ファンの力で実力以上

(今日のコトバ)

 

 

あなただって、

ファンの声援で実力を超越できる。

 

 

 

なにもスポーツ選手だけではなく、

どんな人も応援や声援をもらえば、

情熱を沸き立たせ頑張れる。

体からあふれでるエネルギーが、

高い目標をクリアしようとする。

人は、自分のファンのアシストで

実力以上の実力を発揮できるのだ。

だから、自分にもファンをつくろう。

高い目標ができた時、辛い精神状態に

追い込まれた時、ファンは必ずあなたを

引き上げ、さらに一歩進めてくれる。

未知の力は、自分とファンのサポートで

生まれるのだ。

のろまが制す

(今日のコトバ)

 

 

のろまは弱い。

ただし、あきらめないのろまは最強だ。

 

 

 

人のペースより遅く、

作業などでひとり最後まで残ってしまう。

そんな人の中に、不器用というだけでなく、

何かを考え自分で納得しながら進めていく人がいる。

実は、この手のタイプの人がいちばん凄かったりする。

時間や状況にかかわらず、自分の完璧を目指す。

安易に妥協せず、常に新しいものを模索している。

エジソンのように時間を忘れて、物事に没頭する。

結果、結論を急ぎすぎた人より、

数段素晴らしい解答を引き出してくる。

時計の針を突きつけられ焦ってはがりいる

超高速社会であっても、

本物は完璧に向かって

真剣に、丁寧に物事を進める。

何ものろまなことが、

悪いことばかりではないのだ。

できれば、自分が納得するまで取り組む姿勢を

持ちたいものだ。

生きるための力技

(今日のコトバ)

 

責任感を強くするには、

人を救う訓練をすればいい。

 

 

 

無責任な人が多くなったといわれる。

いったことをまっとうしない人が目立つといわれる。

世の中が個人主義になり、

自分以外に責任をもたなくなったのは事実かもしれない。

だが、力のある組織、成功する組織には、

責任感という三文字を果たす人材がしっかりと存在する。

当然のごとく無責任な集団は、

生きる力を足し算やかけ算にはできず、

引き算にしたり割り算にしてしまう。

できれば、責任感のある組織とつきあいたいと思ったりもする。

では、責任感とはどうやって養われるのだろう。

それは、自らが人を助けることから生まれるのではないかと思う。

人生の中で、誰かを助けることはとても力がいる。

無視して通り過ぎれるのならば、そこで終わってしまえるものを

手を差しのべて引き上げてあげるのだから、

必然的に生きるための力技が必要になるのだ。

その人を引き上げるためにつけた力技こそが、

責任感として身につく。

強い責任感のある人は、

人を助けたり、人をまとめたり、

人に対して様々なサービスを繰り返してきた人なのだ。

自分に対する責任感に疑問を感じている人は、

人を助けてみよう。人をまとめてみよう。

何度も繰り返すうちに責任感は自分と一心同体になるのだ。

楽しみ、慣れさせる。

(今日のコトバ)

 

面の皮は、厚すぎず、薄すぎず。

 

 

 

年齢を重ねるごとに、ふてぶてしくなり、

新鮮な感性を失っていくことがある。

反対に、プレッシャーの多い仕事などにつき、

いつまでも強度の緊張感から抜けだせない時がある。

人は心と共に生きているから、

状況下の心模様次第で様々な精神状態に陥る。

ただ、いつまでも緊張感にさいなまれていては身がもたない。

緊張感を無くす方法も考えるべきだ。

緊張感を無くす方法、それは場数だと思う。

緊張感を発生させる原因は、人と場所がほとんどだと思う。

だとしたら、そのふたつを自分の中に取り込む、免疫をつくることだ。

怖い顔、プレッシャーをかける人も、慣れてしまえば楽になる。

先生や親父がガミガミいっても怖く無くなるのといっしょだ。

また、はじめての体験の時に、まったく緊張しないのも人間として

成長がないと思う。緊張は、本気で何かを成し遂げようとするから

体に発生するのだ。やる気のないところに緊張感は生まれない。

体験する時のプレッシャーを感じ、楽しみ、

自分の中で慣れさせてしまう。

生きていくには、ほどほどの面の皮が必要だ。

意志と意識は二輪のタイヤ

(今日のコトバ)

 

ネガティブを切り落とせ。

ポジティブが成長しやすいように。

 

 

暗澹たる思いを抱いていては、

明るい明日をイメージできない。

ネガティブを引きずっていては、

元気など出るはずもない。

沈んだ気持ちは、

どこかで捨て去らなければ

次へは進めないのだ。

では、捨て去るためにどうしたらいいだろう。

それは、気持ちの落ち込みを

意志の力で消し去るのだ。

意識をしてポジティブに

気持ちを盛り上げるのだ。

意志と意識でネガティブを除去すれば、

手術後の傷口のように日に日に、

ネガティブは消えていく。

意志と意識は、ポジティブに生きるための

二輪のタイヤなのだ。

「前へ」を念頭に

(今日のコトバ)

 

一生前へいけ。

 

 

前へ。前へ。前へ。

自分の決めたことは前へいく。

一歩や百歩や千歩では足らない。

一生前へいくことを、

心のど真ん中に配置しろ。

人間だから、弱きになって

後向きになることもあるけれど、

とにかく「前へ」を念頭におけば大丈夫。

悪いリズムを、前への気持ちが

良いリズムに変えていく。

前へ。一生前へ。

素晴らしい未来は、

いつも自分の前から広がる。

思うままの道を突き進む

(今日のコトバ)

 

迷ったら、正面突破だ。

 

 

 

人は、いつも迷っている。

時に前へいくべきか。時に後ろへいくべきか。

時に右へいくべきか。時に左へいくべきか。

即断できる場合もあるが、

生きていると人生の糸が複雑にからみあって、

踏ん切りがつかなくなることがある。

その時は、直感のおもむくまま正面突破しよう。

直感は経験から生まれることも多く、

振り返ってみると正しい判断をしたと気づくことがある。

また、かりに間違った選択をしても、

思いっきり力を発揮したら悔いもあまり残らないと思う。

人生は迷うことが前提にあるのだから、

その対処方法として心が思うままの道を

突き進むのも悪くない選択だ。

遠まわりで生きる体力

(今日のコトバ)

 

まわり道には、

人生を鍛えるフィットネスクラブがある。

 

 

 

遠まわりすることで遅れをとって、

人より後方を走らなければならないことが人生には時としてある。

一直線で走ればたいした距離ではないのに、

まわり道をして迷路にまぎれこんでしまう。

だが、まぎれこんだ道で障害物、誘惑、危険などにさらされて、

生きる体力がつくことがある。

ちょうど勉学一本で人生を走り続けた人間が、

一回の負けで心が折れて立ち上がれなくなることの逆で、

痛い目にあっていたからこそ、厳しい状況をクリアできる自力がある。

時間は少々かかっても、豊富な経験が困難を

ものともしないスキルを育成できる。

人生のまわり道は、それほど悪くないのだ。

もし、まだ人生に自信がないのなら、

急がずにちょっとまわり道をしてみるのもひとつの手だ。

やる気がリーダーシップを発揮する

(今日のコトバ)

 

脱ぐときは中途半端ではなく、

スッポンポンで。

 

 

 

やるのなら徹底に。やらぬなら何もしない。

半端なことをすると、どっちつかずになり何も手にできなくなる。

手にできないならまだましで、迷っている間に大けがすることもある。

危ないことは、半端な気持ちの中にあるのだ。

やると決めたらやる。思いっきり自分の丸裸がみえるまで脱いでしまう。

潔くやる気を出せば、物事はそのやる気についてくる。

やる気が人をひきつけリーダーシップを発揮する。

効率よく物事を成立させるには、いちばんいい方法だ。

つづけよう、いま、好きなことを。

(今日のコトバ)

 

つづければ、いいってもんです。

 

 

 

「長くつづけても意味がない」とか、

「ダラダラやればいいってものじゃない」なんて

子供の頃から年長者によくいわれたけれど。

年を重ねるにしたがって本当にそうだろうかと思う時がある。

例えば、スポーツ選手がプロを目指すなら、

限られた時間の中で結果をださなくてはいけないが、

同じスポーツを子供の時から何十年もやっている人は、

そのスポーツが人生の得意技になっている。

剣道を25年やっていて五段の免許をもっている人は凄い。

防具をつけたたたずまいだけで、素振りだけで、

極めた強さを醸し出す。

サッカーを社会人になってからも続け、

その技術を生かして地域の少年サッカーの名コーチとなる。

少年たちの中から優秀な選手を生み出し、尊敬されている人もいる。

一流のコンクールで優勝したことのないビアニストも、

突然、バンドを組んでピアノのパーツでかっこいいところを

みせれば、ちょっとしたスターになれる。

日記を一日も休まず書き続け、たまたま投稿した詩が

入選することだってある。

なにも業界のトップにならなくても、長くつづけていれば

充分幸せになるだけの技能が身についてしまう。

途中で投げ出さずつづけることが、

人より秀でることになり、

人生を楽しむため自分のスペックになる。

つづけよう、いま、好きなことを。

きっと、その技能が自分の人生を有意義なものにしてくれる。