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(今日のコトバ)
生きてみたら、
人生の行き止まりなんて
どこにもなかった。
人生は進んでいく。
前へ、前へと進んでいく。
命果てるまで
歩みを止めることはない。
道は往路復路ではなく、
往路がまっすぐ続いていく。
人生は一本道なのだ。
そう思うと、
生きていく途中で
行き止まり感があったり、
閉塞感があったりしても、
進んいる気持ちになれる。
「生きる」
その言葉の中に、
前へ進むという意味が
込められている。
だからこそ、
人生にどんなことがあっても、
前へ進んでいると捉える。
常に新しい状況に
突入していると捉える。
その気持ちを意識して、
生きていくことが大事なのだ。
(今日のコトバ)
人の足を引っ張っている限り、
自分の手は何もつかめない。
自分がイケてないと、
自分のまわりにいる人の
足を引っ張りたくなる。
嫉妬というか。
屈折というか。
自分の状況が
よくないということだけで、
足を引っ張ろうとする。
まったく情けないことだ。
そんな気持ちを払拭するには
どうしたらいいだろう。
それは、人の足を
引っ張っている間は、
自分の手は
何もつかめないということを
意識すること。
気持ちや意識が、
他人の足を引っ張るために
動いていたら、
自分の目標への挑戦は
足踏みしてしまう。
後退してしまう。
何もプラスにならない。
もっといえば、
足を引っ張っていることが
わかれば、
相手は敵意を向けてくるし、
まわりの人間も、
卑怯な人間と距離を置きかねない。
だからこそ、
足は引っ張らない。
自分の目標をもう一度を見直して、
襟を正す。
目標さえブレなければ、
正しい道に戻れる。
そう信じて生きるのだ。
(今日のコトバ)
運命をまかせるのは
天ばかりじゃなく、
できる限り自分に
まかせるのだ。
人生の運を天にまかせるという
ことがある。
大きな運命になれば、
コントロールできない要素が多く、
どこかで他力本願になってしまう。
ただ、運を天にまかせる部分は、
できるだけ少なくした方がいい。
運といえど、
絶対成功する、
絶対勝てるというものもある。
その時、手を抜いてしまったら、
成功するものも
成功できないことに
なってしまうこともある。
運をコントロールできるものは、
着実にコントロールする。
大きくて壮大な状況でも、
最後の最後まで全力を尽くす。
人生何が起こるかわからない。
運も何が起こるかわからない。
できうる限り自分の能力で
頑張ってみる。
そこに運を自分のものにする
愚直であたりまえだが方法がある。
とにかく、運を自分以外にまかせない。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
人は、
背中を押されて
大きな器になる時がある。
「誰かに一言いってほしい。
その一言があれば一歩進める」
そんな気持ちになったことは
何度もある。
「自分だけでは踏ん切りがつかなくて、
誰かの力を借りたい」と思うことが
あるはずだ。
状況はいろいろある。
性格の違いもある。
ただ、自分がやろうと思って
踏ん切りがつかないなら、
誰かの力を借りるのもいい。
背中を押されて、
一歩前へ踏み出して、
目標に近づいていく。
人生は、
ちょっとしたことで
大きく変わっていく。
背中を押してほしいなら
押してもらう。
そういう人が自分にいてくれる
生き方を意識する。
勢いをつけて生きるための方法を
自分でも持つべきだ。
(今日のコトバ)
明日があるということ。
つまり、セカンドチャンスが
あるということ。
今日だけではなく、
明日のことを考えられる。
明日以降の予定を入れられる。
あたりまえのように考えているが、
この明日以降に予定を
入れられるということは、
生きていく上で、
セカンドチャンスが
あるということ。
明日以降にやりたいことを
計画できるだけでなく、
今日の失敗を取り返すために
明日を使える。
今日の後悔を反省するために
明日を使える。
今日までの生き方から、
明日をどうにでも使うことができる。
そのことを理解して生きると、
明日がとても貴重なものになる。
もっと大切に生きようと思う。
明日があるということは、
人生にとっての最高のオプションであり、
セカンドチャンスでもある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
ほんとうの幸せは、
シェアすると増えていくもの。
シェアとい言葉が正しいかどうか
難しい問題だが、
幸せは一人占めしても、
有効に機能しない。
自分が幸せだと思った時、
自分以外の誰かも
幸せな気持ちになっている。
そういう状況にならないと、
幸せは満喫できない。
そう考えると、
幸せは一緒に喜べる人が
いればいるほど、
大きくなり機能する。
幸せは、
決して一人称では
感じられないのだ。
いま、あまり幸せを感じない人は、
まわりのみんなが喜ぶことを
やってみよう。
その喜びが、
自分とまわりのみんなの
喜びになった時、
幸せは大きく感じられる。
幸せはみんなでシェアすると、
自分にも大きなものになるのだ。
(今日のコトバ)
どんな結果になっても
右往左往しない実績を持て。
結果の方が右往左往する実績を持て。
一つ一つの結果は大切。
「結果がすべて」ということもある。
だが、結果ばかりを求められて
ヘキエキしている人もいるだろう。
ほんとうは、結果を求められる戦いで、
連戦連勝、無敵などはありえない。
時に、負けることもある。
時に、失敗することもある。
時に、達成しないこともある。
時に休むこともある。
第三者に
結果だけでものをいわれたくない
こともあるだろう。
その時、何が必要になるか。
それは、
いままでの実績ではないだろうか。
いままでの実績があれば、
一度の結果で
四の五のいわれることはない。
「いつも頑張っているから」とか、
「たまには失敗するよ」とか、
いままでの実績がフォローしてくれる。
もちろん、
ボクシングの世界タイトルマッチのように、
一度の敗北ですべてを失うこともある。
ただ、日常の戦いは、
結果の前の実績がものいうことが多い。
だからこそ、日々の物事の取り組み方で、
結果だけでものをいれない
生き方をしよう。
仮に、望んだ結果でなくても、
一喜一憂しない、
一喜一憂させない生き方をしよう。
次に、また意欲的に挑める気持ちを
つくるために。
実績をつくっておくことが大切なのだ。
(今日のコトバ)
真実は、
口から外に出るのが怖くて、
心にとどまろうとする。
真実は必ずあるけれど、
「それをいっちゃお終いだよ」と
思うことが多々ある。
なるべく真実を隠して、
できれば、真実に触れないで、
人間関係を保とうとすることもある。
時に、その真実を明かしたことで、
人間関係を複雑にして、
良くない方向に行ってしまうこともある。
真実を隠したことによって、
人間関係を保つことができることもある。
真実。
途轍もなく大きなものをもっている言葉。
真実は一つかもしれない。
ただ、真実をそのまま使うか、
真実とは違う話をするか、
真実には触れないか。
そこが人間のインテリジェンスにも
かかわる。
人生のさまざまな問題に
かかわる。
だからこそ、
真実という言葉を大切にしたい。
そこを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
奇跡は止まっていては
起こらない。
夢中になって前進した先に
贈られるギフトだ。
奇跡。あるいは、
奇跡とまではいかなくても、
人生にとってのいいサプライズを
人はどこかで求めている。
頻繁に起これば嬉しいし、
意識の片隅で
期待しているところもある。
その奇跡や人生のサプライズを
体感したいなら、
人生を止めていてはいけない。
夢、目標をつくって前進する。
夢中になって
取り組むことが大切。
特に、夢中になることが
奇跡に近づく
いちばんの方法のような気もする。
もし、いま、人生に奇跡を
起こしたかったら、
夢中になれる時間をつくろう。
その時間が長くなれば
奇跡は近づいてくる。
自分の人生を素晴らしいものに、
有意義なものにしてくれる。
夢中が奇跡のきっかけになるのだ。
(今日のコトバ)
「かわりになる人は、いくらでもいる」
というけれど、
あなたのかわりになる人は
絶対いない。
仕事などで、
上手にできない人や
やる気のない人がいると
「お前のかわりなんて、
いくらでもいる」と
嫌味をこめて上司が
いうことがある。
ある意味、本人のモチベーションを
鼓舞しようとする言葉かもしれないが、
この言葉ほど無駄な言葉はない。
まず、いっている人は、
ただ、腹が立つのを解消しているだけ。
その先のことはほとんど考えていない。
いわれた側は、
とてつなく傷つく。
もしくは、
感じないタイプの人は、
まったく意に介さず聞き流す。
どのパターンも
意味のあるものにはならない。
もっと本質的なことをいえば、
「かわりになる人などいない」のだ。
人は、一人一人唯一無二。
他の誰でもないし、
誰とも違っている。
本来は、
その違った能力を
最大限に発揮して、
有意義な人生をおくるべき。
そのことを肝に銘じて生きるべきだ。
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