目標ある幸せ

(今日のコトバ)

 

ぜんぶ揃って幸せなのではない。

何か欠けたものを満たすことで

幸せが生まれるのだ。

 

 

 

喜びが、楽しみが、満タンになることも、

幸せのカタチだと思う。

でも、いちばん幸せな時っていつだろう。

考えてみると、何かに試みて、その成果があらわれ、

「もっとがんばってみるか」と思っている時が、

いちばん幸せなような気がする。

なにもかも達成してしまって、喜びの頂点なのだけど、

次の目標がなくて心にすきま風が吹き出すより、

頂上を目指して駆け上がっている人間の方が

端から見ていてもおもししろい。

いまの幸せに満足していなくても、

着実に目的に近づいたり、成長しているなら、

それは、とても幸せな状態にあるはずだ。

その幸せを大事にしよう。

その幸せを生涯追い続けよう。

仮に何かを達成してしまったら、

次の目標をもてばいい。

次の目標が、新しい幸せが生まれるはずだ。

そして、成長や成果の中に埋まっている幸せを

また、たっぷり掘り起こせるはずだ。

 

ヴィッセル神戸の三浦知良が横浜FCに移籍した。

彼もサッカーを引退することで、目標がなくなることが

どれだけ寂しいことがわかっていたと思う。

その結果、J2でもサッカーをすることを選択した。

新しい目標をつくって走り出せば、また、新しい幸せが生まれる。

そのことを彼は知っているのだ。

方法論、経験、そして自信

(今日のコトバ)

 

達成するばかりが正義ではないが、

途中でやめた人は何をつかめばいいか

わからないまま終る。

 

 

 

一つのやるべきことを完遂するのと、

途中であきらめるのでは、

自分の中でつかめるものがまったく違うものになる。

完遂した人は、達成したという充実感とともに、

一つの方法論をスキルに組み込むことができる。

同じようなテーマをあたえられた時、

その方法論と経験と達成した自信で、

そのテーマは簡単にクリアできるはずだ。

だが、途中で投げ出した人は、

同じようなテーマでもまた1からスタートしなければならない。

それは、結論をもたない方法論とあきらめた経験と

自信がないという不安が残ってしまっているからだ。

あはらめるという簡単な行動は、

方法論、経験、自信という3つの大きな柱を失ってしまうのだ。

なんでもかんでもあきらめずに、

石にかじりつけとはいわないが、

ここぞという時はあきらめない方がいい。

なぜなら、あきらめないで得るものはあまりに大きいからだ。

きっと、成功者はみな知っている。

成功を手にした人は「あきらめない」から

つかめるものを知っている。

そして、つかんだものを絶対離そうとはしない。

つかんだものが人生を思いっきり有意義にしてくれるからだ。

あなたも「あきらめない」で、自分の夢や希望を達成し

自分のサクセスストーリーをつくってみないか。

 

道路公団が民営化を前に副総裁が逮捕された。

これも談合や天下を「あはらめない」という結果かもしれない。

だが、「あきらめない」も悪事に利用すると

最後は正しい審判が下される。

「あきらめない」は自分のプライドをかけた

夢のために使ってほしいものだ。

自分が再生するものを見つける

(今日のコトバ)

 

自分を壊さないだけのズルをポケットに。

 

 

 

真面目にだけ取り組めば、息がつまる。

真剣勝負ばかりだけでは、身が持たない。

生き方上手の人は、自分自身を壊さないための

術を知っている。

スーパースターも、カリスマも、美女も、野獣も、

気を抜ける場所や時間を大事にしている。

カラオケでも、早朝野球でも、フィットネスでも、

飲み会でも、美食でも、釣りでも。

その行為をすれば、自分が再生できる、

復活できるものを確保しているのだ。

明日を新鮮に生きるために、

今日壊れそうなところは今日修復しておく。

修復できる人生と、できない人生では

一生の楽しさまったく違うものになってしまうはずだ。

 

尊敬するアントニオ猪木はプロレスの天才だったが、

暴露本によると私生活、経営者としてはクエスチョンマークが

たくさんついたようだ。それも自分を壊さないための

再生方法のひとつだったのだろう。

現状打破のために基礎を

(今日のコトバ)

 

「このまま」が、

明日になると「こんなもの」になってしまう。

 

 

 

現状維持は退化に等しい。

昨日使えた技術が、今日使えなくなる。

今日使える技術が、明日使えなくなる。

日々の社会ではあたりまえのように起こりうる。

人間だって、過去を引きずっていては

成長できない。新しいものを生み出せない。

人間の人生の時間割りを、

教育、仕事、老後に分けてみれば、

子供から社会に出るまでの教育期間と

社会人一年目から退職までの数十年は、

立場や場所で質は違えど

やっぱり進化の連続であると思う。

その中で自分の武器となるものを研鑽し、

進化させていくことがとても大事なことなのだ。

プロ野球選手が真夜中でも素振りをするように、

毎日基礎をおこたらなければ、

地道でもステップアップできる。

それが、長い年月続けると偉大な成果として

とてつもない進化を果たすことになるのだ。

あなたも現状を打破するために基礎を大切にしよう。

 

それにしても、スペースシャトル「ディスカバリー」は、

まだ帰還もしないうちから、欠陥が発見されてしまった。

NASAはこの数年間、進歩を果たしたのだろうか。

すこし気をつけて、深く、長いおつきあい

(今日のコトバ)

 

助けてくれる人も、

お前の人生まるごとは持ちこちえられない。

手だけ貸してもらえれば充分な生き方をしよう。

 

 

 

助けてくれる人には、甘えてしまう。

たまに甘えてしまったり、ちょっと手を貸してもらうぐらい

サポートしてもらうのはかまわないと思うが、エスカレートして

人生をまるごと助けてもらおうとするのはどうだろう。

相手だって、コミュニケーションをしっかりとりたいから

少々のことであなたを助けてくれる。

しかし、だんだん依頼心が強くなり、大きな負担となるほどの

助けを求めたら、相手を不快にしているといって過言ではないのだ。

「すこし気をつけて、深く、長いおつきあい」

相手の事を考えて、相手が気持ちよく、

手をさしのべてくれる関係をつくろう。

それには、相手を尊敬して、相手とのいい距離を保ちながら、

サポートしてもらおう。

あなただって、必要以上にものを依頼してこられては、

好きな人でも嫌いになってしまうでしょう。

人間は比較級で生きている

(今日のコトバ)

 

救われているのは自分より苦しんでいる人がいる時。

けして、自分より楽している人を知った時ではない。

 

 

 

台風7号が今日上陸した。海沿いの地域での津波、

各地で発令される大雨洪水警報。

社会を暴力のように殴りつけた

悲惨なテレビ映像が流れる。

床上浸水した住居、川に流されていく車、

看板が飛んでいってしまったコンビニ、

土砂崩れの村、、、、、、、。

その時、その悲劇と関係ない人は何を思うのだろう。

「かわいそうだね、あの人たち」と思う人が大多数だろう。

でも、心の片隅に「自分の家、家族でなくてよかった」とも

思うのではないだろうか。

誤解を恐れずにいえば、人の苦しんでいる姿を見て、

自分のいまある幸せを確認しているといえるのではないか。

けして、いいことだといいきれないが、

普通の人々の偽りのない心境だと思う。

自分が他人との比較で自分の方が恵まれていると感じると、幸せになれる。

しかし、自分の方が恵まれていない時、幸せを感じるだろうか。

正直、幸せは感じないだろう。

自分より金持ち。自分より持てる。自分より成績がいい。

その人たちを見て幸せになれるほど、

人間は大きくないと思う。

嫉妬、不愉快、屈辱、劣等感。

言葉にすると、かわいくない気持ちが並ぶ。

でも、そのかわいくない気持ちから新しい何かを生んだり、

歴史的発明をしてしまったり、時代を変えてしまったりする。

あなたより、苦しんだり悲しんだりしている人も、

あなたより、楽しんだり優れている人も、

ぜんぶ、あなたの生きていくための尺度になっている。

そう、人間は比較級で生きているのだ。

どっちがいいとか、どっちが悪いとかではない。

あなたがどう解釈して生きるかなのだ。

 

先週も東京で震度5の地震があり、

サイバーエージェントとの社長と奥菜恵が離婚した。

あなたはどう思うだろうか。

負けない気持ちは偉大な魂を生む

(今日のコトバ)

 

コンプレックスは、

プライドの下にあるマグマだ。

 

 

 

人に負けている悔しさは、

体の中で沸々と燃えている。

この燃えている炎で、

生きるための活力を生む。

戦うための原動力を生む。

そして、ひとつひとつの負けを

勝ちにひっくり返すことで、

プライドという背骨が育成されていく。

悔しさを克服しようとする

負けない気持ちは、偉大な魂を生む。

いまコンプレックスに悩んでいる人よ、おおいに喜べ。

そのコンプレックスを克服するたびに、

あなたにプライドが築かれていく。

あなたが進化していくのだ。

ギャップこそ、エネルギー

(今日のコトバ)

 

徒競争ではないんだ。

やっぱり障害物競走なんだ、

世の中は。

 

 

 

まっすぐ生きようとする。

その気持ちだけでは、一直線に進めないのが人生。

予期せぬ出来事が起こり、良くも悪くも

日々に変化をつけてしまう。

まじめに一点を見つめて走ることは大事なことだが、

誤算も計算に入れておかないと、

後で痛い目にあう。

何事もスタートを切る時、

障害物があることを頭に入れておけばいい。

人生なんて、すべてハンディキャップマッチなのだ。

学校だって、先生にえこひいきされる人がいる。

会社だって、縁故は能力にかかわらず出世する。

自分はしっかりしているのに、まわりの人間が思うように動かない。

また逆で、自分がみんなの足手まといになることもある。

それぐらいの状況は、想定しておけばいい。

そのギャップが実力を育成し、人生を有意義にするエネルギーなのだから。

ハードルを超え、網を潜り、あんぱんをくわえながら、

走る。走る。なお走る。

そして、ゴールの先には歓声と拍手が待っている。

そんな人生で、いいじゃないか。

「希望」があれば、どこまでも人生は広がる

(今日のコトバ)

 

どんな時も、僕らは絶望を追いやって

希望を見つける天才です。

 

 

 

もう天から授かった才能というしかない。

人間は、どんな状況からでも「希望」を見いだすことができる。

平和な国日本で安易にこんな言葉を口にするのは、

どうかと思うが、戦時下のドキュメントを読んでも、

収容所の回顧録からも、闘病生活の日記からも、

絶望の中からとても大きな「希望」を探し続け人間は生きていく。

しかし、いま、世界最高水準の暮らしをしている日本人が、

「希望」を見いだせずにいる。

何不自由のない暮らしをしているのに、「希望」が見つけられず

心を痛めて生きている。

それは、「希望」を全速力で叶えすぎてしまった社会が、

「希望」の価値を忘れてしまったのだと思う。

生活に困らない仕組みはできたけれど、大会社の社長になれるとは思えない。

車や家が持てんないほど貧乏ではないが、大豪邸に住めるとも思えない。

普通にやっていれば、そこそこにしかなれない。

でも、何か満たされない。人生に力が入らない。

強烈に何かをされたわけでもなく生きているのに、

すごく小さなこと(本人にしては大きなこと)で失意に落ちていく。

その人たちは、やっぱり「希望」が枯れているのだと思う。

けして、社長や総理大臣にならなくても、50歳でリタイヤして、

南の島で釣りをしながら生きていくことだって、

すごいロマンチックな「希望」のような気がする。

こんな時代だから、早めに会社を卒業して

趣味に生きる。そのために若いうちに人の倍働く。

ニートが増え働かない人口が増えているけど、

会社は派遣社員を大幅に採用している。

その派遣社員でも、頭角をあらわす人間は、

会社が好条件で社員に採用したりもする。

新人教育を怠っている企業もいかがなものかだが、

即戦力の人材は会社もよだれをたらして待っている。

「希望」があれば、どこまでも人生は広がる。

今日、いま、失望のでいっぱいの人がいたら、

人生でやりたいことの目標を定めよう。

定めただけで、失望はちょっと「希望」に変わっている。

計画を練っただけで失望は半分「希望」に変わっている。

動きだせば、もう7割の失望は消滅し、「希望」に変わっている。

そして、軌道にのれば、100%「希望」に変わっているじゃないか。

忘れないでほしい。絶対に忘れないでほしい。

人間は、「希望」を見つけることの天才であることを。

心が曇る時間は期間限定

(今日のコトバ)

 

スッキリすれば、ハッキリするよ。

 

 

 

ものごとが見えにくくなる時、

必ず自分のまわりがゴチャゴチャしている。

仕事が忙しかったり、勉強で追い込まれていたり、

恋愛がグチャグチャだったり、精神的にきつかったり。

心が曇ってくると、大切なことを見落として、

どうでもいいことに振り回される。

そんな時、心をスッキリさせる方法をもっていると、

人生は楽になるはずだ。

エイ、ヤアで片付けてしまう、遠ざけてしまう、終了してしまう、

などのオーソドックスな方法もあるだろう。

ただ、心が曇る期間は、ほとんどの場合、期間限定にできるものが多い。

とすれば、心は晴らすのは時間をどう区切るで決まるといえる。

ならば、自分の中で区切りをつけ、リラックスできる時間をつける。

くつろぐ時間が心の視界を良好にし、正しい判断がくだせるようにする。

そのコントロールさえきけば、人生はきっと見晴らしがよくなり、

ハッキリとしてくるはずだ。