傘になる人

(今日のコトバ)

 

 

傘になってくれる人がいれば、

雨の日でも前進できる。

 

 

 

 

天候が悪いと出歩くことが難しくなる。

台風が来たり、大雨だったり、大風だったりすると、

気持ちもおっくうになるし、外出するのも嫌になる。

人生においても同じことがいえる。

行く手を阻む障害物があったり、困難に巻き込まれたり、

災難が生じたり、不幸に見舞われると、

気持ちが前向きにならなくなる。

そんな時、自分の前に立って、行く手を阻むものを

避けてくれる人がいたら、どれだけ助かるだろう。

もし、利害関係抜きに自分の味方になってくれたら、

どれだけ幸せな気持ちになるだろう。

そんな傘のような人と付き合うには、

日々、自分も傘になってあげる必要がある。

誰かにしてあげた何かが、

積もり積もって自分を助けてくれる。

自分の傘になってもらう人のために、

自分から傘になってあげよう。

人生は、傘がなくては生きづらいのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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絆をあたためる

(今日のコトバ)

 

 

強い絆は、まいにち結び直さなければならない。

 

 

 

 

 

絆という字は、糸の半分と書く。

片側と片側いる人が糸を持って引き合っていなければならない。

もし仮に、片側の人が糸から手を放したら、

糸は何の機能もしない。片側に信頼する誰かがいて、

糸を引いてくれているからつながっていられるのだ。

人と人がつながっている糸が絆だとすれば、

その糸を毎日つながっているか確認しなければいけない。

どちらかが手を放していたら、つながってはいないことになる。

信頼している人なら尚更、絆を放置せず、

常に確認することを忘れてはいけない。

人は生きるために絆が必要だ。

そのために絆を毎日あたためよう。

あたためることでまた、絆はきつく結ばれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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夢を描け

(今日のコトバ)

 

 

人はできない夢を描かない。

自分の足でたどり着ける目標を夢という。

 

 

 

思いつきのようでも、

やろうと思った夢はたどり着ける。

漠然としているかもしれないが、

頭の中でもう設計図ができてしまっている。

後は、行動するだけ。

ただ、この「やろう」とする気持ちが大切。

絶対やろうなのか、とりあえずやろうなのか。

やろうの前に絶対がついたら、真剣に夢達成までの自分を思い浮かべる。

どの場所からはじめて、どういうステップを踏むか。

スタートと切ってしまえば、達成の折り返し地点まで行ったと同じ。

しかし、道程は後半が辛い。すぐに到達できると思ったら、

障害物があり、体力がキツくなり、前半と同じペースでは走れない。

そこであきらめたら夢も終わる。

絶対と決めた気持ちを呼び起こし、夢達成まで頑張るのだ。

人はできない夢を描かない。

信じれば道はできる。信じれば夢にたどり着く。

信じるのだ、自分がつかみたい夢を。

絶対やりぬくのだ、自分の夢のために。

人は夢を実現するチカラを備えて生きているのだから。

 

 

 

 

 

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欠点という名の長所

(今日のコトバ)

 

 

 

欠点を分解してみろ。

武器になる機材がたくさんある。

 

 

自分の欠点と思っている部分を違う角度から

見つめ直したことがあるだろうか。

例えば不器用。鈍臭くて、のみこみが悪くて、

習得するまで人一倍時間がかかる。

何かを覚えようとすると、まわりの人に遅れをとる。

あまりいい材料ではないように思える。

ただ、結果を出す人間は不器用な人間もたくさんいる。

ひとつひとつは習得するまでに時間がかかるが、

一度覚えたら完璧に覚えている。

時間がかかった分、根気が尋常でないほどついている。

何事にもねばり強くなり、

あきらめない精神力も育成できる。

欠点が、長所になる一例だ。

他にも、探せばあるはずだ。

欠点という名の長所。

もしかすると、もう無意識で気づいているかもしれない。

真剣に探してみよう。

その欠点が人生を守る。

その欠点が人生の武器になる。

その欠点が人生を素晴らしいものにするのだから。

 

 

 

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志は未来

(今日のコトバ)

 

 

 

未来ならいくら間違えても消せる。

 

 

 

記録されてしまった過去は消しようがない。

誇れる過去は歴史として胸を張れるが、

思い出したくもない過去はできれば記憶から消去したい。

考え方を過去におくと、いじることは難しいものだ。

だが、考え方を未来においたら、どうだろう。

想像したものがカタチになる前なら、

いくらでも修正可能。

夢見ることにも資本はいらない。

ムチャ、ヤンチャも無制限にできる。

「未来」は、壮大なスケッチブックなのだ。

いま、直しようのない過去にめげている人がいたら、

志を未来に向けよう。

そこから、気持ちが晴れてくる。

自分の可能性が広がっていく。

もっともっと積極的になれる自分を確認できるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ひとつじゃない

(今日のコトバ)

 

 

白と黒で決めつけたら、24色のクレパスが泣き出した。

 

 

 

 

右か、左か。白か、黒か。善か、悪か。

話を簡単にするために、二極化するケースがある。

ただ、人生の問題は二つで割りきれるほど単純ではない。

極と極の間にある様々な要因が、

いくつもの極をつくり、いくつもの色をつくる。

そして、その各々の極に答えがある。

その答えを探すために人生があるといっていい。

答えは、ひとつじゃない。

どんな夢にも無数の方法がある。

どんな勝負でも無数の勝ち方がある。

自分で失敗して、傷つきながら、

夢を勝ちとればオリジナルの方法になる。

答えがひとつでない人間は、人生は、素晴らしいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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チャンスは巡る

(今日のコトバ)

 

 

走っていれば、また、挑戦権が得られる。

 

 

 

途中でやめてしまえば、それで終わりだ。

夢も理想も、そこで終焉を迎える。

「やればできるんだ」とか、

「あいつよりオレの方が上」とかいってみても、

歩みを止めてしまえば、すべて負け犬の遠吠えになってしまう。

反対に、トップを走れなくても、

少々ドン臭くても、あきらめずに走っていれば、

夢を実現するためのチャンスは何度も訪れる。

走ることを止めないのだから、前進している。

走ることを止めないのだから、ライバルがあきらめる。

走ることをやめないのだから、見ている人が見ている。

そう、やめないことでチャンスは巡る。

はじめた頃は、たいしたことがなくても、

長く続けたことによるキャリアも大きな武器になるのだ。

いま、スランプに陥って結果がでなくても、

長く続けているものがあれば、絶対あきらめるな。

必ず自分の武器になる。必ず自分の身を守る。

そして、夢や理想を叶えるためにチャンスを手にするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ホーム

(今日のコトバ)

 

 

敗れてボロボロになっても、

帰ってこれるホームグラウンドを持て。

 

 

 

帰る場所がある。だから、ムチャできる。

疲れて、負けて、ボロボロになった時、

帰る場所がなければ辛く悲しい。

戦場とはいわないまでも、

社会は戦いの場でもある。

帰る場所にやすらぎがなければ、

ストレスとプレッシャーで押しつぶされてしまうだろう。

極論をいえば生きていけないかもしれない。

帰る場所、ホームがあるのは、

人間の最初の幸せなのだ。

いま、あたりまえのように帰る場所がある人は、

それだけで幸せ者。

そこがあるから生きられるのだし、

明日に強く踏み出せるのだ。

だから、帰る場所を大事にしよう。

心の底からホームと呼べる場所にしよう。

そこが、人間のエネルギーの源泉なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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誇りと、愛

(今日のコトバ)

 

 

 

チカラは自分でつけるもの。

だが、チカラが湧くのはあの人がいるからなんだ。

 

 

 

 

「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。

朝からマスコミだけでなく、日本人の僕らもソワソワしていた。

日本代表が世界で評価されると、心の底からチカラが湧いてくる。

オリンピックもそう、WBCもそう、イチローもそう、北野武もそう、

宮崎駿もそう、村上春樹もそう。

世界を舞台にしてチカラを発揮できる日本人を見ると、

誇りを感じると同時に、自分のチカラもまだまだあるのではないかという

気持ちにさせられる。

また、自分の尊敬する人、自分の愛する人のためにも、

チカラを発揮したいと思う。チカラを発揮して、その人たちに喜んで

もらえることほどの快感も人生にそれほどない。

もちろん、自分がチカラを持つのが前提だ。

その上で、誇りに思える出来事や愛する人がいると、

チカラは想像以上に発揮される。

もし、いま、自分のチカラが発揮しきれていないとしたら、

誇りと思える状況に身をおこう。

愛するあの人をイメージしてチカラを発揮してみよう。

今までより、もっとチカラを発揮できる。

そして、自分の夢への距離が短くなるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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命を鍛える

(今日のコトバ)

 

 

命を過保護にするのは、人生のためにならない。

 

 

ゆとり教育以降だろうか。平和を目指してきた戦後だろうか。

人間は、命を必要以上に大事にしてきたと思う。

もちろん、命は大事にするべきものだ。

だが、守ることばかり重視して、攻めることを忘れた命は

どうなってしまうだろう。

命を懸けても戦うという言葉が死語になってしまうかもしれない。

少し厳しい表現になったが、もっと端的にいうと

命を鍛えなくていいのかという問題があると思うのだ。

子どもの頃、怒られたり、殴られたり、痛い目にあうことで、

命はメキメキと鍛えられた。

だからこそ、命の大切さも理解したと思う。

ゆとり教育がもたらした、教師が怒れない、殴れない。

先輩も怒らない。ケンカした記憶がない。

そして、親にも殴られたことがない人間が増加したら、

この国はどうなるのだろう。

もっといえば、子どものうち怒られなかった人々が、

社会の荒波で障害物にぶちあたった時、

自分で解決するチカラを持てるだろうか。

社会が昔に比べて、甘くなったりはしていない。

怒られる、痛い目にあうことなど頻繁に起こる。

その時の心と体の癒し方は、

子どものうちに習得していなくては遅すぎる。

いま、この国のモラルを問う人々が増えている。

ほんとうにそう思うのなら、

子どもの教育を、もう一度見直そう。

そこに、育成の答えがある。

そこに、人間の答えがある。

そこに、日本復活の答えがあるのだ。

 

 

 

 

 

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