こんな時代に、こんな時代だからこそ、ジワジワと読者からの評判をよび、
書店では平積みされPOPが飾られている作家がいる。
ノンフィクション作家、上原隆。
隣りにいる、まわりにいる、誰もが出会ったことがあるような人間を、
短いルポでまとめあげ、心をうつ。
挫折した人間、堕ちていく人間、夢を壊してしまった人間、
現状に納得していない人間、岐路に立って困っている人間、人間、人間。
この本には人間以外何も書かれていない。
傷を負っていない人間は誰も書かれていない。
「人間生きていれば、傷のひとつやふたつ誰だってあるじゃないか」
そんなメッセージをこめた人間模様を描いた作家だ。
作者を知ったのは書店で前々作「友がみな我よりえらく見える日は」という
本を見た時だ。そのタイトルを目にしたと同時に
就職二年目に学生時代の同期6人と居酒屋で再会したことを思い出した。
当時、広告の弱小プロダクションに勤めていた私と、
ほかの5人で給料の話をした時、あまりの差に愕然としたのだ。
「今年は業績がよくてボーナス8ヵ月でるんだよ」
「この間、金一封で10万円もらってね」
「福利厚生がよくて世界各地の施設がただで使えてね」
「で、お前は?」
世はバブル全盛。これぐらいの会話はあたりまえの時代、
年収100万円ちょっとの私は、話題を変えるのに必死だった
記憶が鮮明に残っている。
その時、「なんてあいつらえらくなったんだろう」
と真剣に思ったものだ。金じゃない。まだ、社会の新人なのだから
いくらでも差は埋められる。逆転できる。
そう思っていあの頃を、
たった一行のタイトルで蘇がえらせてしまったのだ。
その本で出会った世界は、まさに卒業アルバムを広げて
「あいつどうしてるかな?」
「親父の店継いだけどうまくいってないみたいだ」
「あいつは?」
「ずいぶん早くに結婚したけど離婚した」
「あの子は、どーよ」
「卒業したら見間違えるほどきれいになっちゃってさ」
なんて会話の中に出てくるような主人公がたくさん登場する。
生の人間を書いているのだから当然、
ハッピーエンドばかりではないし、
むしろ塩辛い人生の方が多数だ。
しかし、なんだろう、この心地よさは。
筆力としかいいようがないのだが、気持ちがふさぐことなく
むしろ、明日への活力にさえなる気がする。
いままで、あまり日本では体験したことのない作家なのだ。
例えれば、ピート・ハミルの「ニューヨークスケッチブック」や
ボブ・グリーンの「アメリカン・ビート」のような読後感かもしれない。
例えれば、クラッシックやジャズやましてやヒップホップではなく、
シンプルなロックンロール。それも誰もができそうでマネできない
ローリングストーンズのような高揚感かもしれない。
最近は、インターネット発の無記名な小説やドキュメンタリー?が
ヒットしているが、どっこい人間はこうやって描くんだよと、
さりげなくメッセージしているような作家だ。
新作「雨にぬれても」(幻冬舎)は前作、前々作同様、街にいる平凡な人を取材し
人生の数だけ読者を楽しませてくれている。
ぜひ、上原隆を未体験の方は体験していただきたいと思う。