敵は味方の中にもいる

 

(今日のコトバ)

 

頼れない味方は、

第二の敵である。

 

 

 

 

あらゆる戦う場面で

思うことがある。

味方であるのに

足を引っ張る人がいる。

特に、チームプレイが必要な戦いでは、

足を引っ張る人が致命的になることがある。

その足を引っ張る人とは、

何も能力がない人ではない。

一番はやる気を見せない人。

次にチームのムードを壊す人。

この二つのタイプは、

目的に向けて走る時、

ほんとうに足手まといになる。

戦いの勢いをそぐだけでなく、

勝とうとする意欲もそいでしまう。

敵より敵になってしまう。

むしろ、敵は努力目標となって、

いい作用をつくり出せるが、

足を引っ張る人は、

どうにもならない。

だからこそ、

戦いに挑む時、

チームで戦う時、

自分の味方は誰か、

はっきりさせる必要がある。

同じ目的に向かって

走れるか。

違う方向へ向かないか。

やる気を見せず

停滞ムードをつくりあげないか。

敵は、味方の中にもいる。

そのことを忘れてはいけない。

 

自慢話は、自信のなさから

 

(今日のコトバ)

 

自慢の背骨は、

虚勢で出来ている。

 

 

 

必要以上に自慢話をする人がいる。

誰も聞いていない。

話が大きすぎる。

いちいち癇に障るなど、、、。

自慢話をする人すべてに思うことが、

「自信がない人」ということ。

自信がないからこそ、

わざと自信があるよに見せようと

虚勢をはる。

聞いている人々は、

自慢を凄いなどと思わず、

ただただ不快な気持ちになる。

自慢をする人は、

そこに気づかないでいる。

自慢をしていれば、

自分が上に立てる、

自分が優越感にひたれる、

自分の位置が確保されると思っている。

反対に自分が話を聞く側に

なってみれば良くわかる。

相手の自慢話ほど、

気分を害するものはない。

自慢話をどう考えるかだが、

自分が聞く側になってみればいい。

異常に虚勢をはった

自慢話はしなくなる。

自慢話の不快感がわかるはずだ。

 

 

常識が非常識に、非常識が常識に

 

(今日のコトバ)

 

常識は劣化して中古品になり、

非常識は進化して新商品になる。

 

 

 

 

人は常識の中で生きる。

常識をはみ出してしまえば、

罪になることもある。

ただ、常識にも

賞味期限がある。

「この常識は、

いまは通用しなくなった」

ということもある。

例えば、現代と昭和の常識では、

まったく違ってくる。

鉄拳制裁あたりまえの昭和は、

先生が殴るなどあたりまえ。

家庭でも、部活動でも、

暴力は標準的にあった。

昭和で先をゆく者の暴力を

否定したら、

その人が非常識と呼ばれたりした。

現在は、どの世界でも暴力はNG。

平気で暴力をふるう者こそ、

非常識の権化になる。

昭和の鉄拳制裁という名の

暴力は、「暴力ではない、愛情だ」

といわれた。

そんなこと一つをとっても、

常識は非常識に、

非常識は常識になる。

だからこそ、

常識も疑ってみる。

そのことを意識して

生きることで本当の常識が

わかってくるのだ。

意志の下の意地

 

(今日のコトバ)

 

意志が地に足をつけて、

意地になる。

 

 

 

成長するためには、

意志が必要になる。

強い意志であればあるほど、

大きな成長につながる。

その意志が一過性ではなく、

信念として続くものであると、

それは意地になる。

人生のあらゆる問題を

解決するには、

意地が必要。

また、勝負の最後は、

意地の戦いにもなる。

そのためにはじめに必要なのは、

強い意志。

しっかり持ち続ければ、

自分の成長につながる。

そのことを忘れてはいけない。

 

裸の王様のふりをしている

 

(今日のコトバ)

 

裸の王様は、

自分が裸であることを隠す

鏡を持っている。

 

 

 

自分がどんなふるまいをしているか

わからない。

傍若無人な態度でも

みんなが許してくれる。

だから、

陰口や後ろ指を指されていても

わからない。

裸の王様といわれてしまう。

だが、最近思うのだが、

裸の王様といわれている人は、

本当に自分の態度が

わかっていないのだろうか。

もしかすると、

裸の王様であることを

わかっていながら、

裸の王様にしてくれる人を

まわりに配置しているのではないかと

思うのだ。

つまり、利用することができる、

威張ることができる人間を、

わざとまわりで固めて、

裸の王様のふりをしている。

裸の王様で生きる方が

楽だから、

そのふりをしている。

ただ、まわりの人間は、

たまったものではない。

もし、自分のまわりに

裸の王様のふりをしている人が

いるなら教えるべきだ。

「あなたは、裸の王様だ」と。

まわりの人の迷惑を考えたら、

いち早く伝えるよう。

金は、人柄を見る

 

(今日のコトバ)

 

貸したものって、

意外と返ってこないんだなあ、

これが。

借りたものって、

意外と返してないんだなあ、

これが。

 

 

 

 

人との金の貸し借り。

誰かの名言だったか、

どこかの国のことわざだったか。

「金は借りてもいけない、

貸してもいけない」という。

本当にそうだと思う。

借りてしまうと、

きっちり返しても負い目ができる。

きっちり返さないと、

相手は不快感とともに嫌な顔をする。

貸してしまうと、

きっちり返してくれないと腹が立つ。

なんとか返して欲しいのだが、

返してくれといえない自分に頭がきて、

きっちり返さない相手に怒りを覚える。

金という媒体を通じて、

人柄が理解する。

人間性を問うことになる。

仮にもし、金という媒体とは

縁がない関係なら、

ここまで人柄・人間性を考えることは

なかったはずだ。

つまり、金という媒体を通じて、

利害関係が生まれる。

そこで、金の介入しない関係から、

まったまく違う次元の関係になる。

むしろ、利害だけの関係に変わってしまう。

だからこそ、

人は金の貸し借りのある関係に

なってはいけない。

その関係になった瞬間から、

いろいろな関係の上位概念に

利害関係が君臨する。

いままで培ったあらゆる関係が、

存在意義を失ってしまう。

金には人の関係を大きく変えてしまう

力があるのだ。

 

 

その未来もどこかで出会った時間と似ている

 

(今日のコトバ)

 

今日もどこかで会ったような一日。

どんな日になるか

体のどこかで憶えている。

 

 

 

 

毎日、新しい日がはじまる。

まったく経験したことのない日だし、

未体験な時間だ。

だが、人生をある程度生きていれば、

たいがい同じような

体験をした日があった。

デジャブーのような気持ちに

なることもあるし、

昨日と同じような作業をしているので、

似たような時間を

過ごしていると思ったりする。

そんなことを考えていくと、

今日のほとんどの時間は、

自分の体が

憶えてきたことのような気がする。

だとすれば、

怖れることはない。

人は、見えない未来に不安を

覚えることがある。

特に、プレッシャーのかかる未来には、

不安がつきまとう。

しかし、その未来もどこかで

出会った時間と似ていることが

ほとんどのはず。

そのことを意識すれば、

見えない未来に不安になることを

少しだけ避けることができる。

まったく未体験の時間などない。

そう思って生きていけばいいのだ。

「できない」ものに挑戦を

 

(今日のコトバ)

 

「できる」は、時代遅れと訳す。

「できない」は、可能性と訳す。

 

 

 

もうできてしまったこと。

そこに伸びしろはない。

完成。

つまり、そこで終わり。

最初は、

「できた」と喜んだりするが、

そのうちあたりまえになる。

時間が経てば、時代遅れになっていく。

反対に、

まだ「できない」ことは、

可能性が残っている。

未完成。

つまり、成長の余地がある。

最初は、

「できない」と頭を悩ますが、

できるようになっていくと

喜ばしい気分になる。

まだまだ成長できる可能性を感じる。

だからこそ、

いま「できない」ことを大切にしよう。

「できない」に取り組む間、

人は成長できる。

「できる」と思ってしまうと、

そこで成長は止まる。

「できない」の力を信じるのだ。

 

 

有利を使え

 

(今日のコトバ)

 

もったいない事は、

そこにあるアドバンテージを

使わない事。

 

 

 

いま、生きている中で、

得すること、ラッキーなこと、

儲かること等。

有利なことをしっかり

行使しているだろうか。

忙しい日々の中、

わかっているけど行使できない。

忘れてしまっている。

無精でやらないなどあると思う。

ただ、この有利なものを

行使すると、

人生は結構助かる。

そもそも税金からして、

随分変わってくる。

ふるさと納税ばかりでなく、

医療控除やなんやらで

確定申告をすると

返ってくるお金もある。

各種カードのポイントも

戦略的に使うと、

多大な利益を生み出す。

普通のサラリーマンだが、

出張が多いだけで、

「年間、40万ポイントがついた」

などという話しも聞いた。

それだけではない。

いろいろな場所の機能を

しっかり把握すると、

たくさんの有利なサービスがある。

それを知って生きると、

1年、5年、10年で大きな差になる。

有利なものを

無視しないで生きていこう。

自分の中の権力をチェック

 

(今日のコトバ)

 

みんな自分の中に

権力を持っている。

その権力を監視する眼を

持たない人を下品な人という。

 

 

 

パワーハラスメント、

セクシャルハラスメントで

訴えられる人になるのだろうか。

自分の力の領域のわからない人。

自分の力を強力に行使してしまう人。

あるいは、自分の力を暴力に

変えてしまう人、、、。

その人たちには共通の問題がある。

他人に対する

厳しい眼があるのだが、

自分に対しての眼は、

まったくもって甘い。

自分の中の力といわれるものは、

すべて容認してしまう。

自分以外の人はすべて

力でねじ伏せていいと考える。

質がワルくなると、

自分より弱いと思われる人に限って

強権発動をして、

ハラスメントを行う。

ハラスメントを行う人は、

みんな同じタイプに属している。

自分の権力といっていい部分を

チェックする機能を持っていない。

そこが問題なのだ。

ただ、

自分自身が権力に溺れていないかを

検証してみると、

大なり小なり自分の権力チェックを

怠っている部分はある。

まず、ハラスメントをなくすために、

自分の権力チェックをする習慣をつける。

どこがハラスメントか意識する。

質のワルい強権を使わない。

一人ひとりがそう思うことから、

ハラスメントは減っていくのだと思う。