命を鍛える

(今日のコトバ)

 

 

命を過保護にするのは、人生のためにならない。

 

 

ゆとり教育以降だろうか。平和を目指してきた戦後だろうか。

人間は、命を必要以上に大事にしてきたと思う。

もちろん、命は大事にするべきものだ。

だが、守ることばかり重視して、攻めることを忘れた命は

どうなってしまうだろう。

命を懸けても戦うという言葉が死語になってしまうかもしれない。

少し厳しい表現になったが、もっと端的にいうと

命を鍛えなくていいのかという問題があると思うのだ。

子どもの頃、怒られたり、殴られたり、痛い目にあうことで、

命はメキメキと鍛えられた。

だからこそ、命の大切さも理解したと思う。

ゆとり教育がもたらした、教師が怒れない、殴れない。

先輩も怒らない。ケンカした記憶がない。

そして、親にも殴られたことがない人間が増加したら、

この国はどうなるのだろう。

もっといえば、子どものうち怒られなかった人々が、

社会の荒波で障害物にぶちあたった時、

自分で解決するチカラを持てるだろうか。

社会が昔に比べて、甘くなったりはしていない。

怒られる、痛い目にあうことなど頻繁に起こる。

その時の心と体の癒し方は、

子どものうちに習得していなくては遅すぎる。

いま、この国のモラルを問う人々が増えている。

ほんとうにそう思うのなら、

子どもの教育を、もう一度見直そう。

そこに、育成の答えがある。

そこに、人間の答えがある。

そこに、日本復活の答えがあるのだ。

 

 

 

 

 

今日のコトバのバックナンバーは、

コトバザウルスhttp://kotobaza.com/へ。

コメントを残す