苦言、実は箴言

 

(今日のコトバ)

 

座右の銘は、苦言です。

 

 

 

耳が痛い言葉がある。

何もそこまで言わなくてもと思う言葉、

ど真ん中だけに身動きができない言葉、

自分でもわかっているが

言われたくなかった言葉等々。

一言で言うと苦言。

ほんとうは、

その言葉から避けて通りたい。

できれば耳に入れたくない。

ただ、その言葉を消化しなければ、

前へ進めない。

自分にとっては苦言なのだが、

実は、相手からの箴言でもある。

そんな苦言を聞いた時、

受け入れることができるか。

受け入れて、

自分の中で改善できるなら、

自分はもっと成長できる。

耳が痛いから、

心が痛いから逃げまわっていたら、

何の役にも立たない。

苦言をどうとらえるか、

それだけで、

人生が大きく変わっていくはずだ。

 

 

チャンスに遠慮しない

 

(今日のコトバ)

 

チャンスは着陸する場所を探している。

ソッポを向いていると、

あなたはその場所になれない。

 

 

 

 

「チャンスがよくまわってくる」

という人には

共通の特性があるような気がする。

とにかく、

チャンスと思われるものに前向き。

どんなことでも積極的にトライし、

成功しようが、失敗しようが、

いつでも前を向く。

考えてみれば、

積極的に行動しているのだから、

チャンスに出会う回数も多くなる。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるではないが、

回数が多いということは、

上手下手、幸運不運に関係なく、

チャンスに巡り会えている。

だからこそ、チャンスの前で遠慮はいらない。

自分がどうしてもやりたい方向、

あるいは、チャンスだと思ったら、

実力など無視して、そのチャンスにのってみる。

それができる人が運のいい人、

チャンスの多く巡ってくる人といわれる。

人生の差はそこにあるのだ。

 

つねに目標のある状態

 

(今日のコトバ)

 

追いかけて、追いかけて、

追いかけていくうちに、

贅肉は落ち、

誰にも負けないスプリンターになっていく。

 

 

 

 

「目標がある」

これに尽きる。

つまり、何かを追いかけている状態。

この状態が続けば続くほど、

人は目標の分野の能力が磨かれていく。

だから、目標がつねにある状態の人は、

継続して成長しているともいえる。

もし、自分に大きい夢があって、

どうしても叶えたいと思ったり、

自分には能力がないけれど、

どうしても叶えたい夢がある人は、

とにかく、つねに目標のある状態をつくること。

簡単に夢が叶うかわからない。

数十年懸けても達成できないかもしれない。

だが、その目標に向かっている間は、

確実に成長していける。

少しずつでも進化していける。

そう思えば、

人生は素晴らしいものになっていく。

そのことを忘れてはいけないと思う。

足りないものの先に、成長

 

(今日のコトバ)

 

人生で足りないものを、

勇気でうめる間に人は成長する。

 

 

 

 

いつも足りないものを

追いかけている。

足りないものがあるから、

生きているともいえる。

足りないものを獲って、

満足して生きる。

そして、この足りないものを

獲るためには、

努力や研鑽が必要。

もっというと、足りないものを

獲るために勇気も必要になる。

人がせそれらのために懸けた時間を

成長期と呼び、

足らないものを手にできたことを

成長という。

覚えておくといい。

足りないものを獲るために、

動き出した時、

人は成長期に入っているということを。

 

みんなにいい顔は、信頼されない

 

(今日のコトバ)

 

あっちも、

こっちもだと、

どっちも嫌われる。

 

 

 

俗に八方美人といわれたり、

誰にでもいい顔をするといわれたり、

敵味方なくいい人でいようとする。

敵をつくらないでいたい人とか、

面倒くさいことはまっぴらゴメンという人が、

いい人でいることを良しとする。

嫌な人と思われたくないと思っている。

そんな人はたくさんいると思う。

だが、誰にも嫌われたくないという態度は、

実は、少しずつ少しずつ

他人から嫌われていることを忘れてはいけない。

「アイツは意思がはっきりしない」

「あの人は誰にでもイエスマンだ」

「彼は何も考えていない」

「彼女は味方のフリしているだけだ」等々。

ほんとうに少しずつだが、

敵にはならないが、

味方にもならないと思われている。

だから、ここぞという時に

信頼はされない。

少しずつ距離を置かれてしまう。

自分から目線で考えてみるといい。

自分がここぞという時に、

いい顔ばかりしている人を

信頼するだろうか。

付き合いはしても、

勝負を賭ける時に

信頼するパートナーにはなりにくい。

一緒に戦おう、

一緒に泣こうとは思わない。

もちろん、誰もが

信頼のパートナーになる必要は

ないのだから、

まんべんなくいい顔をするのが

わるいという訳ではない。

ただ、自分が勝負を賭ける時、

信頼するパートナーに

誰にでもいい顔をする人は

なりにくいということを

覚えておく必要はあると思う。

気持ちと行動

 

(今日のコトバ)

 

手を差し出して、

手を握りしめてくれる人を、

手放してはならない。

 

 

 

人と人はつながると強くなる。

単純にマンパワーということもあるけれど、

一人ではない知識や能力で、

社会の様々な目標にトライできるようになる。

もちろん、一人で解決できるものはある。

だが、どんな問題も、

自分以外の誰かの知識を

借りることができれば、

クリアできる問題も増えてくる。

そのためには、

誰かとつながっていなければならない。

もっといえば、強くつながっていれば、

強い力を生み出す源泉になる。

だからこそ、自分が人生に必要とした絆は、

大切にしなければならない。

絆を強くするのは、

自分の行動と気持ちが大切。

日々の行いといってもいい、

毎日の相手を大切にするという

気持ちと行動が、

いざという時の力なるのだ。

愛情をもって見守る

 

(今日のコトバ)

 

カサブタになるまで、ほっておくのも愛情です。

 

 

 

なんでもすぐにやってあげる。

困った時には有難いし、

早期発見で危ない場面を

回避することもある。

だが、気持ちは複雑だ。

心配してくれるのはいいのだが、

おせっかいが過ぎてくると、

余計なストレスになる。

あれこれいわれたくないという

気持ちが強くなる。

また、

サポートしてくれるのはいいのだが、

サポートされ過ぎると、

自分で立つ力を失ってしまうこともある。

そう考えると、

なんでもかんでも手を差し伸べることが、

ベストにならないこともある。

自助努力でがんばらせることも大切。

自分で立ち上がることを

考えさせることも大切。

自然治癒することもあるだろう。

人は、いつも誰かに

手厚く支えられるとは限らない。

手厚く支えられなくても、

しっかり生きる。

そのためにも、愛情をもって見守る、

ほっておいてあげることも大切だ。

いまいる場所を最大限に生かす

 

(今日のコトバ)

 

その場所で咲けないと、

タネはまた、

花咲く場所を探さなければならない。

 

 

 

自分がいまいる場所で、

いい結果を出す、

しっかりとしたポジションを

築くことができなかったら、

その場所に居続けることは難しい。

仮に、居れたとしても、

肩身の狭い思いをして、

気持ち良くは過ごしていけない。

場合によっては、

別の場所へ移ることも

決断しなくてはいけなくなる。

だが、別の場所へ移るということは、

またゼロからスタートすることに等しい。

その場所で整地をして、

タネをまくことから

はじめなければならない。

そう考えると、

いまいる場所でポジションを築くより、

よっぽど大変な作業をしなくてはならない。

だとしたら、

いまいる場所で成果を上げて、

ポジションをつくって生きていく方が

圧倒的にスマートに生きられる。

もちろん、いまいる場所が

どう考えても問題のある場合はある。

自分にとって合っていない場合もある。

だが、いまいることだけでも

アドバンテージはあるのだ。

それを生かさない手はない。

人生は選択の連続だ。

その時、いまいる場所を

どう生かしていくか。

できるなら、最大限、自分の人生に

役立てていく。

そう考えて生きることも

大切な人生の選択だと思う。

信じることで結論に近づく

 

(今日のコトバ)

 

信じれば一直線。

疑えば右往左往。

その差が到達までの差になる。

 

 

 

 

人は疑っていると

気持ちが散漫になる。

集中力がなく、

いろいろなことを考えてしまう。

無駄のこと、必要のないことも考えて、

いい結果を得ることは難しい。

反対に、

信じてしまうと、

信じることで目標と道筋が明確になり、

一直線に走り切れる。

当然、結論への到達時間も早いし、

無駄が少なくてすむ。

疑うことと、

信じること。

どっちがいいわるいではない。

ただ、結論へ早く到達したいなら、

信じることが最優先。

信じられれば、

目標へ一目散に走れる。

その差が結論到達までの差になることを

忘れてはいけない。

ふつうとは、守られていること

 

(今日のコトバ)

 

ふつうの中にある幸せは、

大きなことを言わない変わりに、

辛い思いもさせないこと。

 

 

 

 

「もしかして幸せは、

守られることかもしれない」

と思うようになった。

困った時に解決策をもって守ってくれる。

弱った時に強い力で守ってくれる。

悲しい時に笑いの力で守ってくれる、、、、。

山あり、谷ありの人生で、

特に谷の人生の時、

何かの力で守られることが

幸せの正体なのではないかと思うのだ。

もちろん、素晴らしい成功があって、

心の底から感動して、

幸せを共有することもある。

ただ、幸せは大きいものでも、

刺激的なものでもない。

いつもそばにいて、

さりげなくふつうの時間を

提供してくれるものだと思うのだ。

若い頃は、

宝くじが大当たりするようなことが

幸せだと思ったりしたけれど、

年を重ねるたびに、

ふつうでいられることが

一番の幸せと思うようになるものなのだ。

いま、人生がふつうだと思う人は、

まわりをしっかり見つめてみよう。

そこにはたくさんの幸せの芽、

幸せの種、幸せの花がある。

だからこそ、ふつうという尊い時間が

生まれるのだ。

たかが、ふつう。

されど、ふつう。

そのふつうを持っている人は、

この世の中で、とても幸せな人間。

そのことを忘れてはいけない。