正体不明の人々の総称

 

(今日のコトバ)

 

「みんな」って、

どこにもいないのに、

世の中でいちばん偉そうな顔を

している。

 

 

 

誰かがいう。

「みんな、いっている」

「みんな、知っている」

「みんな、笑っている」等。

ただ、この「みんな」って、

どこまでの人を指すのか?

あやふやで適当。

正確な人数なんて数えられない。

ただ、枕詞に「みんな」

という人がいる。

「みんな」

誰もが自分の意見を正当化したい時、

「こんなにも人がいるよ」というために

使ってしまう言葉。

すごく簡単に圧力を

かけてしまう言葉なのだ。。

だからこそ、

「みんな」を簡単に信じてはいけない。

頭の片隅ぐらいで感じておけばいい。

「みんな」は正体不明の人々の総称で

しかないのだ。

不幸から逃れるには複合技で

 

(今日のコトバ)

 

不幸の滞在時間を最短にして生きろ。

 

 

 

簡単にいうけれど、

不幸なことは、、

なかなか自分の心から

消えていくことはない。

生きていくことで、

これほど辛い時もない。

できるなら、

なるべく辛い時間を短くしたい。

忘れられるものなら、

忘れて生きていきたい。

では、どうやって短縮するか。

一つは不幸の原因に対峙すること。

その原因を解決するために行動する。

あたりまえだ。

ただ、そこに忙しさが

ついてまわると、

辛い時間がどさくさに紛れてだが

消えていく。

忙しくなれば、

辛い時間が短縮になる。

それ以外の方法もあるだろう。

ストレスを発散するような方法。

誰かとたくさん会う。

誰かとたくさん話す等、

いろいろある。

複合技でいい。

忙しくして、

ストレスを発散することをして、

誰かと会う、話す。

そして、流れていく時間を短くして

生きていく。

そこに不幸の滞在時間を

短縮するあれこれが

装備されているのだ。

 

 

自分に合った発散する場所・時間

 

(今日のコトバ)

 

気をつけ過ぎて、

気を使い過ぎて、

気づかなくなることがある。

 

 

 

徹底的に気を配る。

とことん相手のことを考えている。

いい人といわれている。

まわりの雰囲気をよくする人でもある。

ただ、こういう人に限って、

自分が痛んでしまうことがある。

日々、

少しずつ自分の気を使い過ぎて、

心まで削ってしまっている。

一日では気づかないが、

何年も続くと、

自分がほころびはじめる。

そんな人がまわりにいるはずだ。

気を使い過ぎる人。

そういう人は、

そういう人こそ、

自分の使い過ぎた気を補うために

発散する場所・時間が必要だ。

そこへ行けば、

リラックスできる、

リフレッシュできる、

リセットできる。

使い過ぎた気も、

また、復活する。

人それぞれ違うと思う。

自分に合った発散する場所・時間。

それを知って生きる。

気を使い過ぎる人には

大切なことだ。

 

 

自分の強みを意識する

 

(今日のコトバ)

 

飛べる鳥は

大空を飛べばいい。

飛べない鳥は

地に足をつけて歩けばいい。

 

 

 

得意、不得意がある。

自分の強み、自分の長所があれば、

自分の弱さ、自分の短所もある。

本来は、どういう状況になっても、

自分の強み、

長所で生きることを

選択しているはずだ。。

だが、これができているようでいて、

できていない人が結構いる。

なんとなく流れにまかせて、

あまり考えもせず生きていると、

自分の強みではないところで

生きてしまう。

そこを意識して、

絶対、

自分の強みで生きるようにする。

どこが自分の強みか。

どこが自分の長所として

生かしていけるか。

世の中は、

時としていじわるだ。

弱いものを排除していくことがある。

その時、自分の強みで生きていけたら、

苦しむことが最小限にできるはずだ。

人は、ほめられて成長するもの。

自分の強みであれば、

人より秀でる可能性が高い。

ほめられる可能性が高い。

世の中という大河が

生きやすくなっていくのだ。

世の中のペースで生きない

 

(今日のコトバ)

 

なんでもないさと今日を生き、

なんとかなるさと明日へ行く。

 

 

 

心配事が多い。

不安な課題もある。

目まぐるしく状況が変わる。

情報もあふれ息苦しい世の中だ。

世の中に巻き込まれて、

ハイスピードで生きていくと、

自分のクビをしめることに

なり兼ねない。

どこかで自分のペースで

生きる工夫がいる。

工夫といっても、

特別な秘策ではない。

ものごとをシリアスに考えない。

「なんでもないよ、こんなこと」と思い

「なんとかなるよ、こんなこと」ぐらいの

気持ちに生きる。

それぐらいでいい。

自分がジタバタしたって、

世の中は変わらない。

なるべく楽な気持ちで生きていく。

生き方には、

そんな考え方もあるのだ。

かかわりたくない感情

 

(今日のコトバ)

 

憎しみほど、

費用対効果のわるいものはありません。

 

 

人との諍いで、

他人を憎んでしまうことがある。

来る日も来る日も、

腹が立る。

その時間、

自分はどういう状態だろうか。

建設的でもない、

明るくなれない、

ネガティブな気持ちばかりが

支配する。

きっと、心にとっても、

体にとってもいいことはない。

嫌な気持ちのまま過ぎていく。

憎しみ。

人生であまりかかわりたくない

感情かもしれない。

そう考えるなら、

憎しみと距離をおこう。

もっというと、

憎しまないように意識しよう。

それだけで、

人生の時間がどれだけ

楽しくなるか、

一度考えてみるといい。

憎しまなければ、

どれだけ過ごしやすい時間をえられるか。

答えは明快だと思う。

 

 

どこかが欠けても生きていける

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

みんなどこかに傷をかかえる

理由あり商品です。

 

 

 

完璧な人なんていない。

非の打ちどころがない人も

言葉は知っているものの

出会ったことはない。

みんなどこかに短所がある。

欠けているところが

あるといっていい。

人間のいいところは、

それでもちゃんと生きている。

働くこともできる。

遊ぶこともできる。

気づかなくなっているが、

それは自分が欠けているところを

誰かが、

何かが補ってくれいるからなのだ。

だからこそ、

不安や心配をある程度払拭しながら

生きていける。

自分以外の誰かが補てくれる。

そのことを忘れてはいけない。

自分は、どこか欠けている。

そこを誰かが支えてくれている。

だからこそ、

人間社会は成立しているのだ。

とどまることは、退化すること

 

(今日のコトバ)

 

間違いを怖れて

何もしないということは、

何もしないという

間違いをおかしている。

 

 

 

ミスをおかすことは、

できれば避けたい。

ミスなくスムーズに

作業は完了させたい。

だが、ミスをおかさないことより、

問題になることがある。

それは、何もしないこと。

何もしなければ、

ミスもないが、

前進することもない。

自分が進化することもない。

つまり、退化しているといっていい。

とどまっていると思っていても、

実は、とどまっているのではなく

後退している。

そう考えると、

ミスを怖れて何もしないことは、

その先の人生にとって、

大きな問題をつくることなのだ。

いま、ミスを怖れて何もしていない人は、

気をつけた方がいい。

人生が

退化しているということを。

人生は、前進してこそ進化できる。

そのことを忘れてはいけない。

 

孤独の暇つぶし

 

(今日のコトバ)

 

孤独は、

頭が汗を流して走るには

絶好の空間だ。

 

 

 

寂しくなると、

孤独になると、

寒さだとか、冷たさだとかを感じて、

一人きりの世界にいることを

思い知らされる。

決して、楽しい環境ではないけれど、

ワルいことばかりではない。

いいことの一つに、

頭がクリアになることがある。

寂しくて、冷たいと、

いろいろなことを考えなくて、

一つのことを考えることができる。

余計なことを

クヨクヨして考えることもあるが、

何かテーマを決めて考えれば、

じっくり考えることもできる。

じっくり考えられるので、

いい思い付きができることもある。

もし、孤独や寂しさにさいなまれたら、

何かテーマを持って考えてみる。

孤独の暇つぶしができるかもしれない。

 

 

敏感、鈍感、どちらもメリット

 

(今日のコトバ)

 

敏感は、鋭利な刃物になる。

鈍感は、強固な棍棒になる。

 

 

 

「あの人は、敏感だ」または、

「あの人は、鈍感だ」といわれる。

たしかに、ちょっとしたことでも、

神経質に反応する人がいる。

反対に、何があっても感じないで

平気な人もいる。

人はさまざまだ。

ただ、二つの性格、

どちらも長所として機能する。

敏感は感度が鋭くて、

先手先手に手が打てる。

鈍感はみんなが動揺している時でも

動じずにいられる。

その長所を生かせばいい。

敏感も、鈍感も、

どちらも人間として生きる上での

メリット。

自分の中の優れたな機能なのだ。