傷つくたびに強くなる

 

(今日のコトバ)

 

ころがって、

ころがって、

ころがり続けてきた道は、

やがて大空に舞い上がる

滑走路となった。

 

 

 

人生は、

ころがったり、

倒れたり、

傷ついたりしながら、

少しずつ強くなる。

例外として、生まれつき強い生き方が

できる人もいる。

だが、たいていの人は、

少しずつ経験を積みながら、

生きることに強くなる。

その強くなることが大事。

強くなることで

人生の道を切り開く能力を

身に着ける。

新しい挑戦もできる。

勇気がもわいてくる。

その経験が自分のマグマに火をつける。

だからこそ、人生にとって

痛い目にあう経験は必要。

もちろん、致命傷のような

痛い目は別として、

かすり傷のような痛い目は、

人生を強くする。

そう覚えていていいと思う。

相手に認知させる

 

(今日のコトバ)

 

扉をノックしなければ、

主は顔を出さない。

 

 

 

どこの世界へ足を踏み入れるにも

扉がある。

前を素通りするだけで、

あるいは、ウロウロするだけでは、

扉は開かない。

ノックしたり、

ピンポンを鳴らしたり、

とにかく、中にいる主に

会いに来たと意思表示を

しなければならない。

まず、そこからだ。

どんな世界でも

扉を開いてもらわなければ、

話ははじまらない。

ノックできないでいれば、

コミュニケーションは

はじまらないのだ。

だからこそ、

勇気を出してでも、

扉をノックしよう。

扉をノックする方法は、

いろいろある。

SNSを使ってもいい。

一人でなく、仲間とでもいい。

とにかく、自分が相手に知られること。

そこから相手に自分を認知させる。

まずは、扉を開けてもらおう。

 

引き分けコミュニケーション

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

「正しい」と「正しい」で戦うから、

引き分けを生み出したのだ。

 

 

 

いろいろな意見、

いろいろな主張はあるけれど、

本人は自分が絶対正論だと思って

発言していることが多い。

なにも自分が間違っていると思って、

わざわざ声高に意見をすることはない。

議論と呼べる時、

どこかに自分の正論を持って、

あるいは、

どこかで自分が正論だと思って、

意見を発している。

自分も、相手も、

そして、世の中も、

正論を持っている。

だからこそ、

どっちが勝ちで、

どっちが負けといいきれない

結論もある。

引き分け。

勝敗はない。

この結論も、

人間が生きていく上で、

とても大切なこと。

人間が円滑なコミュニケーションを

行うために、

引き分けは必要なのだ。

人生に迷わないために、目的を

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

人が見つからなくて

迷子になるのではない。

自分が見つからなくて

迷子になるのだ。

 

 

 

 

迷う。

人生という岐路には、

たくさん迷子になる道がある。

迷って、迷って、迷って、、、。

いつも迷っているといってもいい。

標識を見つけてたい。

行く先を知っている人と

知り合いたい。

だが、人生はそう簡単ではない。

標識が見つかないこともある。

行く先を知っている人が

見つからないこともある。

そして、迷子になっているのは、

まわりの環境だけでなくて、

自分自身の問題でもあることに気づく。

自分がどこへ行きたいか。

自分がどうしたいかが、

不明瞭だと人生に迷ってしまう。

反対に、自分の行くべき道が明解だと、

どんな状況でも迷うことが少ない。

仮に迷っても、

迷う時間が少ないような気がするのだ。

だからこそ、

目的はしっかり持っていたい。

目的さえ定まっていれば、

行くべき道がまっすぐになる。

人生に迷わないために、

目的を持つのだ。

緊張する時は、人生にスポットライトがあたる時

 

(今日のコトバ)

 

緊張は、

情熱が体を駆けめぐる状態だ。

 

 

 

人生の節目節目で、

緊張する場面と出会う。

社会人になると、

日々、緊張を余儀なくされる場合もある。

できれば、緊張しない平常心で

生きていきたいと思うこともある。

ただ、緊張するということは、

自分にスポットライトがあたって

いるということでもある。

つまりは、

勝負のかかる状況で、

気持ちが高揚しているということ。

もっといば、

情熱が駆けめぐっている

ということでもある。

そう思うと、

緊張する場面は、

人生にとって

素晴らしい記憶を

つくり出している。

だからこそ、

緊張を前向きに捉える。

その気持ちが大切だ。

ハングリー精神は、人生を大逆転するエネルギー

 

(今日のコトバ)

 

ハングリーは、

不平等生まれ、

不公平育ち。

 

 

 

誰よも欲望が強くなる。

誰よりも人生に枯渇する。

誰よりも夢に飢える等、

飛び抜けてハングリーな人がいる。

その人たちの共通の育った

キーワードは、不平等。

一番多いのは、貧困な環境に生まれ

不平等を経験している。

また、リッチな環境に生まれても没落して、

やっぱり貧困を経験している。

あるいは、

特別に人から迫害された記憶がある等、

苦しい状況があった人。

その人たちのハングリー精神は、

途轍なく、強く、深いものになる。

本当は、

どんな人も、同じ環境、

同じスタートを切れる状況を

つくれればいいのだが、

世の中という仕組みは、

そうは問屋が卸さない。

生まれた時から千差万別。

不平等という状況から、

はじめなければならない人がいる。

だが、その不平等から、多くの

ハングリー精神が育まれる。

ハングリー精神が

人生を大逆転する

エネルギーを蓄える。

ハングリー精神は、

人生という勝負の大きな武器になって、

人生のレースを勝ち抜く力になるのだ。

 

当事者意識というムードメーカー

 

(今日のコトバ)

 

卑怯者は、当事者にならない。

 

 

 

「当事者意識がないんだ、アイツ」

などということがある。

プロジェクトにいても、

意識が低く、

中心になって仕事をしない。

やる気を見せない。

他人事で作業をする、、、、。

そういう人と仕事をすると、

モチベーションは下がるし、

いい結果は出せなくなる。

反対に、どのポジションにいても、

当事者意識を持って

動いてくれる人がいると、

現場はいいムードで仕事ができる。

そう考えると、

当事者意識を持っている人がいる

現場は、いい仕事の必須条件。

そこで、当事者意識のある人間の筆頭に

自分がなれば、

自分から現場をいいムードにできる。

仕事の現場では、

当事者意識というムードメーカーが

大切なのだ。

 

頼られることは、幸せランキングが高い

 

(今日のコトバ)

 

頼る人がいるのは幸せだ。

そして、頼ってくれる人がいるのは、

もっと幸せだ。

 

 

 

人がいちばん幸せを

感じる瞬間とは、

いつだろう。

人によって、状況によって、

いろいろな場面を

思い浮かべることがあるだろう。

その中で、頼る人がいることは、

幸せランキングの

上位をしめるはずだ。

安心して生きられる。

ただ、その上にランキングされて、

場合によっては

最高の幸せを感じる瞬間がある。

それは、人から頼られること。

「キミにお願いしたいことがある」

そういわれて、

自分ができることをお願いされたら、

こんなに嬉しいことはない。

こんなに幸せを感じることはない。

そう思うと、

人から頼られる人生もワルくない。

そこに幸せがあると思うと、

生きることにハリがでる。

「頼られる」

その人生は、最高の幸せを感じて

生きていくことなのだ。

怒りは、力不足から

 

(今日のコトバ)

 

人は、自分の力不足を

他人の力不足のせいにする。

 

 

 

誰かを怒っている人を

横で見ていると、

怒っている人がおかしいと

思うことがある。

たまにではなく、頻繁に。

なぜかというと、

怒っている人は、

感情に任せてわめいていたり、

勘違いしていたり、

パフォーマンスだったり、

肩書きにのってエキサイトしたり、、、、。

つまり、自分に問題がある場合が

多々あるのだ。

もちろん、怒られている人に

問題がある場合もある。

ただ、だからといって、

人前で怒り出す必要はない。

怒れば自分の力不足を

露呈することになる。

自分の力不足を

他人の力不足のせいに

しているようにも見える。

そう思うと、

自分が人に怒る時、

自分の力不足で怒ってないか、

一度、確認してから怒る。

そして、怒るべきだと思っても、

怒り方を考える。

それができるだけで、

もっと違った自分に

成長できるはずだ。

自由への闘争

 

(今日のコトバ)

 

いつだって僕らは、

自由を許さない者に立ち向かって、

自由になろうと戦っている。

 

 

 

 

その道の先には、

必ず先達者がいる。

ルールを決めた人たちがいる。

歴史上、不変的で

まったく変わらないルールなどなく、

誰かが自分の都合のいいように

ルールを決めてきた。

決めた人たちは、

自分に都合がいいから、

限りなく自由を満喫できる。

だが、ルールを決められた後に、

その道に入った人は、

ルールを享受するか、

ルールに反発して違う世界へ行くか、

ルールと戦って

自分たちにフィットするルールをつくるか

しなければならない。

そこに一つの戦いがある。

おおげさにいえば、自由への闘争。

どんな小さな世界でも、

どんな狭い世界でも、

この戦いはある。

そして、この戦いに勝つためには、

相手に勝つのではなく、

自分たちのアクションが

正当であることを証明する必要がある。

そのことを忘れてはいけない。