出来事を現場で

(今日のコトバ)

 

そこにいることが大切なのだ。

 

 

ライブがあるときに、その場所にいなければ楽しさは半減する。

イベントがあるときに、その場所にいなければ良さは理解できない。

反対に、制作側でも当事者は現場にいなければ正しい判断は下させない。

何かが起こるところに、自分がいることが大事なのだ。

いなければ、楽しめない。いなければ、権利がない。

そこにいることが、あらゆる出来事で有利に働くのだ。

もっといえば、そこに行こうとする行動力があるか、ないかが、

すべてを決しているといっても過言ではない。

現場主義。行動主義。体験主義。

一歩踏み出せる人は、大事なものを手に入れることができるのだ。

「蓄え」と「繋がり」

(今日のコトバ)

 

みんなギリギリで生きている。

がんばってギリギリから離れようとして生きている。

 

 

社会人が会社を辞めてしまったら。

会社が倒産してしまったら。

肉親がいなくなってしまったら。

あるべきものが突然なくなってしまったら、

人は突然、瀬戸際まで追い込まれる。

経済的な問題なことばかりではなくて、

精神的な問題も厳しい状況になる。

みんな普通の顔して生きているけれど、

一歩間違えはまったく変わった人生がはじまってしまう。

だからこそ、人は厳しい状況にならないよう蓄えをもったり、

人との繋がりを大切にしているのだ。

そして、この「蓄え」と「繋がり」こそが社会の原点だったりする。

いま、時代が人間関係や社会構造を複雑にしているけれど、

基本を考えるとこの二つにつきる。

いま、自分のまわりで何かが上手くいっていなかったら、

この原点に立ち返ってみよう。

原点さえおさえれば、人生は普通に動き出す。

簡単ことだが、この原点を堅持することによって、

ギリギリの人生から、ゆとりの人生を手に入れているのだ。

「もっともっと」を今日から

(今日のコトバ)

 

 

もっと幸せになれると思っている時が、

幸せを満喫している時なのだ。

 

 

「もっともっと」と思っている時は、

漠然とでも、明確にでも、前進していくための

設計図が描けている時だ。

未知の力に引っ張られて、熱い思いに支えられて、

行くべき未来に夢中で行ける。

人生の中でも特筆すべきかけがえのない時間だ。

こんな時間をもてる人は、

無条件で幸せの渦の中に巻き込まれている。

無意識に幸せにのまっただ中にいる。

もし、いま、幸せとほど遠い場所にいると思っている人がいたら、

自分の中から生まれる「もっともっと」を探してみょう。

その「もっともっと」を見つけたら、

その「もっともっと」と今日から一緒に走ろう。

日々のつまらない雑念を追い抜いて、

遠くに見える「もっともっと」のゴールに向かえば、

知らず知らずのうちに、きっと、あなたも幸せの中心にいるはずだ。

満足探し

(今日のコトバ)

 

欲しいものは、

いつだって少し手の届かないところにある。

 

 

願い事だったり、欲しいものだったり、

夢とまでいかなくても手に入れたいものは、

すぐに手に入らない距離にある。

否、すぐに手に入らないものを欲しがっているのかもしれない。

人は今ある現状と欲望の距離をうめることで、

満足しているといえる。

だとすれば、欲しいものを目的にして生きることは、

「満足探し」の人生ともいえる。

そして、満足して生きられれば、人は幸せになれる。

まず、欲望をもて。次に、欲しいものを手に入れるよう努力する。

手に入れたところで満足・達成感を得る。

その繰り返しが人を幸せにするのだ。

心の中に

(今日のコトバ)

 

失ったものも、心の中では財産になっている。

 

 

何もモノだけでなくて、人であっても、時であっても。

失ってしまうことがある。

目に見える現象・対象が無くなって、

悲しい思いに暮れることがある。

ただ、失ったものが、ほんとうにすべて無くなることはない。

心がある限り、心には経験したデータがストックされていて、

いつでも思い返せば引っ張り出せるはずだ。

もちろん、失わずに存在している方がいいのはわかっているが、

失ってみて、その価値をほんとうに知ることもあるはずだ。

また、本棚の一番奥にしまって二度と開かない本もある。

問題は、「あるか」「ないか」ではなく、

心に存在するかなのだ。心に思い出として記憶されれば、

すべてがあなたのものだ。それだけでいいこともある。

失って悲しいと思うのは仕方ない。

だが、心を開いてみれば、

素晴らしい思い出がそこに眠っているのだ。

働くことで人生はまわる

(今日のコトバ)

 

働けば、遊びの良さがわかる。

働けば、休みの良さがわかる。

働けば、働く良さがわかる。

 

 

働くことで、すべてがみえてくる。

愉しむこと。ゆとりをもつこと。楽すること。

そして、働くことの意味さえもよく理解できる。

苦しみとも、違う。悲しみとも、違う。

楽しみだけではない。おもしろさだけでもない。

希望にちょっと近くて、やりがいにもっと近い。

考えてみると働くという言葉は、定義しづらい気もする。

ただ、働くという一言で人間の本質を表してしまう。

実は、働くという言葉は、

人間という言葉に置き換えられるかもしれない。

働くという言葉を基準にすれば、すべてが理解できる。

働くという言葉を基準に、生きていくことができる。

「働く」ことで、人生はまわっているのかもしれない。

キレてしまうその前に

(今日のコトバ)

 

堪忍袋には、穴をあけておくのも良い。

 

 

キレてしまうと、今まで創り上げたものを

一瞬で失ってしまうことがある。

後で「もっと大人の対応をしておけば」と悔やむこともある。

当然、何を失ってもぶちキレなければならないときもある。

ただ、人生の中でキレてしまったときの代償はあまりにも大きい。

キレてしまったことで、永遠に繋がり失ってしまうもの。

一時は、腹立たしくてケンカをしても、冷静になると

それほど怒ることではなかったりすることがある。

また、勘違いしてキレてしまって、

気まずい思いをし、結局は謝らなければなることもある。

だが、もっとも危険なのは、

キレた相手がもっとも身近な友人、恋人だったりしたときだ。

とかく人は怒りはじめると、

腹の中にためておいたことをはき出してしまうと同時に、

心ない一言もいってしまったりする。

傷つける言葉のせいで、何十年と続いた人間同士の歴史が

音をたてて崩れていく。

これぼど人生の中で損なことはない。

だから、キレそうになったらワンテンポがまんしてみよう。

案外、キレるべき対象がたいしたことのないことだと理解できるときがある。

否、ほとんどが冷めてしまえばたいしたことがなかったりする。

堪忍袋に小さな穴をあけて、

簡単に緒が切れることのないように生きてみよう。

人は、つながりを切ってしまって生きていけない生き物なのだ。

グッド・パフォーマンス

(今日のコトバ)

 

万全な体制をみせると、

敵はグラグラ揺れてくる。

 

 

 

相手のメンバーを前にしただけで、

ビビリ、自分を失い、思うように力を発揮できない。

戦わずして負けてしまう。

相手が大きくて、強そうで、恐怖心で手も足もでない。

そういうこともある。

だが、反対に自分自身の準備が足りなくて、

相手が大きくて、強そうで、手も足も出なくなるというのが、

本当のところだと思う。

自分や自分達が万全な準備をし、

どのような状況でも対処できる自信があれば、

不安は最小限に食い止められる。

人によっては、本番前に強度の緊張に追い込まれることもあるが、

こういう人は、はじまってしまえば時間が立つほどに、

実力を発揮し最高のパフォーマンスをする。

心配はいらない部類の人だ。

だから、戦いの前には最善のトレーニングで準備を完了しておこう。

大人が子供と戦うとしたら恐怖感がないように、

自信があればグッド・パフォーマンスができるのだ。

 

夏の甲子園は早稲田実業が初優勝した。

今大会は、予選から逆転につぐ逆転で観客を魅了。

そして、決勝戦も球史に残る再試合という熱戦が行われた。

早稲田実業、駒大苫小牧ともに万全の準備をしての戦いだったのだろう。

できれば、両校優勝にしてあげたいぐらいだ。

夢が満ち満ちと

(今日のコトバ)

 

ドキュメンタリーを、

ファンタジーにして生きていこう。

 

 

毎日は何もしなくても過ぎていく。

仕事をしていても、学校にいっていても、

目的を持たなければ、ただ時間だけが加算されていく。

ほんとうに生きるとは、時間の中で何をしたか。

課題を解決しようとしたか。昨日より進化しようとしたか。

勝つための努力をしたか。それほど重く考えなくてもいい。

過去より何かをつかめれば、それは素晴らしいことだと思う。

そして、日々の生活のを大きな目的に向かって生きていれば、

その生活自体が幸せになる。

一日一日を大切に紡ぐことによって、

人生がドキュメンタリーから、ファンタジーになる。

ちょっと意識を変えるだけで、夢や希望と共に生きていける。

同じ一生なら、人生の目の前に夢が満ち満ちとある方がいいと思わないか。

 

 

黒澤明の「生きる」を観た。ただ判子を押すだけで、

毎日が過ぎていく市民課の課長が胃がんと知って、

残りわずかな人生を市民から要望のあった公園づくりに

全力をつくす、というストーリーの作品。

「生きる」は、生きながら目的もなく死んでいる人生があることと、

死期が迫って生きることの意味を見つけ出した人生を

見事なコントラストで表現している。

役所の一課長の凄まじい努力で、

市民の望んだ公園をつくってしまう。

ひとつの希望をもった人間が、

どれほど世の中を変えてしまえるかを

リアリティを持って教えてくれる。

ぜひ観ておきたい日本映画の秀作である。

未知に踏み出す楽しみ

(今日のコトバ)

 

未知だからこそ、足跡を自由に残せるのだ。

 

 

まだ誰も足を踏み入れたことがない。

不安はあるが踏み出してみる価値はある。

そこまで大袈裟でなくても、

自分としてはかなりの冒険で、

近くに先を走っている人がいないとき、

勇気を振り絞って歩み出せば、

足跡のすべてが歴史になる。

安全で誰かの足跡の後を歩けば、

想定外のことは起こらないかわりに、

ほぼ歴史にはなりにくい。

判断は、個人の自由だ。

だが、何かを残したいと思うのなら

未知の世界に足を踏み出すことは、

いちばんの近道だ。

そして、実は様々な想定外のことが起こるが、

その方がよっぽどやりがいがあって、

おもしろかったりもする。

タフで、メンタルに自信があるのなら、

新しい世界に足を踏み出そう。

人生は、一度しかないのだから。