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(今日のコトバ)
大好きな人が、
私の優れたところを教えてくれた。
大嫌いな人が、
私の欠けたところを教えてくれた。
人はいろいろな側面を持っている。
ある人に聞くと、
「素晴らしい人だ」といわれるが、
別のある人に聞くと、
「何を考えているかわからない」と
いわれてしまう。
人によって評価が違う。
たいがいは概ね同じような評価だが、
100%みんなが同じ評価の人もいない。
考えてみると、
自分の好きな人は、
たいがい自分に
いいことをいってくれる。
反対に、
自分の嫌いな人は、
たいがい自分に
嫌なことをいってくる。
だからこそ、
好きな人であり、
嫌いな人なのだが。
ただ、忘れていけないのは、
いいことばかりいう人を信じて、
嫌なことばかりいう人を信じないと、
自分という人間の判断を間違える。
いいことをいってくれる人も
ひとつの正解。
嫌なことをいってくる人も
ひとつの正解。
そのどちらも肝に銘じて生きる。
バランスをとっているために
大切なことだ。
(今日のコトバ)
人生の現在地がわかるのは、
人という道標に出会うからです。
自分がいま、
人生のどの場所にいるのだろう。
そう考えることがある。
学校や会社のポジションで
確認することもある。
仕事がフリーランスになると、
なかなか確認するのも
難しいかもしれない。
ただ、一つだけ
確認できるものがある。
それは、人との出会い。
会っている人がどんな人か、
仕事でも、プライベートでも、
人生の場面で変わってくる。
どうしても行動を
共にしなければならない人がいる。
会わなければいけない人がいる。
会いに来る人もいる。
その人たちを見渡した風景が
人生の現在地をつくる。
いま、生きるべき場所が
わからない人は、
まわりに誰がいるか
見渡してみよう。
そこに答えがある。
自分の現在地を確認できるはずだ。
(今日のコトバ)
ほめ言葉は、贅沢に。
人からほめられることは、
年をとればとるほど少なくなる。
あたりまえといえばあたりまえ。
それは、ほめられるより、
ほめることが多くなるからだ。
年長者の役目としてもそうだし、
年功からしても
若手をほめることが必要となる。
ただ、年を重ねたからといって
ほめてほしくないわけではない。
否、むしろ、ほめられる機会が
少なくなった分、
ほめてほしいと思うことが
増えてきている気もする。
だから、できるだけ
年長者もほめてあげる。
大人だから意味もなく
ほめるのは逆効果。
ちゃんと意味のあることで
ほめてあげる。
しっかりと自分だけでなく、
まわりの人も気づくように
ほめてあげる。
照れはあっても、
本心はみんな嬉しいもの。
ほめることは、
その人に小さな喜びかもしれない。
だが、嬉しいことには違いない。
何でもない一日に、
小さな喜びを届ける。
そのために
ほめることは大切なことだ。
(今日のコトバ)
希望の先には、希望がある。
希望は人間を見捨てたりしない。
人は、
いつまでも希望を持っている。
人生のどんな局面であっても、
決して楽しくない状況でも、
希望を持っている。
自分自身で考えてみるとわかる。
どん底の状況だったり、
孤独だったり、
辛かったりしても、
それとは別ベクトルで希望がある。
希望があるから何とかなる。
そう思うことが多々あったはずだ。
もっというと、
自分が自然に、希望を
探しているのかもしれない。
だから、
必ずといってほど希望が
すぐそばにある。
もちろん、
その希望をつかみきれるかは
自分次第。
つかめない希望もある。
だが、少なくとも希望は
いつも自分のまわりにある。
そう思って生きると、
少し救われた気持ちになる。
前向きに生きていこうという気持ちに
なるはずだ。
(今日のコトバ)
明日やることを
今日やっておくと、
未来はどんどん増えていく。
面倒くさいことは、
先延ばしにしたい。
やらずにすめば、
それにこしたことはない。
だが、たいがい面倒くさいことは、
ちゃんと対応しないと
残務になってしまう。
残ってしまうと、
いずれ処理しなければならなくなる。
未来の貴重の時間を使うことになる。
反対に、面倒くさいが、
その時、その時で処理すれば、
未来の時間を使うことはない。
他の新しいことに取り組める。
だとしたら、
面倒くさくても、
すぐに処理をする。
貴重な時間を大切に使う。
いま、すぐ処理することが、
たいがい一番いい時間の使い方。
そう思って、
面倒くさいことに
対応して生きる。
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
いつか自分の引き出しが
必要になるから、
人生の大切なものは
捨てずに生きていこう。
「捨てなければ良かった」
「何で失ってしまったのだろう」等。
人生で大切なものを自分の手から
離してしまう。
離れていったものに限って、
自分が持っていれば
良かったと後悔する。
ほんとうは手離してはいけない
大切なものだったとわかる。
生きていくには財産が必要。
お金ばかりでなく、
経験、技術、そして人のつながり。
それらを人生の難題に取り組む時に
駆使して生きなければならない。
もし、手離さず持っていれば
難題でもクリアできるのに、
捨ててしまったり、
失ってしまったから、
どうにもクリアできない
難題になる時もある。
特に、人とのつながりは、
失ってしまうと大変なことになる。
だからこそ、
自分が持っているものを
大切にしよう。
いつか価値を持って
生きてくることがある。
自分の人生を守ってくれる
砦になることもあるはずだ。
(今日のコトバ)
得手でぶっちぎれば、
苦手のことなど
誰もいわなくなる。
人には得意なものがある。
わかりやすく得意なものと、
わかりにくく得意なものがある。
ただ、絶対に得意なものがある。
それを探しきった人は、
人生を有意義に生きていける。
特に、仕事に結びつけることが
できた人は幸せにもなれる。
仕事でなくても、
上手に使えれば人生は素敵な
ものになる。
だが、自分の得意なものが
何かわからないと人生はしんどい。
心の拠り所がなく、
どうしていいかわからないことが増える。
迷ったり、悩むことが増える。
だからこそ、
自分の得意なものを見つけて、
それをアイデンティティにして
生きられるようにする。
時間がかかってもいい。
人から聞いてもいい。
試してもいい。
磨いてもいい。
とにかく、
自分の得意なものを見つける。
有意義に生きていくために
得意なものは必須なのだ。
(今日のコトバ)
あなたの心の傷口は、
人の傷みがわかるための入口です。
傷つけることが多い人がいる。
傷つくことが少ない
生き方をする人もいる。
そして、傷つくことが多い人もいる。
その中で傷つくことが多い人は、
割と人が傷つくことも察知する。
できるだけ、傷つけないように、
もっというと、
優しく対応することも多くなる。
傷つくことはムダではなく、
傷つけられたら
どう思うかを考えるようになる。
そこに、優しさが生まれる。
自分の負っている傷は
優しさの源になる。
もちろん、自分が壊れるぐらいの
傷を負うことは避けるべきだ。
ただ、傷も誰かのために役に立つことを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
小さなことで
幸福になれるということは、
大きな財産を得たに
等しいということ。
まわりにもいる。
ちょっとしたこと、
小さなことですごく喜ぶ人。
そんなに喜ばなくてもと思うほど
喜ぶ人。
幸せなんだろうな、と思う。
ただ、こうも考える。
ちょっとしたことで喜べる人は、
人生が喜びでいっぱいなんだろうな、と。
生きている時間の中で
喜んでいる時間が長く、大きい。
ということは、
幸せでいる時間も長い。
ということは、
大きな財産を持っていると
いっていい。
人生の時間を喜びや幸せで
彩れることは、大きな財産。
そう思うと、
自分の人生も、ちょっとしたこと、
小さなことに喜んでみる。
人生の幸せな時間を長くする方法だ。
(今日のコトバ)
「忙しい」とは、
希望がいっぱいあるということの
照れ隠しです。
忙しい、という。
本当に忙しい人も、
そうでない人も口にする。
少なくとも、
他人からみて
忙しい人に見てもらいたい人が大半だ。
それはなぜか考える。
忙しいとできるように見えるから?
忙しいとかっこいいように見えるから?
忙しいと成功したように見えるから?
みな正解なんだろうと思う。
まとめて一言でいうと、
忙しいと希望がたくさんあるように
見えるからといえるからかもしれない。
「希望がたくさんある」
それを説明するとかっこワルいから、
忙しいの一言で伝える。
できれば、
「忙しい」といえる人生にしたいものだ。
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