一歩の価値を知り、一歩の意味を知る

 

(今日のコトバ)

 

「はじめの一歩」で

目標の半分が達成され、

「あと一歩」を踏み出すことで

達成が現実のものとなる。

 

 

何かをはじめる時、

大切なのははじめの一歩。

一歩を踏み出すまで

様々な要件があり、

踏み出すことが困難だったり、

躊躇したりする。

とにかく一歩を踏み出せば、

まずは目標に向かって

大きく前進できる。

たかが一歩ではなく、

何万歩以上の価値がある一歩になる。

そして、行けるとこまで

歩を進めていく。

その後、山場がある。

乗り越えなればいけない壁を

乗り越える一歩。

その一歩も

はじめの一歩と同じぐらい

大切なものになる。

同じ一歩だけれど、

価値の違う一歩。

その一歩の意味を知る人は、

勝負勘がいいといえるかもしれない。

人生にとって一歩は大きい。

その一歩一歩を踏みしめ

前進していこう。

誇りとは、貫くもの

 

(今日のコトバ)

 

誇りとは、

誰も見ていないところでも

手を抜かないことである。

 

 

 

人には、誇りがある。

大きさはともかく、

自分が守り抜くべき誇りがある。

その誇りが

人生という道を貫いていく。

良いワルいではない。

誰にでも貫くものがあるのだ。

では、貫くものとは何か?

それは、どんな時も手を抜かず

やり続けるものかもしれない。

決して、凄いことだけではない。

こだわって貫くものもある。

癖として貫くものもある。

もちろん、

自分のアイデンティティとして

貫くものもある。

そして、その誇りは

人間性そのものだったりする。

いま、自分がわからなくて

迷っている人は、

自分が貫ているものを見つめてみよう。

きっと、その貫いているものに

誇りが宿っているはずだ。

時間を忘れて「生きた瞬間」を生きる

 

(今日のコトバ)

 

夢中になると、

世の中すべての時間が

自分のものになる。

 

 

人間にとって、

何がいちばんいい状態か。

そんなことを考えたことがある。

受動的ではなく、

能動的という意味でいうと、

夢中になることが

いちばんいい状態のような気がする。

何を持っていい状態か

定義するのは難しいが、

いい事ワルい事を忘れて、

幸福不幸を忘れて、

好き嫌いを忘れて、

時間を忘れて

「生きた瞬間」を生きる。

夢中といえる時間が

長ければ長いほど、

人生が充実しているともいえる。

だからこそ、

自分が夢中になれるものを

持って生きていこう。

正しくいうと、

自分が夢中になれる時間を

つくれるようになろう。

人生を充実させていくために

大切なことだと思う。

誰もが、どこかで、誰かの役に立っている

 

(今日のコトバ)

 

あなたは誰かの役に立っている。

あなたの敗北だって、

誰かの幸せになっている。

 

 

勝った、負けた。

成功した、失敗した。

幸運、不運、、。

自分にとって、

いい時もワルい時もある。

ただ、自分に対した

相手はどうだろう。

自分が勝者になれば、

相手が敗者になる。

相手が勝者になれば、

自分が敗者になる。

つまり、自分がいい時は

自分が幸せになるが、

相手がいい時は

相手が幸せになる。

自分がワルい時も

誰かを幸せにしている。

誰かの役に立っている。

そう思うと、

誰もが、どこかで、

誰かの役に立っている。

負けも、失敗も、

相手にとってはプラス。

だからこそ人生は面白い。

人は人に支えられて生きている。

プラスの要因、

マイナスの要因も、

視点を変えれば逆転する。

そのことを忘れてはいけない。

 

人生と目標が並走している

 

(今日のコトバ)

 

明日とは、

まだ勝てない者の言葉。

昨日とは、

もう勝てない者の言葉。

今日とは、

いま勝とうとする者の言葉。

 

 

人は言葉によって

意志を表示する。

その中で

わかりやすい言葉がある。

「明日(未来)」

「昨日(過去)」

「今日(現在)」

それぞれの言葉のどれかを

もっとも重視して話すか。

明日を口にする人は、

人生において

思うほどの結果が出ていない。

なんとか、

これからいい結果を出したいと

思っている。

努力しているかしていなかに

かかわらず、

明日は変わると思っている。

昨日を口にする人は、

もう現状以上のことを望まない。

結果は結果で受け止めて、

世の中の状況と人生を重ねて、

そこそこで生きたいと思っている。

人生に期待していないともいえる。

そして、

今日を口にする人は、

いま目標があって、

それを達成しようと生きている。

いちばん時間を

有効に使っている人ともいえる。

人生と目標が並走している。

たいがいの人が、

この三つの言葉で生き方がわかる。

どれがいいかではない。

ただ、モチベーション高く

生きていくためには、

今日を口グセにすると、

納得する人生を

生きていけるのではないか。

人生は一瞬の積み重ね。

今日を大切にすることが、

充実した人生になるはずだ。

熱は、夢や希望を叶えるために

 

(今日のコトバ)

 

怒りや悲しみも熱を

放出してしまう。

同じ熱を放出するなら、

もっと大事なものに使おう。

夢とか希望とか大事なものに。

 

 

 

生きることは、

熱を放出することかもしれない。

特に、夢や希望に向かって

全力を発揮すると、

大きく熱を消費する。

また、怒りや憎しみ、悲しみも、

熱を消費している。

どちらも同じ熱なら、

夢や希望に賭けた方がいい。

人生として楽しいと思う。

そう考えると、

怒りや憎しみ、悲しみに、

なるべく時間を割かない。

夢や希望を叶えるために、

夢中になる時間をつくる。

その方が有効的。

もちろん、日々、

想像もしないことが起って、

笑ってばかりいられないこともある。

ただ、それでも夢や希望に生きる。

あたりまえの生き方かもしれないが

大切なことだ。

 

 

陰口をのみこんで成長する

 

(今日のコトバ)

 

陰口は、

敗北のカケラでできている。

 

 

無意識で、

あるいは意識して、

人の陰口をいってしまう。

なぜ、陰口をいってしまうのだろう。

考えてみると、

たいがいが陰口をいう側が

何かで引け目を感じている時、

陰口をいってしまう。

特に、相手が成功している時、

相手が勝っている時は、

陰口をいいやすくなる。

そう思うと、

陰口はかっこいいものではない。

そもそも陰口とっているのだから、

かっこをとやかくいうものではないが、

負け惜しみ、嫉妬、ひがみ、

そねみが言葉になっている。

だとしたら、

陰口をいいたくなったら、

一度、自分の心に聞いてみる。

「あの人に負けてないか。

かっこわるくないか。

なさけなくないか」

気が咎めるなら

陰口をいわなければいい。

その言葉をのみこむことで、

ちょっと成長する自分もいる。

陰口は、自分の弱さの一つとして

考えてみよう。

 

 

 

 

幸せに気づく人生

 

(今日のコトバ)

 

遠くへ歩いていく者は

忘れてはいけない。

幸せは、

いつも足下にあるということを。

 

 

 

「幸せ探し」とか、

「幸せはどこにあるのだろう」とか、

人は幸せに包まれたいと

いつも思っている。

誰でも、幸せでないより

幸せな方がいいに決まってる。

ただ、その幸せも

本人の考え方次第なところもある。

どこからを幸せとするか。

生きていることが幸せと思う人もいる。

何不自由のない暮らしをしていても、

幸せではないという人もいる。

基準は、人それぞれだ。

ただ、一言いえることがある。

それは、幸せはいつも自分のまわりにある。

足下にあるといってもいい。

そこから目を離すと、

幸せは気づきにくい。

つねに自分の身近なところを意識して、

幸せに気づく。

その癖がつくと、

幸せな人生であることを

満喫できる。

人生という時間を、

いかに幸せで包むか。

それは、幸せであることに

気づくことが大切だ。

言葉は状況をつくる

 

(今日のコトバ)

 

言葉には翼があるから、

自分の言葉をつぶやいていこう。

いい言葉なら、

いい方向へ飛んでいく。

 

 

 

自分から発した言葉は、

発したままでは完結しない。

伝えた相手の解釈によって、

まったく違った結果になることもある。

極端にいえば、

「イエス」が「ノー」になることもある。

そこが言葉の難しいところ。

ただ、こうもいえる。

意識無意識問わず

伝える方向性が一致していると、

その方向にまわりが動いていく。

例えば、肯定的な言葉をより多く伝える人は、

肯定的な状況が起こる。

後ろ向きな発言が多い人は、

前向きに物事は進まない。

つまり、はじまりは言葉。

そして、伝える方向が明解であれば、

言葉はそこに状況をつくる。

いい言葉には、いい状況を。

そうでない言葉には、そうでない状況を。

言葉の力を信じて、

自分の描く状況をつくって、

生きたいものだ。

希望は人生の明日を導いてくれる

 

(今日のコトバ)

 

希望の残量は、

いつまでも100%なんだ。

 

 

 

人は命果てるまで

希望を失うことはない。

そう思って生きている。

年齢を重ねれば重ねるほど、

確信に近いものになっている。

どんなに悲しいことがあっても、

どんなに酷い目にあっても、

どこかで希望のようなものがある。

その希望が日が経つうちに、

少しずつ少しずつ大きくなっていく。

そして、また、平穏な、

幸せな日々に戻っていく。

人生はその繰り返し。

ただ、必ずその人生を導いてくれるのは

希望。

壮大な希望ではなく、

小さな小さな希望もある。

もちろん、

人生を懸けるほど大きな希望もある。

その希望たちが人生はつくられる。

希望は人生の明日を導いてくれるのだ。