チャンスから距離を置くな

 

(今日のコトバ)

 

 

人生のチャンスの前で

次回なんて言葉はない。

いつだって最終回の気持ちで挑め。

 

 

 

人生には、チャンスが訪れる。

何回か、何十回か、何百回か。

自分の人生を大きく広げるための

起爆剤となるチャンスは訪れる。

ただ、そのチャンスを活かせる人と

活かせない人がいる。

活かせる人とは、とにかくそのチャンスを

捉えて、失敗しようが成功しようが

前へ出る人。

大振りでも、空振りでもいい。

チャンスを自分のものにするために

全力を尽くす人。

このタイプの人は、

チャンスを捉える確率が高い。

反対に、チャンスを活かせない人は

どういう人だろう。

いろいろな状況が考えられるが、

いちばんはチャンスを見逃す人は、

チャンスが目の前にきているのに、

手を出さない人、あるいは、

ただ眺めている人。

怖くて手が出さない人もいる。

この手の人は、

チャンスから距離を

置いてしまっているのだから、

チャンスを手にすることはできない。

チャンスとは、

チャンスを捉えるか、否か。

それだけのこと。

チャンスには、

その機運にプラスαがある。

捉えると人生にも

大きなプラスαがある。

だからこそ、絶対捉えににいくべき。

次回があるなんて考えてはいけない。

次回がある可能性は少ない。

このチャンスを逃したら

次回はない。

そう思ってチャンスに挑む。

その気持ちが

チャンスに強いに人になる第一歩なのだ。

すべてのものに役目がある

 

(今日のコトバ)

 

四捨五入というけれど、

五に権力を集中させてはいけない。

 

 

 

力は、必要だ。

力がないと解決しないことが

たくさんある。

ただ、力が一点に集中してしまうと、

力のバランスが傾いてしまう。

権力という力に傾いてしまう。

権力は、一時、推進力を増して、

よく見えることがある。

だが、その裏で腐敗も進んでしまう。

権力を持った人だけがワルいわけではない。

権力のまわりにいる人々が、

忖度などで権力の側を

裸の王様にしてしまう。

そこから、ワルい循環になってしまう。

誰のまわりでも一度は、

見受けられる光景だ。

だからこそ、

力を一点だけに集中させてはいけない。

もののすべてには役目がある。

人には人の、自分には自分の役目がある。

一にも、二にも役目がある。

七にも、八にも役目がある。

すべてに意味があり役目がある。

その役目をまっとうできる環境をつくる。

素晴らしい組織とは、

そういうものだと思う。

「いい方」の気持ちで生きていこう

 

(今日のコトバ)

 

悲しんでいると、

楽しむ時間を失います。

怒っていると、

笑う時間を失います。

いじめていると、

優しくする時間を失います。

嫌っていると、

愛する時間を失います。

人は、失ってから

大切なものがわかる生きものです。

 

 

 

人は、二つの感情が一度に表現できない。

悲しんでる時、

楽しむことはできない。

怒っている時、

笑うことはできない。

虐めている時、

優しくすることはできない。

嫌っている時、

愛することはできない。

どちらか一つの感情で動く。

では、どちらの感情で動いたら、

生きるために素敵なことだろうか。

対抗軸で考えるとわかりやすい。

悲しいより楽しい方がいい。

怒るより笑う方がいい。

虐めるより優しくする方がいい。

嫌うより愛する方がいい。

「いい方」は決まっている。

もちろん、その時々の感情で、

反対の気持ちが

優先してしまうこともある。

だが、本来、

「いい方」の気持ちは決まっている。

だとしたら、

「いい方」の気持ちのために、

生きるべきだ。

「いい方」の気持ちになるために、

感情を動かしていく。

意識して感情を動かしていく。

その気持ちを持ち続けていくことで、

人生は素晴らしい方に動いていく。

その結果、

生きるために大切なものを

守ることができる。

「いい方」の気持ちに持って

生きていこう。

身の程知らずを持って生きよう

 

(今日のコトバ)

 

身の丈に合わせてばかりいると、

身の程知らずが縮んでしまう。

 

 

 

人が成長する時、

いつも通りのメニューでは、

どうしても大きく

成長できないことがある。

無謀に突進するとか、

無理なことにトライしてみるとか、

無駄なことに熱中してみるとか、

身の程知らずに挑むことも、

成長には必要なこと。

もちろん、自分を壊してしまうほど、

メチャクチャではいけない。

だが、

身の丈に合わせてばかりいたら

大きな成長には結びつかない。

もし、いま、

成長が止まってしまっていると思ったら、

身の程知らず挑戦してみよう。

そこに成長の芽がある。

新しい自分になれるきっかけがある。

人は、成長しながら

人生を広げていく生きもの。

そのために、

身の程知らずも意識して生きるのだ。

言い訳にかける力を、人生の目的にかけよ

 

(今日のコトバ)

 

なまけ者は、

言い訳だけ俊敏になる。

 

 

 

 

ダラダラしている人、

やる気を一向に見せない人、

働くことに意欲のない人など。

なまけ者といわれている人がいる。

その人たちには、

似たような傾向の癖がある。

それは、言い訳だけは雄弁、

言い訳だけは俊敏になること。

もっというと、

言い訳だけには労苦を惜しまない。

なまけ者と呼ばれている人は、

ほぼこの癖がある。

言い訳を防波堤にして、

後は動かない。

これは、もったいないこと。

その言い訳にかける力を、

人生の目的にかければ、

強い力になることもある。

人生は短い。

ダラダラ生きても、

全力を尽くして生きても、

同じ一生。

選択は自由だが、

できるなら、

言い訳にかける力と時間を

人生の目的のために使う。

その気持ちは大切だと思う。

全力を超えてがんばってくれる人

 

(今日のコトバ)

 

カラダが重くなるほど

がんばった日は、

足跡を残せた日です。

 

 

 

 

ほんとうに疲れた。

カラダは重くなるほど、

全力でやり遂げた。

そんな日があるはずだ。

「一生懸命がんばる」

「忙しく働く」

人の価値とは、何かと考えると、

全力で能力を発揮した時、

生まれるような気がする。

才能があるない、

力があるない、

しゃべるのが得意不得意、

勉強ができるできないなど、

関係ない。

自分がどれだけがんばれたか。

そこがいちばんの価値になる。

こんなつらい時代になっても、

医者・看護師の人々、

スーパー・コンビニの販売員の人々、

公務員の人々、ライフラインを守る人々など、

前線に立ってがんばってくれてる人がいる。

ほんとうに凄い。

ほんとうに素晴らしい。

この人たちのおかげで

自分が守られていると思うと、

感謝しかない。

きっと、

全力を超えてがんばってくれている。

その力を僕らは忘れてはいけない。

彼らの行動に「ありがとう」と。

 

 

 

目標へ、全力で立ち向かう意志

 

(今日のコトバ)

 

妥協が微笑むと、

目標がソッポを向く。

 

 

 

人は、そんなに強くない。

人生では、

どこかで妥協点を見つけて、

そこに着地してしまう。

自分の勝負の場所でないところでは、

それでいい。

なにもかにも全力投球していたら、

自分の身が持たない。

だが、自分の勝負すべき場所で、

簡単に妥協してしまったら、

目標はどんどん遠ざかっていく。

目標を決めて走り出したら、

達成するまで全力を尽くすことが

最初の条件。

手を抜いたり、

甘く考えていると、

目標を達成することはできない。

もちろん、大きい目標、

小さい目標はある。

達成が難しくない目標もあるだろう。

ただ、本気で手にしたい目標は、

必ず難題を用意している。

それを乗り越えるのは、

全力で立ち向かう意志。

まず、その意志が持てるか。

持てるなら前へ進もう。

持てないなら、

もう一度、考えてみてもいい。

目標へは全力という力が必要なのだ。

チャンスに巡り合うために

 

(今日のコトバ)

 

チャンスは、

未来をつくる人を

ヘッドハンティングしている。

 

 

数多くチャンスが到来する人がいる。

あきらかに他の人より、

チャンスに巡り合う回数が多い。

その人たちを見ていると、

傾向があることに気づく。

夢に向かって行動している人、

前向きに物事を考える人、

飛びぬけた才能のある人など。

これらの人たちは、

チャンスと巡り合う回数は多い。

もし、いま、自分にチャンスが

まわってこないと思うなら、

これらの傾向に合わせてみるのもいい。

飛びぬけた才能はないかもしれけないが、

夢に向かって行動する、

前向きに物事を考えることは、

誰にでもできること。

まずは、そこから挑戦してみる。

そして、チャンスに巡り合う。

チャンスがなければ、

何か目標を達成しようとしても

しんどい。

できるかぎり、

チャンスが多い方がいい。

そのために、

いま、自分でできることを

やってみよう。

自信という言葉が飛び交う時、自信はまだ足らない

 

(今日のコトバ)

 

自信をわざわざ口にしなくていい。

何もしなくても

表情になってあらわれる。

 

 

 

 

「自信を持て!」とか

「自信がない」とか、

人は挑戦の手前で、

自信を確認する時がある。

人に自信を問われる時、

自分が自信を問う時、

どちらもあるが、本来、

自信は問うものではないと思う。

自信とは、

自分の能力がしっかりしていて、

準備さえ怠らなければ、

自然に持てるもの。

問われているうちは、

自信はない時といっていい。

絶対に自信がある時は、

自信を持っている時は、

表情になってあらわれる。

たたずまいにもあらわれる。

自分が自信がある時、

まわりの人も自信を問うことない。

だからこそ、

自信を口にされたり、

自信を口にしたりする時は、

まだ自信がない状態だと意識しよう。

切磋琢磨が足りない。

準備が足りない。

そう思えば、

自信という言葉が飛び交う時、

すべての言葉は、自信が

足らない時の警鐘になる。

そのことを忘れてはいけない。

平凡は、非凡の上の安定

 

(今日のコトバ)

 

平凡を続けていると、

削られ、磨かれ、輝き出し、

やがて非凡になる。

 

 

 

毎日毎日、同じペースで

同じようなことをこなす日が続く。

平凡。

一言でいってしまえば、

それまでかもしれない。

だが、同じペースで同じようなことを

こなすことは、簡単なことではない。

同じペースをつくるために、

技が必要、センスも必要、

メンタリティも必要、

そして、速度も必要。

すべてがひとつのサイクルとなって、

同じペースをつくる。

そのペースの上に、

平凡ができあがる。

あたりまえのようにくる平凡は、

決して、あたりまえではない。

たくさんの能力の上に成り立つ

非凡の上の安定なのだ。

そこを忘れてはいけない。

いまある平凡は、

あたりまえでなければ、

永遠でもない。

こんな状況の世界になると、

強くそう思う。