく。
どんな時代にも大切なことだ。
(今日のコトバ)
自由が幸せとは限らない。
規律が幸せなこともある。
自由。
言葉にすると、
とてもいい気持ちになる。
枠がなく生きられ、
すべてが自分のものに
なった気がする。
だが、実際は自由もなんの
ガイドラインもないと
不安になってしまうこともある。
自由の使い方がわからない。
自由であることが
不自由に感じる。
そんな気持ちになることもある。
反対に、規律は面倒くさい。
怠けていたい時は、
とにかく煩わしいと思う。
だが、規律に従えれば、
なにも考えず規律や
マニュアル通りに動けばいい。
毎日をあたりまえに暮らすには、
規律があった方が楽な面もある。
難しい問題だ。
人間はないものねだりの
ところもある。
自由がいい。
規律がいい。
二つの意識を
上手にコントロールする。
それが、
人間の知恵かもしれない。
(今日のコトバ)
恋する気持ち。恋を失う気持ち。
一つの恋が終わると、
人生の最高級品を一度に二つ
手に入れることができる。
新しい環境になって、
新しく人と出会うと、
恋する機会も増える。
そこで、
恋が成就することもあれば、
失恋してしまうこともある。
だが考えてみると、
恋すること、失恋することは、
人生において、
自分の気持ちを
感じることはない。
恋して成就すれば、
これほど幸せを
感じることはない。
反対に、失恋すると、
これほど
喪失感を感じることもない。
気持ちの揺らぎにおいの
ツートップともいえる。
そう思うと、
恋をすることは、
人間としての気持ちを
堪能できる贅沢なこと。
あまりに多すぎるのも
しんどいが、
数多く、恋愛、
失恋がある人生は、
とても人生を贅沢なことと
思っていい。
恋は生きる上で、
もっとも贅沢で大切なことの
一つだと思う。
(今日のコトバ)
手にできないものの価値は
無限に上がるが、
手にしてしまったものの価値は
無限に下がる。
どうしても欲しいものがある。
だが、手に入らない。
経済的問題か。
入手の方法の問題か。
生産量の問題か、、。
手に入らないものの
個人的価値は、
うなぎのぼりになる。
手に入らなければ
入らない期間だけ、
価値は上がる。
夢が膨らみ、
実物以上の価値を感じる。
反対に、
手に入ってしまうと、
嬉しい反面、
手に入ったという
安心感だけで、
価値は落ち着いてしまう。
実物が思ったほどの
商品力がないと、
いきなり価値が
下がることもある。
ものの価値とは
不思議なものだ。
欲求がある間は価値が上がり、
入手すると価値が下がる。
価値とは、
自分がつくる
幻想なのかもしれない
と思った。
(今日のコトバ)
明日一人ぼっちにならないために、
今日も誰かのために生きる。
どうして人は、
誰かと出会いたいと
思うのだろう。
人によって
いろいろな理由が
あると思うが、
一つに絞れば、
それは一人ぼっちに
なりたくないからだと思う。
コロナ禍の時を
思い出してみるとわかる。
突然、人と会えなくなって、
一人になる時間が増える。
途端に気が滅入り、
鬱々とした気分になる。
だが、オンラインであっても、
人とつながると、
生きる力が湧いてきて
元気になる。
話すことができるだけでも、
人間は元気になれる。
とにかく、仕事をしたり、
遊んだり、
そして、話しをしたりしながら、
一人ぼっちでないことを
確認して生きているのだ。
そして、
一人ぼっちでないと
確認できると
安心して生きていける。
もっというと、自信をもって
人生を歩いていける。
そう考えると、
誰かと出会う、
誰かと関係をつくる、
誰かと生きることで
一人ぼっちにならないことは、
人生にとってとても大切。
何か人生が
上手くいっていない時は、
一人ぼっちになっていないかを
自問してみよう。
もし一人ぼっちになっていたら、
すぐに人とつながる努力をしよう。
そのことを意識するだけで、
人生を安心して
生きていけるはずだ。
(今日のコトバ)
恋に落ちると、
心が舞い上がる。
恋に落ちるという。
表現として
一部あっている気もするが、
どうも腑に落ちない部分もある。
ほんとうは落ちるより、
舞い上がる気持ちの方が、
表現としてしっくりくる気がする。
表現や比喩だから、
いろいろな角度からの
アプローチがあっていい。
ただ、本質の気持ちが
忘れられてしまうのは寂しい。
恋することによって、
舞い上がる、
心が舞い上がる、
気持ちが舞い上がる。
恋とは、
舞い上がるものであることを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
言葉は、
心ない言葉だけで
殺傷能力を持つ。
生きていると、
どうしようもない言葉に
出会う時がある。
「心ない言葉」
誰もが人生で何度か
浴びせられたことがあると思う。
心ないだけの言葉なのに、
人の気持ちを破壊するには
十分な能力を
持っている。
考えてみれば、
いじめ、パワハラ、セクハラなどは、
みなどこかで心ない言葉を
浴びせられている。
もちろん、
暴力などの行為によるものも
あるけれど、中心にあるのは
心ない言葉だったりする。
だからこそ、
心ない言葉を
受けたことがある人は、
心ない言葉は避ける。
ちゃんと心をこめて伝える。
軽い気持ちの言葉は
かまわないが、
心ない言葉を相手には
伝えない。
まず、
自分が肝に銘じて生きる。
一人一人が意識したら、
きって、素晴らしい世の中に
なるはずだ。
(今日のコトバ)
すぐれた選手、
すぐれたキャプテンにあらず。
すぐれたキャプテン、
すぐれた監督にあらず。
すぐれた役割を担える人は、
みな違う。
適材適所という言葉がある。
人には向き不向きがある。
向いている分野で仕事をすれば、
大きな成果を上げられる。
だが、不向きな分野を任されると、
途端に力を発揮できなくなる。
企業などの組織では、
よく見かけられる光景だ。
特に、現場で頑張っている時は、
最高の働きを見せたのに、
管理職になったら、
まったく才能を見せなくなった。
また、管理職はそつなくなく
業務をこなしたのに、
選ばれて経営層になると、
たいしたことはなかったりする。
企業のシステムに
のってしまっては、
上手くいったり
いかなかったりするが、
得意という分野を
やり続けるという考え方もある。
得意分野の仕事であれば、
水を得た魚状態が担保され、
素晴らしい仕事が続けられる。
社会の構造は肩書きが
偉くなると、
経営することが
第一義になるので、
得意分野での能力が
通用しないことにもなる。
だから、
まず、自分の生き方を決める。
何が得意を見極める。
その得意な分野を突き進む。
そして、成果が上がり管理職、
経営層になるのか、
現場のまま生きるのか。
現場のまま生きるのも
考え方の一つ。
現状の会社では管理職に
ならざる負えないなら、
転職をしてみる。
生き方は見極めが肝心。
ただただ流されてしまうと、
自分では想像もしない場所へ
行ってしまう。
まず、自分の得意な能力を
考えてから、
人生を設計していくのだ。
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