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(今日のコトバ)
現実主義者が、
いちばんの理想主義者。
リアルにものごとに取り組む。
時代やデータを読み、
いまやるべきことをやる。
事実に基づいて行動する。
言葉にすると現実主義者。
どんな組織にも一人はいるだろう。
理想や夢よりも現実に意識がある人。
ただ、現実主義と呼ばれる人は、
必ず目標を持っている。
努力目標といっていいかもしれない。
「現実的でないからやらない」
などということもあまりない。
むしろ、目標と現実の接点を見極めて
最善を尽くす。
いつも思うのだが、
そんな人こそほんとうの
理想主義者ではないかと。
理想主義というと、
高い理想を掲げ実現しようとする人。
理想を目標に置き換えれば、
現実主義者と同じ状況で
生きている人ともいえる。
だとすると、
やはり現実主義者は
理想主義者といえる。
このご時世、
〇〇主義者という言葉は嫌われがちだが、
現実と理想と反する状況でも、
人は同じ気持ちで行動する。
忘れてはいけないことだ。
(今日のコトバ)
政治家は落選したら
ただの人だというが、
お願いだから
落選しなくてもただの人でいてくれ。
参議院選挙が終わった。
近年になく盛り上がった。
それは、ひとえにSNSが普及したからに
他ならない。
今回、躍進した政党の状況が
どんどんSNSに上がる。
政党、政党の候補者も
フォローしていないのに、
この一週間は、
その政党のフォロワーが
発信したと思われるものばかりが
タイムラインで届いた。
もちろん、アンチの記事もあるので、
一概に称賛記事をみるのではないが、
とにかくその政党の記事を目にした。
反対に大敗したとされる自民党は、
ほとんどタイムラインから流れてこない。
まったくといっていいほど、
メッセージが届かないのだ。
これでは現代の国民を
相手にした選挙で
勝てるはずがない。
石破総理の責任問題という前に、
SNS戦略ひとつで
与党が負けてしまうことの反省の方が
必要なはずだ。
特に、自民党だけでなく、
長い歴史のある党は反省した方がいい。
それより、いつも気になるのだが、
選挙で落選した人を語る言葉で、
「政治家は落選したらただの人」というが、
その考え方自体、勘弁してほしい。
政治家はただの人だから、
民意を汲んだ政策ができるのであって、
特権階級になったら、
国民の気持ちなどわからなくなるに
決まっている。
選挙が終わってしまったが、
「最後のお願いです、
当選しても、落選しても、
ただの人間でいてください!
国民はただの人間でいてくれる政治家を
望んでいます。」
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
「もしかしたら」のその先へ
行ってから決断しよう。
可能性が
どこまであるかわからない。
あと一歩先、
もっともっと先まで
あるかもしれない。
自分で簡単に限界を決めて、
そこで辞めてしまうのは
もったいない。
可能性をめいっぱい使って
自分の最高に到達する。
その繰り返しが成長。
可能性を伸ばして生きることは、
自分が成長して大きさを
広げて生きること。
生きることを
有意義にしていくこと。
昨日までできなかったことが
今日できることは嬉しい。
生きるモチベーションも上げる。
だからこそ、
可能性をあきらめてはいけない。
少しでも可能性があれば、
もう一歩と挑戦してみる。
人生のために大切なことだ。
(今日のコトバ)
「今」が戦ってくれる。
「今」が助けてくれる。
そして、「今」が逃してくれる。
あなたには、「今」がある。
「今」
そこにすべてがある。
どんな状況も「今」が一番大事。
「今」をどう使うかによって、
人生が大きく変わってくる。
反対に、「今」をうまく使えないと、
人生はしんどい局面になってしまう。
例えば、過去の話ばかり
しているとしたらどうだろう。
精神的に厳しくて、
現状が厳しくて、
過去の良かった時にすがりついている。
過去の栄光とか、
過去の思い出とか、
現状ではない状況を振り返っていて
進歩はない。
また、
未来ばかりの話をするのはいいが、
現在はどこにある?
未来へ行くための
ステップは踏んでいる?
ただただ未来に
夢を描いているだけで、
現状、何もしていないのでは
ないのだろうか。
そう考えると、
「今」は生きるためにもっとも大切。
「今」にはあらゆる解決能力がある。
自分には、「今」がある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
天の声は、耳が痛い。
生きていると、
耳が痛い言葉を
突き付けられることがある。
自分の弱みや短所を鋭く言葉にされ、
自分としては嫌な気持ちになる。
ただ、耳が痛い言葉は、
弱みや短所を突くだけでなく、
自分のワルいところを
うまく突いていることが多い。
100%聞く必要もないが、
一考の価値がある。
「耳が痛い」と感じたからこそ、
自分でも
「そこに問題がある」と
思っているのだ。
だからこそ、
耳が痛いと感じた言葉は、
一度自分で考えてみる。
そこに自分の成長の芽、
伸びしろがあるかもしない。
耳の痛い言葉は、
自分にとって天の声なるのだ。
(今日のコトバ)
人と人との関係は、
誤解していることを理解して、
それでも正解を探すこと。
きっと、どこまでいっても
人のことを完璧に理解することは
できない。
どこかで誤解していて、
それでも必然を感じながら
付き合っていく。
そんなことはわかっている。
だが、誤解しているということを
心で忘れてしまうことがある。
「なぜ、わかってくれないのか?」
「どうして、そうなる?」
自分の考えと異なると、
コミュニケーションがワルくなり、
最後にはその人が嫌いなったりもする。
人間関係の永遠の問題だが、
自分は他人ではないことを、
まず、念頭に置くことを
忘れてはいけない。
人と人とは、
誤解するのがあたりまえ。
その上で、
その人との関係性の
正解を探す。
それが人間関係の基本。
何度やっても慣れないものだが、
やり続けていくしかない。
そういうものだ。
(今日のコトバ)
夢を叶える場所に行く地図に、
近道は描かれていない。
「結局、近道はなかった」
自分の小さな夢でさえ、
遠まわり、大まわり、
困難な道を歩いて、
なんとかたどり着いた気がする。
近道だと思って、
その道を歩いていくと、
やっぱりどこかで立ち止まり、
元の道に戻ったり、
別の道へ行ったり、
遠まわり、大まわり、
困難な道を歩くことになるのだ。
だとすれば、
夢を叶えたいなら遠まわりを
覚悟して進む。
決して近道はない。
そんな気持ちで歩を進めれば、
覚悟は決まると思う。
何も遠まわりばかりと
力むことはないが、
夢への覚悟は大切。
その覚悟が夢を叶えるための
支柱になる。
夢をあきらめないための
礎になるはずだ。
(今日のコトバ)
歩みを続けた者が勝ち。
歩みを止めた者が負け。
人生ただ一つのルールである。
なんだかんだいっても、
長く続けている人には勝てない。
仕事でも、趣味でも、なんでも、
長く続けている人は、
それなりの技術が身についている。
もちろん、達人とか、名人とかいわれる人は、
長く続けるだけでなく、
命懸けの研鑽をした結果だから、
例外的に技術が卓越している。
だが、そこまでの人でなくても、
長く続けた人は優れた技術がある。
その技術を身に着けた人、
つまり、長く続けることができた人が
人生の勝利者、言い過ぎなら
人生の幸せ者のような気がする。
長く続けている者が勝つ。
途中で辞めてしまった者が負ける。
シンプルな法則。
自分の中で長く続けているもの、
長く続けていけるものを
人生の支柱として生きる。
念頭において生きていくことも
大切なことだ。
(今日のコトバ)
急行が止まらない駅には、
急ぎ過ぎない景色が待っている。
速度を上げるばかりの人生。
日に日にスピードを上げていく。
そのスピードについていける、
あるいは、そのスピードが快適ならいい。
だが、あまりにも速すぎて、
ついていくのも大変な人もいるだろう。
そんな人は、
スピードを上げるばかりではなく、
ゆっくり進むことも
選択肢として持つべきだ。
あごが上がるほど
速く走らなければならない状況は、
長く走り続けけることはできない。
どこかで故障し、止まってしまう。
止まってしまうと動き出すまでが
大変になる。
だからこそ、ゆっくり進む。
余裕をもって生きる。
そんな環境をつくることも大切。
速く走る時に見える景色もあるが、
ゆっくり進む時に見える景色もある。
どちらも素敵な景色。
その景色を満喫できるペースで生きる。
それも選択肢になるはずだ。
(今日のコトバ)
笑ってろ。すべっても、笑ってろ。
笑ってろ。悲しくても、笑ってろ。
笑ってろ。どんな時も、笑ってろ。
笑っていれば、人生なんとかなる。
とにかく笑う。
自分も、まわりの人も、
笑っていると、少なくても、
その場の雰囲気は良くなる。
殺気だっている人がいたり、
悲しい顔をしている人がいたりするより、
場は和む。
和むからこそ、
いろいろなことが
ポジティブに捉えられる。
ネガティブに捉えると、
すべてが嫌になることもある。
できるだけ、
その状況は明るいものにしたい。
だからこそ、笑顔が必要。
みんなが笑う環境を自らつくる。
はじめに笑って、終わりに笑う。
その意識だけで、
ずいぶん人生への取り組む意欲が
変わってくる。
まず、自分から笑う。
そして、まわりも笑っている環境を
つくることを考えよう。
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