そこに生きる自信

(今日のコトバ)

 

傷ついても、自信だけはテイクアウトしよう。

 

 

喪失感にさいなまれ、自信の欠片も残らない。

明日のことなど考えられず、地面ばかりを見つめている。

傷ついたり、負けてしまったり、

つらい思いをすると人は、プライドが崩壊してしまうことがある。

ただ、一時的な現象で自信を失っても、

意志を持ち始めて人は何十年も生き続けている。

その財産は、ちょっとやそっとでは崩せないほど、壮大なものだと思う。

悲しいこと、敗北したこと、苦しいこと、厳しいこと、

全部、人生の年輪にして生きてきたのだ。

自分が越えてきた歴史を振り返ってみよう。

振り返れば、自分がどれだけ強いかよくわかるはずだ。

簡単に自信やプライドを失う必要はない。

あなたは、死ぬほどつらいことを乗り越えて、

いま、その場所に立っている。

そこに生きていることが、自信の証明なのだ。

ライバルが目標をつくる

(今日のコトバ)

 

ライバルの背中は、

意地をはり続けるための標識だ。

 

 

憎きライバル、倒したいライバル、いいライバル、、、、、。

あなたにはライバルと呼べる人間がいるだろうか。

いるとしたらあなたは、幸せ者だ。

その人間がいるだけで、力をみなぎらせることができる。

その人間がいるだけで、簡単に目標ができる。

その人間がいるだけで、大きく成長できる。

「力をみなぎらせる」「目標ができる」「成長できる」

人間が進化するために必要な過程を、

ひとりの人間がいるだけで、ひとつの集団があるだけで、

自然に踏んでしまう。

さらに、ライバルが自分より前を走っていれば、

人生を生きるための素晴らしいペースメーカーになってくれる。

そう、ライバルほど人生に必要なものはないのだ。

もし、ライバルと呼べる人間がいなかったら、

いますぐライバルを探せ。つくり出せ。

人生は、加速度的に動き出すはずだ。

才能で生きる

(今日のコトバ)

 

 

バカのひとつ覚えを、

別の言葉にすると「才能」という。

 

 

ひとつのことしかできないが、

そのことについては誰よりも上手い。

ただ、あまりにもカルトで誰も注目しなかったり、

誰もやろうとしない分野だと、

バカのひとつ覚えだといわれたりする。

それしかできない。が、特出した能力をもっている。

これを才能といわずして何といおうか。

表現のしかたが悪くて、ちょっと変人扱いされて、

優れた部分が伝わらなかったりするけど、

間違いなくある分野の才能の持ち主といっていい。

この才能を活かして生きることは、

人生で大きな意味をもつ。

才能で生きられるほど、人生が楽しいことはないのだ。

もし、才能で生きられたら、最高の幸せといっていいだろう。

だから、バカのひとつ覚えといわれるだけでなく、

そのひとつ覚えの活かし方だけは考えよう。

その活かし方のチャンネルが合うだけで、

人生は最高のものになる。

自分の人生が満足のいく人生になるはずだ。

大きな声の力

(今日のコトバ)

 

声を大にしていいたい、

声を大にしろと。

 

 

 

小さな声で話てみても、言葉は聞こえない。

相手に伝わる声で、はっきり語らないと意志は疎通できない。

自らメッセージをおくりたいとき、

声のボリュームを高音にして伝えることを心がけよう。

大きな声でないと、自信がないようにみられる。

大きな声でないと、聞き逃される。

大きな声でないと、勢いがでない。

スポーツの試合の前のように、

気合いを入れるとき大声を出して気持ちをたかぶらせるのだ。

何もいつもいつも大声を出せというのではなく、

ここ一番、自分を表現したいとき、

ここ一番、自分のスキルを発揮したいとき、

大きな声の力を借りて最高の自分を伝えよう。

中央突破

(今日のコトバ)

 

 

中央突破が、一番安全だ。

 

 

細心の注意を払い策を講じた上、

決定した方法が意外に上手くいかなかったりする。

コソコソして人の目を盗んだ手も、

相手からするとお見通しだったりする。

危険そうな正面突破、中央突破が、

実は一番安全な対処方法だったりするのだ。

まず、正面から堂々と突き進めば、

姑息な動きをするより信用を築ける。

相手にも邪道には見られず、

ある程度理解される。

策を講じてばかりいると、

アイデアマンと思われる可能性もあるが、

食えない奴と信用されないこともある。

人生の橋を渡るときに、

自分なりの方法は絶対必要だ。

ただし、その橋が危ない橋で渡らなければならないなら、

中央突破を念頭におけ。

打開策の選択として、けして悪い選択ではないのだ。

 

 

 

 

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人生の黄金を

(今日のコトバ)

 

 

ポストがあるということは、

チャンスがあるということ。

 

 

どこにも属さなく、どこにも席がない。

ということがあるだろうか。

相当まれな場合はあるだろうが、

基本的にはありえないことだと思う。

人は、どこかに属していると何かのポストや

役割が必ずあるはずだ。

普段気づかずにいるだけで、得意分野の作業を行っているはずだ。

そこには、人生においての大きなチャンスが潜んでいる。

もっといえば、人生のチャンスは、ほとんどそこに潜んでいるのだ。

黄金を手にしたければ、今いる場所を掘れ。

鉱脈を発見するまで、どこまでもどこまでも掘れ。

自分がいる、自分が得意な、自分の場所から、

人生を劇的に進化させる宝物を見つけられる。

いざ掘らん、人生の黄金を。

キレて失ったものの大きさ

(今日のコトバ)

 

やけになって失うより、

踏みとどまって得ることを選ぶのだ。

 

 

 

キレてしまうことは、簡単だ。

やけになって怒り、いままで築いたものまで失ってしまう。

自分の腹の虫は治まるかもしれなが、

壊れたものの代償は大きい。

人間関係において、もう一度、元に戻すのは大変な作業になる。

できれば、関係を切るようなことをせず、

ゆるめたり、のばしたりしながら、

保っておいた方がいいと思う。

たとえば、100%相手が悪い場合は、いたしかたないこともあるが、

自分が間違っていた場合は取り返しのつかないことになる。

謝ってすめばいいが、修復不可能なことにもなりかねない。

さらに、人間関係のその先にある利害関係も、

遮断してしまうことになる。

その利害がとても大きなものだと、

失った信頼の重さを後々気づき寂しくなる。

だから、キレてしまうことで、失うことを極力さけよう。

少なくとも自分に非がある場合は、キレてはならない。

人間同士の結びつきを失ったとき、

人間の中から消えていく絆はかけがえのない財産なのだから。

出来事を現場で

(今日のコトバ)

 

そこにいることが大切なのだ。

 

 

ライブがあるときに、その場所にいなければ楽しさは半減する。

イベントがあるときに、その場所にいなければ良さは理解できない。

反対に、制作側でも当事者は現場にいなければ正しい判断は下させない。

何かが起こるところに、自分がいることが大事なのだ。

いなければ、楽しめない。いなければ、権利がない。

そこにいることが、あらゆる出来事で有利に働くのだ。

もっといえば、そこに行こうとする行動力があるか、ないかが、

すべてを決しているといっても過言ではない。

現場主義。行動主義。体験主義。

一歩踏み出せる人は、大事なものを手に入れることができるのだ。

「蓄え」と「繋がり」

(今日のコトバ)

 

みんなギリギリで生きている。

がんばってギリギリから離れようとして生きている。

 

 

社会人が会社を辞めてしまったら。

会社が倒産してしまったら。

肉親がいなくなってしまったら。

あるべきものが突然なくなってしまったら、

人は突然、瀬戸際まで追い込まれる。

経済的な問題なことばかりではなくて、

精神的な問題も厳しい状況になる。

みんな普通の顔して生きているけれど、

一歩間違えはまったく変わった人生がはじまってしまう。

だからこそ、人は厳しい状況にならないよう蓄えをもったり、

人との繋がりを大切にしているのだ。

そして、この「蓄え」と「繋がり」こそが社会の原点だったりする。

いま、時代が人間関係や社会構造を複雑にしているけれど、

基本を考えるとこの二つにつきる。

いま、自分のまわりで何かが上手くいっていなかったら、

この原点に立ち返ってみよう。

原点さえおさえれば、人生は普通に動き出す。

簡単ことだが、この原点を堅持することによって、

ギリギリの人生から、ゆとりの人生を手に入れているのだ。

「もっともっと」を今日から

(今日のコトバ)

 

 

もっと幸せになれると思っている時が、

幸せを満喫している時なのだ。

 

 

「もっともっと」と思っている時は、

漠然とでも、明確にでも、前進していくための

設計図が描けている時だ。

未知の力に引っ張られて、熱い思いに支えられて、

行くべき未来に夢中で行ける。

人生の中でも特筆すべきかけがえのない時間だ。

こんな時間をもてる人は、

無条件で幸せの渦の中に巻き込まれている。

無意識に幸せにのまっただ中にいる。

もし、いま、幸せとほど遠い場所にいると思っている人がいたら、

自分の中から生まれる「もっともっと」を探してみょう。

その「もっともっと」を見つけたら、

その「もっともっと」と今日から一緒に走ろう。

日々のつまらない雑念を追い抜いて、

遠くに見える「もっともっと」のゴールに向かえば、

知らず知らずのうちに、きっと、あなたも幸せの中心にいるはずだ。