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(今日のコトバ)
「できる」といってしまえば、
あなたに人は集まる。
「できない」といってしまえば、
あなたから人は去る。
言葉ひとつかもしれない。
「できる」と意思表示をしたら、
その後の人生が変わっていく。
「できる」といえば、
自分のフル稼働がはじまり、
発注してきた人も
何かしら動き出す。
自分と発注者が両輪となって
世の中に打って出る。
また、ネットワークとして
必要な人脈も動き出す。
大げさにいえば、
人生を左右していく。
反対に、
「できない」といってしまえば、
その場から人は去っていく。
自分の責任もなくなるが、
発注者を含め関係者が
そこから去っていく。
ただただ寂しい時間が流れていく。
どちらがいいワルいではない。
ただ、人生を変えたいと思うなら、
「できる」というキラーワードがある。
その一言が人生を変えるきっかけになる。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
遠慮とは、自信からの逃亡である。
遠慮とは、
「いや私はいいよ」と
言葉・行動をひかえること。
また、「私は参加したくない」と
意思表示をすることでもある。
ただ、人生において
遠慮ばかりしていると、
出会うべきチャンスも逃してしまう。
チャンスは、玉石混合、
清濁併せ呑まなければ
つかめない。
遠慮をしていると、
なにもかも遮断してしまう。
さらにいえば、
遠慮することは
自信がないからということもある。
自信がないから、
「私は結構です」といってしまう。
自信があれば、
「私がやります」と遠慮の必要はない。
だからこそ、
遠慮する時は注意しよう。
そこにチャンスがあるかもしれない。
それでも避けてしまっていいか。
また、自分が自信がないから
遠慮してないか。
一度、自分で判断してから
遠慮するかしないかを決める。
一度きりの人生、
チャンスまで逃す遠慮は
避けた方がいいと思う。
(今日のコトバ)
過去の自分は強敵。
未来の自分は無敵。
「昨日の自分を超えろ」
「ライバルは過去の自分だ」
特に、個人の記録に挑む時、
指導者から発せられる言葉だ。
その通りではあるが、
がんばって生きてきたら、
過去の自分を超えるなど至難の業。
大変な努力が必要となる。
ただ、こう考えることもできる。
「未来の自分は無敵」だと。
まだ、挑戦は始まっていないのだから、
自分がどれだけできるかわからない。
もしかすると、過去より、現在より、
成長した自分になれるかもしれない。
可能性は無限大だ。
そう考えると、
「過去は強敵だが、
未来は無敵なのだ」と
設定してしまう。
強敵と無敵の間でがんばる。
そんな気持ちで生きていけたら、
人生のやりがいもわく。
生きるために、
自分をもいいライバルにして
みるのはどうだろうか。
(今日のコトバ)
プライドの高さを少し低くして、
意地の悪さを少し良くして、
気の強さを少し弱くしたら、
世の中、少し生きやすくなった。
わざわざ人生を
生きにくくしている人がいる。
プライドが高すぎて、
腹が立つ人。
意地が悪いから、
近づきたくない人。
気が強すぎて、
コミュニケーションに困る人、、。
まわりにそんな人が
まわりに必ずいるはずだ。
だが、何かの課題がある人も、
少し意識して普通の状態にしてくれると、
いい付き合い方ができることもある。
プライドの高さをひけらかさない。
意地悪をしないようにする。
気の強さからくる主張を控える、、。
どれかに該当する人は、
それを意識して抑える。
すべてに該当する人は、
全体的に抑えてみる。
人は変わらないともいうが、
意識することで
抑えることはできるはずだ。
一度きりの人生。
人と気持ちよく付き合える方が
楽しい。
そう考えると、
人から敬遠される癖は治して、
楽しい人生にした方がいいと思う。
(今日のコトバ)
人生は荒波ばかりだから、
助け船に乗って渡ってもいいんだ。
人には人の人生があって、
自分のために支えてくれる人は
限られてくる。
その中で、何十年も生きていく。
簡単なことではない。
くじけることもある。
弱音を吐きたいこともある。
逃げたいことだってある。
だからこそ、
自分のために
支えてくれる人を
つくっておくべきだ。
まずは肉親。
やっぱり血がつながっている人は
強い力で支えてくれる。
次に身近な人。
遠くの親戚より、近くの他人。
人として温かい人もいる。
また、病院の先生・看護師さん、
学校の先生・友人、
会社の同僚、上司・部下、
趣味の付き合いのある人、、。
考えたら、
たくさん支えてくれる人がいる。
その人たちの助け船に乗って、
生きることも
長い人生を生き抜く秘訣。
人は人に支えられて生きている。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
ルールはつくった者のためにある。
ルールは破った者のために変更される。
ゆえに、ルールは守る者のために
あるのではない。
ルールは誰のためにある?
それはルールが必要な人のため、
ルールを守る人のためにある。
だが、本当にそうだろうか?
そもそもルールはつくった人たちが、
自分たちの都合のいいように
できている。
当然、自分たちにとって快適で、
守ることに意味がある。
そのルールも時間が経つと
守らない人たちが現れる。
反抗的な人や都合のワルい人が、
ルールを破ってわる目立ちをする。
ルールの守れない人が
数多くなってくると、
ルール変更がなされる。
当然、元のルールより
規則が厳しくなって、
よりルールの中にいる人は
息苦しくなる。
ルールはつくった人たちのもの。
そして、
ルール変更はルールを
破る人たちのもの。
そう考えると、
ルールをきちんと守っている人は、
自分たちのために
ルールが機能しているといい難い。
守っているのが
バカバカしくなってくる。
自分たちにとって
意味をなさないルールは
価値がない。
となると、
そのルールのある状況から
降りてしまう。
だからこそ、
ルールは、
ルールが必要とする人のために
機能することを
考えなければならない。
少しずつルールを改良していくとか、
期間を決めて見直すとか、
それこそルールをつくる。
ルールは、
ルールが必要な人のために
役に立たなければならない。
(今日のコトバ)
好きな方へ。愛する方へ。夢の方へ。
人生を動かしていけばいいんだ。
どこへ向かって生きていくのか。
なかなか答えが出ない人もいる。
「あっちもいい」
「こっちも考えてみたい」
若ければ欲張って、
あれもこれもという気持ちにもなる。
その時、何を基準にするか。
それは、「好き」「愛」「夢」という
自分の気持ちに素直になれものに
まっしぐらになればいいと思う。
自分の中の熱い気持ちがないと、
困難を突き付けられた時、
あきらめてしまう可能性が高くなる。
熱い気持ちを持っていれば、
継続でき、何かを達成するまで、
頑張り続ける意識も高くなる。
さらにいえば、
「好き」「愛」「夢」の道で
行動していれば
納得できることも多いが、
そうでない場合、
嫌いな分野、不向きな分野で、
自分を殺しながら
生きなければならなくなる
可能性もある。
だからこそ、
自分の気持ちがまっすぐ進めるよう
自分の気持ちに素直なものを選ぶ。
大切なことだ。
(今日のコトバ)
人の庭を荒らす前に、
自分の畑を耕せ。
人のことが気になる。
悪口をいう。陰口をいう。
手を出さないまでも、
足を引っ張る。
誰もが経験があること
かもしれない。
そんな時は、
必ず自分がイケてない時。
イケてないから、
まわりにいる人も、
足を引っ張ってしまえと思う。
だが、この足を引っ張る行動には
見失っている問題がある。
それは、人の足を引っ張っている間、
自分の足も動いていないこと。
自分が前進したり、
自分が成長したりもしていない。
人の庭を荒らしているから、
自分の畑の手入れができないのだ。
だからこそ、
人の足を引っ張ろうとする時は、
自分にイケてないアラートが
鳴っていると肝に銘じよう。
自分がイケている時、
誰かの足を引っ張ろう等と考えない。
自信を持って、堂々としていられる。
だから、
人の足を引っ張ろうとする時は要注意。
一度立ち止まって、
自分がイケてなくはないかと
見つめ直してみよう。
(今日のコトバ)
臆病者は決して敗者ではない。
ここで倒れることを拒み、
戦うことをあきらめない
挑戦者のことである。
「臆病者」
その意味の考え方が、
大人と子供で変わったものも
珍しい。
子供の頃は、「気が小さく、
勇敢になれない人」という意味で
臆病者を考えていた。
だが、年齢を重ねるたび、
臆病者とは、
まだ戦いをあきらめない人。
価値を未来に見出している人等と
同じような意味に感じている。
事実、臆病者と思われるまわりの人は、
その場では前へ出ないが、
だからといって、逃げるばかりでなく、
その後の人生で自分の居場所を見つけ
光り輝いたりする。
意味はどうでもいいのかもしれない。
ただ、臆病であることは、
決してマイナスではない。
気が大きくなったり、
勇敢過ぎて、
人生に傷をつくるより、
建設的な人ともいえる。
人生は長い旅。
無事之名馬という言葉もある。
臆病であることを武器にできたら、
その人生もまた、
素晴らしいものになるはずだ。
(今日のコトバ)
「金持ちになりたい」と
人生の前半を生き、
「健康でいたい」と
人生の後半を生きる。
そして、「幸せになりたい」と
一生を生きていく。
若き日は、とにかくお金が欲しかった。
余程の財閥に生まれない限り、
若者はみんな金欠。
「もっとうまいものが食べたい」
「もっと高価なものが欲しい」
「世界中を旅したい」
「徹底的に趣味に没頭したい」等。
そのすべてにお金がかかる。
そして、どこかで金が足らない。
だが、夢と希望だけはたっぷりある。
青春の日々ともいえる。
で、お金がある程度貯まって、
経済的な自由になる頃はどうだろう。
余程の高望みをしなければ、
何でも買えるのだが、
年齢も人生の後半戦となり、
体調のベストが続かない。
ほぼ毎日、どこかが変調をきたし、
騙し騙し生きている。
誰もが同じような気持ちに
なっているのではないか。
そんな中でも、
一生を通して「幸せになりたい」と、
どこかで考えているのも事実。
お金があってもなくても、
健康であってもなくても、
「今日を幸せでいたい」
「明日はもっと幸せになりたい」
そう思って生きている。
おそらく、
「幸せになりたい」という気持ちは
一生続く。
言葉にすると、
人は幸せ追い人。
だからこそ、
一生を前へ前へと進んでいく。
人は、特別な生きものなのだ。
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