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(今日のコトバ)
慢性にならなければ、
仮病を使ってもいいんだ。
やる気がでない。
前向きになれない。
できれば回避したい。
そう思うことが、
人生のいろいろな場面の中である。
メンタルの問題、体調の問題、
好き嫌いの問題等があって、
モチベーションが上がらない。
その時、
とにかく歯を食いしばって、
モチベーションを上げて
がんばることもある。
だが、がんばってみたけれど、
残念な結果にしか
ならなかったことも多い。
だとしたら、
いっそのこと、
やる気が起こらないなら、
休んでしまう、パスしてしまうことも、
生きるための選択の一つだ。
人生の出来事すべてに
全力で対応することはできない。
やるべきこと、
やる気があるものに対しては、
全力で取り組む。
そうでないものは、
休んでしまう。
中途半端に参加を表明するのではなく、
やらないという選択をする。
もちろん、人生は自分の気持ちだけで
動くものではない。
やりたくないものを
やらなくてはならない時もある。
それはわかっている。
ただ、やりたくないものをできるだけ避ける。
そうやって生きることで、
人生にメリハリをつけることができる。
生きやすくすることもできる。
「あえて、やらない」という選択肢は、
人生とって大きな武器なのだ。
(今日のコトバ)
嫌いな人を一人つくることは、
自分の弱点を一つ、
つくることでした。
生きていれば、
嫌いな人に出会う。
何人も、何十人も出会ってきたと思う。
性格的の合わない人、
意見の合わない人、
言葉遣いが気にいらない人、
偉そうな態度が気に入らない人等々。
たくさんいる。
ただ、人間丸ごと嫌いな人は、
それほどいない。
部分的なところが
嫌いであることが多いはずだ。
あの人のすべてが嫌いだといっても、
すべてを知っているわけでもない。
そして、よく考えてみると、
部分的にでも嫌いな人をつくってしまうと、
自分の弱点をつくってしまうことにもなる。
嫌いな人のもっている知識、
嫌いな人のもっている人脈、
嫌いな人のもっている才能等、
すべて拒否してしまうことになる。
それは人生にとって大きな損失。
よく考えてみれば、
部分的に嫌いなところがあるだけなのだ。
そう思うと、嫌いな人を増やすことは、
人生にとって得にはならない。
先入観なく、
部分的に嫌いなところは目をつぶって、
好きになってみる。
そこに自分の成長がある。
嫌いだった人を
人生の大きな財産にすることができる。
嫌いな人は弱点になる。
だから、一人でも嫌いな人を減らす。
自分の弱点を減らすための秘訣だ。
(今日のコトバ)
人生はいろいろ整理した方がいいけど、
幸せは散らかったままでいいと思う。
とっちらかって、
うまくまとめられないこと、
人生の中ではたくさんある。
整理できれば、
どれだけ楽に生きられるだろう。
そんなことを思う。
身の回りの整理整頓する。
仕事を整理して円滑にする。
人間関係をきれいにする等、
たいがいは整理できればいいことが多い。
ただ、幸せは違う気がする。
ちらかったままで、
そのままでいいような気がする。
切り捨てるようなムダの中に
幸せがあったりする。
子供が汚した部屋の中に幸せがあったりする。
かっこワルい恋愛にも
幸せを見つけることもできる。
恥をかくことだって、
その後に起こる笑いの中に幸せを感じる。
幸せに整理や規律はいらない。
自然な状況の中で生まれたものを
そのまま愛す。
それが幸せの姿のだと思う。
散らかった幸せの中で生きる。
それが、いちばんあたたかい生き方なのだ。
(今日のコトバ)
チャンスは、ゼロに降臨しない。
人は、誰でもチャンスが
欲しいと思っている。
若くて、無名であれば、
尚更、チャンスが欲しいと思う。
さらに、夢があって、
いち早く夢まで
たどり着きたいと思っている人は、
いますぐにでも、
チャンスが欲しいと思っている。
だが、チャンスが欲しい人の
気持ちはわかるが、
チャンスにも条件がある。
「なにもない者には、チャンスは生かせない」
そう思っている。
だからこそ、実力がない者へは、
チャンスがやってこない。
強運の持ち主という例外もあるが、
たいがいはやってこない。
基本は実力をつけて、チャンスをつかむ。
そのために、切磋琢磨を忘れない。
自分の夢を叶えるための武器を磨く。
武器さえあれば、
そこにチャンスは降臨するのだ。
(今日のコトバ)
大きな夢を持っていれば、
小さな傷はすぐに治っていく。
こんな時代だけど、
こんな時代だからこそ、
やっぱり夢を持って生きていきたい。
明日が見えない。
具体的に明日の予定も立たない。
かつてなかった時代に、
いま生きている。
自粛、治療、予防などが、
何をするより大切になる。
わかっている。
ただ、それよりも、
あるいは、それとは別に、
夢を持っていたい。
夢がなくなってしまったら、
生きる意味がわからなくなる。
そして、こんな時だからこそ、
大きな夢が生きるための
ペースメーカーになる。
「その夢が叶ったら、
どんなに人生が素晴らしいものになるか」
そんな思いを持って生きる。
奇想天外でもいい。常識外れでもいい。
非現実的でもいい。
とにかく夢を持つ。
こんな時代だからこそ、
大きな夢が大切なのだ。
(今日のコトバ)
最高を奪いにいけ。
奪いそこねても、
最高峰から、また、
アタックできる。
どうせ目標をつくるなら、
高く、大きいものに狙いを定める。
小さくて、簡単にクリアできる
目標より、圧倒的にやりがいがある。
やりがいだけでなく、
高く、大きい目標に挑むことは、
自分を成長させる力にもなる。
小さい目標なら、
ある程度の力で
なんとかなるかもしれない。
だが、高く、大きい目標は、
全力が必要、
技の習得が必要、
タフな精神力が必要と、
必要な努力が増える。
その努力しなければならない状況が、
人を成長させていく。
できなかったことが
できるようになったり、
あきらめてしまったものが
あきらめなくなったり、
自分の中の様々な機能が
進化する。
だからこそ、目標は、
高く、大きいものに狙いを定める。
自分が成長・進化していくために
必要なことだ。
(今日のコトバ)
憎めば、言葉も悪魔になる。
誰かを、憎む。
相手に非があるから、
憎む。
相手に嫌なことをされたから、
憎む。
相手の言動が鼻につくから、
憎む。
憎むきっかけは、
たくさんある。
そして、相手を憎んでいると、
まず、こちらの発する言葉が
変わってくる。
厳しい口調になったり、
汚い言葉で対応したり、
誹謗・中傷したり、、、、、。
相手に言葉で攻撃してしまう。
問題は、そこにある。
相手に非があるかもしれない。
だが、自分の発した言葉が、
相手を攻撃するということは、
同じ土俵にのるということ。
攻撃の仕方によっては、
相手を潰してしまうかもしれない。
潰すことが本位か。
憎しみがあっても、
どこかにこちらの非はないか。
冷静に考えてみる必要がある。
言葉は、簡単に悪魔の使者になる。
そうなると、
円滑に戻せる関係も、
戻すことができなくなる。
生きる上で大切な人間関係。
「憎しみは、改善できる」
そんなことを考えることも
人として必要なことだ。
(今日のコトバ)
勇気を出して飛び出した距離だけ、
人生は広がった。
人は、いつ飛躍するか。
それは、
目標に向かって、
勇気を出してトライしている時が、
いちばん飛躍しているように思う。
もちろん、努力や切磋琢磨は大前提。
その上に、
勇気を出したものが飛躍している。
例えば、優れた才能があっても、
勇気を出して、発信しなれけば、
その才能を伝えることはできない。
例えば、卓越した技術があっても、
勇気を出して、社会の扉を開かなければ、
ただの器用な人で終わってしまう。
もっといえば、
才能や技術がそこそこでも、
勇気を出して飛び込むことができた人は、
大きく飛躍している。
「勇気」
言葉の意味としてはわかっている。
ただ、その言葉の意味通り行動する人は、
意外に少ない。
だからこそ、
言葉の意味通りに生きてみれば、
人生が飛躍するきっかけになる。
人生は短い。
勇気を出して、
自分史上最高に飛躍してみる。
やってみる価値はあるはずだ。
(今日のコトバ)
本気な者を先頭に立たせよ。
才能のある人がいて欲しい。
センスのある人も必要だ。
がんばる人は何人いてもいい。
計算に強い人もいるだろう。
ただ、チームで一番必要な人は、
どんな人かと問われたら、
「本気な人が絶対に必要だ」と答える。
ポジションにかかわらず、
仕事に責任感を持って、
任務を遂行するために
頭をフル回転させている。
誰にいわれるのでもなく、
やるべきこと、そして、
やるべきことの先まで読んで、
前進してくれる人。
そんな人がチームにいてくれると、
そのチームは強い。
しっかりと仕事を成立させていく。
成果もあげていく。
もし、いま、チームプレイが
必要な仕事があるなら、
本気の人を一人でいいから
ラインナップしよう。
その仕事はいい方向にまわっていく。
いい結果を出す確率も上がっていく。
そして、できれば、
その本気の人が自分であるといい。
その仕事も、その人生も
素晴らしいものになっていくはずだ。
(今日のコトバ)
今日の「平凡」を昇級させて
「幸福」にする。
今日の「幸福」を昇進させて
「希望」にする。
今日の「希望」を昇格させて
「人生」にする。
幸せだと思うか。
不幸だと思うか。
それは考え方次第だという。
長く生きていると、
ほんとうにそう思う。
同じ境遇でも、
ある人は幸せだと思い、
ある人は不幸だと思う。
すべては考え方に尽きる。
そして、年を重ねると絶対的に
思うことがある。
平凡とか、普通とか、
あたりまえということが、
すべて幸せに属しているということを。
いつものように起き、
いつものように働き、
いつものように学び、
いつものように食べ、
いつものように眠る。
そんなことは、
すべて幸せに包まれているのだ。
世の中の状況が想像を超えて
厳しくなると、
いかに、平凡なことが
幸せなことかわかるはずだ。
だからこそ、
いつも身のまわりにあって、
平凡をつくってくれる人を
大事にしよう。
幸せは、いつもそこにあるものなのだ。
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