綺麗事の意味を知れ

 

(今日のコトバ)

 

綺麗事ばかりで生きている人間が、

いちばん汚れている。

 

 

綺麗事。

体裁をつくろって、

実情にそわないこと。

そんなことをいう人が

まわりに必ずいる一人はいる。

あまり責任を感じていない。

あるいは、責任をとりたくない人が

陥る綺麗事という言葉。

綺麗事をいう人は、

わりと大きな声で綺麗事をいう。

そのくせ、自分では動かなかったり、

逃げてしまったり、、、。

言い訳をラッピングしているようにも

思える。

そんな人は、汗をかこうとしない。

一言でいうと、人として汚い人。

つまり、綺麗事をいう人は、

人として汚い人ということもできる。

だとすれば、

そう理解した上で

付き合うこともできる。

綺麗事。

自分でも、やりたくなかったり、

当事者になりたくなかったりすると、

綺麗事をいってしまうこともある。

綺麗事の意味を理解して生きる。

一つの生き抜く教訓だ。

今日も人生の本番

 

(今日のコトバ)

 

準備ばかりの日であっても、

今日はあなたの人生の本番でした。

 

 

 

人生において、

本番でない日は一日たりともない。

なにげない一日でも、

なにごともなかった一日でも、

人生においては、本番。

そう思うと、

一日一日が貴重に感じる。

どんな生き方をしても自由。

なにもしなくてもいいし、

遊んでばかりでもいい。

ただ、生きていて、

自分がもっとも

イキイキしている状況をつくるなら、

目標を持って、

一日を前進していくことが大切だ。

勝負する。挑戦する。習得する。

鍛える。学ぶ、、、、。

人として前進するものに一日を使う。

その中で生きることが、

自分をイキイキさせることではないだろうか。

もちろん、心身の状況が良くなくて、

休むこともあるだろう。

しっかり休んだ方がいい場合もある。

その時は休めばいい。

ただ、今日を人生の本番と考えた時、

何をすべきか。

それは、

人それぞれの目標に向かって

前進すること。

そう思って生きていきたいものだ。

 

最強になる可能性を勤勉が引き出す

 

(今日のコトバ)

 

勤勉は、希望を手離さない。

 

 

 

人が強くなれるには、

何が必要か。

ズバリ、勤勉を続けることが

強くなる道ではないだろうか。

どんな人も、勤勉であれば、

ある程度の結果を出せる。

能力あるなしにかかわらず、

ある程度のポジションにもいける。

もちろん、選んだ道が

自分に向いていなかったり、

あまりに遠すぎて

息が上がってしまうこともある。

それでも、勤勉ならある程度までいける。

もちろん、才能がある分野に進めば、

圧倒的に実力を開花することもある。

そう思うと、

勤勉は武器にしていい。

性格的に勤勉が向かない人もいるだろう。

だとしたら、自分が好きなもの選んで

勤勉になる。

それなら誰でもできるはず。

何か人生の強みを

つくりたかったら、

勤勉に生きてみよう。

自分が強くなる、

最強になる可能性が出てくる。

最強になる可能性を勤勉が引き出す。

そう信じて生きていく。

一つの生き方だと思う。

視界がクリアな時に目標をつくる

 

(今日のコトバ)

 

達成された瞬間が

いちばん視界良好になる。

次の目標の景色がはっきり見えるんだ。

 

 

 

一つの目標を達成すると、

達成感と共に、

視界が大きく広がる気がする。

気分がいいこともあるかもしれない。

その時こそ、

人で次の目標を掲げる

いちばんのチャンスのような気がする。

最高の時に見える未来の視界は、

クリアだ。

クリアな時に目標を決める。

少し高いが達成すること可能な目標を

つくることができる。

人間は、

目標をクリアしながら成長する生きもの。

だからこそ、

少しでも高い目標をクリアしていくために、

目標達成した時に、

次の目標をつくっていく。

その繰り返しが

自分を着実に成長させる礎になるのだ。

人生をリセットするために、泣こう

 

(今日のコトバ)

 

涙は、

もう一度、人生を取り戻すために、

自分を空っぽにしてくれる。

 

 

泣いた後、

スッキリする。

なんだか心が軽くなる。

生きることを、

一度リセットして、

もう一度がんばってみようと思える。

泣く。涙を流す。

それだけのことで、

気持ちがリセットできるなら、

上手に使わない手はない。

感動する映画・ドラマを観ることでもいい。

とにかく泣いてみる。

もちろん、ほんとうに悲しくて

泣いたっていい。

涙は気持ちをも潤してくれる。

ガマンして泣かないと、

溜まったものが流せない。

コロナ禍のご時世、

知らず知らずのうちに

溜まっているものもあるはずだ。

思い切って、

自分の心の不純物も流してしまおう。

泣くことは、

人生をリセットするのに

大切な役目を果たしてくれる。

がまんせず、泣きたい時に、泣こう。

 

違う世界へ行って、言葉から解放される

 

(今日のコトバ)

 

口汚く罵る奴らがいるなら、

頂上まで上ってこい。

奴らの言葉はどん底で澱んでいるだけだ。

 

 

 

批判とか、陰口とか、ワル口とか、

自分の耳に入って

気分の良くない言葉がある。

気が小さかったり、

神経質だったりすると、

気になって仕方がなくなることもある。

では、自分にとって

気分のワルい言葉から、

解放される方法はあるだろうか。

それは、その世界から脱却すること。

同じレベルの中にいると、

どんな言葉も気になってしまう。

だからこそ、

違う世界に行く。

レベルを上げた世界へ行くでもいいいし、

文字通り違う世界を見つけて行くでもいい。

気分のワルくなる声は、

時に、自分自身を失うことになりかねない。

だからこそ、

自分のいる世界を変えて、

人の言葉から解放される。

人生を生き抜くための一つの方法だ。

 

「意識」することを、「意識」する

 

(今日のコトバ)

 

意識は、

人生を生き抜くための

標識である。

 

 

 

「意識」する。

それが人生でどれだけ重要なことか。

わかっているのだが、

いつもいつも「意識」するわけにはいかない。

「意識」するにも体力がいる。

だから、

怠けていると「意識」はしなくなる。

もっというと、怠けることとは、

「意識」しないことともいえる。

「意識」することは、

人生を行きたい方向へ向かわせるために、

とても大事なこと。

「意識」していれば、

人生は行きたい方向へ進んでいくはずだ。

人生は、短い。

より短時間で行きたい場所へ

行けた方が楽しくなる。

だからこそ、

「意識」することを「意識」して、

人生を行きたい方へ進ませていく。

自分の意志でどうにでも

コントロールできる「意識」。

生きるために大切にしたいと思う。

 

 

 

 

人生の武器になる本音と建前

 

(今日のコトバ)

 

人は、

本音と建前の間を

行ったり来たりしながら、

人間になる。

 

 

常に、本音と建前で生きている。

生れて物心がついた時から、

どこかに本音と建前を

使い分けて生きてきた気がする。

大人になるにつれ、

本音より建前が多くなった。

否、建前を使わなければならない

状況が、

増えてきたといってもいい。

だからといって、

建前が多くなるのが、

大人になることとは

いいたくない。

ただ、間違いなく経験を積むと

建前が多くなってくる。

本音と建前。

使い古された言葉だけど、

解明されないで、

人間の心を行ったり来たりする気持ち。

この二つの気持ちを使い分けながら、

人間は人生の荒波を乗り越えていく。

考え方によっては、武器となる気持ち。

この二つの気持ちを大事にしながら

生きていたいと思う。

 

100%の力を発揮して生きる

 

(今日のコトバ)

 

100点は人がつけるもの。

100%は自分が発揮するもの。

 

 

 

人生、何が満点かわからない。

テストであれば、100点をとれば満点だが、

それで終わるとは限らない。

100点以上もあるし、

100点に到達しなくても、

点数としてはトップであることもある。

100点は数字の基準でしかない。

だが、これだけはいえる。

自分が100%の力を発揮すること。

全力で力を発揮して

頑張ることはできることは、

自分にとって満点ではないか、と。

自分MAXの力を出して、

やることをやったら

自分自身が納得できる。

いい成果でなくても、

次へ進むためにリセットして進める。

そう考えると、

100点とることよりも、

100%の力を発揮することの方が

人生において大切なのだ。

だからこそ、

100%の力を出して生きる。

そのことを念頭において、

人生を生きていきたいものだ。

 

人を救うことで、自分も救われる

 

(今日のコトバ)

 

誰かを救うために尽くした力は、

自分の肩の荷を降ろすことに

役立ちました。

 

 

 

困ってる誰かを助けることがある。

いつもではないが、

時に、ある。

その時、思うのだが、

「助けたはずなのに、助けたはずの自分が

救われている」と。

もう少し詳しくいうと、

確かに自分の力が誰かの助けになった。

その助けた人が、喜んでくれた、

感謝してくれた瞬間から、

自分の中の何かホッとする。

落ち着いていく。

そして、自分も喜び、

なぜだか感謝したくなる。

あるアーティストが被災地へ行って、

救済コンサートをした後、

テレビで語った言葉が、

いまでも耳に残る。

「悲しんでいるみなさんを

勇気づけに行ったのに、

勇気づけられたのは自分だった」と。

まさに、自分にも同じ感情が起こる。

アーティストのように、

たくさんの人を勇気づけることは

できないけれど、誰かを助けると、

確かに自分も喜び、感動し、勇気づけられる。

人に何かをしてあげる醍醐味は、

そこにあるのかもしれない。

何かをしてあげた人だけでなく、

何かをした自分も喜べる、勇気がわく。

だからこそ、人を助けることを、

主体的に考えて、行動していい。

「人を救うことで、自分も救われる」

人間はそうできている気がしてならない。