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(今日のコトバ)
意志は敵をつくる。
だが、それ以上に
味方を得て道をつくる。
自分の意志をはっきりさせると、
反対の意見の人が現れる。
場合によっては敵になる人もいる。
違った意見なのだから仕方ない。
だが、はっきり意志を伝えることは、
味方をつくることにもなる。
同じ意見の人はもとより、
自分の意見に賛成してくれる人もいる。
両方向にさまざまな人がいる。
その中で、肝心なのは
意見の違う人。
最初は、意見が合わないで
敵になるが、
議論を繰り返し
時間が経つと
納得し合うこともある。
もっというと、
議論を積む過程で、
味方になることもある。
この議論を積んだ上で
味方になった人との絆は強い。
意見が合うだけの味方より、
よっぽど強固な連帯感がある。
だからこそ、
まず自分の意志をはっきりする。
そこで現れる味方も敵も大切にする。
反対の意見の人とは
誠心誠意の議論をする。
敵から強い味方が現れるかもしない。
敵と思われる人こそ意志を伝えるべきだ。
(今日のコトバ)
あなたのそばにいたから、
幸せでいることがうまくなりました。
その人のそばにいると、楽しい。
その人のそばにいると、元気がでる。
その人のそばにいると、ワクワクする。
そんな気持ちにしてくれる人が、
自分のまわりにもいるはずだ。
自分の属する組織の中にいる
ムードメーカーのような人。
その人と一緒にいると、
自分が幸せだと感じる。
幸せであることが、
楽しいことがあたりまえだと思える。
ただ、そう思えるのは、
ムードメーカーが
いるからこそだということを
忘れてしまう時がある。
組織が変わって、
転勤して、
ムードメーカーがいない場所に
配属されると、
とたんに楽しくなくなる。
つまり、幸せを感じなくなる。
だからこそ、
自分のそばにいて
幸せを感じさせてくれる
ムードメーカーは大切。
できる限り、
そばにいてもらう状況をつくる。
簡単には切れない関係を結ぶ。
ムードメーカーは、
幸せを運んでくれる人。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
明日になると
遠く行ってしまうけど、
今日ならなんとか
背中をつかめる運命がある。
大概において、
問題先延ばしは
良くない方向に進む。
ちゃんと解決しておけば、と、
後で悔やむことが多い。
今日の問題を今日解決する。
今日やれることは今日やっておく。
簡単なことのようだが、
面倒くさいことも多い。
だからといって、
先延ばしは痛い目にあう。
同じように、
今日がんばっていれば
追いつけるものを、
明日に延ばしたばかりに、
手の届かないことになることも
たくさんあった。
人生は、短い。
届かなくなったものを
探して、追いつくのは
大きな時間のロスだ。
そう考えると、
今日できることは、
今日やってしまう。
その繰り返しが
人生の運命をコントロールすると
いえるかもしれない。
運命をなるべく自分の思い通りに
したかったら、
今日を大切にしよう。
(今日のコトバ)
勢いは、
勇気の先で生まれる奇跡だ。
人生がいい方向に向かい、
自分もうまく調子の波に
乗ることができている。
そんな時、
人には「勢い」を感じる。
自分本人も感じるし、
まわりの人も感じる。
考え・行動すべてが
いい回転をはじめ、
実力以上の力を発揮する。
誰でも何度か経験があるはずだ。
理屈ではなく、勢いづくこと。
この勢いに乗るという状況が、
いつもいつも起れば素晴らしいのだが、
人生の中では、
ほんの一瞬でしかない。
できれば、この勢いに乗る状況を
たくさんつくりたい。
さて、どうするか。
確実なことはないかもしれないが、
一ついえるのは、勇気を出した後、
勢いの乗ることが多いということ。
勇気という一か八かの挑戦を行った時、
勢いが生まれることが多い。
だとしたら、
勢いを生むためにも、
勇気が必要な環境をつくる。
それこそが、
人生でたくさん勢いに乗る方法。
覚えておいていいことだ。
(今日のコトバ)
わき道、うら道、まがり道、
歩いてきたけれど、
振り返ってみると、
すべての道が
ここへ来るまでの花道だった。
人生という一本道を歩いてきた。
一本道といっても、
その道がわき道になったり、
うら道になったり、
まがり道になったりすることもあった。
まっすぐ歩くだけは解決しない。
無理を承知で前進しなければならない。
逃げてまわることもある。
人生は一筋縄ではいかないのだ。
だが、その人生を誰もが歩いてきた。
そして、いま、ここに生きている。
そう考えると、
みんな人生の難局を乗り越えてきたのだ。
そして、乗り越えてきた道は
すべて人生の花道。
自分の人生を飾る最高の舞台といっていい。
生きていると、
いろいろな道に出会う。
その道を花道と思って生きる。
堂々と生きるための考え方の一つだ。
(今日のコトバ)
愛とは、
信じることをドレスアップすること。
愛。
一言でいわれても、
いろいろな愛がある。
恋愛。親子愛。兄弟愛。
人間愛。動物愛。
仕事への愛。スポーツへの愛。
無償の愛、、、、。
何にでも愛をつけてしまえば、
愛は成立するようでもある。
では、愛とは何か。
それは、信じることの最上級では
ないだろうか。
もちろん、
まず最初に好きであることは
大切だが、
その根幹は、信じること。
さらにつけくわえれば、
信じることに、
意味づけがされていること。
人間が生きる上で、
大切にしたくて信じていけるもの。
それが、愛の正体のような気がする。
だとすると、愛は生きるために
絶対に必要なもの。
いつも自分が生きる隣りにいて欲しいもの。
愛が隣りにある人生。
そんな人生であれば、
生きることも素晴らしいものになる。
愛がある人生はいいものだ。
(今日のコトバ)
臆病に生まれたから、
努力というシャドーボクシングを
やめられない。
臆病者といわれる。
決して、
いい表現ではないのかもしれないが、
年をとるたびに、
この臆病という能力は、
大切な人間の能力のような気がしてきた。
まず、臆病だから危機意識が強い。
危ないと思ったら、注意を払う。
手を出さない場合もあるし、
おそるおそる着手することもある。
また、臆病だから準備を怠らない。
人にもよるが、臆病な人の方が
はじまる前の段取り・用意等を
きっちり行う。
さらに、臆病だから努力する。
特に戦いの場面になると、
相手に勝つために地道な修練を
コツコツ行う。
すべてが臆病という性格からくる
人の能力だ。
だからこそ、
臆病と呼ばれている人は
喜んでいい。
その能力を上手に使えば、
人生に大きくプラスになる。
臆病であることで
前向きに生きることは、
大切なことだ。
(今日のコトバ)
いつでも一緒に笑ってくれる人と、
泣きやむまで
一緒にいてくれる人がいれば、
人生はだいじょうぶだ。
人にとって、
いちばんの幸せとは、
何だろうか。
人それぞれ定義は違うと思う。
欲張りで大きな幸せを求める人があれば、
小さな幸せでも満足する人がいる。
幸せは目に見えない概念だけに、
人それぞれなのはわかる。
ただ、
一つの考えとしてこんな定義はどうだろう。
いつでも一緒に笑ってくれる人と、
泣きやむまで一緒にいてくれる人が、
自分のまわりにいてくれれば、
それは幸せといえるのではないか。
人の幸せは、
いちばん身近にいる人が
つくってくれている。
その人が、
自分の心に寄り添ってくれていれば、
こんなに幸せなことはない。
基本的なことのようであるが、
これができている人と
できていない人がいる。
そして、できている人は、
とても幸せな人生になっているはずだ。
いま、幸せが足りないと感じている人は、
いつでも一緒に笑ってくれる人と、
泣きやむまで一緒いてくれる人がいるか。
そこを考えてみて、
もしいなければ、
そういう気持ちいてくれる人をつくろう。
寄り添っくれる人をつくろう。
それが幸せへの近道。
素晴らしい人生を
生きるために必要なことだ。
(今日のコトバ)
嘘は、
嘘をついた者に
真実を連れて帰ってくる。
一つの嘘。
確信犯の嘘、
無意識の嘘にかかわらず
嘘は大きくなる。
人から人に伝わりながら、
話を盛っていく。
大きくなると、
それが真実のような顔をする。
そこからが問題だ。
真実のような顔をした嘘は、
真実かどうか調べられる。
その時、
真実ではないと思われると、
その発信者は誰かが問題になる。
どんどん元をたどられ、
誰が発信者かを突き止められる。
その発信者は真実ではなく、
嘘を発信しているとわかると、
発信者から人は去っていく。
だから、嘘は怖い。
ジョークで終わるような嘘はかわいいが、
人の人生をダマすような嘘は、
人として嫌われる。
そのことを肝に銘じて生きる。
人生にとって大切なことだ。
(今日のコトバ)
下積みとは、
日のあたらない上積みのことだ。
下積みという言葉が
昔から気にかかっていた。
下に積む?
何をもって下に積むのか。
歴史の中でつくられた言葉だから、
いちいち文句をいっても仕方ないが、
それでも下積みはピンとこない。
では、どういう言葉がふさわしいか。
それはもう上積みでいいのではないか。
「あの人、あの時期、上積みしたから
今の成功がある」
「あの厳しい上積み時代があったからこそ、
この成果があらわれたのだ」と。
決して、下という言葉を
ワルい意味で使っているのではないことは
わかっている。
縁の下の力持ちという言葉もある。
ただ、人生においての修行時代を、
下積みというより上積みといっても
いいのではないか。
いつも、そんな気がするのだ。
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