反体制のジェラシー

(今日のコトバ)

 

社会は、体制と反体制のジェラシーゲームだ。

 

 

 

歴史物語や闘争をテーマにしたドキュメンタリーで、

反体制のリーダーが、体制を転覆させ天下をとる。

そのリーダーは反体制の時、ビジョンも、行動も優れていた。

しかし、天下という体制にまわった瞬間、体制と同じことをして

いっぺんに魅力がなくなり、仲間達の信望を失い、批判の的となる。

歴史だけではなく、会社員が出世していくたびに、

どんどん会社のいいなりなり、「昔はとんがってたのにな」

といわれたり。部活の先輩の発言、行動を批判していた人間が、

先輩とよばれるようなると、先輩よりつまらない先輩になる。

たぶん、反体制の中には純粋に体制の悪しき慣習をぶちこわそうする

気持ちはあるのだが、その気持ちの中の20%いや40%ぐらいは、

権力に対するジェラシーがあるのではないだろうか。

ジェラシーのすべてが悪ではないが、そこから生まれる力も信じるが、

できれば純粋な気持ちで社会を見つめ、

地位や名誉や肩書きが変わっても正しいスタンスをとれる人間に

なれたら素敵だと思う。それは、とてもとても難しいことだが。