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(今日のコトバ)
バカげたことを
夢中にやった者だけが、
とんでもない高みに到達できる。
「バカみたいなことをやっている」
何か新しい挑戦をする人は、
そういわれることが多々ある。
その裏には、
「できるわけがない」という
まわりの人たちの気持ちがあったりする。
無謀な挑戦。
常道を逸した戦い。
無限な遊び心、、、、。
大雑把にいうと
「バカ」といってしまいたいことに
挑んでいる。
ただ、その「バカ」といってしまいたいことに
本気で挑んでいる一部の人間が必ずいる。
その人間こそが、
時代や歴史を変えてしまうエネルギーを
もっているのだ。
小さな世界でも、
常識やルール通り生きているより、
はみ出したことを
一生懸命やり続けた人が
新しい世界をつくることがある。
そう思うと、
バカげたことを夢中でやることも
人生を大きく変える一つの方法。
他人が見てバカげていても、
自分が信じられるなら、
トコトンやってみる。
徹底的にやってみる。
そこから誰にも似ていない
自分の世界が構築できるかもしれない。
人生は一度きり。
誰かのつくったレールの上を走るのか。
自分でつくったレールの上を走るのか。
どちらも正解はあるが、
おもしろいのは自分のつくったレールを
走ることではないだろうか。
(今日のコトバ)
世の中を一瞬で
変えることはできないが、
あなたが進む一歩は
一瞬で変えることができる。
壮大な夢だったり、
果てしない理想を叶えたいと思う。
簡単ではない。
何十年もかかるかもしれない。
強い意志を持ち続けることも
必要になるだろう。
いずれにしろ人生を懸けた大事業だ。
ただ、その人生を懸けた大事業に
挑むことは、今日からでも、
今すぐにでもできる。
一歩を踏み出せばいいのだ。
目標を決めて、
方向性を決めて、
ゴールを決めて踏み出す一歩は、
ただの一歩ではない。
人生を変える
大きな一歩になるかもしれない。
そして、その一歩が壮大な夢や
果てしない理想を
叶えるための一歩になるかもしれない。
だからこそ、
いま、自分に夢や理想があるなら、
いま、ここからでいいから
一歩を踏み出そう。
夢に近づく一歩は、
常に、次に踏み出す一歩になるのだ。
(今日のコトバ)
出会って良かったと思える人を、
一人一人大切に。
出会って良かったと思ってくれる人を、
一人でも多く。
人生、すべて出会いから始まる。
いい出会いであれば、
その後の人生を有意義なものにしてくれる。
ワルい出会いであれば、
その後の人生がやっかいなものになる。
ただ、どんな出会いも、
人生をドラマチックにしていく
スパイスになる。
そう思うと、
いろいろな出会いが
人生には必要なのだ。
そして、出会いからはじまる出来事は、
人が大半のドラマをつくる。
いい人に出会えば出会うほど
幸せを感じる。
また、自分がまわりの人にとって
いい人になれば、
まわりの人は幸せを感じるはずだ。
「いい人に出会う」
「誰かのいい人になる」
この単純な二つのことが、
人生の幸せを大きくつくり出す。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
なにはなくても、
笑顔で世界を渡れ。
笑顔。
生きていく上でとても大切なもの。
そんなことはわかっているが、
日々の暮らしの中で、
笑顔の素晴らしさを
忘れてしまうことがある。
だからこそ、
いつも笑顔を意識して
生きることが大切だ。
初対面の時、
相手が笑顔で迎えてくれると、
それだけで落ち着ける。
仕事が立て込んで
ピリピリしている時、
つくってでも笑顔でいると、
緊張が和らぐこともある。
好きな相手が笑顔でいてくれると、
ちょっと幸せを感じる。
もちろん、
笑顔が似合わない場面もある。
だが、
それでも人生の様々な場面で
笑顔が大切な場面は多い。
そう思うと、
人生にとって笑顔が大切。
笑顔になる場面が
多ければ多いほど、
人生は好転していく。
「笑顔」
誰もが持つ人間の能力。
この笑顔力を
充分に使って、
人生を生きていきたいものだ。
(今日のコトバ)
勇気は、本気がつれてくる相棒である。
どうしても勇気を
振り絞らなければならない時がある。
人生の大勝負を賭ける時など、
誰もが何度もあったはずだ。
その時、自分がどんな状態かと考えると、
本気になっている時だったといえる。
本気に取り組む時。
それは、試合、試験、ケンカ、
恋愛もそうかもしれない。
本気で何か状況を好転させようという時、
必ず勇気が必要になってくる。
反対にいえば、
勇気を出すためには
本気でなければならない。
つまり、勇気という気持ちと
本気という気持ちは
つながっている。
そう考えると、
「勇気を出せ」といわれた時、
自分が本気かどうかを
考えてみればいい。
本気だといえるなら、
必ず勇気を出すことができる。
仮りに、本気になれないのなら、
勇気を出すことは難しい状態なのだ。
勇気と本気。
この二つの気持ちはタッグを組んだ相棒。
そして、人生の重要局面で
必ず必要になる気持ち。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
無理だ、無知だ、無駄だ。
そんな言葉すべて無視だ。
「無」がつく言葉は、
人にとって、
いらないものだったり、
至らないものだったりして、
あまりいい言葉として使われない。
だが、よくよく考えてみると、
「無」のつく言葉が、
人生にとって大切な役目をしている。
例えば「無理」
この言葉があるから、
過剰な要求に対して
防御できることもある。
無理して体を壊したということも
よく聞く。
無理だといっておけば
体は壊さなくてもすむかもしれない。
例えば「無知」
知らないことをくくる言葉で、
時々、人を馬鹿にして使ったりしている。
ただ、無知であることを表明して、
誰かに教えてもらえれば
一つ知識が増える。
例えば「無駄」
そんな無駄なことをして
怒られたことは誰でもあるだろう。
ただ、無駄なことをするから
効率的なことがわかることもある。
無駄が無駄に終わらないことも多々ある。
そう思うと、「無」のつく言葉が、
「無」だけの意味ではない。
人生に有益なことをもたらすこともある。
そんなことを理解して生きると、
ちょっとだけ「無」という言葉から
力をもらえる。
だからこそ、
「無」のつく言葉の概念など、
無視してしまえばいい。
そんなことを感じるのだ。
(今日のコトバ)
ほめ言葉は、
あの人の心の中で積み上がる。
大人になればなるほど、
人にほめられることが少なくなる。
ほめられる場面が少なくなるともいえる。
ほとんどの人は、
会社や役所などに勤め
給料をもらって生きている。
給料という対価がほめられる代わりに
与えられている。
もちろん、企業によっては個人目標が与えられ、
達成すれば報奨がもらえることもある。
それとて、達しなければ
ほめられることばかりではなく、
厳しい指導が待っていることもある。
そう思うと、
大人はほめられることに飢えている。
ちょっとし手伝ったことをほめられても、
あるいは、
大きな仕事で成果を出したからでも、
優しさを届けたことでも何でもいいから
ほめられたいのだ。
ほめる方も軽い気持ちではなく、
しっかり心を込めてほめてあげる。
ほめられた人は、
そのほめられたことを忘れない。
自分の人生を振り返ってみても、
大人になってほめられたことは
数が少ないが忘れることはない。
一人一人の心の中に
ほめ言葉は必ず積み上がっていく。
そして、これからの人生の自信の礎になる。
ほめ言葉をしっかりもらえるように生きる。
ほめ言葉をちゃんと届けるように生きる。
人生にとって、とっも大切なことだ。
(今日のコトバ)
あの人の前でうつむいてしまうのは、
あなたがあの人より
引け目を感じているからだ。
誰かの前で何となくうつむいてしまう。
目上の人だったり、
怖い人だったり、
圧力がある人だったり、、、。
何気ないことだが、
うつむいてしまうということは、
相手に引け目があると思っている時。
反対にいえば、
引け目を感じていなければ、
うつむく必要はない。
いま、人生でどうしても
うつむいてしまう人がいるなら、
引け目を感じる部分を検証する。
その中で
引け目に感じる部分を、
一つ一つ、少しずつ解消していく。
時間がかかってもいい。
引け目を感じずに
生きられようにする。
そうならないと、
いつまでも対等な関係にはなれない。
ギブアンドテイクの関係にもなれない。
何となく貧乏くじばかり引かされる。
うつむかないで話せる関係。
そのために引け目を解消していく。
自信を持った人生を生きるために
大切なことだ。
(今日のコトバ)
挑戦者は、
いつも伸びしろという
援軍がついている。
常々思うことがある。
挑戦者のメリットは
伸びしろにあると。
挑むからには、戦略を練る。
挑むからには、切磋琢磨する。
挑むからには、情報を収集する。
挑むからには、メンタルを鍛える。
自分の能力を伸ばすことばかりに集中する。
当然、昨日より今日、今日より明日と
ステップアップしていく。
もちろん、目に見えないこともある。
そんなに簡単に
成長しているとも思えないこともある。
だが、はたから見れば明らかに成長している。
人として伸びていく部分がある。
その要因は、ただ一つ、挑戦すると決めたから。
生きていく上で、挑戦するという行為より
人を成長させるものもない。
自分に置き換えてみればわかる。
何かに挑む時、
どれだけ頑張っているかを。
誰もが想像を超えた力を発揮して
成長しようとしいる。
だからこそ、
自分がもっと成長したかったら
挑戦する。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
日本代表になれなくても、
プロ選手になれなくても、
全国大会に出場できなくても、
サッカーはやれる。
人生において、
こんなに大きな幸せはない。
スポーツ、
たとえばサッカーは
うまくなればなるほど、
楽しいものかもしれない。
誰よりもうまくなれば、
日本代表に選ばれて、
プレミアリーグの選手に
なれるかもしれない。
称賛をほしいままにし、
栄光と名声を集め
最高の人生を生み出すこともできる。
目標として、プレミアリーグで
活躍する選手になりたいと願うのも
素晴らしいことだと思う。
だが、サッカーができる幸せは、
それだけだけではない。
サッカーを覚えて、
学校でのサッカー部に入って
サッカーを楽しむ。
草サッカーを楽しむ。
フットサルを楽しむ、、、。
サッカーを楽しめることが、
人にとって、人生にとって、
途轍もない幸せになっているはずだ。
サッカーだけではない。
それ以外のスポーツでも同じことがいえる。
「ほんとうの幸せ」
その大切さを忘れてはいけない。
人生は幸せに巡り合えば巡り合うほど
有意義になるもの。
栄光や名誉などの目標ではない
幸せがある。
ただ、サッカーができる。
ただ、スポーツができることが
どれだけ幸せなことか
かみしめて生きていきたいものだ。
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