愛が足りない

(今日のコトバ)

 

 

 

素直になれないところに、愛がある。

 

 

 

 

 

ほんとうの気持ちを素直に伝えられない時がある。

好きとか、嫌いとかの問題だけではなく、

自意識とか、無意識とか、強気とか、弱気の問題だったり、

気持ちの問題で素直になれないことがある。

その実態のすべてに愛が関与している。

好き嫌いは愛だし、自意識、強気、弱気は自己愛、

無意識も無償の愛の可能性が大きい。

もし、いま、素直になれない自分がいたら、

愛が足りないと考えればいい。

もう少し愛が足りてくれば、素直になれる。

冷静になって大きな気持ちになれる。

人は、愛が足りないとひねくれる。

そう肝に銘じて生きれば素直になれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

人の手

(今日のコトバ)

 

 

 

「人の手を借りずにやってきた」と思った手には、

人の手がつながっていた。

 

 

 

自分ひとりで生きている。間違いじゃない。

立って、歩いて、学んで、働いて、筋を通して生きている。

時に自力で相手を叩きのめし、時に自力で這いつくばりながら、

自分の力を信じて生きている。

だが、人間は、自分が生きるすべてのシーンで、

他人という人間とかかわりあっている。

そのことを忘れて生きている。

勢いがなくなって、弱気になるまで、

他人の力で支えてられて生きている事を忘れている。

ほんとうは、勢いがあって自分自身に力がみなぎっている時に、

自分が支えてくれていることを理解できると

人間はもっと素晴らしく生きられるのに。

だから、いま、勢いがあって人生がうまくまわっている人ほど、

自分のまわりにいる人の力に感謝しよう。

その力に支えられて、その力に引っ張られて、

いま、ここに生きていられることを感謝しよう。

その力があなたを支えてくれていることを忘れず。

その力があなたを守ってくれていることを忘れず。

人間は、人間に支えられて生きているのだから。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp//:kotobaza.com/へ。

クリア

(今日のコトバ)

 

 

白い息は、生命のオーラだ。

 

 

 

寒くなると、息が白くなる。

空気が冷たく、寒さをあらわす一番わかりやすい現象だ。

この季節になると、街はせわしなく、人は急ぎ足で、

何かに追われるように生きていく。

今年は100年に一度の不景気といわれ、

日本の活力も失われているような気がする。

当然、夢や希望を見失いがちになり、

気分も落ち込んでくる。

そんな時に、白い息になるほど寒くなると、

気持ちも引き締まり、心もリセットできる。

いいことばりでないが、

せめて大きく深呼吸して、白い息をはいて

心をクリアにしよう。

冷静になれば、人生なんとかなることばかりだ。

いままで、苦しい時を何度も乗り越えてきたのだから。

白い息をはいて、人生をクリアにして、

今日もまた歩いていこう。

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

勇気を操れ

(今日のコトバ)

 

 

 

勢いを失った人間に、勇気は生息しない。

 

 

 

 

生きるために、どうしても勢いのチカラを借りなければならない時がある。

普通に生きているだけでは達成できない。おびえていては道が開けない。

何かを失っても、何かを奪いに行かなくてはならない。

その時に、人生を加速させるための勇気が必要になる。

心どこかに隠れていて、普段はおとなしい気持ち。

ただ、人生の檜舞台では絶対に活躍してもらわなければならない気持ち。

この勇気を自在に操れる人こそ、人生のチャンスをつかめる人になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

言葉の旗

(今日のコトバ)

 

 

一行の拳でノックアウトしろ。

 

 

 

究極は一行だ。メッセージも、ケンカも、愛のささやきも。

詩も、小説も、トレンディドラマも、映画も、歌詞も。

すべては一行に凝縮されていく。

一行が決まらなければ名作にはならない。

反対にいえば一行が決まれば凄いチカラになる。

それは、人生でも同じ。

大切なことをダラダラ伝えても、何も届かない。

短く、明快でなければ心に残らない。

だから、一行、一言、短い言葉は大事なのだ。

もし、いま、自分の伝えたいことがストレートに理解されないのなら、

一行、決めのフレーズを持とう。

ここ一番で決める言葉。

その言葉を持っているだけで印象は格段に向上する。

自分の言葉の旗が立つ。

これから、すぐに始められる強いコミュニケーションの方法だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

スランプも進化

(今日のコトバ)

 

 

 

記録を塗りかえることだけが進化ではない。

スランプに苦しむことも進化だ。

 

 

 

スポーツ選手でなくても、

自分自身のチカラが出し切れなくてスランプと感じることがある。

いつもの実力がでない。結果がついてこない。進歩している感じがしない。

誰だって経験があるはずだ。

その時、人はネガティブになる。トライすることをあきらめようとする。

だが、その時こそ人が成長しているのだ。

進歩のない自分の欠点と調子の悪い部分を検証する。

どうしたら浮上するかと考えをめぐらす。

自分以外の他人の状況も調査しようとする。

自分というひとりの人間をいろいろな角度から見つめてみる。

人生でこんな素晴らしい時間を経験するのも、

スランプに陥ったからだ。

だから、スランプに落ち込むことはない。

ひとつ成長するためのステップと考えればいい。

スランプを抜け出せば、もっと進化した自分に出会える。

否、スランプ状態の時でも進化している。

人生はスランプを超えることによって、

人間を成長させていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

敗北の恍惚感

(今日のコトバ)

 

 

 

負けて屈辱を感じることこそ、

勝つためのエクスタシーなのだ。

 

 

 

 

 

悔しさの恍惚感といおうか。絶望の奥の光といおうか。

完膚無きまで叩きのめされ屈辱感があるのに、

全力を出し切った後の納得感も同時に感じることがある。

感動とも、達成感とも違う。かといって敗北感でもない。

絶望の淵にいるのにエネルギーがみなぎっている。

もっと戦いたい意志だけは確認できる。

そんな気持ちがある時は、自分の中のマグマが噴火している時。

ここで負けても、次への戦いのゴングを自分で鳴らしている。

その気持ちこそ、人生を劇的に変える起爆装置だ。

負けてもモチベーションが落ちない。

次の展開を考えられる。むしろ再戦を望む。

その時こそが飛躍の時だ。

だから、負けたからといって腐ることはやめよう。

腐る暇があるなら、悔しさや怒りや屈辱感をマグマに変えろ。

その意識が人生のいく道を明快にしてくれるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

笑いからの兆し

(今日のコトバ)

 

 

 

すべての運は、

笑っている奴にもっていかれる。

 

 

 

 

明るくあれ。何があっても明るくあれ、と思って生きている。

だが、現実はそう簡単にはいかない。

世相が暗い。景気は悪い。奇妙な犯罪も増えている。

人間関係だって、昔に比べて円滑かというとそうともいえない。

それでも、明るくするのだ。

大きな流れが悪い方に向かっているなら、

小さな流れから良い方に向かっていけばいい。

ひとりひとりが明るくする。ちょっとでも笑うことを心がける。

笑っている人が大勢いる国にする。

そこから、兆しというものが見えてくるのだ。

笑顔がたえない家族。笑顔がたえないクラス。笑顔がたえない会社。

そして、笑顔がたえない国へ。

元気の気が社会を変える突破口になる。

みんなが明るければ、社会も明るくなる。

試みるのだ。明るく、ポジティブな国になるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

疲れた禁止

(今日のコトバ)

 

 

疲れたと言葉にすると、

疲れはさらに倍増する。

 

 

年末は仕事に重なり忘年会もある。

一年のうちでもっとも疲れる月といってもいい。

今年は仕事納めが早い。つめこんでも処理しなければならない

仕事もたくさんあるはずだ。

そういう状況になると、人は「疲れた」とついつい口にしてしまう。

疲れているのだから、言葉にするのは仕方ない。

ただ、疲れを口にするとさらに疲れが倍増する。

もっというと「疲れた」とまわり人がいうだけで疲れが伝染する。

それほど疲れを感じていなくても、疲れてくる。

言葉のマジックかもしれない。

しかし、疲れがより重く感じるのは間違いない。

だから、「疲れた」という言葉を簡単に使うのはやめよう。

いいたい気持ちはわかる。

でも、いわなければ疲れは重くなることを避けられる。

この忙しい季節、難しい事だが「疲れた」を禁止する。

それだけで、疲れから少し開放されて過ごせるはずだ。

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

ビンボー!

(今日のコトバ)

 

 

ビンボー!ビンボー!っていってる人が、

いちばん幸せなんだ。

 

 

「貧乏暇なしでね」とか、「貧乏で小遣いが少なくてね」とか、

「貧乏だけど何とか生きてます」とか、

貧乏宣言する人に限って幸せそうな顔をしている。

幸せという言葉が似合わないなら楽しんでいるといおうか。

間違っても本気で苦しいそうな感じはしない。

もちろん、経済状況が厳しいのは嘘ではないだろう。

ただ、少ない生活費だけれど、どうにかやりくりして生きるのは、

それほど辛いことではなくて、むしろ、生活のペース配分が決まって、

安定して生きれるのではないだろうか。

余計なことを考えない。上限を越えないように予算を管理する。

我慢して、貯金を少しして、一年に一回思いっきり遊ぶ。

そんな暮らしは悪くない。

そして、そこに家族がいれば、家族全員で同じ目的を持てる。

だが、金持ちになると、そうはいかない。

自由になる金がある分、何に使っていいかわからない。

無駄ものにも投資する。残るものは意外に少ない。

家族も単位にならずに、個々で金を時間を使いまとまりが悪くなる。

実は金から幸せを生まないことに気づいてしまう。

金があることで楽しいことがたくさんあることは理解できる。

でも、でもなのだ。幸せと金持ちは比例しない。

そこに人生の面白さがある。

「金持ちがすべてを手にいれて、貧乏がすべて手にできない」

ということはない。

だから、自分自身の価値基準が大切になる。

貧乏でもなにかをやりくりする楽しさを身につける。

それだけで人生は豊かになる。

もっとモチベーションがあがる。

人間の知恵は、幸せを上手に使う術を知っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。