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(今日のコトバ)
得意分野で、お得意様をつくれ。
自分の得意分野なら、
人より抜きん出ることができる。
人より高い評価を受けることができる。
人より優れ、
人より速く、
人より美しく、、、。
とにかくスタートラインから
踏み出した後、
どんどん他の人を引き離せるものは、
自分の武器になる。
人生を有意義にするために、
この武器を使わない手はない。
武器を使えば、
周りの人の心も射抜ける。
武器によって、
信頼をつくることもできる。
得意な分野を武器にして、
お得意様をつくる。
あたりまえだけれど、
きっちりやらないと
武器がきかないこともある。
しっかり武器を磨き、
武器が使えるようにしておく。
そして、チャンスがきたら、
人の心を射抜くのだ。
(今日のコトバ)
嘘は、真実の痛みから遠ざかる逃亡である。
なぜ嘘をつくのだろう。
小さな嘘、大きな嘘、
いろいろあるが、
それは、簡単にいうと、
真実に目を背けたい時。
なんとか真実から自分が目を背けて、
相手にも真実から目を背けさせたいと
思った時、嘘をついてしまう。
相手が真実を知ることによって、
どう思うかで、罪な嘘もあれば、
いい嘘もある。
ただ、いずれにせよ真実を知ることによる
痛みからの逃亡である。
そう考えると、
生きるための嘘は
標準装備されているものといっていい。
それが、相手を欺く、
相手を傷つける嘘になると罪になる。
人間が生きる上でバランスがある。
そのバランスを失わないために、
嘘が必要な時がある。
嘘と人生。
一度、
ゆっくり考えてみていいと思う。
(今日のコトバ)
生きていくのに、
手ぶらだと不安だから手をつなぐのだ。
外出で電車で移動している時に、
ふと手に何もないと不安になる。
反対に、
カバンか何かを持っていると、
中身が足りなくても安心する。
手が何かを
握りしめていることは、
安心できる状態なのかもしれない。
思えば、赤ん坊を抱き上げた時。
どこにも筋肉などないのに、
手の握力だけは、
想像以上に強い。
それは、生まれてすぐの人間にも、
握りしめる力で安心を
与えてくれているのかもしれない。
つまりは、手で握ろうとする、
手をつなごうとすることは、
安心を求めていること。
安心すれば、
落ち着いて人生を歩んでいける。
だからこそ、
手を握りしめることは大切。
握りしめている間は、
安心していられる。
しっかりと、生き抜いていくことが
できるのだ。
(今日のコトバ)
子供の童話があっても、
大人の童話はないから、
大人は自分でつくりましょう。
定義は難しいけれど、
童話を「子供が楽しむ
おとぎ話」とするなら、
大人だって、
おとぎ話があっていい。
ただ、子供のおとぎ話は、
親が大人が話してくれる。
だが、大人はおとぎ話を
話してくれる人はいない。
だとしたら、
自分でつくったらどうだろう。
大人になれば、
夢をもつ。
その夢を叶えることは、
自分の努力次第。
すべてが叶うわけではないけど、
叶えられる夢もあるはず。
その夢を叶えるまでのストーリーを
童話とする。
そう思うと、
人生には、大人には、
童話をたくさんつくれる。
夢のある童話。
楽しい童話。
面白い童話。
ちょっと塩辛い童話等、、。
自分の夢のストーリーを
童話にする。
そんな生き方もあると思う。
(今日のコトバ)
実力は、人に傷つけられない。
人気と実力という。
相反するものではないが、
評価をする時に二つの大きな軸がある。
人気というのは浮気なもので、
勢いで頂点に立つこともあれば、
一瞬で最下位に落ちることもある。
「あいつは人気だけだ」
「あいつは人気があっても実力がない」
といわれたりする。
安定した力でないために、
嫉妬の対象にもなりやすい。
反対に、実力はブレない力。
実力があると評価される人を、
おちょくれないし、
嫉妬するより尊敬する気持ちが
大きくなる。
「あいつは実力だけだからな」
とはあまりいわれない。
もちろん、玄人受け過ぎて
「実力があるけど人気が足りない」
といわれることもあるが、
それにしても、実力のある者が
傷つくほどの言葉ではない。
つまり、実力がある、
本物であると評価されると、
どの世界でもブレずに生きられる。
自分のスタイルで
堂々と歩いていく。
そんな人生をおくれる。
だからこそ、実力をつけることが大切。
少々、時間がかかってもいい。
少々、遠まわりをしてもいい。
実力があるという評価になれば、
怖いものがなくなっていく。
自分の生きたい人生を、
まっとうすることができる。
実力は人生への素晴らしい贈りものだ。
(今日のコトバ)
厳しい言葉は、
優しい言葉のように
ダマすことができない。
だから、信用に値するのだ。
生きていれば、
厳しい言葉より、
優しい言葉を伝えられたい。
ただ、優しい言葉において、
ほんとうの意味の優しさがあるのは、
一握りの場合が多い。
まず、社交辞令の優しい言葉。
あいさつと同じでコミュニケーションを
円滑にするために、
深く考えず優し言葉を伝える。
日本ではものすごく多い言葉だと思う。
優しいが深い意味はない。
続いて、確信犯的に
優しい言葉で誘惑するが、
相手はダマすための武器として
言葉を伝える。
この場合、相手がワルモノだと
犯罪になる場合もある。
オレオレ詐欺などの詐欺行為でも
優しい言葉力に
ダマされることがある。
反対に、厳しい言葉は、
耳が痛い言葉になりがちだから、
相手の真意まで問いたいと思う。
厳しさの中には
真意をついているものも多いので、
胸に突き刺さる。
だから、真剣に
意味をくみ取ろうとするので、
ダマされることはまずない。
厳しいだけに、
傷つくこともあり、
悲しいこともある。
だが、人は無意味に厳しい言葉を
投げつけてきたりしない。
その分、厳しい言葉は信用できる。
だからこそ、
厳しい言葉には耳を傾けて
自分の生き方に反映していい。
人生にとって役立つことが
たくさんあるはずだ。
(今日のコトバ)
背中を押されてやることもある。
その時、背中が疲れていては
押すこともできない。
機は熟している。
準備も万端だ。
後は、何かのキッカケがあればいい。
そんな時がある。
後は一押しだけでいい。
誰かの一言があればいい。
背中を押してくれる
言葉があればいいのだ。
だが、その気持ちが
相手に伝わる状況でないと、
相手も一声、一押しできない。
では、相手に伝わる状況とは
どういう状況か?
それは、やる気が見える
元気な状態ではないだろうか。
機は熟しているものの
元気がなかったり、
準備は万端なのに遠慮していると、
背中を押すことができない。
相手はどうしていいかわからない。
だからこそ、機が熟し、
準備が整っているなら、
その気持ちを全面に現わすことが大切。
あいつはやるんだ、
あいつはやりたいんだということを
明確にあらわす。
それでこそ背中を押すことができる。
人生の挑戦のキッカケをつくる
一押しができるのだ。
(今日のコトバ)
傷は、サバイバルに成功したサイン。
人は、傷を負っている。
心に、体に、
大きな傷、小さな傷を負っている。
その傷は、切れた時は、
痛みもあって辛いが、
時間が経つにつれて、
痛みは忘れるもの。そして、
傷跡だけがその時の辛い出来事を
想い出す跡になる。
もっといえば、
傷は、人生の危機を乗り切った証。
勲章と呼んでもいい。
そして、その一つ一つが
人生のサバイバルに成功した
サインといってもいい。
だからこそ、傷を負っていることに
胸をはっていい。
痛みが過ぎれば勲章になる。
それが傷なのだ。
(今日のコトバ)
明日は、昨日の失敗も、今日の希望も、
みんなまとめて、
なんとかしようとしてくれる。
「昨日、うまくいかなかった」
「今日、こんなことを思いついた」
そんなことがあっても、
人生、今日までの時間は、
使われてしまっている。
残るは何か?
それは、明日という未来に他ならない。
明快なビジョンがあっても、
不確実な予測しか立たなくても、
何も考えてなくても、
明日はやってくる。
その明日には、いろいろな解決策がある。
まず時間。この先、
戦略的に時間割をつくって
使うことができるる
次に知恵。これまでの経験値が
明日がいちばんある。
今日までの財産を
明日使うことができる。
そして時代。明日は今日までなかった
新しい技術が待っている。
そう思うと、
人生いろいろな課題を
かかえていても、
明日があれば、なんとかなる。
だから、もっと明日に頼っていい。
少なくても気持ちは、
明日があると強がっていいのだ。
(今日のコトバ)
愛してみてから、答えを出そう。
それからでも遅くない。
一瞬で好きになる。
とても深く愛するようになる。
好きなるのに
理由のないこともあるから、
時にそんなこともある。
その中で人間の場合、
一瞬で好きになることもあれば、
一瞬で嫌いになることもある。
ただ、もったいないのは、
一瞬で嫌いになった時、
その感情のまま距離を
置いてしまうと、
それきり関係が終わってしまう。
だが、嫌いという感情は
時間が経つにつれて、
好きという感情に変わることもある。
また、世の中は面倒くさい。
嫌いな人とも
付き合っていかなくてはならない。
その時、
いいところを見つけていくと、
だんだん好きになることもある。
その人の良さがわかるまで
時間がかかることもあるのだ。
だから、人との関係をつくる時、
好きになる、愛してみることを
意識する。
関係を考えるのはその後でいい。
好きになれる人は、
案外多いはずだ。
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