戸惑いなく、一糸乱れず、意志を通す

 

(今日のコトバ)

 

力があっても逃げた者と、

力がなくても

逃げなかった者が戦って、

力がない者が勝った。

それは、力がない者が覚悟を

決めたからだ。

 

 

覚悟。

決められるか決められないかで

人生は大きく変わる。

それは、覚悟には、決断、勇気、

忍耐など、複合的に人間の意志を

固める要素を含んでいるから。

まわりをみても、

覚悟を決めた人は強い。

目には見えないが、

自分の魂をバリアで囲って、

前進していくようだ。

戸惑いなく、

一糸乱れず、

意志を通す。

仮に才能や実力が下でも、

覚悟を決めた人が、

勝利や成功を手にすることも

多々ある。

だからこそ、

ここ一番の勝負の時は

覚悟を決める。

自分の力を

最大限に発揮するために

もっとも大切なことだ。

凄い自分に出会う

 

(今日のコトバ)

 

青春とは、

凄い自分を発見する旅である。

 

 

まだ何者でもない。

だが、何者になるかの自信はある。

青春とはそんな季節。

無限の可能性を信じ、

無限の夢を見て、

無限の能力を発揮する。

人生でいちばん成長する時。

人生でいちばん凄くなれる時。

青春。

この季節を

自分の信じた道を前進する。

自分の行きたい場所に行く。

言葉にすると、

たったそれだけのことだけど、

自分の行きたい場所へ

行ける人は、

人生が有意義なものにできる。

だからこそ、

自分の凄い季節、

自分の凄い時間を

自分の人生に投入する。

青春はそんな自分に

適しているのだ。

今という時間に生きているか

 

(今日のコトバ)

 

汚れた昨日は、

今日の涙で流してしまえ。

そして、今日の汗で

明日を磨くのだ。

 

 

今日を、今を、

追いかけて生きている。

そういう時、

人間は一番いい状態といえる。

過去ばかり振り返ったり、

未来ばかり絵空事を

描いてばかりいるより、

今という時間に

生きているということは、

人生が充実しているということ。

時間が生きているといっていい。

そして、今を生きているかを

人生の基準にすれば、

自分の状況がわかってくる。

今の目標に向けて生きていれば

心配はない。

そのまま今の目標を

クリアするよう生きればいい。

ただ、過去ばかり

振り返ってる時は、

今がイケてない証拠。

今に問題があって

前進できていないところがある。

問題点を洗い出し

解決できるよう

動かなければならない。

また、未来にばかり意識がいって、

「いつかは夢を実現する」的な

ことしか口にできない状態も

ベストとはいえない。

「今は何しているの?」という

疑問が残る。

だからこそ、自分に

「今の状況はどうなっているのか」

といつも問う。

その答えがすぐに出て、

行動できているかをチェックする。

今のために動いていれば、

人生は大丈夫。

過去や未来ばかりに意識がいって、

今何もしていないなら要注意。

その基準を持って生きていくのだ。

好きは、根拠のない自信の正体である

 

(今日のコトバ)

 

根拠のない自信というけれど、

根拠はある。

好きだという気持ちは、

絶対的根拠だ。

 

 

 

立志伝中の人で、

「まだ無名の頃、

根拠のない自信だけあった」

という人がいる。

立志伝中でなくても、

「根拠のない自信がある」

という人は結構いる。

根拠のな自信、、。

本当に根拠がないのだろか?

ふと自分に置き換えて

考えてみると、

自分にも

根拠のない自信のようなものが

ある時はあった。

ただ、根拠がないかというと

そうでもない。

確固たる根拠はあった。

それは、挑もうとするものが

好きであること。

その好きという根拠が

なのだ。

そう考えてみると、

「根拠のない自信がある」

という人たちは、

みんな自分の好きなものに

挑もうとしている。

そこだけは間違いない。

だから、いま、

好きだけで

挑もうと思っている人も、

根拠のない自信ある

と思っていいのだ。

その自信を持って前へ進む。

それだけ考えて行けばいいのだ。

自分の声に耳を傾ける

 

(今日のコトバ)

 

いちばん近くにいるのに

届かない声がある。

自分の声である。

 

 

 

人の声に耳を傾ける。

世の中に生きていると、

必然、偶然に関係なく

声を聞かざるおえない。

意外と人間は、

人の声に耳を傾けることは、

高い能力を発揮していると思う。

ただ、自分の声はどうだろう。

それこそ声に出して

発信しないから、

聞くことがあまりないのでは

ないだろうか。

自分の心の声を、

いつもいつもきちんと

聞いているという人は

少数だと思う。

だが、人は感情の生きもの。

愚痴や本音、弱音などの声を

どこかで吐き出さなくては、

嫌なものが心に溜まってしまう。

生きる意欲が欠けてしまう。

そう考えると、

自分の声に耳を傾けて、

いつでも吐ける状況を

つくることも大切。

自分の声を溜め過ぎないで

吐き出していく。

人生を

気持ちよく生きていくために

意識したいことだと思う。

 

 

こまめに忘れる

 

(今日のコトバ)

 

生きることが

面倒くさくならないように、

背負った荷物を少しずつ

降ろしていこう。

 

 

あまりにも人生の問題を

抱え過ぎてしまうと、

生きることが重みに

耐えられなくなる。

重みが辛さになり、

苦しさや悲しさに

なることさえある。

体力もメンタルも停滞して、

生きることが

しんどくなることもある。

そう考えると、

人生の問題を

抱え過ぎないで

生きていくことが大切。

よく考えてみると、

どうでもいいことが結構ある。

明日になって

忘れてしまうようなことを、

いつまでもクヨクヨしながら

考えることはない。

自分で基準を持って

忘れていくべきものを

増やしていく。

人は元々、忘れていく生きもの。

必要性がなければ

忘れられる。

こまめに忘れていく。

それだけで、人生が随分楽に

なるはず。

とかく、面倒くさい

世の中になっていく。

忘れていいものは、

どんどん忘れていけば

いいのだ。

自分を代打にしないで生きる

 

(今日のコトバ)

 

人生に代打なんて

いないというけれど、

世の中に代打なんて

いくらでもいる。

心配するな。

自分の速さで生きろ。

 

 

 

昔の上司はよくいった。

「お前の代打はいない。

絶対にお前がこの仕事を

完結しろ」と。

いまならパワハラに近い言葉だが、

平気でこんな言葉をいう人がいた。

そして、この年齢になって思う。

代打はいないくない。

いくらでもいると。

特に、仕事の場面では、

突然、本人がいなくなったら

困ることは困るが、

誰か代打がフォローできる。

これまでのすべての仕事は、

誰かがフォローしてきたから、

仕事は続いてきたのだ。

もちろん、人間関係の中で

他の誰かでは

ダメなこともある。

ただ、それも限られる。

そう考えると、

代打がいないと思って

焦って生きることより、

自分の速さで生きることが大切。

自分を大切にして、

自分の道をしっかり生きる。

誰かの速さで生きない。

それこそが、

自分を代打にしないで

生きることなのだと思う。

支え合いで生きている

 

(今日のコトバ)

 

何度、

「そばにいるよ」と

いわれただろう。

何度、

「そばにいるよ」と

いっただろう。

いわれた数だけ強くなり、

いった数だけ優しくなった。

 

 

 

どれだけ人に

支えてもらっただろう。

人生が困難な時、

いろいろな人に支えてもらった。

家族、恋人、友人、先生、先輩、

同僚、後輩、、。

その人がいるから、

いまの自分があると

思うこともある。

反対に、数は少なくても、

誰かが困った時、

自分が支えたことも

あったと思う。

その人のためにと

力を発揮した。

人間社会とは、

支え合いでできている。

自分の欠けたところを

誰かに補ってもらう。

誰かの欠けたところを

自分が補う。

そのことを忘れずに

生きていけば、

人間として強くなり、

人間として優しくなれる。

人間社会で

役立つことができるのだ。

 

 

目覚めたら幸せ

 

(今日のコトバ)

 

目覚めて今日になっていたら、

朝一番の幸せを

もらったことになる。

 

 

目覚めた。

今日一日が始まる。

また、今日一日、

人生を楽しめるのだ。

能天気のように書いているが、

結構本気で書いている。

昨日までをリセットして、

今日に取り組める。

人生は一日という時間をくれた。

この一日は、幸せや楽しいことを

更新してくれる。

生きることが

素晴らしいことだと思える。

もちろん、

嫌なことや不幸だと

思うこともある。

それでも、生きていけることは

人生にプラスが多い。

だからこそ、

朝、目覚めたら幸せをもらったと

喜んで起きてみよう。

一日を機嫌よく

スタートできるはずだ。

 

人生に「もしも」を

 

(今日のコトバ)

 

「もしも」という言葉は、

希望でできている。

 

 

 

いろいろな言葉がある。

その中で

いちばん未来を予感させる言葉は

何だろう。

思いつくのが

「もしも」

「もしも何々だったら?」

そう思うと想像が膨らむ。

継続性の気持ちも伝わる。

生きていく毎日の中に

「もしも」があったら、

何と未来志向なのかとも思う。

振り返って、

自分の人生に「もしも」はあるか。

もしあるなら、

自分はいま未来に

動いているといっていい。

反対に、「もしも」がなければ

人生が停滞している

可能性がある。

だからこそ、

「もしも」がある人生を

送っていきたい。

「もしも」と思うことがあれば

自分は未来志向にある。

前向きに生きていると

いっていいのだ。