イケてない基準

 

(今日のコトバ)

 

自分に余裕を持てないと、

他人を余計に気にする。

 

 

何か問題を抱えて

不安な時、

あるいは、

自分がイケてなくて

気持ちがくすぶっている時がある。

心の中は余裕などなくなってくる。

だが、そんな時に限って、

他人の陰口・悪口を

いってみたりする。

他人のことより

自分のことが大切なのに、

他人を余計に気にしてしまう。

まわりを見渡すと、

そう感じる人が多い。

もしかすると

人間の習性なのかもしれない。

だとすれば、

他人を余計に気にする時は、

自分がイケてない時と想定してみる。

しっかり考えられれば、

他人のことを

気にしている場合ではない

とわかる。

何が大切かを

見つめ直すこともできる。

自分がイケてない

一つの基準として

理解しておくと、

少し上手に

生きていけるはずだ。

 

人の光りは多発的

 

(今日のコトバ)

 

人の光は、

目の輝きから、

言葉の宝石から、

胸の熱さから放たれる。

 

 

人の光を感じる。

まわりにも光輝く人はいる。

その人たちは、

なぜ輝いて見えるのだろう。

生まれつき明るさを

持つ人もいるだろう。

だが、たいがいは、

その人の生き方が

光り輝かせている。

では、光りの輝きは

何から感じられるのか?

いろいろな要素があると思う。

中でも大きいのは、

目の輝き、言葉の輝き、

そして、熱い気持ちの表現力。

目がキラキラ輝いている。

目標に向かって燃えていると、

自然と光り輝いてくる。

また、その人が使う言葉に

魂がこもっていると、

人を強く引きつける。

さらに、

胸の熱さ、

情熱を感じると、

輝く熱さを感じる。

人の光は一か所から放たれない。

多発的に放たれる。

そのことを意識すると、

人の光とはとても尊いもの。

生きいてる旬の時に放たれる

大切な光なのだ。

努力よ、ありがとう!

 

(今日のコトバ)

 

努力とは、

たし算を続け、かけ算を繰り返し、

やがて財産となるもの。

 

 

生きる目標を持つと、

人は努力する。

目標を達成するために、

苦しいこと、つらいことを

あえて受け入れて、

目標に近づこうとする。

なぜか?

それは、努力が目標達成する力を

養うと同時に、

自分が成長もできるから。

努力という言葉は重いが、

努力することによって

習得する力は、

人生の多大な財産になる。

人として身に着ける能力は、

ほぼすべて努力によって

得られるといっていい。

その努力が生んだ財産は、

人生を大きく変えていく。

そう思うと、

人は努力に

感謝しなければならない。

努力よ、ありがとう!

 

愛されることで世界一

 

(今日のコトバ)

 

愛する人に愛されたら、

誰でも世界一の幸せ者になれる。

 

 

自分で手にできる

世界一のものって何だろう。

そうそうあるものではない。

才能の勝負をしたら、

世界一だといえるものなど

「ない」としか

答えようのない人ばかりだ。

だが、視点を変えて

「愛される」という基準で

世界一を考えてみたらどうだろう。

愛する人は、たいがいその段階で

一番好きな人。

世界一の称号を与えても

何も問題はない。

なぜなら基準は、

自分にあるから。

だとしたら、

愛されるということで、

世界一の幸せ者になってみる。

世界一の幸せ者になれたら、

毎日が変わってくる。

楽しくなるし、

モチベーションは上がるし、

前向きになれるし、

成長もできるはず。

幸せが自分を変えていく。

そこだけを考えても、

世界一の称号を

与えてもいいのではないか。

人生は一度きり。

世界一の何かを感じることがあると

素晴らしい人生になる。

そのために、

愛されることは一番の近道になる。

美しい決心

 

(今日のコトバ)

 

初心は、

いちばん美しい決心である。

 

 

誰にでも初心はある。

何かをはじめようとする時、

初心は生まれる。

その初心とは何かと思うと、

何かに取り組む時の

いちばんはじめの決心だといえる。

はじめるには、

どこかに強い決心が必要。

スタートを切る意志が必要となる。

もっというと、

その初心という決心は、

人間の決心の中で、

もっとも混じりけのない

美しいもの。

だからこそ、

初心を大切にしたい。

初心忘るべからず

ということわざもあり、

日本人の心には、

初心という言葉が

初期設定されている。

その美しい決心を

忘れてはいけない。

人間性と人間力

 

(今日のコトバ)

 

弱き者を救うのが人間性。

強き者に挑むのが人間力。

 

 

自分より弱い人を救えるか。

言葉では救えるといっても、

実際に行動で救っている人は、

少ないと思う。

まわりを見ても、

たくさんいるとは思えない。

自分のことで精一杯な人ばかりだ。

ただ、数少ないけれど、

ボランティアなどで弱い人を

助けている人はいる。

その人たちからは

温かい人間性を感じる。

誰かが困っている時に

手を差し伸べる。

その温かい手は、

一生を温める手に

なるかもしれない。

また、それとは別の能力として、

強い人に挑戦する人がいる。

明らかに相手の力が強いのだが、

無謀かもしれない戦いに挑む。

スポーツあるは、社会で、

力の上の人に挑む。

その挑戦する力には、

特別な人間力を感じる。

人間性と人間力。

誰もがあるはずのもの。

だが、

誰もが使い切っているとは

いい難いもの。

できれば、人間である自分は、

人間性と人間力、

どちらも発揮しながら

生きていきたい。

そう思うのだ。

何か新しいこと

 

(今日のコトバ)

 

今日、全力を尽くす。

それでも明日になると

新しい何かを探すから、

人間は進化するのだ。

 

 

人は、「いま」という瞬間を

生きている。

「いま」から「いま」への連続だ。

その「いま」という瞬間に

やるべきことをやりながら

未来に向かう。

「いま」という時間の中でも

未来のことを考えて、

何か新しいことを探す。

その新しいことを探すところに

人間の進化がある。

「何か新しいこと」

自分としては

まったく新しいこともあるし、

誰もなしえなかった

新しいこともあるだろう。

もちろん、

他の人は新しくないことでも、

自分としては新しいこともある。

ただ、新しいことを探していく。

すべては新しさに向かうからこそ

進化していく。

だから、

「いま」という瞬間の行動を

大切にしよう。

瞬間の行動が進化へ続く。

自分への進化にも続くことを

忘れてはいけない。

 

人生のペースメーカー

 

(今日のコトバ)

 

振り返ると、

すべての努力は

人生を宝物にするための

作業だった。

 

 

なんだかんだいっても、

いい人、わるい人、

どちらであっても、

賢い人、そうでない人、

どちらであっても、

人生が楽しかったり、

幸せであった方が

いい人ばかりだと思う。

辛いのが好きとか、

不幸が大好きなんていう人と

出会ったことがない。

何十年も生きてきて、

一人もいないのだから、

世の中にそんな人は

ほぼいないと思う。

もっというと、

楽しくなるために、

幸せになるために、

何かの努力をしないと

いけないと思っている。

それは、楽しさや幸せが

人生の宝物だと知っているから。

生きていて、

こんな素晴らしいことはないと

思っているから。

だからこそ、

少々の困難も

乗り越えようとするのだ。

楽しさや幸せを追い求める。

それは、人生を

素晴らしいものにするための

大きなテーマとして、

人生のペースメーカーに

なっているのだ。

 

 

 

普通は特別である

 

(今日のコトバ)

 

人は普通に生きるために、

特別な努力をしている。

 

 

普通に生きる。

あたりまえに生きる。

ほとんどの人が

そう思っているかもしれない。

毎日毎日、同じような日々で、

同じような作業をしていれば、

そう思うかもしれない。

ただ、普通であったり、

あたりまえといわれることが、

本当にたいしたことがないのか

と思うと、そんなことはない。

日々の習慣で

慣れてしまったものは多くあるが、

自分以外の人が

同じ作業ができるかというと、

そうでもないことが多いと思う。

エアコンやテレビのセッティング、

パソコンの操作、特殊なソフトの操作、

スマホの使い方だけでも、

誰もができるものではない。

普通のことやあたりまえのことが、

実は、特別な能力を

必要とすることが

たくさんあるはずだ。

だからこそ、

普通にした特別があることを

見つめ直そう。

その特別が自信になって、

人生の芯になる。

そのことを忘れてはいけない。

不可能はない、で生きる

 

(今日のコトバ)

 

「不可能なんてない」

という奴はペテン師だ。

だが、ペテン師に踊らされて

不可能を可能にしてしまうのが

人間の可能性だ。

 

 

「不可能はない」と

時々、偉ぶっていう人がいる。

特に、体育会系の指導者に

多い。否、多かったというべきか。

時代が変わって、

それほど無謀なことをいう人も

減ったが、

それでも一定数いることはいる。

自分のことは、

さておきという気持ちで

「不可能はない」といっている。

何をいっているのだ?

という気持ちでいっぱいなのだが、

ワルいことばかりではない。

「不可能はない」と指導された

生徒や選手が、ごく一部だが

ほんとうに

不可能を可能にしてしまう。

もしかすると、

時代を変えるほどの

不可能を可能にしてきた人は、

少なからず、指導者や先達者に

「不可能はない」

といわれてきたのではないか。

もちろん、自分で「不可能はない」と

最初から目標設定できた人も

いるだろう。

ただ、ここで大切なのは、

他人からでも、自分からでも、

「不可能はない」と覚悟を

決めた人が

不可能を可能にしてしまうこと。

人間の潜在能力は、

途轍もない力を発揮する。

人間の力は無限だと

証明してきたともいえる。

だからこそ、

何事も簡単にあきらめないで、

やれるだけやってみる。

意外に自分の能力で

不可能だと思ったことも、

クリアできる日が来るかもしない。

そう思って生きることも、

人生を素晴らしいものにすると思う。