生きている道を受け入れる

 

(今日のコトバ)

 

たとえ望んだ結果でなくても、

結果を受け入れて生きているうちに、

最高の結果になることがある。

 

 

 

「正しい道なんてない。

歩いている道を正しい道にするのだ」

そんな言葉をどこかで聞いた気がする。

長く生きていると、

ほんとうにそう思う。

行きたかった道には行けなかった。

だが、その道も楽しかったし、

幸せになれた。

自分がその道で活きる環境にあれば、

生きていく道の考え方は変わる。

もちろん、理想の道に進めなかったから、

いい人生ではないという人もいるだろう。

だが、それでも長く歩く道は、

慣れるし、愛着もわく。

理想ではないが、

素晴らしい道を生きている

と思えることも多くなる。

いま、自分の歩いている道に

半信半疑でいる人は、

その環境が自分に合っているかどうか、

一度、ゆっくり考えてみるといい。

思いの他、

自分に合っている道かもしれない。

いい環境であるかもしれない。

受け入れてみると、

案外、いい道だったりするのだ。

 

 

オリジナルは、ひとつの奇跡

 

(今日のコトバ)

 

世の中は捜している。

あなたという誰にも似ていない

奇跡を捜している。

 

 

あなたという存在は、唯一無二だ。

誰にも似ていない。

完璧なオリジナル。

そんなことはみんなわかっている。

ただ、その使い方を知っている人は少ない。

つまり、自分のオリジナル性に

特化して生きる人。

その場、その場で、流されて生きる人。

自分の不得手なもので生きる人。

オリジナル性を探さないで生きる人等。

とても、もったいない生き方をしている。

どう考えてもオリジナルで生きる方が、

強いし楽しい。

もっといえば、

オリジナルを持つということは、

ひとつの奇跡を持つということ。

誰もできないことができることは、

奇跡といっていい。

だからこそ、自分のオリジナル性を

活かして生きる。

そのことを忘れないでいよう。

 

一つの言葉の威力

 

(今日のコトバ)

 

言葉は、一瞬で光をつくる。

次の言葉ひとつで、

まわりを明るくできるんだ。

 

 

 

たった一つの言葉で、

救われることがある。

たった一つの言葉で、

状況が明るくなることがある。

一つの言葉。

この言葉は、

何より即効性があり、

何より癒してくれる。

もちろん、

どんな言葉でもいいという話ではない。

誰が、いつ、どんな言葉を使うかで、

まったく意味は変わってくる。

その言葉が人の心に響けば、

人の生きる道に明かりを灯す。

そう考えると言葉は大切だ。

大事に伝えれば、

大きな力を発揮する。

人生に大きく役立つ。

そのことを忘れてはいけない。

自分の得意分野を見極め磨く

 

(今日のコトバ)

 

最高になるということは、

あなたがあの人になるのではなく、

あなたがあなたを磨くことで

出来あがるのだ。

 

 

 

一番素晴らしい自分って何だろう。

時々考えることがある。

目標とする人に向かって精進する。

いいなぁと思う人をマネてみる。

先生にいわれた理想を追う等、、、、。

いろいろな考え方があると思う。

すべて正しいし、

すべて受け入れればいいと思う。

ただ、忘れてはいけないことがある。

それは、自分の得意分野を

見極め磨くということ。

自分のいいものを最高のものにする。

誰か他の人がいいと思っているものを

後追いするのではなく、

あくまでも自分の得意なものを磨く。

そうでなけば、自分が楽しくならない。

幸せにもならない。

もっというと、勝負の時に

自分の得意なものでければ、

ほんとうの武器にはならない。

そのことを絶対に忘れてはいけないのだ。

ちょっと迷惑、だけどキレ者

 

(今日のコトバ)

 

とんがっていると、

傷ついたり、傷つけたり、

痛い思いもいっぱいするけど、

やたらと人の心に刺さるんだ。

 

 

 

まわりにいる「とんがっている人」

誰もが自分のまわりにいたと思う。

もしくは、自分が

とんがっている人自身かもしれない。

とんがっている人は、

そのコミュニティの中で、

波紋をつくる。

誰かに激しくあたったり、

主張を曲げなかったり、

思いつきが人と違ったり、

騒ぎを起こすこともいとわない。

ちょっと迷惑、

だけどキレ者。

とんがっている人は、

そんな人かもしれない。

ただ、振り返ってみると、

とんがっている人は記憶に残る。

目立ったこともそうだが、

頭の中にしっかり、

くっきり忘れられない人になる。

「とんがっている人」

自分の人生の出会いの中で、

彩りが鮮明な人。

実は、そんな人との出会いが多ければ

多いほど、人生はおもしろいものになる。

そう思うと、

まわりにいるとんがっている人も大切。

人生に欠かせないスパイスなのだ。

 

もう一度の意識を設定しよう

 

(今日のコトバ)

 

「もう一度」と

試みるたびに

成長する。

 

 

 

「あと一歩がんばれば勝てた」

「もう少し続ければ成功した」

「さらに飛び込めば結果はでた」

そんなことを思うことが、

人生で何度かあった。

悔しいという思い。

残念という思い。

喪失する思い、、、、。

何か途轍もなく大きいものを

逃してしまったという思いが残る。

では、そんな気持ちにならないために

どうすればいいだろう。

それは、もう一度がんばるという気持ち、

何度でも挑戦するという気持ちを

自分の中に設定すること。

「この先にいい結果が待っている」

そう思ったら、

自分がやれるところまで、

あるいは他の人が

あきらめるところまでやると

意識に設定する。

意識が働けば、

もう一度、もう一歩、何度でもの

気持ちがわいてくる。

そこが人生を

有意義にするためのわかれ道。

もう一度の意識を設定しよう。

 

 

あきらめない姿勢を継続

 

(今日のコトバ)

 

1%の可能性を広げよう。

100回で1回の1%の可能性もあるが、

1000回で10回の1%もある。

10000回になれば

100回で1%になるんだ。

 

 

 

 

何度でも、何度でも。

へたな鉄砲数うちゃあたる。

とにかく数だ、、、、。

考え方はいろいろある。

ただ、トライし続けることは、

いい結果につながることは多い。

あきらめないという姿勢は、

不変的に結果を出す。

そう思うと、

1%の可能性といわれて、

あきらめてしまうか。

10000回続ければ、

100回のチャンスがあると捉えるか。

それだけでもモチベーションは違う。

もし、どうしても手にしたい

目標があるなら、

1%でもあきらめない姿勢、

これが大事になる。

その姿勢を継続できれば、

目標達成が近くなるはずだ。

 

一つでも多くの打席に立つ

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

打率なんてどうでもいい。

打席にたくさん立った者こそ

首位打者だ。

 

 

 

まず、打席に立つ。

これが人生において大切。

そして、結構難しいことでもある。

打席に立たなければ、

チャンスは捉えられない。

わかっているのだが、

怖さ、不安、遠慮、実力不足などがあり、

打席に立とうしないことがある。

誰もが打席に立った時、

完璧な自信があるわけではない。

必ず、どこかに不安ある。

不安があるが打席に立つ人と、

不安があるから打席に立たない人。

その差が人生を有意義にしていく差にもなる。

もし、いま人生が有意義ではない、もしくは、

おもしろくないと思っている人は、

とにかく打席に立つ行動を起こそう。

そこから、チャンスをつかむこともある。

数を重ねれば不安を解消することもある。

打席に立つメリットとデメリットを考えれば、

メリットの方が多い。

だからこそ、打席に立つ。

一つでも多くの打席に立つ。

そのことを忘れてはいけない。

努力は、成長のための必需品

 

(今日のコトバ)

 

人間がしんどい努力をやないのは、

結局、努力より目標を達成する術を

持っていないからだ。

 

 

 

人生には目標がある。

生きていく上で

クリアしなければならない

目標がある。

ただ、どの目標も簡単に

達成はできない。

いろいろな要件をクリアしながら

達成へ向かう。

その要件をクリアする時に必要なものは、

一言でいってしまうと努力になる。

どんな低い目標でも、

高い目標でも努力が必要になる。

それは、成長するための、

進化するための必需品ともいえる。

努力という概念があったから、

人間は進化したといえるかもしれない。

そして、努力に対して、

前向きに取り組めると、

目標の達成と共に、

もれなく成長・進化がついてくる。

もっというと、

努力から始まって夢中になれれば、

しんどい気持ちも消えていく。

努力という術は、

人間の持っている最高の能力。

そう思って生きていければ、

素晴らしい人生が待っている。

 

無理は人生の領域を広げる

 

(今日のコトバ)

 

無理するからこそ、

無理が無理じゃなくなるんだ。

 

 

 

「無理をしろ」

「無理をするな」

人は、状況みてアドバイスをおくる。

無理をしてもがんばれという時もあるし、

無理をしたら壊れるから

ヤメろという時もある。

ただ、自分の無理は、

無理をしてみなければわからない。

どこまでもが無理で、

どこまでが無理でないか。

さらに、無理をしてみて、

無理の領域が

広がることがあるかもしれない。

自分の可能性と置き換えることもできる。

無理という言葉をどうとらえるか。

そこは自分が判断すること。

自分の無理を、自分の可能性を広げるなら

無理に挑めばいい。

限界がきていて、

壊れそうなら立ち止まればいい。

無理は、人にとって

様々な考え方を与えてくれる。

しっかりと対峙すべきだ。