目標、達成、そして、称賛

 

(今日のコトバ)

 

行きたかった未来が今日なんだ。

そして、この先、

行きたい未来があることを幸せという。

 

 

 

今日起こることにワクワクしている。

今日という日が楽しい。

今日生きていることが有難いと思う。

そういう気持ちになれれば、

人生はうまくいっている。

さらに、

この先にワクワクするような

目標があれば、

人生は最高といっていい。

誰と比較するのでもなく、

今日が、未来が、

ワクワクする状況にあるなら、

生きてきた人生は

間違っていない。

どうせ生きるなら、

できるだけ

そんな状況の人生を送りたい。

少なくとも、

生きるどこかに

ワクワクする部分を

もちたいものだ。

それには、目標を叶える、

叶えた後にご褒美をもらう、

簡単だけど、目標に向かって走り、

叶えたら称賛される

サイクルがあるといい。

それが、いきがいにもつながる。

素晴らしい人生を生む。

今日、そして、未来が幸せになるために、

目標、達成、そして、称賛が大切なのだ。

春は人生をはじめやすい

 

(今日のコトバ)

 

春になったんだ、

人生がもう一度はじまるんだ。

 

 

 

 

入社式があり、

入学式があり、

新学期もはじまろうとしている。

春。四月。

この季節、

日本は、社会全体がリセットされる。

新人という人種がたくさん生まれ、

新鮮な人々が増える。

人生という歴史も、

毎年、春、四月から

スタートさせることが多い。

そう思うと、

春は人生をはじめやすい時期と

いっていい。

はじめる条件は揃っている。

何かをはじめたいなら、

春から。四月から。

そして、自分の気持ちも

一新してのぞむ。

春には、

人を新しくする力があるのだ。

 

握手は未来をつなげる

 

(今日のコトバ)

 

握手したその手は、

未来の扉をつかんでいるんだ。

 

 

 

 

握手は、相手の手を握ること。

ただ手をつかんでいるだけかもしれない。

ただ挨拶しているだけかもしれない。

だが、握手は自分を未来につなげる

一つのアクション。

考えてみればわかる。

特に選挙などの候補者は

やたらと握手したがる。

握手されるとされた方は、

嫌な気がしなくなる。

何も知らなくても

投票しようかと思ったりする。

アイドルが握手するのもそう。

握手した方は、

これからも

自分のファンでいてもらうための

絆になるし、

握手された方も、

アイドルと自分がつながったと

思ったりする。

何か仕事がうまくいった時も、

思わず握手したりする。

つまり、未来の絆ができる時、

握手というアクションが起こる。

たかが握手。されど握手。

この手と手を握るコミュニケーションが

未来の懸け橋になる。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

人生にある非公式の世界一

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

公式に記録されない世界一が

たくさんつくられる。

 

 

 

 

 

自分史、あるいは家族の記録の中に、

途轍もない記録となるものがある。

例えば、出産だって、

世界に唯一無二の人間を産む。

そして、その育てる行程だって、

世界で一つしかないオリジナルの育成法だ。

また、ある試合がある。

その試合は大会の3回戦かもしれない、

負けたかもしれないが、

そこへ行くまでの努力は

世界一の努力をしているかもしれない。

少なくても、

自分では最高の力を発揮した。

少し振り返るだけでも、

自分新記録はいくらでも思いつく。

そして、その記録は

非公式だが世界新記録といっていい。

何かに向けて全力で頑張ったなら、

世の中がどう思おうと新記録。

そのことに対して、

自信をねもっていいし、

誇りをもっていい。

誰の人生も唯一無二だから、

そこで最高に頑張ったら、

誰にも負けない歴史になる。

そう思って生きていっていいと思う。

すべて大人に染まる必要はない

 

(今日のコトバ)

 

仕事の顔をして、

大人の階段をのぼっても、

少年の心を忘れてはいけない。

 

 

 

年をとって就職して、

いやがおうでも社会の洗礼を浴びて、

大人になっていく。

だが、社会の通過儀礼として

大人になっても、

心技体のすべてが

大人になるわけではない。

なかなかならないものもある。

もっというと、

大人になっては

いけないものもある。

社会に流されて

大人の仮面をかぶってしまうと、

忖度のようなことを覚え、

わるいことも、

上の指示でやってしまうことになる。

社会には、正しいか正しくないかではなく、

上の者に従うという、

それこそ大人のルールが存在する。

そのルールと戦わなくては、

正しい自分が維持できない。

ピュアな気持ちで生きていけない。

ただ、正しいことは、正しいのだ。

なにもかも四角四面に

正しさを追求しろというわけではない。

だが、

どうしても許してはいけないことは、

許してはいけない。

そのことを忘れずに生きていきたいものだ。

 

命の願い

 

(今日のコトバ)

 

命は、

「人生を生きた時間に使ってくれ」

といっている。

 

 

どんな生き方をしても、

一生という時間は過ぎていく。

人生の時間の使い方は、自由だ。

夢に向かって邁進しても、

好きなことだけに没頭しても、

危ない橋を渡り続けても、

怠けてダラダラ過ごしても、

人生の選択は自分次第。

ただ、自分の中の命は

どう思っているだろうか。

言葉を話すわけでもなく、

意志を伝えるわけでもないので、

どう思っているかはわからない。

だが、「生きているのなら、

命を有効に使ってほしい」

そう思って、命は燃えているはずだ。

宇宙一素晴らしい星に生まれ、

360°選択肢のある地上に育ち、

夢に向かって進化させながら

生きられるのだ。

「できる限り有効に

自分の人生を使ってほしい」

きっと、命はそう思っている。

その命の願いに応えるためにも、

人生に目標をつくり、

その目標をクリアするような

人生を歩んでいきたい。

人生には、

命のため大切な役目があるのだ。

希望は未来にある

 

(今日のコトバ)

 

過去に希望はない。

どんなにしんどくても

希望は未来にある。

 

 

 

3月30日金曜日。

年度末最終日。

来週より新年度が始まる。

貴重な経験もした。

いい想い出もある。

だが、来週からはリセットして、

新しい年度が始まる。

この時期、いつも感じるのが、

具体的、抽象的にかかわらず

希望を感じる。

何か新しいことが

始まるのではないか。

何か新しいことが

できるのではないか。

まさに、希望をもって

人生をリセットできる。

希望という素晴らしい気持ちは、

どんな状況でも、

未来にしか生まれない。

そう思うと、年度末の今日ほど

希望を感じる日もない。

だからこそ、未来には期待できる。

また、新しい未来が始まるのだ。

 

 

泣いてリフレッシュ

 

(今日のコトバ)

 

涙が洗えるのは、

心と体と少しの想像力。

 

 

 

泣く。

号泣でも、しくしくでも、

泣くとスッキリする。

特に、心は洗われた気がする。

体も泣き終わると、

リフレッシュした気がする。

リフレッシュするということは、

頭の中もクリアになり、

想像力も働く。

泣くという行為が、

人間の源泉にかかわる部分に

良い作用をするようだ。

もちろん、悔しくて泣く、

悲しくて泣くことは、

スッキリすることばかりではない。

だが、それでも泣くことで

リセットすることもある。

感情を調律するにも泣くことは

いい作用があるようだし、

泣いてストレスを発散しようという

講演会もある。

つまり、泣くことは、

生きるためにたくさんの

いい作用があるようだ。

だとしたら、さまざまな場面で、

泣いていい場面ではちゃんと泣く。

ガマンしないで泣く。

そこにリフレッシュ、

リセットできる自分がいる。

そのことを忘れてはいけない。

 

清算は慎重に

 

(今日のコトバ)

 

人間がもっとも不得意な計算は、清算です。

 

 

 

精算ではなく、清算。

精算は経費などを計算して結果を出すこと。

清算は過去にけじめをつけること。

「過去にけじめをつける」

一言で簡単にいえてしまうが、

とても難しい課題。

勝負事、義理、恋愛など、

過去にけじめをつけることができれば、

文字通り清算となるのだろうが、

けじめは

個人個人で見解が違うこともある。

お互いが納得して

清算するためには、

気持ちの問題が

いちばん大きい割合を

占めることになる。

難問だ。

生きる上で、最難関の課題といっていい。

ただ、この清算がうまくいかないと、

人間関係は崩壊していく。

関係が良かった人同士ほど

清算がうまくいかない場合、

一生、関係を断絶することもある。

だからこそ、清算は慎重に。

相手の気持ちをくみとって、

けじめをつける。

事務的に、速さを競う精算ではないので、

時間をかけてもいい。

お互いが納得するまで解決策を探り

けじめをつけよう。

 

 

働けば、わるい道に行かない

 

(今日のコトバ)

 

仕事をしていないと、

自分の中のワル者が産声を上げる。

 

 

 

 

何もしないと、

怠け者の虫が騒ぐ。

同じように、

仕事をしないと、

何をしていいかわからなくなる。

ぼーっとした一日を過ごし、

生産性のない時間が過ぎる。

だが、仕事をして稼がなくては、

生きていけない。

ただ、怠け者の状態になると、

働かなくて金儲けを考える。

自動的に、あるいは、

何もしなくて

収入になることを求め始める。

当然、そんなうまい話はなく、

手を染めるのはわるいことになる。

仕事をきっちりしていれば、

あまりわるいことは考えない。

もちろん、わるい道へ進むことも少ない。

そう思うと、

働くことを続けることは、

人間をわるい方へ行かせないための

最高の機関なのかもしれない。

人生で働くことは、

大きな比重を占める。

最大の比重の人も多い。

つまり、人がわるいことをしないために、

仕事があるともいえるのだ。