もう一度立ち上がる力

 

(今日のコトバ)

 

ころんでも、

一度も立てなかったことはない。

歩き出せなかったことはない。

だから、いま、

ここで生きているのだ。

 

 

 

 

人生では、何度もころんできた。

ころぶとは、失敗や敗北を含め

うまくいかなかったことだとすると、

数限りなくあるころんできた。

だが、そのたびに人は立ち上がってきた。

何度も、何度も、

立ち上がってきた。

だれに教えられるでもなく、

人には、もう一度、

立ち上がるという威力が

備わっている。

再び、元の位置につくまで、

がんばろうとする力。

その力は人を成長させるためにも

役立ってきた。

だとすると、

ころんで、失敗して、敗北しても、

そのたびに自分に力を

蓄えることができる。

もっというと、

さらに自分が強くなるともいえる。

要は、自分の考え方次第。

ころんだことをどう自分で

受け止めるか。

その考え方次第で、

ころぶことが成長させる力になるのだ。

 

 

失敗から学ぶ差

 

(今日のコトバ)

 

成功者は、

すべての失敗を踏みしめて

道にしてきた。

 

 

 

 

何かを成功させる人は、

共通の強みを持っている。

それは、失敗を糧にしていること。

ただの失敗に終わらせず、

成功へどうつなげるかを考えている。

転んでもただでは起きない。

倒れた先の花をつかもうとするなど、

とにかく、失敗を無駄にしない。

反対に、失敗を放置したり、

失敗から逃げたり、

失敗という経験から

何も学ぼうとしない人は、

失敗から抜け出せない。

差は、そこにあるのではないか。

人の能力の差より、

失敗から学ぶ差の方が大きい。

成功は簡単ではない。

しんどいことも必要だ。

その時、失敗をいかに

自分のものにしているか。

失敗によって、

よってどう局面を打開するか。

その差が成功への道をつくのだと思う。

強者も腐敗する

 

(今日のコトバ)

 

強者は、

弱者より汚い手を使っても

強者にいようとしていることを

忘れるな。

 

 

 

強者になる。

弱者になる。

人生でどちらかになる場合がある。

勝利や成功を続けて、

強者と呼ばれる。

ただ、勝ち続ける、

成功し続けると、

続けるために汚い手を

使うことになる人がいる。

「敗者より勝者の方がいい。

そのために手段を選ばす勝ちにいく」

そうなると、

力の使い方を間違て、

汚いことに手を染めてしまう。

強者も腐敗する。

なんでも長く続けると腐敗はする。

ただ、強者を続けるために、

汚い手ばかりつくと、

ほんとうの力すら無意味になる。

政治がわかりやすい。

企業もわかりやすい。

そして、自分もよくわかる。

肝に銘じて生きたいものだ。

 

楽しさは人によって違う

 

(今日のコトバ)

 

「楽しくやろうぜ」

といっている本人しか

楽しんでいないことほど、

楽しくないものはない。

 

 

 

できるだけ楽しく生きていきたい。

となれば、

できるだけ楽しい時間の中で

生きていきたい。

となると、自分で楽しい時間をつくるか。

もしくは、

他人に楽しい時間をつくってもらうか。

自分の場合は、簡単だ。

自分が好きなものの時間を、

楽しくなる時間をつくればいい。

ただ、他人に楽しい時間を委ねると、

自分にとって楽しい時間に

ならない時もある。

なにせ他人が楽しい時間なのだから、

自分の楽しい時間と違うのも仕方ない。

よっぽどサークルのように、

自分が好きな仲間とでない限り、

同じ楽しい時間は

共有できない。

人によっては、

自分よがりの楽しいを

まわりに強要し、

一人だけ楽しんでいる時がある。

自分と人は違う。

楽しさ時間をつくりたい時こそ、

しっかり理解しておきたい。

そう思うのだ。

 

 

「がんばる」という言葉がある

 

(今日のコトバ)

 

がんばるって言葉、がんばれ!

 

 

 

最近、「がんばれ」という言葉より

「がんばらない」「がんばるな」という

言葉の方が、

大きい顔をする世の中になってきた。

「がんばればかりでは人を追い込む」

「もうがんばっている人は、

どうがんばればいい」

「がんばらなくていい、

人生それほど変わらないさ」など、、、。

がんばることがワルモノのような

扱いになることもある。

だが、そんなに「がんばる」は、

ワルいことだろうか。

「がんばる」という言葉を

意味のないものにする必要があるだろうか。

人生では、がんばらなければ

ならない時がある。

一人ではくじけそうになる時もある。

その時、自分のまわりの誰かから

「がんばれ!」といわれることは、

決してワルいことではない。

ここ一番に気合を入れる時、

「がんばれ」という言葉は、

有効な言葉になる。

「がんばる」という言葉は、

人間の本能に訴える言葉のひとつ。

そう思うのだ。

 

未完成は目標の更新

 

(今日のコトバ)

 

 

未完成なのは、

目標がつねに更新されているからだ。

 

 

 

 

なんだか毎日が未完成のまま

過ぎていく。

なんとなくというのではなく、

懸命に生きているけれど

完成されない日々が続く。

それは、何もワルいことではない。

未完成ということは、

完成したかもしれない今日に

新しい目標が生まれて、

明日へ旅立つことになったともいえる。

仕事を考えればわかる。

今日まで納期のものもあれば、

新しい発注があれば、

また、新しい作業に

取り組まなければならない。

そう考えると、

未完成な日々も素敵に思える。

未完成ということは、

目標の更新になる。

今日もまた目標を

更新して生きている。

一生、未完成を続ける。

未完成を追い続けることは、

幸せなことだ。

成長の完結

 

(今日のコトバ)

 

これからどれだけ大きくなっても、

あの人を忘れてはいけない。

 

 

 

人は、年々成長していく。

若ければ若いほど、

目に見えて成長していく。

そして、その成長は、

一人ではできなかったことも多い。

だれかの力を借りて、

だれかの教えを受けて、

成長したことが必ずある。

ただ、その成長してしまうと、

だれかのことを感謝していても、

まったく忘れて

不義理をしてしまうことがある。

それだと成長が成長として完結しない。

成長のために受けた恩が欠けている。

ほんとうに成長したいなら、

大きく羽ばたきたいなら、

力を授けてくれたあの人を大切にする。

それでこそ、成長の完結する。

人は、人によって成長するのだ。

後悔を人生に投資できたら勝ち

 

(今日のコトバ)

 

あの悔しさおかげで、

いまの自分がある。

 

 

 

数々の悔しい思いがあった。

人知れず泣いたこともある。

生きることが見えなくなったことさえある。

ただ、その悔しさは、

自分の人生にとって、

大きなエネルギーになったのは、

間違いない。

悔しいから、頑張る。

悔しいから、もう一度トライしてみる。

悔しいから、ライバルと真剣に向き合う等。

もちろん、悔しいだけで終ってしまう人も

いるだろう。

だが、この悔しいがあったから、

人生は加速したことはたくさんあったはずだ。

「後悔するな、反省しろ」というが、

否、まず後悔でいい。

その後、どう人生をリスタートしていくか。

後悔した気持ちを

次の自分の人生に投資できたら勝ち。

後悔を人生に上手に使うのだ。

横の関係にある人

 

(今日のコトバ)

 

タテの関係だと手をつなぐのは

難しいけど、

ヨコの関係なら手をつなぐのは

簡単だ。

 

 

 

横につながっている。

上下ではなく、同じ高さ、

同じ目線の横。

その人たちと手をつなぐ、

共闘することは簡単にできる。

あまり余計なことを気にせず、

フラットな自分で付き合える。

だが、これが上下の関係だと

そうはいかない。

特に、自分が下のカテゴリーに

組み込まれると、

上に気を使うことが増える。

人にもよるが、

思いっきり気を使わせる人もいる。

自分が上になっても、

知らず知らずのうちに

下に気を使わせてしまっている

ことが多い。

だからこそ、

横の関係でいられる人は

大事にしたい。

気を使わず、

自然の自分でいられる。

自分のバランスがとれる。

そんな気にしてくれる人がいたら、

ほんとうに大切にすべき。

人生において、

自分と横の関係にある人は、

生きていく道程に必要なのだ。

 

愛する力は無限

 

(今日のコトバ)

 

「愛する」は無限の力を持っているが、

「愛される」は有限の力しか持っていない。

 

 

 

人から愛されることは、

嬉しいことだ。

嫌われるよりは愛されたいし、

少なくとも、

自分のまわりにいる人には、

愛される存在でいたい。

だが、愛されるということは、

受動的なこと。

相手次第で愛されていたことが、

突然、愛されないことになることもある。

愛される力から受けるものは、

大きなものであるが有限ではない。

反対に、愛する力はどうだろう。

愛するという行為は、能動的。

どこまで愛することできるし、

無限の力を持つこともできる。

ただ、愛することは、

自分のモチベーションにもかかわる。

自分が萎えてしまえば、

愛することはできない。

それでも、

愛することは無限の力を持つ。

この力を使うことができれば、

自分が新しい領域へ踏み込むことが

できるかもしれない。

愛する力を思いっきり使う。

そして、人生の新しい一歩を踏み出すのも

一つの考え方だ。