「希望」があれば、どこまでも人生は広がる

(今日のコトバ)

 

どんな時も、僕らは絶望を追いやって

希望を見つける天才です。

 

 

 

もう天から授かった才能というしかない。

人間は、どんな状況からでも「希望」を見いだすことができる。

平和な国日本で安易にこんな言葉を口にするのは、

どうかと思うが、戦時下のドキュメントを読んでも、

収容所の回顧録からも、闘病生活の日記からも、

絶望の中からとても大きな「希望」を探し続け人間は生きていく。

しかし、いま、世界最高水準の暮らしをしている日本人が、

「希望」を見いだせずにいる。

何不自由のない暮らしをしているのに、「希望」が見つけられず

心を痛めて生きている。

それは、「希望」を全速力で叶えすぎてしまった社会が、

「希望」の価値を忘れてしまったのだと思う。

生活に困らない仕組みはできたけれど、大会社の社長になれるとは思えない。

車や家が持てんないほど貧乏ではないが、大豪邸に住めるとも思えない。

普通にやっていれば、そこそこにしかなれない。

でも、何か満たされない。人生に力が入らない。

強烈に何かをされたわけでもなく生きているのに、

すごく小さなこと(本人にしては大きなこと)で失意に落ちていく。

その人たちは、やっぱり「希望」が枯れているのだと思う。

けして、社長や総理大臣にならなくても、50歳でリタイヤして、

南の島で釣りをしながら生きていくことだって、

すごいロマンチックな「希望」のような気がする。

こんな時代だから、早めに会社を卒業して

趣味に生きる。そのために若いうちに人の倍働く。

ニートが増え働かない人口が増えているけど、

会社は派遣社員を大幅に採用している。

その派遣社員でも、頭角をあらわす人間は、

会社が好条件で社員に採用したりもする。

新人教育を怠っている企業もいかがなものかだが、

即戦力の人材は会社もよだれをたらして待っている。

「希望」があれば、どこまでも人生は広がる。

今日、いま、失望のでいっぱいの人がいたら、

人生でやりたいことの目標を定めよう。

定めただけで、失望はちょっと「希望」に変わっている。

計画を練っただけで失望は半分「希望」に変わっている。

動きだせば、もう7割の失望は消滅し、「希望」に変わっている。

そして、軌道にのれば、100%「希望」に変わっているじゃないか。

忘れないでほしい。絶対に忘れないでほしい。

人間は、「希望」を見つけることの天才であることを。

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