地道は、愚直にゆっくりと前進する

 

(今日のコトバ)

 

地道の道は地味だが、

決して後退することのない

一本道である。

 

 

 

言葉からして地味な、地道。

コツコツ、少しずつ、着実に。

そんな感じがする言葉。

だが、地道ほど成果があり、

前進するものもない。

とかく人は最短距離を選ぶあまり、

近道を行こうとするが、

近道にはさまざまな想定外がある。

近道だが間違っている場合、

近道したから本当の道が

どうなっていたかわからない場合、

近道したから脚力がつかない場合等、、。

近道だからラッキーとばかり

いえないこともたくさんある。

その点、地道は愚直にゆっくりと

前進するので、

時間はかかるが

成果は確実にあげてくる。

人生には、

いろいろな道の選択がある。

正解はないかもしれない。

ただ、

しっかりと成果をあげたい時は、

地道を選ぶといい。

時間はかかるが間違いなく

前進できる道なのだ。

 

冷静になることの必要性

 

(今日のコトバ)

 

遠くにいるから

わかることがある。

近くにいるから

わからないことがある。

人の心は

距離で測れない眼を持っている。

 

 

 

 

近くにいれば、

何でもわかるというものでもない。

近すぎて見えないものもある。

あるいは、見えすぎて、

うんざりして、

あえて、

見ないものもある。

近いという距離が

自分と相手の関係を

冷静に測れなくなるのだ。

反対に、

遠くにいるから

冷静に見れることもある。

距離があるから、

熱くならないで

正しい測定ができる。

もちろん、

遠くだと見えないものもある。

だが、頭が整理されて、

心が冷静になるには、

ある程度の距離が必要。

そう考えると、

人との付き合いも、

親しいからと近くに寄りすぎると、

判断を間違うこともある。

自分の相手の関係は、

時に距離を置いてみて、

冷静なって正しく測る。

特に、

親しい関係の人とは、

意識したいものだ。

解決法は夢中になること

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

夢中という弾丸になって

困難を突破していく。

 

 

 

生きていると、

様々な状況で

問題が起こる。

何もしない日でも、

突然、ふってわいたような

問題が起こる。

その問題が難しければ難しいほど、

人はジタバタする。

悩む。迷う。試行錯誤する。

ただ、その時、

いちばん早く解決法を導き出すのは、

自分が夢中になること。

様々な問題に夢中になって

取り組むことだと思う。

夢中になれば、

余計なことを考えないで

前進できる。

集中しているから、

答えまでの時間も短くなる。

人生には、

乗り越えなければならない

問題がある。

その問題に取り組む時、

夢中になる状況をつくる。

忘れてはいけない。

いちばん長く付き合う希少価値

 

(今日のコトバ)

 

なんどでも、

なんどでも、

なんどでも傷つきながら、

人は自分という最高傑作になっていく。

 

 

 

 

いまの自分は、

どう出来てきただろう。

一日で自分は完成しない。

長い年月がかかって自分になった。

それには、紆余曲折があり

痛い目にもあってきた。

どれだけ傷ついたかわからないほど、

傷を負ってきたと思う。

ただ、その傷つくことで

自分が磨かれたことも嘘ではない。

弱かった自分が、

少し強くなる。

出来なかった自分が、

少し出来るようになる。

少しずつ、少しずつ、

傷つきながら、

自分が磨かれて、

いまの自分になった。

少しずつ成長した自分は、

最高とはいえなくても、

とても大切なものになっている。

だれにも似ていない唯一の生きもの。

自分という希少価値。

その希少価値を大切にする。

自分とは、

人生でいちばん長く付き合う

希少価値なのだから。

弱い者の意地

 

(今日のコトバ)

 

弱い者は、

強い者ほど卑怯なことをしない。

だからこそ、

弱い者は強い者に負けてはいけない。

 

 

 

強い者の強さの中に、

ほんとうの実力とは違う卑怯な手が

あったりする。

戦術的に反則だったり、

あるいは、

欺いたりする手を使って、

弱い者より様々な手を使ってくる。

それも実力と考える人もいるだろう。

だが、卑怯であることには間違いない。

そして、弱い者が戦う時、

この卑怯な部分が欠けていることもある。

まじめに、

まっしぐらに戦っているのだが、

想定外の駆け引きにやられてしまう。

その想定外が実力ではなく、

反則や卑怯という戦術にあったりする。

そこで弱い者が負けていては、

いつまでも状況は変わらない。

弱い者だといって、

負けてはいけない。

必ずしも、

弱い者が負けるとは限らない。

正々堂々とやって、

弱いと思われていた者が勝つ。

人生には、

そんな戦いがある。

自分が弱い者でいる時、

覚えておきたい。

生きた時間を生きる

 

(今日のコトバ)

 

生きた時間を

どれだけつくれるだろう。

つくれた人からいい顔になっていく。

 

 

 

新しい時代、「令和」になった。

休日ということもあって、

なんだかいい気持ちが広がっている。

新しい何かが始まる気もしてくる。

時代の雰囲気とでもいおうか。

来年の

東京オリンピック・パラリンピックの開催

も含めて、

いい時代の予感もしてくる。

そして、できれば、いい時代を

自分のいい時代にしたい。

そのためには、

いかにいい時間をつくるかが

大切になる。

では、いい時間とは何か。

それは、生きた時間をつくり

生きていくことではないだろうか。

自分のやりたことに向かって前進する。

夢中になれることに邁進する。

清々しい毎日を送っていける。

生きる時間の充実を感じる等、、、。

ボーっと生きるのではなく、

苦しみ続けて生きるのでなく、

逃げ回って生きるのではなく、

目的なしに生きるのではなく、

生きた時間を生きる。

その時間が長ければ長いほど、

自分の人生が充実してくる。

少しおおげさにいえば、

自分の時代をつくりながら生きていく。

「令和」という時代を

自分の時代にするために。

新しい時代、新しい時間が

自分のものになるために。

生きた時間をつくって

生きていく。

その一歩を踏み出していこう。

 

もう一度立ち上がる力

 

(今日のコトバ)

 

ころんでも、

一度も立てなかったことはない。

歩き出せなかったことはない。

だから、いま、

ここで生きているのだ。

 

 

 

 

人生では、何度もころんできた。

ころぶとは、失敗や敗北を含め

うまくいかなかったことだとすると、

数限りなくあるころんできた。

だが、そのたびに人は立ち上がってきた。

何度も、何度も、

立ち上がってきた。

だれに教えられるでもなく、

人には、もう一度、

立ち上がるという威力が

備わっている。

再び、元の位置につくまで、

がんばろうとする力。

その力は人を成長させるためにも

役立ってきた。

だとすると、

ころんで、失敗して、敗北しても、

そのたびに自分に力を

蓄えることができる。

もっというと、

さらに自分が強くなるともいえる。

要は、自分の考え方次第。

ころんだことをどう自分で

受け止めるか。

その考え方次第で、

ころぶことが成長させる力になるのだ。

 

 

失敗から学ぶ差

 

(今日のコトバ)

 

成功者は、

すべての失敗を踏みしめて

道にしてきた。

 

 

 

 

何かを成功させる人は、

共通の強みを持っている。

それは、失敗を糧にしていること。

ただの失敗に終わらせず、

成功へどうつなげるかを考えている。

転んでもただでは起きない。

倒れた先の花をつかもうとするなど、

とにかく、失敗を無駄にしない。

反対に、失敗を放置したり、

失敗から逃げたり、

失敗という経験から

何も学ぼうとしない人は、

失敗から抜け出せない。

差は、そこにあるのではないか。

人の能力の差より、

失敗から学ぶ差の方が大きい。

成功は簡単ではない。

しんどいことも必要だ。

その時、失敗をいかに

自分のものにしているか。

失敗によって、

よってどう局面を打開するか。

その差が成功への道をつくのだと思う。

強者も腐敗する

 

(今日のコトバ)

 

強者は、

弱者より汚い手を使っても

強者にいようとしていることを

忘れるな。

 

 

 

強者になる。

弱者になる。

人生でどちらかになる場合がある。

勝利や成功を続けて、

強者と呼ばれる。

ただ、勝ち続ける、

成功し続けると、

続けるために汚い手を

使うことになる人がいる。

「敗者より勝者の方がいい。

そのために手段を選ばす勝ちにいく」

そうなると、

力の使い方を間違て、

汚いことに手を染めてしまう。

強者も腐敗する。

なんでも長く続けると腐敗はする。

ただ、強者を続けるために、

汚い手ばかりつくと、

ほんとうの力すら無意味になる。

政治がわかりやすい。

企業もわかりやすい。

そして、自分もよくわかる。

肝に銘じて生きたいものだ。

 

楽しさは人によって違う

 

(今日のコトバ)

 

「楽しくやろうぜ」

といっている本人しか

楽しんでいないことほど、

楽しくないものはない。

 

 

 

できるだけ楽しく生きていきたい。

となれば、

できるだけ楽しい時間の中で

生きていきたい。

となると、自分で楽しい時間をつくるか。

もしくは、

他人に楽しい時間をつくってもらうか。

自分の場合は、簡単だ。

自分が好きなものの時間を、

楽しくなる時間をつくればいい。

ただ、他人に楽しい時間を委ねると、

自分にとって楽しい時間に

ならない時もある。

なにせ他人が楽しい時間なのだから、

自分の楽しい時間と違うのも仕方ない。

よっぽどサークルのように、

自分が好きな仲間とでない限り、

同じ楽しい時間は

共有できない。

人によっては、

自分よがりの楽しいを

まわりに強要し、

一人だけ楽しんでいる時がある。

自分と人は違う。

楽しさ時間をつくりたい時こそ、

しっかり理解しておきたい。

そう思うのだ。