ここぞという時、信じて行動する

 

(今日のコトバ)

 

疑っている人は、

信じている人より強くなれない。

 

 

 

半信半疑でやってみる。

疑いながら様子をみる。

確信が持てない人は、

全力ではなく

恐る恐る行動する。

そうなると、

信じて全力でやる時とは、

力の入れ方が違う。

全力が100%の力だとすると、

半減の力しか発揮できないことも多い。

何かに挑む時、

状況によって、

気持ちは違うと思う。

ただ、ここぞという時、

疑いながら行動すると

いい結果は得られない。

できるだけ情報を集めて、

信念を持って、

全力を発揮できる環境をつくる。

とにかく、自分の精一杯で挑む。

そんな心がけで生きていく。

疑って生きるより、

より面白い人生になるはずだ。

今日を全力で生きることが、明日への指針になる

 

(今日のコトバ)

 

今日、全力を尽くすことが、

明日への種まきになる。

 

 

何が明日へプラスになるのだうろか。

考えてみると、

希望を持って、

計画性を持って、

前向きに、

戦略的に生きる等、、。

すべて間違いではない。

ただ、どれもが未来のことなので

漠然としてしまう。

あたりまえだが、

未来に対して腹のくくりが

足りないような気もする。

そう思うと、

一つだけ正しいことがあるとすれば、

今日を全力で生きて、

明日へつなぐということ。

今日までの積み重ねが

明日への財産になる。

そこだけは、

それほど間違っていないと思う。

人生、生きていれば

いろいろなことがある。

それでも、今日一日を全力で生きていく。

それこそが、

明日幸せになる礎になる。

そう信じることが生きる指針になると思う。

良心に従った道を選ぶ

 

(今日のコトバ)

 

 

良心の声は、

小声になるから

耳を澄ませて聞いてあげよう。

 

 

 

誰にも良心がある。

「これが正しい」

「これをやってはダメだ」

自分が良いと思う基準を

心は持っている。

ただ、自分の置かれている状況で

良心のまま行動するか、

良心を無視して行動するか分かれてしまう。

ワルいことだとわかっていて、

良心と違う道を選択してしまうのだ。

その時、どれだけ良心の通り生きれるか。

それが人間性にかかわってくる。

どんな状況でも

良心の通り生きなくてもいいが

人として道を踏み外してしまうと

良心が騒ぎ出したら、

絶対に良心に従う強い気持ちを持つ。

人生は必ず生きるための選択を迫られる。

その時、ちゃんと良心に従った道を

生きていきたい。

 

「誰かのために」は気持ちいい

 

(今日のコトバ)

 

「誰かのために」を目標の枕詞に。

 

 

 

自分のために、

自分だけに、

自分さえ良ければ、、。

そう思って生きることは多い。

綺麗事ではいい人を演じても、

本音は自分の得だけを考えている。

その結果、自分だけが得をすると、

ワルい気持ちは少ない。

ただ、凄くいい気持ちになるかというと、

そうでもない。

何かが欠けている。

素直に喜べない。

心の奥の奥では、

気持ちが落ち着かない。

なぜか?

それは、自分以外の誰も

得にしていないことにある。

自分が得しても喜ぶのは、

ほとんどの場合、自分だけ。

それではつまらない。

もっというと、得は自分のみだが、

幸せとなると、自分一つでは成り立たない。

分かち合える誰かがいて欲しいものだ。

よく誰かのために何かをしてあげると、

感謝されるされないにかかわらず、

自分が気持ちいいことがあると思う。

感謝されれば、さらに気持ちよくなる。

自分一人で得したより、

よっぽど気持ちいい。

そう思うと、

一つ一つの成果を求める時に、

自分の気持ちと同時に

「誰かのためになる」ことを

目標にするのはワルくない。

自分が気持ちよくなって、

誰かも気持ちよくなる。

その結果、また、自分が気持ちよくなる。

二倍も、三倍も、

自分が気持ちよくなれる。

こんな世知辛い世の中で、

それほど気持ちよくなれるものも少ない。

「誰かのために」を意識して

生きていこう。

 

自分の生きる空間に好きな人をつくろう

 

(今日のコトバ)

 

愛する人がいると、

明日の答えがすぐ見つかる。

 

 

 

自分の生きる空間に

好きな人がいると、

俄然、生きる意欲がわく。

例えば、学校。

例えば、会社など、、。

「その人に会える」と思って、

その場所に行くのは楽しくなる。

嫌いな人や

不機嫌な人ばかりの場所へ行くより、

やる気が違ってくる。

もっというと、好きな人がいれば、

今日のやるべきこと、

明日のやるべきことが、

明解になってくる。

好きな人のためにと思うと、

想像力も働いてくる。

だからこそ、

自分が生きる空間に

好きな人、愛する人をつくろう。

それは、勉強や仕事より

大きなモチベーションになる。

人生、モチベーション高ければ、

気持ちよく生きられる。

いい人生のためのステップだ。

笑顔で人生をスムーズに

 

(今日のコトバ)

 

はじめに笑ってしまえば、

幸せは動きやすくなる。

 

 

笑顔になる。

仏頂面や不機嫌な顔でいるより、

少し嬉しい気持ちになる。

笑顔であれば、

とりあえず話のきっかけも

スムーズになる。

ワルいことは、あまりない。

いいことは、結構ある。

もちろん、笑っている場合ではない時に

笑顔でいられると、

イライラすることはある。

だが、それでも、

笑顔は最高のコミュニケーションツール。

コミュニケーションがうまくいけば、

その後の状況もよくなる。

笑顔。

それだけで得るものは、

あまりにも大きい。

だからこそ、

笑顔になれる時は、

笑顔でいた方がいい。

仏頂面や不機嫌な顔で

滞ることが、

笑顔ではスムーズなる。

笑顔を大切に使って、

人生を有意義にしたいものだ。

人生を支え合って生きる強み

 

(今日のコトバ)

 

助け合った弱みは、

支え合う強みになる。

 

 

人は誰でも弱みをかかえている。

そして、

その弱みを誰かに助けてもらいながら

生きている。

「弱さを誰かに助けてもらう」

言葉だけだと、

自分が弱いから誰かの力を使って、

やりくりしているように聞こえる。

一部は正しいが、

誰かに助けてもらう効果は、

それだけではない。

助けてもらうと相手に感謝する。

相手が支えが欲しい時、

支えてあげることもできる。

支え合うことができるのだ。

その関係が結べれば、

弱さで支え合いはじめたのだが、

世の中に立ち向かっていくための

強みにもなる。

もちろん、どちらかが一方的に

助けてもらっているだけでは、

強みにはならない。

ただ、相互関係で支え合えば、

人生にとっても大きな強みになる。

いま、自分に助けてくれる人、

あるいは、助けている人はいるか。

そのどちらかがいれば、

支え合う関係はできる。

人生、支え合って生きていけるほど

安心できることはないのだ。

幸せを持っていること

 

(今日のコトバ)

 

誰かを幸せにするためには、

自分が幸せを持ってないとね。

 

 

 

自分以外の誰かに何かをしてあげる。

そのために必要なものは何か。

それは必要なものを

補ってあげることになる。

とすれば、

誰かを幸せにしてあげたいと思ったら、

自分が幸せを持っていないと

はじまらない。

幸せでもない人間が、

幸せになりたい誰かを

幸せにすることできない。

簡単ことだけど、

人は幸せとなると意識が変わってしまう。

例えば、愛する人にだと、

自分が幸せであるかないかに

かかわらず、幸せを届けたいと思う。

それが人間の感情なのかもしれない。

ただ、持ってないものを

あげることはできない。

それが原則。

幸せも同じこと。

どうしても幸せを届けたいなら、

届けたい幸せを自分を持っていること。

持っていないで届けようとすると、

人生、苦しむことになる。

そのために、自分も幸せでありたいと思う。

 

大人という永遠の課題

 

(今日のコトバ)

 

大人になるということは、

みんなバカというワクチンを

打ってきたのだ。

 

 

 

どうにかこうにか大人になった。

大人のカテゴリーに入れられて、

長い時間も過ぎた。

だが、大人になった自覚はないし、

どこからが大人の境界線かも

わからずにいる。

社会の仕組みだけが大人を突きつけ、

それこそ大人しい顔をして生きている。

大人、、。

なんだか難しい言葉だ。

ただ、一ついえることがある。

それは、人間は生きていると、

失敗、間違いなどを経験して、

繰り返して成長してきた。

それらを蓄積すると、

大人というカテゴリーに

入ったような気がする。

いいワルいではない。

大人になることは、

難しく、わかりづらい。

それでも、大人として生きていくのが

人間。

どうやって大人を受け入れていくか。

人生は、

大人という永遠の課題と

付き合っていくのかもしれない。

 

 

お金以外で信頼関係を

 

(今日のコトバ)

 

貸し借りは、お金以外で。

 

 

ある人にいわれたことがある。

「お金は貸しても人間関係が終わるし、

借りても人間関係が終わる」と。

ほんとうにそう思う。

貸した場合はわかりやすい。

ちゃんと返ってきても、

簡単にお金を借りる人を

徐々に信用しなくなる。

返さなければ、

一気に信用しなくなる。

借りる時点で、信用は低下するといっていい。

ただ、借りる人の状況を考慮すれば、

仕方ないと思うこともある。

それでも、信用はできなくなるは多い。

反対に借りても、

人間関係は難しくなる。

大金を借りたことはないが、

少額でも忘れて返さないと、

「あの時、貸しただろう」といわれて、

かなり怒りモードになられたこともある。

貸した方からすればあたりまえだ。

だが、あまりにも返済要求が激しいと、

そんな人とは付き合いたくないと思う。

いずれにしても、お金の貸し借りは、

人間関係にいい影響は及ぼさない。

もし、貸し借りするなら、

お金以外がいい。

知恵と知恵。知識と知識。モノとモノ。

人力と人力など、、。

お金でない何かを貸し借りする。

お金以外だと、人間関係が

より円滑になって、

信頼を深めることにもある。

長く生きていれば、

どうしたって

人に貸し借りをつくる場面はくる。

その時、お金以外で、

貸し借りを考えてあげる。

それこそが信頼して生きるための

秘訣になるはずだ。