権力の側の知性

 

(今日のコトバ)

 

人の権力が嫌いだったあなたが、

自分の権力だけはかわいがってしまう。

 

 

 

自分の生きている環境において、

上から権力という名の圧力をかけてくる。

人にストレスを与えて平気でいる。

だれでもまわりに一人二人いるはずだ。

権力を行使する側からすれば、

「自分は正しいことをやっている」

「上にいるのだから権力を使ってあたりまえ」

「オレだって上からやられてきたんだ」など。

いい分はいろいろあるだろう。

ただ、権力は使っている人より、

使われている人の方がしんどい。

そこをわきまえないと、

パワハラの権化となってしまう。

これが自分がやられている側である時は、

分岐できるのだが、

自分が権力の側に立つと、

パワハラの権化になったりする。

あれほど他人からの権力に

苦しんでいたのに、

自分も同じことをしている。

同じように権力を行使としていると

わかっている人はまだいい。

まったくわからずに

権力を行使している人もいる。

そこが権力の怖いところ。

自分が権力の側に立ったら、

自分で意識してチェックしていないと、

嫌だったパワハラ上司と変わらなくなる。

いま、どのポジションに自分がいるか。

もし、権力の側にいるなら、

しっかりと自分の足元を見つめて、

力の使い方を考える。

権力のある側が意識しなければ、

権力は巨大化し、

人の上で暴れまわる。

そのことを忘れてはいけない。

ころんで、前へ進む

 

(今日のコトバ)

 

ころんだって、

いい方へころぶこともある。

 

 

何かにつまずいて、

ころぶ。

足元がおぼつかなくて、

ころぶ。

立とうとして、

ころぶ。

人は、何度もころぶ。

痛い。かっこワルい。みじめ。。。

あまり人に見せたいものではない。

だが、ころぶことで

人が成長できることがたくさんある。

傷を負って痛みを感じることから得るもの。

それは、傷つかないように生きること。

あるいは、傷ついても落ち込まない

メンタルを養うこと。

それ以外にもたくさん人生の教訓をつくる。

もっというと、

ころぶことはたいがい前にころがること。

つまり、前進することでもある。

そう思うと、

ころぶことはワルいことばかりではない。

ころぶことで、

人生が強くなることがたくさんある。

ころんだことを、

次にどう生かすか。

うまく生かせば、

ころんだことによって、

人生をもっと素晴らしいものに

できる。

ころんだことを、

どう生かすかだ。

覚悟はブレない

 

(今日のコトバ)

 

覚悟を決めた時、

目標達成の距離が決まった。

 

 

 

人には

覚悟を決めなければならない

時がある。

夢に向かって、

やむにやまれず、

誰かのために、、、、、。

状況は人それぞれだ。

だが、覚悟を決めた人は強い。

目標に向かって一直線になれる。

さまざまな困難があっても、

ブレずにまっすぐ進んでいける。

覚悟を決めたことによる

まっすぐな意志の強さが

人生を引っ張っていく。

覚悟。

簡単に決められるものではない。

だが、自分の人生で

どうしても達成したいものがあるなら

絶対に必要なもの。

「自分には覚悟があるか」

達成したいものができたら、

検証してみるといい。

未来に向かって時間を費やす

 

(今日のコトバ)

 

昨日にしがみついていると、

明日はどんどん逃げていく。

 

 

 

過去の出来事に

いつまでも固執していると、

未来へ前進することはできない。

過去の出来事を

反省することも大切だが、

過去を考えてばかりいると、

これからに対して考えることが

おろそかになる。

ある程度、過去の反省がすんだら、

未来へどう生きるかを

どんどん考えていく。

未来志向というべきか、

これから起こるべきこと、

これから起こすべきことに

人生の時間を費やす。

そこに成長する何かがある。

明るく生きる秘訣がある。

未来に向かって

自分の時間を費やすのだ。

不安には、「慣れ」

 

(今日のコトバ)

 

臆病風も、やがてどこ吹く風になる。

 

 

 

 

人は、慣れる生きものだ。

最初は不安で

緊張していても、

キャリアを重ねていくうちに、

なんでもなくなることが多い。

もちろん、何度やっても

不安になるものはある。

ただ、それでも回数を重ねれば、

不安を回避する方法を知る今年ができる。

慣れ。

この人間の持つ性能は、

結構、力を発揮する。

何度も繰り返すことで、

技を身に着け、

不安を平常心にすることができる。

これから立ち向かうであろう

不安になる時、

人間には

「慣れ」という性能があることを

覚えておこう。

 

朝の希望、夜の幸せ

 

(今日のコトバ)

 

行く道に希望があって、

帰り道に幸せがある人生にしよう。

 

 

 

 

朝、これから向かう場所に

希望があって、

やる気がみなぎってくる。

やりたいこと、

やるべきことをやって、

充実した時間を過ごし、

帰る時間になる。

居酒屋によったり、

カラオケに行ったりしながら、

ストレスを発散し、

心地よい疲れを感じながら、

家族の待っている家路につく。

そんな日が毎日続くのであれば、

ほんとうに幸せだと思う。

だが、生きていく毎日は、

そう簡単ではない。

やりたくないことを

やりながら、

誰にもストレスのはけ口を持てずに、

しんどい毎日を送っている人もいる。

だからこそ努力目標として、

「行く道に希望があって、

帰り道に幸せがある人生にする」

というところに設定する。

毎日の中で多少予定通りに

行かなくても、

毎日のペースの中で、

この努力目標に戻していく。

充実した人生にする一つの考え方だ。

 

 

想像力に瞬発力・持久力を

 

(今日のコトバ)

 

想像力のある人は、

無限という荒野を走り続け、

想像力のない人は、

限界という壁にひれ伏す。

 

 

 

人生のいたるところに

困難な問題が生じる。

その困難を前にした時、

人は二つのタイプに分かれる。

一つは、想像力のあるタイプ。

もう一つは、想像力のないタイプ。

想像力のあるタイプは、

困難をなんとかして、

自分のあらゆる知恵をしぼって、

解決しようとする。

反対に、想像力がないタイプは、

困難の前にギブアップし、

流されるままになってしまう。

そして、その行動が

その後の人生を左右していく。

できれば、

想像力を働かせて、

何事も解決できる力を

つけていきたい。

そのためには、

日々の問題・課題に対して、

想像力を働かせ続ける。

想像力も日々使えば、

瞬発力も、持久力もついていく。

筋肉を鍛えるのと同じように、

想像力を鍛える。

そこを意識して生きていこう。

現場にいない者の声はヤジにしかならない

 

(今日のコトバ)

 

スタンドからヤジを

飛ばすことはできても、

ファインプレーをすることは

できない。

 

 

 

何かを成すのは、

すべて現場のプレーヤー。

辞めてしまった人は、

成す権限がなくなる。

あたりまのことだ。

だが、人は、

辞めていても、

あるいは、遠くにいても、

何かをいいたい生きもの。

もっというと、

ちょっと距離をおいて、

自分が傷かない場所で、

偉そうなことが

いいたい生きものである。

ただ、冷静に考えると、

現役でない者が、

グラウンドではなくスタンドでいる者が

偉そうなことを発するのは、

とてもかっこワルいこと。

自分以外の人間を見ればわかる。

人は弱い生きものでもあるから、

偉そうにしたいこともわかる。

ただ、現場にいない者の発する言葉は、

ヤジにしかならない。

そのことを少しだけ

意識して生きてみてもいいと思う。

同じスタートラインに立てる新人という季節

 

(今日のコトバ)

 

スタートラインに

立てたということは、

それだけで

幸福を分配されているんだ。

 

 

 

 

春。

新入生・新入社員が

一斉にスタートラインに立つ。

同じ条件とはいわない。

学校により、会社により、

まったく違うスタートになることも

あるだろう。

ただ、ほぼ同じ条件で

スタートできることは、

人生においてそれほどない。

社会は、どこかで

ハンディキャップマッチに

なるようにできている。

人生を長くやっていればわかる。

資産家の親のコネがあったり、

知り合いがいるから

有利に働いたり、

罪なことをしている人がいたり等で、

社会は同じ競技をしているのに、

まったく働く条件が

違ってくることがある。

その中で、

新人というスタートラインは、

ほぼ唯一といっていいほど、

同じ場所で勝負がはじまる。

つまり、

同じレベルで勝負できる。

同じレベルで見てもらえる。

人生の幸せな季節。

そんな春を大事にして

生きていきたい。

 

自由が自由に生きる

 

(今日のコトバ)

 

規制の中でこそ、

自由は生きてくる。

その時、自由は

想像力と名を変える。

 

 

 

 

何もないところで、

何をしてもいい。

自由に考えていい。

そういわれると、

自由はあまり

自由にならない。

漠然と、だらしなく、

何もしないで時間をつぶすことが、

自由になってしまう。

では、ほんとうの意味で自由が

自由に生きていくのはどこか。

それは、ある程度の規制がある中では

ないだろうか。

時間割なり、領域なり、割り振りなりの

規制がある。

その中の使い方は、自由。

自分のスタイルで、

自分のスキルで、

自由を使っていく。

その時の自由ほど、

自由がイキイキすることはない。

自由が想像力を持って、

自由を使う。

「自由に生きろ」

「自由に生きたい」

人はいつもそう思っている。

その時、自由の前に

ある程度の規制がある時、

自由に生きられる。

そのことを忘れてはいけない。