最高に幸せな場所

(今日のコトバ)

 

いてもらいたいと言われたら、

どんなに幸せだろう。

 

 

「あなたが必要だ」といわれたら、

どんなに嬉しいだろう。

自分の力を信じてくれている。

自分の能力を高く買ってくれている。

それ以上に自分が信頼されているという気持ちは、

何にも代えがたい最上級の気持ちといっていい。

人生は、信頼関係を築きながら、

自分のフィールドを広げていく。

自分のやりたい方向、自分のやるべき方向を広げるには、

自分がどれだけできるかを証明し、

その結果、信頼を得て道にする。

時間がかかる場合もある。簡単に進まないこともある。

夢が大きければ、困難な状況を進まなければならない。

強い意志も必要になる。

ただ、一つの信頼を築き絆が生まれれば、

アメーバ式に自分の領域が広がることもある。

さらに、信頼の延長戦上で評価を受けると、

指名されることもある。

この指名ほど、人生で強いものはない。

指名されたということは、

自分の方法論を認めてもらったということだ。

自分のやり方で能力を発揮すればいい。

少なくとも、失敗しない限り、誰も文句はいえない。

自分の領域で自由に動ける。

これほど生きていて楽しいものはない。

だから、いま、自分を必要としてくれている環境があるなら

最大限に大切にしよう。

そこが自分のやりたいことができる環境になる。

自由なフィールドにできる。

自分の人生を最高に幸せにできる。

大切にしなければ、いけない環境なのだ。

 

同じ視線と生きる

(今日のコトバ)

 

上から目線でもなく、下から目線でもなく、

同じ目線の人間の言葉に耳を傾けろ。

 

 

 

人の視線は、いろいろな角度から感じる。

時に上から、時に下から感じることがある。

上からの視線には、優越感だったり、圧力だったり、

同じ高さの視線が足りない。

下からの視線には、劣等感だったり、顔色伺いだったり、

同じ高さの視線が足りない。

もちろん、社会の仕組みの中で、上下関係があり、

視線を使い分けなければならない時がある。

だが、上下の視線には、必ず利害関係が発生している。

正しい視線というよりは、

利益の視線、露骨にいえば、自分が得するための視線になっている。

この視線と付き合っていると、自分も利害を考えて生きるようになる。

人は、大なり小なり利害で生きているから仕方ないことでもある。

ただ、この利害ばかりで生きていると、

自分がみすぼらしくなる。ほんとうの自分が見えにくくなる。

その自分の状態を普通に戻すには、

同じ視線の人と時間を共有することが大切だ。

そこに利害関係がなく、なんでも打ち明けられる人と、

様々な話しをする。

内容なんてなくていい。バカ話でいい。

時間を忘れて腹から笑えればなおいい。

この高速社会で失われていく本当の自分を取り戻せる時間をつくる。

それには同じ視線を持っている人が必要なのだ。

いま、生きることが窮屈で、

どうも本当の自分を発揮できていないと思っていたら、

同じ視線で話せる人に会いに行こう。

そこに本当の自分を取り戻すきっかけがある。

自分らしく生きる時間が生まれるはずだ。

 

 

自分を信じるために自分のペースで生きる

 

(今日のコトバ)

 

他人を評価して自分を卑下するなんて、

自分自身への背信行為だ。

 

 

 

 

時々、自信を失ったと思う時がある。

「なんて自分はダメなんだろう」と。

さらには「どうしてアイツは優れているんだろう」と

思ってしまう時もある。

できないことを嘆いている時、

誰かと比較して嘆いていることが多いことに気づく。

「自分ができないことを、アイツは簡単にクリアしている」

才能がないのか。努力が足りないのか。集中力が足りないのか、、、、。

悩んでしまって、煮詰まってしまう。

ただ、本当は他人との比較などいらない。

アイツができようができまいが、

自分のペースで進めばいいのだが、

同じ目的をもっていたり、同じ空間にいたりすると、

どうしても比較してしまう。

人は総合評価だ。一つが優れていても、

別のことがマイナスな人間はいくらでもいる。

他人の優れていない部分を把握したら、

自分のペースを乱さずに生きれるはずだ。

また、悩むことも悪いことではない。

悩むことは、本気で取り組んでいるから、

思考があっちこっちにめぐっている進化の途中。

そう思えば、この先に解決法は必ずある。

何か一筋の光明を見つければ、

自信を復活させることもできるかもしれない。

だから、他人自分を比較して自分を卑下することはない。

自分のペースで、ゆっくりでいから進んでいく。

悩んでも、煮詰まっても、苦しんでもいい。

前進する。

大切になのは、前進することなのだ。

 

 

 

近くにいけば怖くない

(今日のコトバ)

 

見えないものを見たかったら、

もっと近づかなくてはならない。

 

 

 

 

遠くで見るのと、近くで見るのでは、

まったく人の様子はまったく変わる。

特に、人を遠目に見ると、

「大きい、凄い、天才的」と思った人が、

近くで見ると、

「意外に小さい、意外に普通、意外に怠け者」と思える人もいる。

極端な例だが、ここまでにないにしろ、

近くと遠くでは、見え方が変わる。

人は、人と競う時に、相手の大きさ、凄さに圧倒され、

自分を見失う時がある。

だが、しっかり相手を見れば、

近づけば、たいてい何パーセントかOFFになる。

相手の弱みがしっかり目視できるはずだ。

いま、人生で自分より強い、

自分より凄いと思っている相手がいる人は、

近づいていってみよう。

いろいろな粗が見えてくるはずだ。

粗が見えてくれば、自分との差がそれほどでもないことに気づく。

もちろん、近づいて、さらに、圧倒されることもある。

だが、それでもライバルのウィークポイントを知ることはできる。

そこが好機になる。そこが勝機になる。

人生は、様々な課題を乗り越えて成長していくもの。

その課題の解決法として、対人の恐怖から逃れるのは、

相手の近くにいく。

そして、しっかりと相手を見る。

それだけで、解決できることがたくさんある。

相手と戦う前に思い出すべきことだ。

悲しみを居着かせない

(今日のコトバ)

 

悲しみは、ほんとうは人間から

去っていきたがってるんだ。

 

 

 

なぜ悲しみがとどまってしまうのだろう。

できることなら、悲しい状況からはすぐにでも

サヨナラしたい。

いつも通りというか、楽しい状況の自分戻りたい。

ただ、気持ちの整理がつかないと、

いつまでも悲しみは心に居着いてしまう。

では、悲しみはそれほど粘着質なものだろうか。

滞留時間が長いものなのだろうか。

答えは、たぶんNOだ。

悲しみは自分が感じる基準であって、

あえて心に居続けようなどと思っていない。

だが、自分が自分のおかれている状況を嘆いて、

悲しい気持ち、悲しい時間を抱え込んでしまう。

抱えれば、あたりまえだが、悲しみも滞留してしまう。

だから、悲しみを意識から消すために、

悲しい状況から距離おく。忘れようと努力する。

距離をおいて忘れるには、忙しくする、新しいものに挑戦する、

違う話題のものに足を踏み入れる。

方法は、いろいろある。

自分が選択しやすいものを選べばいい。

人は、悲しみとなるべく距離をおきたいもの。

だとしたら、自分から能動的に距離をおくようにする。

悲しみは、いつまでも心に居着きたいと思っていない。

居着かせてるのは自分の選択。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

好きなものこそリスペクト

(今日のコトバ)

 

好きなものを嫌いにならない幸せを、

大切にして生きていこう。

 

 

 

好きなものを突きつめるがあまり、

だんだんあきてしまって嫌いになってしまう。

あるいは、好きだったのだが、

何かボタンの掛け違いのようなことが起こって

嫌いになってしまう。

かわいさ余って憎さ100倍ではないが、

好きから嫌いを超えて、憎しみに及ぶこともある。

ただ、この嫌いなってしまう気持ちは、正直、もったいない。

好きだったのだから、少なくても自分と波長があったり、

自分の志向にあってる部分があるはずだ。

それらを嫌いになってしまうと、見向きもしなくなる。

避けて生きてしまう。

人生にとっては不愉快な気持ち、不愉快な時間が生まれてしまう。

そう考えると、好きなもの、好きだったものを、

嫌いにならないで生きることが必要だ。

それには、まず、距離が大切になる。

好きだからといって、いつも好きなのものの至近距離にいると、

あきてくることもある。

おいしくても同じものを毎日食べたら、

おいしいとは思わなくなる。

また、好きだからこそ、好きなものに気を遣ってあげる。

好きになると依存がはじまり、

過剰なサービスを要求することがある。

過剰なサービスこそ、好きなものにとっては、

いい迷惑なのだ。

いま、好きなものといい関係にある人は、

好きなものを大切にすることを忘れてはいけない。

忘れたところから嫌いがはじまる。

好きなものこそリスペクトが大切なのだ。

 

弱者のファイティングポーズ

 

(今日のコトバ)

そんなに怖い顔して、弱さを見せるなよ。

 

 

 

強さを誇るために、顔をつくる人がいる。

怖い顔をつくって、相手を威嚇する。

「オレ、あんたより強いんだ」とうそぶくように。

当然、相手は嫌な顔をしたり、

時には怖れることもある。

ただ、このパターンの人を威嚇するために顔をつくる人は、

冷静になって考えてみると、あまり強くない。

あくまでも威嚇だけ、威嚇射撃だけの顔づくり。

それで相手がひるんでくれれば儲けもの。

手っ取り早く怖い顔をつくって強さを誇ろうとしている。

だが、つくった怖い顔を脱ぐと、

とても弱い気持ちが隠れていることが多い。

怖い顔をつくって、なんとか弱い自分を隠しいる。

弱者のファイティングポーズのような気もする。

人生は、勝ち抜き戦の要素がある。

とりあえず目の前の相手を簡単に倒したい。

そう考えると、怖い顔にすがってしまうのだ。

誰もが人に勝ちたい時がある。

誰もが人を押しのけたい時がある。

その時、簡単に怖い顔をつくって相手を威嚇するのは、

勝つ自信がない弱い自分がいるからかもしれない。

本当に強ければ顔などつくらずに自然体でいい。

時々、やたらと怖い顔をつくる人をみると、

弱さを露呈しているようにみえる。

そんな気がするのだ。

 

 

 

光ある場所へ行く

(今日のコトバ)

 

光がある。その場所まで行ってみようと思う。

 

 

目標になるものは輝きがある。

思いをこめて見つめる分、

光を感じる。

光ある場所を見つけると、

目指しやすくなる。

どこから見ても燦然と輝いている。

近づいているか、

近づけてないかもわかる。

人は光ある場所に引きつけられる。

その光は、人によって違う。

ただ、自分の人生の延長線上に必ず輝いている。

それを見つけて、そこに向けて走り出すか、

止まったままでいるか。

人生の差はそこにある。

人生で何度か現れる光ある場所。

その光ある場所へ行ってみる。

その繰り返しが人生の差、

自分の成長につながっていくのだ。

問題を大問題にしない

(今日のコトバ)

 

昨日の荷物を最小限にして、今日を生きる。

 

問題を先送りすると、

あまりいいことはない。

その問題が解決しないうちに

次の問題が発生し、

解決しなければならない問題が、

二倍三倍と増えていってしまう。

二倍三倍となると、

一人の手では収まらなくなり、

問題が爆発しはじめる。

そうなるともう解決というよりは、

鎮まるのを待つより仕方ない状況になる。

ただ、問題には解決する方法がある。

一番は、問題が顕在化した瞬間に手を打つこと。

あらゆる解決法を考えて迅速に動く。

どんな問題もはじめのうちは小さい場合が多い。

小さいうちなら鎮火もしやすい。

はじめに、それこそ問題意識なく問題を解決しないと、

過ごしてしまうと大問題になる。

大問題になってからでは、

簡単に鎮静化することはまず不可能。

だからこそ、常に頭の片隅に問題が起こった時は

迅速に動くことをインプットしておこう。

そうすることによって、

問題は大問題にならずにすむ。

問題意識を持って動くことが、

人生に大問題を起こさないための方法なのだ。

奇跡は努力の延長線上に

(今日のコトバ)

 

努力は、奇跡と出会うための準備である。

 

 

人生において、

奇跡はそうそう起こるものではない。

簡単に起きたら奇跡ではないし、

価値もなくなってしまう。

ただ、奇跡の基準は人によって違う。

例えば、イチロー選手の様々な記録は、

すべて奇跡だが、

本人からすれば

すべて奇跡と思っているかわからない。

普通に考えれば、

甲子園に出場できただけでも奇跡だし、

ホームランを一度打ったことがあることも

奇跡になるかもしれない。

奇跡は、本人がどう思うかで決まる。

もう一ついえることは、

奇跡は努力の延長線上にあるということ。

努力を継続している人は、

奇跡を体験する回数が多い気がする。

何もしていなければ、

何もない、否、良くない方向へ落ちていく。

奇跡を体験するのは、簡単なことではない。

わかっている。

だからこそ、奇跡を夢見るなら

奇跡の基準を自分で明確にもって、

努力を続けなければならないと思う。