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(今日のコトバ)
気と、言葉と、心の、
あたたかい遣い手になろう。
自分にとって、
気持ちよく過ごせる環境は
何だろうと思う。
それは、まわりの人が、
気遣い、
言葉遣い、
心遣いを丁寧にしてくれる人が
いるではないか。
もっというと、何かをしてくれる時に、
あたかさを感じさせてくれる人が、
まわりにいてくれることだと思う。
もちろん、過剰に気を遣われたり、
言葉や心を遣われると困ることもあるが、
それでも、遣われないよりはいい。
だからこそ、
自分も、気と、言葉と、
心のあたたかい遣い手に
ならなくてはいけない。
まわりの人に
あたたかい遣い手を期待するなら、
まず自分から遣い手になる。
自分が気持ちよい環境で過ごすための
それが第一条件となる。
「いい言葉をおくれば、
いい言葉が返ってくる」
という格言を聞いた気もする。
まずは自分から、
気と、言葉と、心を遣う。
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
打席に立たなければ、
絶好球だって見逃すしかない。
プロ野球の世界では、
打率が高いことが実力の証明になる。
2割5分よりは、2割8分。
2割8分よりは、3割。
3割を継続的に打てる人は、
打者としての実力があると思われる。
ただ、人生はどうだろう。
そもそも、3割の確率で
人生の勝負事に勝てる人はいるのだろうか。
勝負事にもよるが、
3割など夢の数字。
1割でも大成功といえる。
さらにいえば、
人生で大切なのは、
打率よりも打席。
どれだけ人生の勝負事で打席に立てるか。
打席に立つことが多ければ、
打ち返す数が増える。
打ち返せば、その勝負に勝つ可能性も増える。
いま、人生の動きがよくないと思っている人は、
とにかく、打席に立とう。
挑戦することをはじめよう。
そこが、人生を大きく変えるきっかけになる。
打率という精度より、打席という挑戦の数。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
優しい人って、
あなたのつらさを
少し引き受けてくれる人なんだ。
漠然としてよくわからない。
「優しい」とはどういうことか。
誰かのことを、
「あの人は優しい人」という。
まわりの人もそう思っている。
ただ、個々人で優しさの基準は違うし、
ほんとうに優しいかどうかもわからない。
あくまでも漠然と、
優しい人といっている。
そこで、
自分にとって優しい人を考えてみる。
優しいと思うのは、
困っている時、
助けてくれる人。
辛い時、
あたたかい言葉をくれる人。
悲しい時、
隣りにいてくれる人、、。
そういう人には優しさを感じる。
サポートしてくれる人ともいえる。
もう少し深く考えてみると、
自分の辛さを少し引き受けてくれる人
ともいえるだろうか。
そう定義すると、
自分の親友だったり、友達だったり、
人生で培った期間がある人になるが、
それ以外でも、仕事で出会った人、
病院の先生、看護師の方々とか、
数えればいくらでもいる。
辛さを少し引き受けてくれ人がいる。
そんな人がたくさんいたら、
人生は素晴らしいものになる。
何かに挑む時も、
恐れずに向かっていける。
誰かという優しさを持った人がいる。
そう思えれば、
人生が前向きになる。
人生に優しさを。
人生に優しい人を。
生きるために大切なことだ。
(今日のコトバ)
人間の回復力は、
地球上でいちばん早い、おそらく。
ケガだったり、
風邪だったり、
感染症だったり、
さまざまな疾患にかかる。
そして、生きている間に、
たくさんの疾患を乗り越えて生きている。
一つ一つの疾患の回復力は、
脅威といっていい。
ある程度の疾患は、
跡形もなく治ってしまう。
もちろん、人により個人差はある。
人という生きものだけが医学を発達させ、
その治癒能力を高めたともいえる。
ただ、それでも、
人はいち早く回復する生きものに違いない。
その長所を人生に使わない手はない。
とにかく治るものは治るのだから、
いち早く治療して、いち早く治す。
それだけで健康である期間が延びる。
人が幸せになるためには、
健康が必須条件。
そのことを意識して生きていこう。
(今日のコトバ)
未来は、「いま」産声をあげるもの。
「いま」は一瞬で過ぎていく。
1秒先、1分先が未来だとすると、
あっという間に未来が来てしまう。
もちろん、何十年も先の未来もある。
ただ、遠い未来は、それこそ予測不可能。
予測しても、その通りにはならない。
だからこそ、未来ともいえる。
だが、未来であっても、
自分の人生なら、ある程度、
自分の予想の範囲で進んでいってほしい。
だとすれば、
「いま」も未来とカウントする。
一番人生を自在に使える「いま」も
未来だと考える。
「いま」は、未来だ。
そう思って生きていけば、
自分はいつも未来の人。
少し先行く人とも思える。
なんだか希望も持ててくる。
人生は一瞬一瞬の連続。
その一瞬は、「いま」という未来。
いつだって、自分が手にできる希望。
そんな気持ちで生きていきたい。
(今日のコトバ)
楽しいから人生は大きく花が咲き、
苦しいから人生は深く根を張る。
人生は、楽しいことも、
苦しいこともある。
楽しいことばかりがいいと思うけれど、
そうはいかない。
かといって、苦しいことばかりでもない。
そして、楽しいこと、苦しいことは、
着実に人生の役に立っている。
楽しかったことは、
生きていくことを
素晴らしいものに仕立ててくれる。
苦しかったことは、
生きていくことに
強くなれる礎をつくってくれる。
どちらも必要なことなのだ。
いま、
誰もが様々な状況の中で生きている。
そのどれもが人生とって役立つと思えば、
生きる意欲がわいてくる。
楽しいことも大切、苦しいことも大切。
そう意識して、
全部まとめて自分のものにしよう。
(今日のコトバ)
「つづく」は、永久不変のスローガンです。
「続けてきたものだけが生き残る」
人類の進化は、これに尽きる。
年をとるとそう感じることが多くなった。
反対にいうと、あたりまえだが
続けられなくなったものが終わっていく。
そして、何かの格言ではないが、
変化に対応したものだけが
生きの残るのだ。
もちろん、
技術革新で絶えてしまうものもある。
だが、何かの変革があって、
変化すれば
生き残ったものばかりのような気がする。
年をとると、
その変化についていけなくなる。
だからこそ、
変化についていくためにも、
続けていくことを大切にする。
特に、自分の勝負するべき分野のものは
続けていく。
ドラマのラストシーンも描いている。
「つづく」と。
「つづく」によって、
世界のすべてが動いていくのだ。
(今日のコトバ)
言葉を絶対に忘れて欲しくなかったら、
「誰にもいうなよ」といえばいい。
「誰にもいうなよ」とか、
「お前だけにいう」とか。
自分だけ特別に秘密を明かしてもらうと、
その話しは、
その言葉は、なかなか忘れない。
なぜかと考えてみると、
その一言を前につけられるだけで、
自分は信頼されていると思える。
思った瞬間、集中力が増し、
話しや言葉を記憶しようとする。
いいか、ワルいかはわからない。
ただ、この作用を使って、
自分の伝えたいことを
相手の記憶にとどめさせることは
できそうだ。
普段の話しではなく、
とても大切な話しをする時、
枕詞として、
「誰にもいうなよ」という。
それだけで、相手の記憶に刻めるなら、
自分としても本望だろう。
話しや言葉は、
常に伝言ゲームになり、
微妙に伝わり方が変わってしまう。
自分から正しい情報を発信したい時、
枕詞は武器になる。
意識していい武器だと思う。
(今日のコトバ)
チャンスの前に、
安全第一の看板はかかっていない。
チャンスが訪れる時を、
確実に把握することはできない。
突然来ることもあるし、
偶然来ることもある。
もちろん、
必然としてやって来ることもある。
ただ、一言いえるのは、
チャンスが来る時に
安全な状態で来ることはないということ。
危険な状況だったり、
困難な状況だったり、
未来がわかない状況だったり、、。
「ラッキー!」と呼べるような
簡単で軽い状況はほぼない。
それでも、向こう見ずに
挑める者だけがチャンスを捉えられる。
人生を変えるほどのチャンスは、
それほどやってこない。
その中でチャンスを
しっかり捉えるには、
勇気があることが絶対条件。
チャンスは勇者に降臨する。
そのことを忘れてならない。
(今日のコトバ)
可能性は無限大だから、
100点なんて小さな数字は
大きく超えていこう。
人の可能性はわからない。
どんな可能性も、
やってみて初めてわかることが多い。
「想像よりできた」
「思ったほどの力がなかった」等
絶対に誤差がある。
だとすれば、
限界点を勝手に決めて、
終わりにする必要はない。
できるだけやってみる。
行けるだけ行ってみる。
自分があきらめない限り限界はない。
そう思うと、
何も100点縛られることなく、
できるところまで極めればいい。
できることを大きく伸ばせば、
それは自分の能力になり、戦力になる。
他の誰かより秀でる力になるはずだ。
人生は一度きり。
自分の能力が優れている世界で
生きた方が楽しい。
そのために、限界を決めないで生てみる。
人生、夢と共に行けるところまで
行ってみよう。
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