心は昔のまんま

 

(今日のコトバ)

心は、いつまでも思春期を卒業しない。

 

 

いくつになったら、

ビビらなくなるのだろう。

いくつになったら、

あせらなくなるのだろう。

長く生きてきて、

人生の経験をたっぷり積んだ。

しかし、ビビることも、

あせることも治らない。

心という目に見えないものが、

昔のまんまでいる。

心は、人生の思春期と変わらず

自分の片隅に潜んでいるようだ。

成長しないとはいえない。

数々の経験が余裕を生んだり、

多少強くしたりする。

だが、はじめての挑戦となると、

いつもの心に戻る。

昔のまんまの心に戻ってしまう。

心は、そういうものなのだ。

ワルいことばかりではない。

人間は感動したり、ときめいたりする。

心が昔のまんまでいるから、

新鮮でいられるともいえる。

心。

その見えなくて、

変わらない人間の機能は、

人生の機微を

受け止めてくれているのだ。

 

想像力が成長する時

 

(今日のコトバ)

 

試練は、想像力を自由にしてくれるリングだ。

 

 

 

人生には、厳しい試練が待っている。

簡単には越えられない。

ヘトヘトになっても、

全力を出しきっても先がある。

しんどい経験が積まれていく。

ただ、このしんどい経験をしている時、

人は何を考えるだろう。

なんとか、この試練を乗りきろうと、

頭をフル回転させるのではないか。

きっと、人は最大限の想像力を働かせている。

切羽詰まってではあるが、

想像力が大きく働たらいている。

もっといえば、

想像力が成長している時と

いっていいかもしれない。

試練は辛いばかりではない。

その後に、実力も強化できるし、

想像力も成長する。

人間の機能を向上させるために、

試練は大きく貢献するのだ。

自分に似合う生き方へ

 

(今日のコトバ)

 

似合うという配色を知っている人になろう。

 

 

 

自分が一番輝くのはどういうことだろう。

生き方でも、ファッションでも、

職業でも、一番輝くものがあるはずだ。

ただ、まわりの人を見ていると、

一番輝くものを見つけずに生きている人が

たくさんいる。

嫌々のスタイルで生きている人。

全然似合わないファッションの人。

仕事が向いていない人、、、、。

時代に流され、時間に流され、

あまり考えずに生きている。

どこから見ても

輝いていない生き方。

そういう人は、自分で意識して輝く方へ、

似合う方へシフトする必要がある。

自分の一生にかかわる問題なのだ。

あまりに似合っていないと、

輝けないばかりでなく、

生き方に苦しむことになりかねない。

天命といわないまでも、

自分の得意分野で輝く。

そういう生き方をしたいものだ。

困難になった時のストック

 

(今日のコトバ)

 

困難を乗り越えた時、

無難をいくつ乗り越えても

たどり着かない高みに立っている。

 

 

 

一つ辛かった経験を乗り越えると、

その後、同じような経験をしても

苦しまずにクリアできることがある。

困難な状況を打破した記憶が

乗り越え方を覚え、

自分の血肉になって、

困難を困難でなくしてしまう。

それは、困難な経験をしたからの財産。

無難な経験をいくら経験しても、

手にできない財産。

この財産は、

人生には大きな役目を果たす。

困難になった時のストック

とでもいおうか。

もちろん、自分を崩壊してしまうほどの

困難はどうかと思う。

だが、挑む意欲がある困難なら、

取り組んでいい。

その経験がやがて、

生きるための大きな財産になる。

困難も人に財産を与えるのだ。

かけがえのない記憶

 

(今日のコトバ)

 

人生は、大記録<大記憶

 

 

 

世間的には

大記録とはいえないけれど、

自分にとっては、家族にとっては、

大きな記録となることがある。

自分史の中では、

世界記録、世界一の出来事。

例えば、子供か生まれることもそう。

志望校へ合格することもそう。

出世をすることもそう。

自分には、家族には、

かけがえのない出来事。

それはすべて、

かけがえのない記録であり、

唯一無二の記憶。

その記憶こそが、

自分という人間が生きるための

大きな支柱になる。

誰にでもある

人生の大切な記憶。

その記憶があるからこそ、

生きていける。

かけがえのない記憶は、

人生の礎になっているのだ。

誰かの力を借りて生きている

 

(今日のコトバ)

 

勇気は、一人で飛べない時もある。

誰かに背中を押してもらいたい時もある。

 

 

 

簡単ではないから、

勇気を振り絞るという。

時に、震えて勇気が出せない時がある。

時に、自分一人では

どうにもならない時がある。

その時、誰かの力を借りて、

あるいは、背中を押してもらって、

勇気を出す。

その時の一言だったり、

その時のアシストだったり、

勇気を振り絞るための力を借りる。

勇気を出す時、

そんな経験を何度かしただろう。

人間は、一人で生きているのではない。

一人でどうにもならない時に、

誰かの力を借りる。

そして、誰かが一人で勇気を出せない時、

自分の力を貸してあげる。

そのやり取りを繰り返しながら、

人間は、世の中は、

まわっているのだ。

コミュニケーションの最先端に引き際

 

(今日のコトバ)

 

引き際という国境線も大切に。

 

 

 

なんでもかんでも

出る杭になればいい

というわけではない。

時には、引き際も見極めて、

相手と自分の位置を確認して、

いいバランスをはかる。

人間関係とか、距離感とか、

コミュニケーションをはかる時、

その最先端で考えるのが引き際。

この引き際の上げ下げがうまい人は、

たいがいコミュニケーションも

上手くいっている。

反対に、引き際を間違えて、

どこまでも突っ張ったり、

あまりにも早く

引いてしまったりすると、

コミュニケーションは上手くいかない。

ちょっとしたことだと思う。

引くべきか、出るべきか。

そこで必ず一度考えるクセをつける。

それだけで、

引き際がわかることが多い。

コミュニケーションを

円滑にするために、

出来事の様々な場面で、

引き際を考えてみよう。

 

「過ぎない」生き方

 

(今日のコトバ)

 

強情を身に着けていると、

その他の情がみんな逃げていく。

 

 

 

つっぱり過ぎて、

強情を張り続けて、

引くに引けなくなることがある。

たまに、引くに引けないならいい。

ただ、つっぱり過ぎ、

強情を張り過ぎがいつもだと、

人が少しずつ離れていく。

集まってくる人情のような

人のあたたかさも、

遠ざかっていく。

つっぱり、強情は孤立してしまうのだ。

そう考えると、

つっぱり過ぎない、強情を張り過ぎない

生き方も意識していい。

もし、自分に人が集まらない状況があるなら、

過ぎている自分の気持ちを

少しセーブしてみるの必要がある。

孤立して寂しい気持ちにならないためには、

「過ぎない」生き方を意識する。

ちょっとした気働きが大切だ。

傑作づくりの環境

 

(今日のコトバ)

 

傑作とは、

命を削ってつくった軌跡をいう。

 

 

 

 

自分の代表作って、なんだろう。

芸術家やクリーターのように作品をつくる人は、

作品が代表作になるだろう。

会社員や公務員も、

自分が手掛けたプロジェクトを

代表作とよべる。

産んだ・育てた子供が代表作になる人もいる。

人には、何かしらの代表作がある。

代表作は当然、

自分にとっての傑作になる。

では、この傑作とはどういうものか。

それは、制作作業の行程で、

命懸けになったもの。

命を削ってつくったもの

ではないだろうか。

人生のすべてに

命懸けになることはできない。

ただ、能力と状況とタイミングで、

命懸けの環境が生まれる。

その時できたものが

傑作になる。

人生のどこかで訪れる

傑作づくりの環境。

その時、自分がベストを尽くせば、

最高傑作ができる。

そのために、傑作づくりの環境が必要なのだ。

 

 

自分だけの世界新記録

 

(今日のコトバ)

 

普通の人々は、

世界新記録を日々の暮らしの中で

更新する。

 

 

 

普通の生活がある。

普通の人々がいる。

無名といっていい普通の人々が

大多数をしめる世の中だ。

ただ、この普通の人々が過ごした人生は、

決して普通の時間ではない。

怒涛の出来事があり、

不測の事態があり、

感動の瞬間がある。

一人一人にかけがえのない記憶がある。

その一つ一つの記憶は、

自分以外の誰もたどり着かない記録。

世界中のどんなアスリートも、

どんな有名人も、

踏み入れたことない世界。

それはもう世界新記録といっていい

記録、そして、記憶なのだ。

いま、多くの人は、

大なり小なり問題をかかえているが、

その問題をクリアすることで、

まだ、自分の世界新記録が生まれる。

そう思うと、

生きることが少しだけ楽しくなる。

この先の未来がワクワクする。

自分で問題をクリアしていくのも、

自分史に世界新記録を

生み出すアクションなのだ。