悲しいけれど冷静に、不幸だけどまっ白な

(今日のコトバ)

 

人間は、喪失感の中だけで真実がわかる。

 

 

 

失ったり、無くしたり、寂しくなったり、孤独を突きつけられた時、

今まで自分がいかに理想の形で成り立っていたかを、

純粋な気持ちで知ることができる。

あなたのまわりを彩るたわいもないこと、

近くにいてくれた人、あたりまえだった健康、

まとわりついて離れないペット、駐車場で毎日待ってる車などなど。

失うと、去っていったものを愛おしさだけを、

悲しいけれど冷静に、不幸だけどまっ白な気持ちで見つめ直せる。

真実は惰性や快楽にまぎれて、

その正体を隠していく。

だからこそ、何かを喪失した時に

正体をあらわす真実をしっかり把握しよう。

その経験は、本当に大事なことを大切にしようとする。

そして、きっとあなたが大切なものを失いかけた時、

この経験が生きてくる。

真実はここにあるよ、とあなたを導いてくれる。

リーダーの意識の下に

(今日のコトバ)

 

動かぬボスはいらない。

動くリーダーが必要だ。

 

 

 

席から一歩も動かない。口だけで何も実行しない。

職権を乱用して私腹を肥やしている。

あなたの部の一番窓側の席にもいないだろうか。

ボスという名の給料泥棒が。

一昔前、バブル以前の社会なら、

人より偉くなることは、人より楽をすることと、

勘違いしていたかもしれない。

しかし、グローバルスタンダードの世の中になった

現代では、ポストにつながろうとする社畜は、

まったく必要とされない。

仕事に対して自らが足を運び、自らが決着をつける

リーダーがいればいいのだ。

そして、リーダーの時代になったいま、

現場をまかされているビジネスマンのすべてが、

リーダーでありリーダーにならなくてはいけない。

考えようによっては、現代の方が上司の腰巾着になって

仕事をするより、よっぽどいい時代になったかもしれない。

外資企業の管理職がプレジデントの下に、

バイスプレジデントしかおいていないように、

現場とトップだけで構成される時が、もうそこまで来ている。

あなたもリーダーとなるべく日々研鑽すべきではないだろうか。

心があってありがとう

(今日のコトバ)

 

光よりも速く、太陽よりも暖かく、青空よりも優しいもの。

それは人の心だ。

 

 

 

感動とか、感激とか、感謝とか、恋なんかもそうかもしれない。

一瞬で震えたり、熱くなったり、穏やかになったりする、

心が動いて起こるあらゆるものは、

自然の世界では算出できない素晴らしさをもっている。

サッカー日本代表がワールドカップ出場を決めたゴールの瞬間に

襲ってくるマッハの速さの感動、感激。

感謝し嬉しくて、ありがたくて涙したときの震度8クラスの震え。

愛する人に告白するときの体温計では感知されない体温の上昇。

それらの心の動きの中にこそ、感情という動物が大勢住んでいる。

そして、心が動くことで、夢が生まれ、愛が育ち、

幸せを手に入れることができる。

心があってありがとう。人生は心のおかげで想像を超えておもしろい。

映画 モーターサイクル・ダイアリーズ

その革命家は、医者を目指していた。

その革命家は、風貌に似合わず喘息もちであった。

その革命家は、社会の底辺で暮らす人々を救おうと思った。

その革命家は、アルゼンチン人なのにキューバ革命を戦った。

その革命家は、革命家として一生をまっとうした。

その革命家は、チェ・ゲバラといった。

彼のことを知らなくても、その革命家として、いや歴史上の人物として

他の追随を許さない美しい風貌は目に焼きついているはずだ。

いまだに書店へいけば写真集や自伝が陳列され、

街では共産主義国でもない日本で顔入りの赤いTシャツを着る若者がいる。

埼玉スタジアム2002では浦和レッズの応援で、

彼の顔がビッグサイズの旗になってふられている。

共産主義革命の中で、

思想だけで洗脳されず、言論だけで凝り固まらず、

私利私欲だけで動ごかない、壮大なるロマンチストだと思える人。

現代史の教科書の中で、

とりたてて大きな紙面をさかれない革命家なのに

彼は圧倒的な存在感をもち21世紀の今も僕らの心に生き続ける。

そんな彼が、まだ革命家になる前、医学生時代に南米大陸をバイクで旅した

記録を映画化したのが「モーターサイクル・ダイアリーズ」だ。

彼のイメージしか知らない僕は、あまりにも彼の生い立ちとのギャプに

少々面食らった。キューバ人ではなくアルゼンチン人。

ゲリラの卵ではなく医者の卵。

頑強な肉体の持ち主ではなく喘息持ちの青白い青年。

ただひとつ予想通りだったのは、社会の底辺で生きる人々を救おうとする心。

普通の人間なら、いやらしい偽善者にみえるのだが、

彼はその救おうとする心が壮大なるロマンにみえてしまう。

まだ学生のころ、なんの権力もなく、なんの金もないく、

無駄な若さだけがあり余っていたいた頃、

四畳半の友人の部屋で語ったあの気持ちを思い出す。

「このままの日本ではいけない。もっと、海外の人を受け入れなければ、

国際社会の一員とはいえない」

「いまここで酒を飲んでいることさえ浪費だ。みんなで金をためて

食べることさえままならない発展途上国の人々に物資をおくろう」

「いやそのレベルでは甘い。海外青年協力隊に参加して

苦しんでいる人々に技術を教えてあげよう」

「個人で動いても仕方ない。政治家になってこの国を動かす。

世界一のODA国家にしてみせる」

狭い空間で延々と議論した。

しかし、次の日が来ると、あたりまえのように腹が減り、

安い定食屋で日替わりの大盛りを頼み、合コンの話でもりあがるのだった。

この映画は、チェ・ゲバラが旅をするうちに、社会のひずみ、貧富の差、

病気をもつ者への差別に心を痛め、自分の中に内包する正義感、

理想社会実現への夢が芽生えはじめたところまでを描いている。

僕らとレベルが違うかもしれないが、

学生時代に誰しも持っていた純真な気持ちを思い出させてくれる作品だ。

ぜひ、若き日の純真を思い出したい方におすすめします。

志を大志にして

(今日のコトバ)

 

生きる道が違ってきたら、

生きる顔が違ってきた。

 

 

 

志した瞬間から人は変われる。新しい目的を捉え、

新しい道を歩き出せば、志が雰囲気を変える。

同じ志をもつ何かも引きつける。

そして、志した人自身の顔を変えてしまう。

志を表現した顔は、志通りの行動を生み、

人生の大志を貫徹できる。

自分の生き方の方向性が定まったら、

その道を思い切り邁進しよう。

スタートは不安がいっぱいだが、

信念をもってデコボコ道でも歩き続ければ、

やがて、あなたの思い描いた約束の地へたどり着くはずだ。

さあ、志を大志にしてあの場所まで行ってみよう。

ちょっと足を動かせば

(今日のコトバ)

 

つまらないとつぶやいた時、

あなたの足は止まっている。

 

 

 

「つまらない、何かいいことないかな」

と、口にしてつぶやている時って、誰にでもあるはず。

当然、まわりに楽しい出来事がなく、なんとなく、

刺激のない日々が続いているからだと思う。

でも、少しだけ自分の状況を考えてみてほしい。

つまらない時って、何も行動していない時ではないだろうか。

自分からのアクションを仕掛けてない時ではないだろうか。

つまり、「つまらない」のは自らまねいた結果だと思うのだ。

ならば、目標をつくって、アクションを起こせばいい。

ちょっとドキドキすること。ちょっと上達したいこと。

ちょっと企画してみたいこと。ちょっと挑戦してみたいこと。

ちょっと、ちょっと、ちょっと、、、。

小さなことでいい。ほんのちょっとだけ足を動かせば、

「つまらない」なんて言葉は忘れてしまう。

健康な人が健康な時、健康という言葉を忘れてしまうように。

さあ、ちょっと足を踏み出そう。ちょっと行動を起こそう。

明日、「つまらない」という言葉があなたから去ってしまうように。

新しいあなたがスタート

(今日のコトバ)

 

明日になれば、

すべての人生が「はじめまして」。

 

 

 

 

とても嫌なことばかりがあって、不愉快がカラダに充満している。

イライラしてすぐキレてしまう。自分から人との距離をおいて

どんどん孤立していく。「今日という日は最悪だ」と思っている人は

大勢いると思う。でも、長い目でみると人生は、そんな日も必要なのだ。

人間は、嫌なことがあるから、いいことが嬉しいし、

不愉快になったから、愉快になろうとするし、

イライラしたことがあるから、穏やかな自分を大切にするし、

孤立した経験があるから、協調性をもつ。

受験生のストレス、試合前の緊張感、プレゼン日の胃の痛みなども、

確かに重圧感は大変なものだが、終った後の爽快感や

その壁を乗り越えた自信という財産は、また、新しいあなたをスタート

させてくれる。人間関係で上手くいかなくても、悩んだ時間が

その後の社会で生きてくるはずだ。

だから、明日に期待をもとう。明日に夢をもとう。

明日になれば、また、新しい人生がはじまるのだから。

絆は一日にしてならず

(今日のコトバ)

 

できることの限界を、

人の絆で拡大していく。

 

 

 

人と人との深い絆のもと、ひとつの目的にチャレンジすれば、

一人でチャレンジするより大きな力を生み出せる。

その絆が強固であれば強固であるほど、

大きな力になり、実力をサポートするブレーンになってくれる。

一人より二人で。二人より三人で。三人より四人で。

ブレーンが増えれば増えるほど自分の限界も広がるはずだ。

ただし、本当の絆で結ばれていない関係の場合、

自分のブレーンとして必ずしも役立つとはいえない。

むしろ、足をひっぱったり、利用するだけだったり、

裏切ったり、自分の人生にマイナスの作用しかしない

偽の絆があったりする。

どこかの親族・兄弟のように、血を分けていても絆を

結べない関係もある。

だからこそ、日々の付き合い方は重要だ。

「この人は」と思う人は大事に絆を育まなくてはいけない。

絆は一日してならず。毎日の行いによって

ゆっくりとゆっくりと結ばれていくものなのだ。

新鮮な気持ちでトライ

(今日のコトバ)

 

体験をいっぱいした未熟者であれ。

 

 

 

経験を積めば積むほど、新しい出来事が新鮮でなくなったりする。

いままでのアタマやカラダで覚えているデータが、

「こんなもん」と勝手に判断してしまう。

「わかりきっているから楽勝だ」と指令を下す。

もちろん、回数を重ねているのに何も覚えず

ミスばかり起こすのもいかがなものかと思うのだ。

だが、例えば、就職の面接のマニュアル本なので、

面接官との想定問答集がある。で、その通りに答える人は、

まず、面接官はとらない。履歴書だって、同じホームで

書いてきたら埋もれてしまう。

バブル期のように大量採用ならいざ知らず、

一人でも魅力的な実力のある人間を採用するには、

他と違った個性が見えなければならない。

面接官は同じような質問をしてくるが、

同じ人ではない。様々なアングルで、個人のものさしで人をみる。

紋切り型の答えをよしとする人もいるが、

斬新な答えを求める人もいる。そして、

圧倒的に記憶に残り採用に近づく人は面白い人だ。

履歴書だって、書き方からして何人もほぼ同じ内容だと、

その人から選考対象外とする。工夫のある履歴書の方がいいに決まっている。

だからといって、まったく奇想天外なことをしろといっているわけではない。

基本は、培った体験でいいのだが、その場その場でより自分の

魅力を、他の人との差別点をアピールする必要性があると思う。

そのためには、毎回、新鮮な気持ちで出来事にトライし、

どうしたら面白くなるかを前提に考えればいい。

よい結果を生む結第一歩は、そこからはじまる。

面接官をやるようになって約10年、つくづくそんなことを思った。

笑いで心のアカを落とす

(今日のコトバ)

 

死の一秒前まで、笑いを探せ。

 

 

 

腹の底から笑えることが少なくなった。自分の環境の中でも、

自然発生的に笑うことがあまりないような気がする。

仕事の中で結果ばかり追い求められ、追いつめられる。

特に売り上げという名の数字はやっかいで、

数字=人間的評価と考える企業やボスもいて、

確かに笑っている場合ではない状況もある。

でも、あえていう。自分のまわりに笑いがなくてはダメだ、と。

笑いは、生きていくことで汚れた心のアカを落とせる

人間の高機能。使わなければ心が錆びて動かなくなる。

心が動かない人は、喜怒哀楽がなくなり、顔の表情も動かなくなる。

だから、笑いの機能はいつでも使えるようにするべきだ。

たとえば、いつも一緒にいる友や同僚や家族と会話や行動で笑う。

テレビやラジオで笑いのある番組をたくさんみる。

ダウンタウンや爆笑問題、エンタの達人系もいいだろう。

本当は、僕らの少年の頃に起こったマンザイブームの時の

ツービート、やすしきよし、B&B、ザ・ぼんち、紳助竜助、

明石家さんま、そしてドリフターズなどなどの笑いの使者が

たくさん排出した時代のように、笑いが日本中に充満すればいいのだが。

さらに、自分自身が笑いの発信源になって、

世間を笑わせる、喜ばせることができれば最高だ。

自分の笑いで、人が笑ってくれたらこの上ない幸せを体感できるのだ。

とにかく、笑いを毎日探そう。一生探そう。

誰でも簡単に心のアカを落とせるのだから。

そして、心のアカは一生落としていかなければならない汚れなのだから。