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(今日のコトバ)
第一印象に、上機嫌を。
「人を色眼鏡でみるな」
「ただの印象で語るな」と
よくいわれる。
正しいことだ。
人を見た目で判断するのは、
かなり危険。
間違っていることも多い。
ただ、「そういわれても」
ということはある。
第一印象のイメージが
その人物像を決めてしまって、
なかなか人間としての情報修正が
効かないこともある。
だからこそ、
第一印象も大切にして
生きていきたい。
ボロは着てても心の錦は昔の話。
現在ではあたりまえに
使える考えではない。
人と対面するには、
まず第一印象から大切にする。
その意識を持って生きるだけで、
その後のコミュニケーションが違う。
できれば、上機嫌で、
笑顔で対応できれば尚良い。
人に対する時、
第一印象から大切にして生きよう。
(今日のコトバ)
言葉は、
人間が一番はじめに起こす
勇気だ。
なんだかんだいっても、
気持ちを言葉にするのは
勇気がいる。
一番簡単に使えるし、
一番気持ちを伝えられるし、
一番深く人を傷つける。
だから、大切。
だから、怖い。
自分が思ったことを、
瞬時にカタチにできるのが言葉。
言葉の力によって、
誰もが救われたことがあるし、
誰もが失敗したことがあるはず。
だからこそ、
言葉の使い方を大事にしたい。
「言葉は一番はじめの勇気」だと
意識すれば、
大事に使えるはず。
言葉の持っている大きな力を
理解し、人生に役立つように
使おっていこう。
それだけ言葉は力があるのだ。
(今日のコトバ)
後悔とは、
幸せの余白のことである。
たんさん後悔してきた。
大きな後悔も、
小さな後悔もあった。
そのどれもが悔しさがあり、
「なぜ、もう一歩いけなかったのか」と思った。
だが、後悔できるほどのこととも思う。
それは、自分の心の隙ともいえるが、
違った言葉を探すと
余白といえるかもしれない。
まだ、心に余った部分があって,
そこに後悔がある。
もちろん、計算してのものではないが、
後悔は余白にある。
余白にあるからこそ、
今度はそこから消して、
後悔がないように
生きてみたいとも思う。
人生は、
なるべく後悔がないように
生きたい。
ただ、余白のある人生も
またワルくない。
後悔もその一つだとしたら、
人生も有意義なものになると思う。
(今日のコトバ)
「ありがとう」は、
いっておかないと損をする。
感謝の言葉。
忙しい日々の中で
ついつい忘れてしまうこともある。
ほんとうは、
日々の出来事で
お世話になった人々に
伝えなければいけないこと。
誰でも気持ちではわかっいる。
ただ、感謝をきちっと
伝えられる人がいるかというと、
自分も含めてあまりいない気もする。
そして、
感謝をいいかげんにしている人は、
あまり信頼されていない。
まったく感謝しない人は、
なんとなくまわりの人から
距離を置かれ始める。
何も感謝で贈り物を
送らなくてもいい。
「ありがとう」の一言でいい。
ちゃんと感謝の気持ちを伝える。
相手に感謝を伝えるだけでなく、
自分の気持ちも納得する。
伝えないと何かが心残りになる。
そうならないためにも、
感謝はきっちり伝えたいものだ。
(今日のコトバ)
優しさは、日常に起こる奇跡です。
誰かに優しくされることがある。
生きていてとても
嬉しいことの一つだ。
こんな世知辛い世の中で、
優しくされことなど
数えるほどしかない。
あまり関係の深くない人から
優しくされると、想像以上に嬉しい。
もちろん、
関係の深い人に優しくされるのも
嬉しい。
ただ、優しさのどれもこれも
生きる上でのあたりまえでなく、
ギフトだと思えるのだ。
優しくされなければ
それだけのこと。
嬉しい気持ちにはならないが、
人生は進んでいく。
生きるのがしんどくて、
優しくされたい時はあるが、
それも期待通り
優しくされる保証はない。
だとすれば、
人から優しくされるのも
一つの奇跡。
与えれた奇跡は
大事にしなくてはいけない。
もし、誰かに優しくされたら、
奇跡を一つもらったと
思って生きる。
その人への感謝の気持ちが
大きくなるはずだ。
(今日のコトバ)
スランプとは、
未来の土壌を耕すこと。
スランプに陥ることがある。
自分でスランプと思う時もあるし、
人からいわれて
スランプと感じることもある。
頑張っているが記録が伸びない。
成長の兆しがない。
停滞している。否、むしろ
退化しているのではないかと
思ってしまう。
そんな気持ちになることは
誰にもある。
ただ、冷静に考えてみると、
スランプが
ワルいことといえない気もする。
いままで順調だったものが、
順調にいかない。だから、
違った方法を探る。探っている間は
成長している気がしないが、
新しい視点に着目し、行動している。
当然、結果が出るまで時間がかかる。
「新しい視点のために行動している」
スランプをそう仮定すると、
決して、停滞や退化ではなく、
成長や前進のためのアクションなのだ。
だとすれば、
スランプもウエルカム。
スランプになったことで
新しい自分に会える。
そう思って生きても
いいのではないか。
(今日のコトバ)
人生には、
限界線というスタートラインがある。
もう限界だと思うことがある。
ここまでが実力の頂点。
これ以上はいけない。
そう思う。
だが、時間が経ったり、
状況が変わったりすると、
その限界を超えて、
もっと先へ行けることもある。
限界はとっくに超えている。
成長というか、
進化というか、
人生があきらかに
限界を超えたことがあるのだ。
限界だと思ったところが、
限界ではなく、
ただの過程、経過になっている。
限界線をまた
スタートラインにしたのだ。
人生は成長するたびに、
見える景色が変わってくる。
「限界は何度でも超えられる」
そう思って生きると、
人生そのものの地力がついてくる。
限界は人生を高みに上げるための
スタートラインなるのだ。
(今日のコトバ)
「キミには無理」を
「キミに任せる」に変えたら、
最高の復讐劇になる。
実力が無いと、
「お前には無理」と門前払いのように
吐き捨てられることがある。
悔しい思いもするが、
実力が無いだけに「仕方ない」と
思うこともある。
ただ、「このままでは終わりたくない。
必ず見返したい」と思う気持ちもある。
そんな気持ちの時は、
不貞腐れたり、切れたりするのではなく、
じっと実力を蓄える。
多少、時間がかかってもいい。
門前払いされたら、
門の遠くへ行っていい。
そこで実力を蓄えて、
自信が持てるまで切磋琢磨して、
自分の実力を磨く。
そして、自分の中で実力がついたら、
堂々と門をたたく。
そして、その時、こういわせたら勝ち。
「キミに任せよう」と。
相手にされなかった人間が、
相手にされて大事なことを任せられる。
それこそが、人生の醍醐味。
最高の復讐劇になるのだ。
(今日のコトバ)
足が足を感じるのは、
足が疲れた時。
腕が腕を感じるのは、
腕が疲れた時、
そして、心が心を感じるのは、
心が疲れた時。
人間、疲れた時に
「そのもの」感じる。
健康であれば、
人は体と心において
何も感じることはない。
足が痛いから足を感じる。
頭が痛いから頭を感じる。
腕が疲れたから腕を感じる。
もっといえば、心が折れたから
心を感じる。
つまり、体と心の部位に異変があると、
「そのもの」を感じる。
元気で、疲れも、痛みもない時、
体と心の部位を感じることはない。
そう考えると、
痛みや疲れがあることも、
人間としての部位を
感じられる大切な機会。
普段は忘れている部位も
大切な機能だと認識できる。
だとすれば、
体の疲れ、痛み、
心の疲れ、痛みも、
生きていく上で大切なこと。
大切だとわかるから、
「そのもの」のために生きていける。
「そのもの」という機能があることを
忘れずに生きていこう。
(今日のコトバ)
時間制限の中で夢中になり、
時間制限の中で成長し、
時間制限の中で天才になる。
人は時間の制限の中で生きている。
社会の中に組み込まれて生きれば、
時間はスケジュールに管理されながら
制限される。
「ほんとは、
もっともっと時間をかけたい」
「のんびりやりたい」等、
自分の気持ちは置いておいて、
社会のタイムスケジュールで
動かなくてはならない。
ただ、この時間制限は人間にとって
ワルいことだけではない。
時間制限があるから、
時間内に全力を尽くせる。
時間制限があるから、
気持ちを切り替えられる。
時間制限があるから、
予定を消化できる。
時間制限とは、
人が時間を
コントロールする有効な
手段なのだ。
だからこそ、
時間制限を上手に使って人生を
有意義なものにする。
人生を時間制限の中で
コントロールできれば、
人生が行きたい方向へ
行きやすくなる。
時間制限を上手に使おう。
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