人生を相談する人

 

(今日のコトバ)

 

人間なんだ、

人生の相談窓口をもっていよう。

 

 

 

 

 

投資相談窓口の広告のようだけど。

長い人生を生きていく上で

大切なのは、

人生のあれこれを

相談できる人がいること。

その人がいるかいないかで、

人生の生き方が変わる。

ちゃんと相談できる人がいれば、

困難な問題も一緒に解決できる。

解決できないまでも、

解決する道筋を

見つけることができるかもしれない。

少なくとも

頼る先があるということは、

心に安心感を生む。

あまりブレずに生きていける。

反対に、相談する人がいないと、

自分で

なにもかもしなければならない。

もちろん、自分でなにもかもやるから、

自分が成長することもある。

自分が乗り越えられる壁なら、

自分一人でいいかもしれない。

ただ、一人でどうにもならない時、

孤独にさいなまれる時、

相談する人は絶対に必要だ。

トップに立つ人、

革新的なことを起こす人、

成功する人等、

自力で勝ち上がってる人ほど、

相談する人がしっかりしている。

自分のやりたい方向へ

アシストしてくれる人が

ちゃんといる。

人生は簡単ではない。

いろいろな難問が起こる。

その時、自分が相談できる人、

もっというと、

自分を助けてくれる人がいることで、

人生は強い足取りで歩いていける。

人生を相談する人を持つもつのだ。

 

無理なく続けられること

(今日のコトバ)

 

あなたのいつもの速さで歩くことが、

もっとも速く着く。

 

 

 

自分のペースで生きることが、

いちばん快適に生きられる。

いつもの自分で生きればいい。

あせらず、あきらめず、

自然体でいい。

そして、その生き方で前進することが、

いちばん速く進むことができる。

一瞬だけで全速力で進んでも

長くは続かない。

休みが多すぎても、

進む距離はたかが知れている。

少しずつだが前進して、

無理なく続けられる。

そこがポイント。

無理のないペースで続けられることこそ、

最速で結果を出せる。

だから、なにかを任せてもらったら、

自分のペースでできるように

意識する。

最初から自分のペースでやるのは

難しいが、

じょじょにでいいから、

自分のペースにしていく。

それが自分のスタンスで生きること。

人生を快適にする方法なのだ。

隣にいてくれる人の大切さ

 

(今日のコトバ)

 

いつも隣にいてくれる人より、

大きな世界はない。

 

 

 

 

側にいる。

横にいる。

振り向くといる。

あたりまえに隣にいる。

その人は自分にとって、

かけがえのない人だし、

人生に大きな比重を占めている。

大きな世界といっていいかもしれない。

ただ、そんな大事な人を、

時に軽んじてしまう。

近い分、うるさいと怒ったり、

疎んじてしまうこともある。

大事なものもあたりまえになると、

ぞんざいに扱ってしまうのだ。

でも、考えてみよう。

一生という長い時間を、

いちばん長く共有する人を

大事にしなくて、

誰を大事にするのか。

どこかに理想の人間関係があって、

そちらの方がいいと思うことはある。

だが、その理想の関係の

舞台裏は知らないし、

関係がないから痛みも伝わらない。

理想という空想を愛しているだけなのだ。

そう考えると、

いつも隣にいてくれる人は大事。

どんな関係より大切。

隣にいてくれる人の

価値を忘れてはならないのだ。

 

熱さを動かせ

 

(今日のコトバ)

 

感動という言葉は、

喜びを感じた後、

行動を起こせというメッセージなんだ。

 

 

 

 

感動する。

人は、人生の様々な場面で、

感動する。

自分のこと。自分以外の人のこと。

人間以外の生き物のこと。

地球上のこと。宇宙のこと。

実体験するものもあれば、

見るだけのものもある。

ただ、感動は、

生きていく上での

素晴らしいものランキングの

上位に選ばれるはずだ。

この素晴らしいものは、

人生を熱くする役割を果たす。

人生を前進させるために、

人の熱さはエンジンになる。

そのエンジンを使わない手はない。

感動をエンジンにして、

人生をもっと先に進めていく。

感動には、

そんな役目がある。

人は、感動を、

感動して終わらせるだけでなく、

エンジンにできることを

忘れてはいけない。

 

 

 

 

弱さは成長の素

(今日のコトバ)

 

強くなろうとする弱さを大切にしよう。

 

 

 

 

自分の弱さを、

自分は知っている。

隠そうが隠さまいが、

どこかに弱さをかかえている。

その弱さをどうするか。

できれば、弱いままではなく強くしたい。

強いといわないまでも、

人並ぐらいにしたいと思って生きている。

そう思っていれば成長はできる。

強い、人並という基準は、

あくまでも個人的なもの。

どこまで強くするかも、

個人的なものだが、

それを、もっと強くしようとするのは、

成長したい気持ちがあるということ。

その気持ちを大事にできれば

成長できる。

人は、目標に向かって

切磋琢磨できる間は成長できる。

弱い部分を強くするということも、

自分を大きく成長させる目標になる。

だからこそ、自分の弱さを知ろう。

その弱みを理解した上で、

弱さを強くしていく。

それが成長のための

大切な源になるのだ。

 

人には人の正論

 

(今日のコトバ)

 

正しいことをやり続けろ。

ただし、正しいことを押しつけてはいけない。

自分の正しいは、あの人の正しいではない。

 

 

 

人は、迷った時、

どこに戻るか。

あれこれ考えても

答えはでないが、

ブレずに思うことがある。

自分が正しいと思うこと。

心の底から自分が正しいと思えることを

選択することが、

迷った時の打開策になる。

ただ、この正しいことは、

あくまでも自分のものさしであり、

自分の選択である。

他人はまったく違うものさしを持っている。

その違う長さのものさしを合わせてみても、

同じ結論にはならない。

そこを理解しないで

自分のものさしを

他人にも持たせようとすると、

誤解やいざこざが起こり、

迷いはさらに広がる。

人には人の正論。

人には人の結論。

そこをわきまえて、

前進すれば、迷いと混乱は消えていく。

大切なのは、

自分の正しいことを

しっかりとブレず進んでいくことだ。

 

いいかげんは返ってくる

 

(今日のコトバ)

 

いいかげんをやめない限り、

いいかげんに扱われる。

 

 

 

いいかげん。

適当にやり過ごし、

心無い対応をする。

いいかげんな行いをするのは、

根っからいいかげんである場合と、

その行いにつきいいかげんな場合とある。

ただ、どちらの場合も、

いいかげんは自分に返ってくる。

いつもいつもいいかげんでいると、

「あいつはいいかげんだから、

ちゃんとはやらない。こちらも、

いいかげんな対応でいい」となる。

また、その行いにつき

いいかげんな行いをしても、

「いいかげんなことするな?」と

思われて、どこかでいいかげんな

扱いで返ってくる。

言葉だけだと

緩んだ感じだが、

たいがいにおいて、

いいかげんな行いは、

人生において強烈なしっぺ返しをくう。

誰もが経験しているはずだ。

痛い目にあった行いの

どこに問題があったか。

大なり小なり、いいかげんな行いが

あったはず。

だからこそ、いいかげんは要注意。

必ず自分に返ってくることを

忘れてはいけない。

 

 

内より外で強くなる

 

(今日のコトバ)

 

内向きでは、見える景色が決まってしまう。

 

 

 

外に目を向けていない。

内向きで、いつも同じ場所ばかり見ている。

同じものだから、

安心感はある。

考えなくても、

環境はわかる。

人生のペースをつくるには、

わるくない。

だが、自分を強化するには、

あまり役が立たないかもしれない。

同じ=慣れ

あたりまえの時間が過ぎていく。

反対に、外に目を向ける、

外に行動していくとどうだろう。

新しい発見があるが、

新しい環境のため

自分が学ばなければならないことが

生まれる。

簡単に理解できることも

あるかもしれないが、

難しくて慣れることに

時間がかかることもある。

その難しさに挑むたび

人は強くなれる、進化できる。

内と外。

その見ている方向、

行動する方向で、

人が大きく変わっていく。

強く生きたいなら、

外に出ていけばいい。

大変だが自分が進化していくことが

実感できるはずだ。

声を上げられる世界へ

 

(今日のコトバ)

 

間違えていることに、

間違えていると声をあげられない世界は

絶対に間違えている。

間違えるな。

 

 

 

 

 

ハリウッドのセクハラ問題が

大きなニュースになっている。

稀代の名女優も含めて多くの関係者が、

権力のあるプロデューサー・俳優の

セクハラ被害者だった。

ただ、これまでみな受けた被害を

声にできず、

正すことができないでいた。

そのハリウッドも

勇気のある一人の声から

問題が顕在化し、

世界中で襟を正そうとしている。

あのアメリカの、あのハリウッドでも、

こんな問題が起きていたのだ。

権力が持つ問題は、

簡単には正せない。

声を上げるにも大きな勇気がいる。

ただ、このような問題は、

社会の仕組みではたくさんある。

ポジションの上の人に問題があると、

下の人は何もいえなくなる。

特に日本は、その傾向が強い気がする。

だが、何もいえない、

声を上げないということは、

問題は解決しないとイコールだ。

嫌だと思っていることが、

いつまでも続いていく。

それを解決するには、

自分も含めて勇気を持って

声を上げるしかない。

組織にいると大変なことかもしれないが、

それが正しいことであれば、

必ず、賛同者もいるし、

正しい解決法が見つかる。

間違っていることを

間違っていると

声を上げられない世界は、

絶対に間違っている。

間違えてはいけないのだ。

 

 

 

誤算からも正解が生まれる

 

(今日のコトバ)

 

人生は、誤算が正解になることもある。

 

 

 

 

算数だと誤算をすると、

正しい答えにならない。

計算違いが命取りになって、

✕になってしまう。

だが、人生では、

時に誤算が正しかったり、

想像以上にいい答えになることがある。

一石二鳥という言葉のように、

一つのことをこなしたのに、

二つのいいことがあったり、

間違った✕の選択をしたと思ったら、

それが正解と思える状況になることもある。

それが人生の面白いところ。

人生は、数字では割りきれない。

割りきれないからといって、

それがすべて間違いではなく、

大正解だったり、

人生を思いっきり素晴らしい世界に

案内してくれることもある。

だからこそ、生きる張り合いが生まれる。

もっと、もっとという気持ちになれる。

いま、自分の中に数字で

割りきれないものがあったら、

それが生きているということ。

全力で答えを探せばいい。

正しい答えは無限にあるのだ。